失意のパトカーに乗って
遺産の隠し場所へと向かう警察車両の中、私は窓から見える漆黒を眺め続けている。もうとっくに日は沈んでいるとはいえ、地方の高速道路は意外なほど暗かった。窓に反射している自分の顔は、やたら傷が目立っているような気がした。
「くそ、何とかしてあいつを捕まえるための包囲網でも作れないかなぁ」
「ダメだって言ってるじゃないですか……根原さん。その人は指名手配犯でもなければ、逮捕状が出ている容疑者でもないんですよ。他県警の方々を巻き込んで包囲網を作ることは……おそらく許可が下りないでしょう」
「わかってる、わかってるよ」
助手席に座っている警部が悔しさをにじませた声をあげて、それを運転席の真希さんがいさめるというやりとりが何度か繰り返されている。私も歯噛みする思いだった。青い瞳の男性がメッセージを発見したのは我々より5時間近くも早かった。下手に手間取ったりしていなければ、遺産はもうすでに――。
「戸玉さん、そろそろいいんじゃないですか」
すっかり重怠くなった私の脳を持ち上げるように、理愛の穏やかな声が耳から入ってくる。
「わたし達にも説明してくださいよ。どうやって絵の中にQRコードが仕込まれていることに気が付いたのか。何かきっかけがあるんでしょ、知りたいです!」
「わ、わたくしも!」
真ん中にいる理愛に続いて、後部座席の反対側に座っている南雲館長も弾んだ声を発した。
「し、失敬。メッセージが見つかってから、どうも興奮しっぱなしで。戸玉さんの推理が聞きたくて、いままでやきもきしていたんですよ」
「む、そのお気持ちはありがたいのですが……」
「僕にも、ぜひお聞かせ願いたいですな」
警部からもリクエストが届いた。助手席から顔をこちらに向けて、真剣な口調で語りかける。
「あの男性に先を越され、悔しい思いをされているのはわかります。ですが、あの時戸玉さんが隠されたメッセージを見つけてくれなかったら、我々は今でもあの美術館に囚われていたままでした。それに、市立美術館だけでなく、全国の美術館が騒動の渦に巻き込まれたままになるでしょうね。戸玉さんはやるだけのことをやったんですよ。胸張ってください」
そうですよ、そうですよと、理愛も横で相槌をうつ。
「入場整理や迷惑客の対応とか、もうしなくていいかと思うと嬉しくてたまりません!」
胸を張るどころか、私はますます痛み入る心境になった。みんなが頑張ってくれたおかげで、最終的に美術館に大きな被害が出ずにすんだのだ。今まで喉に何かが詰まっていたかのような感覚が、徐々に無くなっていくのを感じる。
「わかりました。まず私がなぜQRコードが隠されていると思い至ったのか、そのきっかけについて話しましょう。それは、弟たちとのビデオ会話です」
「ビデオ会話? 今日の昼にやってたやつですか」
「そうだ。そして一番のヒントをくれたのは、叶美ちゃんだったんだよ、理愛」
「叶美ちゃんが!?」
「むこうはちょうど大雪が降っていてね、あたり一面が雪景色になっていたんだ。それで叶美ちゃんが外の写真を撮ろうとした時――
「時々あるんだよ、雪景色を撮影しようとすると、QRコードを誤って読み取っちゃう現象がさ」
「QRコードって、あの四角いやつだよな、なんでそんなものが?」
「本当はあるはずがないんだけど、ほら、雪が積もった木々とか、垣根とか、ほとんど白と黒で構成されたような背景があると、条件次第でQRコードだと誤認しちゃうんだろう。僕のスマートフォンでも、何度か読み取ったことがあるよ。当然それを開いても、無意味な文字の羅列が出てくるだけなんだけどね」
「雪景色……文字の羅列……!」
――そんなことを弟から聞いたんだ。そして閃いたんだよ。ほとんどが白と黒で構成されている雪景色の風景画なら、その中にメッセージ付きのQRコードを仕込むことが可能なんじゃないかってね」
「そのことなんですが……」
南雲館長が割って入ってきた。ポケットから取り出した白いハンカチで、額の汗をふきながら言葉を続ける。
「実際にあの絵には、QRコードが仕込まれていました。ですがそれだと、わざわざ美術館に行かなくても、画集の絵を使えば読み取ることができてしまうのではないですか? あの男性はなぜ美術館まで……」
「それにその方法だったら、絵を写真に撮ろうとしていた奴らが、偶然にQRコードを読み取ってしまう可能性がある。駄瓶先生がメッセージを解読してほしいのは、あの男性だけだったはずなのに。僕もそこが引っかかってましてね」
南雲館長に続いて、警部も疑問を口にした。
「私も、最初は画集の絵を使ってQRコードを探してみたのです。ですが、駄目でした。結局は可能性のありそうな絵に付箋をつけ、美術館で現地調査をするしかなかった」
「なぜ、駄目だったのですか」
「画集に載っている絵の写真、その解像度では、QRコードがつぶれて読み取れなくなってしまうのです。あの繊細で緻密な絵は、写真ではどうにも再現しきれないという画集の論評を見て、その可能性に気付きました。同じように、スマホで絵を撮影した場合でも、その画像からQRコードを探し出すことはまず不可能でしょう」
南雲館長と、その間にいる理愛が、感心した表情を見せている。
「さらに、QRコードを読み取るには、スマホを絵にかなり近づける必要があったのです。私が先ほど、QRコードを読み取ったぐらいの位置が適当なのでしょう。あそこまで近づけたら、もはや何の絵かわからないものを画像としておさめることになります。だから、何も知らない第三者がQRコードを読み取ってしまう可能性は低かったはず」
「でも、あの男性も同じようにスマホでQRコードを読み取っていましたよね。あの時は開館時間中で、人の波に邪魔され、思うように近づけなかったと思いますが」
「おそらく、ズーム機能を使ってたんだと思います。無論、ズームをすると、QRコードの読み取り精度が下がってしまうのが難点です。隙を見て絵に近づいたり、色々と工夫はされていたんだと思いますが、彼が今日に至るまでメッセージを探し出せなかったのは、そこが問題だったのではないでしょうか」
警部は、ふっと息を吐くと、顔の位置を助手席へと戻し、ヘッドレストに頭を押し当てた。
「いやーそれにしても、駄瓶先生はとんでもないものにメッセージを仕込んでいたんですなぁ、QRコードなんて、どこから発想したんだろう。それにあの男性との関係、あれは戸玉さんの推理通り、駄瓶先生の隠し子なんですかね?」
「すまないが、警部。そこまでは私もわかっていないんだ」
「ふーむ……おっと失礼、部下からの連絡がきたようだ」
警部はポケットからガラケーを取り出すと、タブレットとは違い、慣れた手つきで通話を開始した。
「こちら、根原だ。……うむ……メッセージに記載されていた位置に到着したのか。それで……そうか、やはり遺産は無くなっていたか」
警察車両の車内が、水を差したように活気が消えてしまった。しかし、そのすぐ後、警部は意外なことを口にした。
「何? 遺産らしきものは見当たらないが、代わりに、QRコードが印刷されたA4の用紙が置かれていたって……!?」




