もうひとつのメッセージ(後編)
「なるほどねぇ、あの男性は、駄瓶先生が近川駄瓶になる前に授かった子どもだったんですね、戸玉さん」
「ああ、盲点だったよ。彼は見た目は若そうだったが、実際はけっこうな御年なんだろうな。外国人だからそのへん、気付きにくかったのもあるかな」
ひそひそ話をしていた私と警部に、理愛は一瞬渋い顔をしたが、すぐに音読を再開した。
――父があの近川駄瓶であることを知った私は喜びつつも、それからすぐに、安易に会ったり話したりすることは許されないというジレンマに囚われることとなりました。
父はもうすでに世界的に有名な画家となっていて、おいそれと交流することができないのはもちろんのこと。私自身も、当時はまだ創立したばかりの環境保護団体の創立メンバーであり、多忙を極めていました。さらに、当時の政府やメディアからは、過激な活動をする環境保護団体と我々が同一視されていたようで、手紙ひとつでもチェックされてしまいかねない状況にありました。
それでも、私は父とコンタクトを取りたかった。真実も告げられずに逝ってしまった、母の無念を晴らしたい思いもあったのだと思います。そこで私は、ある方法を思いついたのです。環境保護団体への支援金を募るパンフレットのなかに、何らかのメッセージを残すという方法でした。当時はまだ目新しかったQRコードという情報技術を、我々の団体ではパンフレットに使用しておりました。
そこで、私は父の自宅宛てに、パンフレットを送りました。その中のひとつに、母の名前とともに、『この方を知っているなら、QRコードを読み取ってみてください』という伝言と、QRコードを忍ばせたのです。
父から連絡があったのは、その一週間後でした。QRコードのメッセージで指定した通りの方法で、国際電話をかけてきたのです。
最初は、父に拒絶されるのではないかと思いました。何十年も昔の、異国の女性との間にできた子どもで、しかも私はもう大人になっている。今さら何を世話しろと、そんな言葉が投げかけられるかと思いました。
しかし、父は私を受け入れてくれました。それどころか、私に血のつながった息子がいたのだと、感極まる声で喜んでくれたのです。
後で父から直接聞いたことなのですが、父は世間で言われている糖尿病などの病気の他に、性機能不全に関わる病気を30代のころに患っていました。つまり、その時の父は、子どもを作りたくても作れない体になってしまっていたのです。
それから父は、唯一の肉親である私に頻繁に連絡を取るようになりました。もちろん、おおっぴらに接触することができない間柄なのは変わりませんでしたが、そこでもQRコードが活躍したのです。私は寄付を募るパンフレットの中に個人的なQRコードを忍ばせ、父も自らの個展会のパンフレットにQRコードを忍ばせることで、秘密のやりとりを行っていました。
そして、5年ほど前の話になりますか、父がみずから、私に国際電話をかけてきたのです。当然、周りの目がありますから、私は大して話すことができなかった。でも父はそんな状況も見越していたのか、ほとんど一方的にあることを話し始めたのです。
『これからわしが言うことは、ぜひ心して聞いてほしい。医者の話では、わしはいよいよ、あの世からのお迎えが近づいているとのことだ。今のわしには、これまでにずっと持て余していた、たくさんの財産がある。わしが死んだら、そのうちの半分を、是非ともお前にくれてやりたい。だから、わしは絵の中に仕掛けを残しておいた。その仕掛けを解く方法は、わしとお前がこれまで何度もやりあってきた、あの秘密の方法だ。お前にならわかるだろう。いいな、わしが死んでしばらくしたら、日本へ来い。だいたいのことは、わしが策を練っている。お前が遺産を手にしてくれることを祈っておるぞ』
最初のうちは、何が何だかわかりませんでした。それから後も、私と父はQRコードを使ってやりとりしていましたが、電話の内容については一切触れませんでした。
あとは、あなたもご存じのとおりかと思います。父が亡くなり、あの遺言が世界中に発信されたあと、私は緊急で長期休暇を宣言して、日本へと飛びました。絵の中にある仕掛け、それはおそらくQRコードのことだと、私はすでに勘づいていました。
いわばこれは、私の父、近川駄瓶が計画した出来レースのようなものです。
父の遺言通り、この場所に埋められていた金庫には、貴金属や宝石、高価な芸術品などが多数入っていました。外国人である私が母国へ持ち帰りやすいようにと配慮したためでしょう。
