前編
10月31日。世間からはそこかしこからハロウィンの気配を感じる。
都会では若者が浮かれてコスプレなんかをするらしいが、私はそんなのとは無縁のまま、アラサーに片足を突っ込み始めている。
パソコンと向き合いながら、今年もコンビニでかぼちゃのスイーツを買ってハロウィンの恩恵に与ろう、なんて考えていたら事件は起きてしまった。
「みーやこっ」
仕事終わり、会社の外で私を待っていたのは学生時代からの友人で別部署で働く鈴原唯。昼休みに突然、待ち合わせを提案するメッセージがきていたのだ。
「どうしたの、急に待ち合わせとか珍しいね」
「ふふっ、ちょっとねー。まあ悪いことはないから着いてきてよ」
この調子で用件を伝えてくれないまま今に至るが、どうやら目的地に着くまで教えてくれるつもりはないらしい。疲労感と遠のくかぼちゃスイーツに小さくため息をつきながら、歩き始めた唯の後に続く。
「あっ」
少しわざとらしく、何かを思い出したように立ち止まった彼女。振り向いて、しぶしぶ歩く私を見るとにやりと笑った。
「おいしいスイーツ、たくさん食べられるよ」
「よし行こう」
手のひらをくるりと返し分かりやすく目の色を変えた私に、唯は声を出して笑った。
きらきらとした世間のイベントに興味はないけど、きらきらとしたスイーツは大好き。それが私。
まだ見ぬ“おいしいスイーツ”に思いを馳せながら、数歩先を歩き始めた唯を駆け足で追いかけた。
「なにこれ!?」
トイレの個室に響き渡る私の声。その原因は唯から手渡された紙袋の中身にあった。
唯に連れられたどり着いたのは、会社から二駅ほど先の場所にあるレストランだった。それほど大きくはない、個人経営のお店らしい。暖色系の灯りが漏れるその外観はとてもおしゃれな雰囲気が漂っていた。
ためらいなく開けたドアの先で、入口の店員らしき男性と一言二言交わした唯と共に入店する。
「わあっ……」
真っ先に目を奪われたのは、立食形式で並べられた色とりどりの料理の数々。そして少し奥にはデザートが並んでいるのを私は見逃さなかった。
「唯、唯。あれってかぼちゃのタルトかな!」
まさかこんなところで、かぼちゃスイーツに出会えるだなんて。しかも、個人経営のお店でのパーティーとなればまさに一期一会。大事に食べて記憶に残したいところだ。
唯のスーツの袖を引いて目を輝かせる私に、彼女はよかったねぇと穏やかな笑みを浮かべている。
「今日は私のおごりだから。いっぱい食べなね都子」
「本当に! ありがとう唯!」
唯に礼を言うと、私はたくさんの料理の方へと吸い込まれるように一歩踏み出す。
そこではた、と気づいた。
(結構コスプレしてる人いるんだなぁ)
料理に夢中で目に入っていなかったが、参加者はみんな一様に思い思いの仮装をしていた。といっても、頭から爪の先までドラキュラの格好をしている人もいれば、魔女の帽子をかぶっているだけの人もいて、程度はまちまちだ。
もしかすると、仮装しないと参加できないのではないだろうか。不安に思い、唯に話しかけようとするとガシッと腕を掴まれた。
「さ、私たちも着替えに行くよー」
「えっ、ちょ、唯!?」
「大丈夫! 都子のぶんもちゃんと持ってきてるからね!」
何が大丈夫なのと聞く間もなく、私は意外と力強い唯にズルズルと引っ張られトイレへと連れ込まれた。
そうして紙袋を渡され、今に至るのだが。
(猫耳にメイド服って……世界観おかしくない? ていうか何モチーフよ……)
内心ドン引きしながら、メイド服を広げて目の前に掲げる。紙袋に視線を移すと、中には黒猫の耳がついたカチューシャが入っている。さらにはご丁寧にもメイド服の裾からは垂れ下がった猫の尻尾がのぞいている。
