閉館した美術館と腐れ縁の根原警部
閉館してから1時間が経過したところで、館内はようやく落ち着きを取り戻してきた様子だった。
「いやあ、本日は警察の皆様にも手伝っていただいて、感謝の極みでございますぅ!」
館内のエントランスホールに集合した警察関係者の方々に対して、南雲館長は深々と頭を下げていた。顔が脂ぎっている。前半は来館者数の急激な増加に嬉しい悲鳴をあげていたに違いないが、後半になるとむしろ本物の悲鳴の方が多かったのだろう。
「とにかく、絵や施設に損害が出なくてなによりです。我々としても今日の来館者数の多さは想定以上でした。増員を要請しましたので、明日からはより安全に業務が行えると思いますよ」
警官たちの指揮を執っている根原警部の一言に、館長は再度頭を下げた。
「明日はだいぶ楽になりそうだね、真希ちゃん」
理愛は整列している真希さんにむかって、小さめの声量で語りかけた。さすがに真希さんは口を開かず、苦笑いしてうなずく程度に留めていた。
「それで、根原さん。駄瓶先生が遺したメッセージの調査は、これからなさるのですか?」
「はい。これより数名の部下と関係者を率いて、調査をしてまいりたいと思います。何しろ今夜は、情報通で謎解き大好きな、特別ゲストがこの場にいますからねえ」
警部がこちらを一瞥した。南雲館長に見せていた表情とは打って変わって、目元が嫌らしく歪んでいる。私は知らんぷりをした。
「では、本日は調査班を残して撤収!」
私は一足早く展示室に赴き、均等な間隔で並べられた作品たちと向かい合っていた。開館中はゆっくり鑑賞する暇もなかったが、改めて見てみるとやはりすごい。静まり返った館内にいると、描かれた風景からまるで音が聞こえてくるようだ。そのまま絵の中に入り込んで、あたり一面がその風景に変わっていくような錯覚に――。
「とだーまさーん」
軽い調子の声が耳を通り抜け、気がつくと浅黒い腕が首元に絡まっていた。
「僕たちを置いて現場直行とは感心な心がけですねぇー、さすがの戸玉さんも、みんなが来館者のお世話をしている中でのんびり館内を周回しているとなると、罪悪感が湧いてきちゃいましたかぁ?」
「……警部らしからぬ発言だぞ、根原。そもそも私は、ただ周回していたわけではない。不審人物がいないか確かめていたのだ!」
「ふーん、探偵はフットワークが軽くて羨ましいですなぁ」
こいつめ……最近は顔を合わせるとすぐ嫌味が飛んできやがる。
「いや、すみません、お待たせしました」
「おお、調査にまで付き合っていただいて痛み入ります、館長」
「私たちも揃いましたよ、根原さん」
振り返って見てみると、館長や真希さんのほか、私服の刑事と科学捜査班の方々が集まっていた。そして真希さんの隣には、案の定、理愛がいる。
「梶田婦警……まだ公務の途中だぞ。根原警部と呼ぶように」
「あ、すみません……」
「ちょっと根原さん、もうみんな仕事を終えている時間帯なんだから別にいいじゃないですか。根原さんだってプライベートでは真希ちゃんって呼ぶくせに……」
「おい、しれっとうちのチームに混ざってんじゃない! 戸玉さん、引き取ってくれませんかね」
「こっちに戻れ、理愛」
「もー、戸玉さんまで! せっかく真希ちゃんと一緒に仕事ができるのに」
まったく、落ち着いた雰囲気が台無しだ。
「あのー、根原さんとそちらの探偵さんとは、お知り合いで?」
館長が確認をするように、私と警部へ交互に顔を向けた。
「戸玉さんらは自己紹介がまだでしたよね? では僕からご紹介しましょう。こちらの男性は、フリーのルポライターで探偵もやっている戸玉久司さん、そちらの女性は、助手の、えーと……」
「蕪野理愛です! いい加減覚えてくださいよ!」
「おっとっと、そうでしたな。はっはっは」
「私が探偵業をやる前から、警部とは何かと縁がありましてね。私の情報が決め手になって、過激派組織の一斉摘発にこぎつけたこともありますよ。そのおかげで彼は昇進し、警部になれたんでしょうねぇ」
警部の笑顔が崩れ、何か言いたそうに口を半開きにしたが、すぐにそっぽを向いて咳払いをした。少しは反撃しないと、私の影が薄くなるばかりだからな。
「とにかく、駄瓶先生が遺されたメッセージの調査は彼らも参加することになりますので、館長も何かしらの情報をお持ちでしたら、遠慮なく仰ってください。信頼性、機密性においては、我々が保証しますよ」
私と理愛が礼をすると、館長も愛想笑いをしながら二度頭を下げた。
「よし、では本格的な調査を始める前に、今回の騒動についておさらいをしておくとしよう。すでにネットやSNSで話題になってはいるが、機密情報も含まれているので、くれぐれも外部には漏らさないようにな」