私はこの父の遺産を、自分のために使うつもりは毛頭ありません。
これは、われわれ環境保護団体の活動資金として、父の愛した大自然を守るためだけに使うことを、この場で誓います。そのことは、父もきっと望んでいるはずです。
最後になりますが、父と私のやりとりに付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。聡明なあなたに、この遺産以上の幸運がやってくることを、切に願います――
「……理愛、終わったか」
「お……終わりましたよぉー……」
後半から、理愛の音読には涙声が混じるようになっていた。今はもう、溢れた涙が頬をつたうまでになっている。
「なるほどな、駄瓶先生がQRコードを使ったのは、そんなやりとりがあったからなのか」
「戸玉さぁん……やっぱり……これでよかったんですよぉ……」
「ええ?」
「本当なら息子さんが遺産をもらうっていうのが、当然の権利じゃないですかぁ。でも運命のいたずらに巻き込まれて、こんなことになって……私たちが先に見つけてしまったら、絶対に息子さんとひと悶着あったはずですよぉ」
うなだれて泣き出す理愛に、涙目の真希さんが近づいて、そっと慰める。私ももう、ミスをして遺産を先取りされてしまった悔しさは、すっかりなくなっていた。
「警部、どうします? 今ごろ息子さんは、多分飛行機の中だ。海の果てまで追いかけますか」
「バカ言っちゃいけねえよ戸玉さん……いくら国家権力でも、治外法権には敵わねえや」
心なしか、警部の目にも涙が浮かんでいるように見えた。
「よし、とにかく、この騒動はこれで解決ということにしよう。南雲館長、ちょっとお話が」
「はっ、はい。何でしょう!」
白いハンカチを鼻にあてていた南雲館長がそのままこちらへ走り寄ってきた。
「QRコードが隠されていたあの絵なんですがね、絵のまわりに1メートルほど、人が入れないように柵を設けておいてください」
「えっ、柵を、ですか」
「そうです、これでよほどのことがない限り、今後あのメッセージを解読する者は現れなくなるでしょう」
「そ、そうですな。わかりました!」
「それじゃ、我々も撤収するとしようか。息子さんが残したQRコードは警察で……ん?」
理愛の方を見てみると、何やら申し訳なさそうな顔をしている。すぐ横で、真希さんも何だかばつが悪そうな表情だ。
「戸玉さん、あんたの助手……やっちゃいましたよ」
いつの間にか後ろに回り込んでいた警部が、浅黒い腕を私の肩に回してきた。
「や、やっちゃったって……何を」
「すみません、戸玉さん、根原警部……」
理愛の代弁をするように、真希さんが前に出てきた。
「理愛ちゃん……さっき朗読するとき、タブレットと一緒にQRコードが印刷されていた紙も持っていたじゃないですか……それで、途中から泣いてしまったせいで、涙で濡れて……」
真希さんがそう言った後、警部がその紙を私の目の前に突きつけてきた。
QRコードは理愛の涙が滲んだせいで、ボロボロに崩れてしまっていた。思わず、私の顔から血の気が引く。
「僕のタブレットで何回か試してみましたが、残念なことに、もう読み取れませんでした。これで、あの男性が息子さんであるという物的証拠は、涙とともに消え去ったことになりますなぁ」
「り、理愛ー!」
「ず、ずびばせええええん!」
その後、駄瓶先生の遺産が警察によって発見されたというニュースが、全世界に放送された。表向きは、回収した遺産は国が環境保全や慈善活動にあてるということになった。
それにより、あれほど騒がしかった美術館にも、ようやく平和が訪れた。
「うわー、人少なっ。あの時の混乱が、本当に遠い夢のようですね」
「理愛、声のボリュームを少し下げるんだ。もうここは、芸術を楽しむ人のための特別な空間なんだぞ」
「う、すみません。それにしても駄瓶先生の絵、改めてみると本当にすごいですよね」
「ああ、あの絵にどんな柵が取り付けられたか気になって見てみたんだが、しばらくの間、私も風流人のつもりになって芸術を楽しむことにしよう」
市立美術館には、今でも駄瓶先生の作品が展示されている。遠い未来、研究なんかされたりして、世界中の人々が知る時代がくるのだろうか。作品のひとつに、決して色あせない、親と子の絆が隠されていることを。
『令和の駄瓶チ・コード ~風景画の巨匠が遺した隠しメッセージとは~』は、これにて完結となります。最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました!




