人の波に浮かぶ青色の瞳
開館から2時間が経過し、そろそろランチタイムが恋しくなってくる時間帯でも、館内は人の群れでごった返していた。
「すみません! 作品に近づき過ぎないでください!」
「こちらは出口です! 入口の方へお回り願います!」
「長時間の滞在はご遠慮いただけますでしょうか!」
「こちらの、ゆみかちゃんのご家族の方はいらっしゃいますかー!」
警察官、警備員、そして普段はデスクワークが主な仕事の美術館職員までもが駆り出され、混沌とした館内をなんとか制御しようとしている。私と理愛は人の波に飲まれないようにしながら、順路を何周か回ってみた。
「これじゃあ、本格的な調査は閉館後になりますね」
「そうだな、今のところは不審な人物がいないかチェックしておくに留めよう」
来館者のほとんどは、絵に隠されたメッセージを発見しようと訪れた者たちだろう。いろんな角度から絵を眺めてみる者もいれば、拡大鏡を持参してくまなく調べようとしている者もいる。礼儀を知らない一部の若者たちは、絵に直接触ろうとしたり、大声で議論を展開したりしている始末だ。
「館内では、カメラやスマートフォンでの写真撮影は禁止です! あっ、フラッシュはやめてくださーい!」
ひときわ大きな声が館内に響いた。
「戸玉さん。あの人は館長、ですよね」
「南雲館長だ。とうとう館長まで出動とは、総動員体制だな」
「フラッシュ撮影は絵を痛めるって聞いたことがありますしね、館長も絵を守るために自ら……」
「カメラのフラッシュは絵を痛めるほど強烈なものではないと聞いたぞ」
「ええっ、そうなんですか?」
「……まあ科学的には、な」
自分でそう言ったものの、確かにフラッシュを焚いている奴が多すぎる。その中のほとんどは、スマホを目上の位置に掲げて、カシャカシャとシャッター音を鳴らしている。薄暗くて、静かなイメージの館内にふさわしくない光景だ。館長が出てきて止めたくなるのもわかる。
「とりあえず、この一周が終わったらランチタイムにしませんか? 真希ちゃんも仮眠から目覚めたってLINEしてましたし。近くに美味しくて有名なうどん屋さんがあるんですよー!」
「理愛、お前さては最初から真希さんとランチを計画していたな?」
「あ、やっぱりバレましたか。さすがですね」
やれやれ、何がさすがだ。とはいえ、そろそろ一息つきたいところだった。人の密度が多すぎて、私の脳も酸欠気味だ。
気持ち早めに、出口へと順路を進んでいると――。
「あ痛っ!」
誰かが突き出していたスマホに頭がぶつかり、そのまま床に落ちてしまった。
「オウ、す、すみ、ません」
「ああ、いえいえ、お気になさらず。私も不注意でした」
私は落ちたスマホを拾って、持ち主である男性に手渡した。
ん?
手渡す瞬間に彼の顔が見えたが、不思議な感じがした。初対面のはずなのに、なぜか見覚えがあるような気がする。
「ありがとう、ござい、ます」
小さくお辞儀をしたあと、彼はふたたびスマホを持って、カメラのレンズを絵に向けた。撮影しようとしているのだろうか。スマホから出る光を反射して、青色の瞳が輝いている。
「戸玉さん、どうしたんですか? ぼーっとして」
「ん、ああ、なんでもない」
よく考えたら、私の知り合いに青い瞳を持つ者はいない。だとすると、他の誰かに彼が似ているのか――。
「ほらほら、早くしないとうどん屋さんが満席になっちゃうかもしれませんよ」
「う、うむ」
理愛に急かされて、私は思考を一時中断し出口へと向かった。少しして振り返ってみると、彼は人混みに埋もれながらも、まだスマホを絵に向けていた。