もうひとつのメッセージ(前編)
現地に到着したころには、空が少しずつ明るくなり始めていた。調査班の方の話では、遺産が隠されていた山は、駄瓶先生が10年ほど前に所有権を買い取っていたものだそうだ。ほとんどが整備されていない獣道であったが、傾斜は非常に緩やかであったため、理愛たちでもハイキングのように登ることができた。
「警部、お待ちしておりました!」
木々の少ない開けた場所に出ると、すでに出発していた調査班の方が我々を出迎えてくれた。
「ご苦労。例の遺産が入っていたとみられる、キャリーケース程度の大きさの金庫はどこにある?」
「はっ、こちらへどうぞ」
案内された場所には、土が掘り返してできたとみられる大穴が空いており、その横には、すでにフタの開けられた金庫があった。もちろん、中身は空っぽである。
「それで、金庫に残っていたQRコードというのは」
「今お持ちいたします……これです、警部」
クリアファイルに収められていたA4サイズの紙には、見事なまでのQRコードが紙面のほとんどを占拠していた。
「ふむ……お前たち、このQRコード、読み取ったりしていないだろうな?」
「は、はい。指示通り、警部がいらっしゃるまで何も手をつけておりませんが」
「よし、じゃあ僕が読み取ってやろう。ケータイよりもタブレットのほうが見やすいだろ」
そう言いながら、警部はふたたびタブレットを内ポケットから取り出した。
「えーと、写真撮影……QRコードのスキャンはどうしたらいいんだ」
「警部……ここの、このカメラのアイコンをタップすればいいんですよ」
もたついている警部の横で、真希さんが助け舟を出す。
「戸玉さん、いったい何でしょうか、あのQRコードは。もしかして、また新たな謎が……?」
「いや、その可能性はないだろう。QRコードだけ置いておくなら、あの大きさの金庫は必要ないはず。おそらく、残したのは……」
「おおっし、読み取れたぞ!」
警部から威勢のいい声が発せられたが、すぐに表情から困惑の色がにじみ出てきた。
「なんだ、こりゃ……何語だ?」
その場にいたほぼ全員が、警部の持っているタブレットを中心に集まってくる。タブレットの画面にはQRコードのメッセージとして……外国語とみられる文字列が多数並んでいた。
「根原さん、これはフランス語ですよ!」
真っ先に解答を出したのは、やはり理愛であった。
「フ、フランス語だって? 君はフランス語が読めるのか」
「読み書きだけじゃなくて喋ることもできますからね! この場で翻訳して、内容を皆さんにお伝えしましょうか」
「警部、理愛は11ヶ国語に精通している言語学の専門家なんだ。信頼性なら私が保証する」
「12ヶ国語ですよ、戸玉さん。理愛は常にアップデートされてるんですからね」
「や、これは失敬」
「へー、ただの添え物じゃなかったんだな。君は」
「もう、根原さんまで。怒りますよ!」
なんだかんだで、メッセージの内容は理愛が翻訳し、その場で音読することとなった。
「では、メッセージの内容を伝えます――
――こんにちは。この文章を見ているということは、おそらく近川駄瓶のメッセージを解読された方なのでしょう。遺言にあった遺産の半分を目当てに、ここまで来られたのかもしれませんね。
名前は明かせませんが、私も、近川駄瓶のメッセージを解読した一人です。残念ながら遺産の半分は、この私が回収しました。私が最初のはずなので、当然の権利かもしれませんが、このまま何も言わずに遺産だけ持ち帰ってしまうのは、ここまでたどり着いた聡明な方への不義理になると感じました。
ですからこれ以降は、私からお伝えすることができる限りの真実を、書き記しておきたいと思います。これから先の内容は、あなたの胸の内にしまっていただけると幸いです。
まず、すでに目星をつけられていたかもしれませんが、私は近川駄瓶と血のつながりがあります。近川駄瓶は、私の父なのです。そして私は、日本の法律に従うなら、近川駄瓶の私生児ということになります。
ですが、私が私生児となったのには事情があります。父は絵の修行として、母の故郷であるフランスのパリを訪れていました。母は下宿屋を営んでおり、父は修行の間ずっとそこで寝泊まりしていたのです。それが、父と母の馴れ初めでした。
やがて父が日本へ帰る日がやってきました。実はこの時、母はすでに私を身ごもっていたのです。ですが、母はそのことを伝えず、日本での連絡先を交換するだけに留めました。なぜなら、母は父の才能に惚れ込んでいたのです。必ず世界的な画家になると確信していた母は、子どもが産まれることで父の今後が妨げられることを恐れていたのでした。
その後、私は母の女手一つで育てられました。父の名前は聞かされていたのですが、母は、いずれ父は立派な人になって帰ってくる、と言ったきりで、それ以外のことは話してくれませんでした。おそらく、父が出世し、私が成長するタイミングを見計らって、そこで初めて父と私に真実を告げるつもりだったのでしょう。
ですが、永遠にその時は訪れませんでした。その時が来る前に、母は自爆テロの犠牲になってしまったのです。その時私は7歳でしたが、結局、私に残された父の情報は名前だけでした。
私は親戚の家に預けられることとなり、そのまま18歳までの間、穏やかな日々を過ごしました。そろそろ進路を決めなくてはと思い、いろんな資料を漁っているうちに、出会ったのです。たまたま立ち寄った美術館で見た、近川駄瓶の見事な風景画に。繊細で、緻密で、大自然の素晴らしさを余すところなく表現したその風景画に、私は心を奪われました。
そこで決めたのです。私はこの素晴らしい地球の自然を守るような、そんな仕事に就きたいと。
大学を出てすぐに、私は数人の仲間とともに、新しく環境保護団体を創立しました。それから今に至るまで、私は環境保護活動に全身全霊で取り組んでいます。
ある日、私は学生時代からの親友でもある環境保護団体のメンバーと、バーへ飲みに行っていました。酒が進んでいくうちに私は、この環境保護団体を立ち上げることになったきっかけを親友に話したのです。
そこで私は知りました。近川駄瓶は日本人であること。近川駄瓶というのは本名ではないということ。そして、近川駄瓶の本名は、私の父と同じ名前であるということを――