「何かしらのコスプレしなきゃスイーツ食べられないよー」
私が躊躇っている数分の間にさっさと着替えた唯が外から声をかけてくる。スイーツを人質にとられると言い返すこともできず、ぐぬぬと黙り込んでしまう。
「ね、猫耳だけじゃだめ?」
「うーん……」
普通のワンピースに魔女の帽子をかぶった人を思い出し、我ながらいい提案ではと唯に尋ねてみる。
しかし彼女は少し考えた後。
「スーツに猫耳って、逆にエロくない?」
「エっ……!」
まさかそんな返答が返ってくるとは思わず、赤面してしまう。
たしかに、ワンピースのような普段着ならともかく仕事帰りの私が着ているのはスーツ。このミスマッチさはたしかにそんな感じがしないでもない……気がする。
このまま帰ってしまえばこれを着る必要もないのだけど、脳裏にこびりついたかぼちゃタルトのきらめきは当分忘れられそうにもない。
「ほら、混んでくるから早くー」
唯の声に急かされながら、私は覚悟を決めたのだった。
「大丈夫、かわいいよ都子」
赤ずきんの格好に身を包んだ唯が、会場の隅で空気になろうとする私に声をかけてくる。
猫耳に猫の尻尾付きのメイド服。それから、着てから気づいた悪魔の羽。
「本当、何の恰好なのよこれ……」
「猫耳メイドさんのつもりだったんだけど、まさか羽が付いてるとは私も気づかなかったな」
アラサー間近にしてこんな格好をすることになるとは思わず、楽しそうな様子を隠しもしない唯を睨む。ちなみにそんな彼女は、超がつくほどのミニスカート。衣装交換も提案されたが丁重にお断りした。
ため息をつきながらかぼちゃタルトの方向に視線を移す。あれを食べるために着替えたというのに、気が付けば人も増えていて動き回るのはかなり恥ずかしい。
「ねえ唯……料理とってきてくれない……?」
間近でたくさんのスイーツを眺めて楽しみたかったが、背に腹は代えられない。
「やだよ」
しかし返ってきたのは無情な一言のみだった。
そんなと嘆く私を気にも留めず、彼女は続ける。
「だって婚活パーティーなんだよ? 相手見つけるので忙しいし」
「婚活パーティー!? そんなの聞いてない!」
「言ってないし」
悪びれもせずしれっと言い放った唯に絶句していると、彼女は眉を下げた。
「ごめんって。都子が結婚とかそういうのに興味無いのは知ってるけど、二人じゃないと参加できなかったの。私もそろそろ相手見つけたい歳だしさ」
「アラサー間近の人間はそんなミニスカート履かない」
「でもかわいいでしょ?」
「……うん」
きゅるんとポーズをきめる唯はたしかに可愛い。学生時代からそれはそれはモテていたし、今も多分会社中に彼女のファンがいるんじゃないかというほど。社内恋愛はしないらしいので彼らに望みはないが。
「とにかく。申し訳ないけど、お願い」
逸らしてしまった話を戻し、唯は私の目をじっと見つめる。
事情は理解した。彼女が結婚したがっているのは私も知っていたし、私も楽しめるようにこうして立食パーティー形式の場を選んでくれたのだろう。
コスプレは納得いかないが、友人のためにもわがままを言うわけにはいかない。
「……分かった。良い人見つかるといいね」
「ありがとう、都子」
ほっとしたように微笑んだ唯は、やっぱり可愛い。
都子もスイーツ楽しんでと一言残すと、彼女は短すぎるスカートを翻し、颯爽と会場の中心へと向かっていった。
(さて……)
密集する人の中に消えていく友人を見送り、私は自分の目指す場所へと視線をやる。
幸いスイーツコーナーには人はおらず、参加者は皆それぞれ話に夢中だ。人目につかないよう動くには絶好のチャンス。
(よし、行くぞ)
そうして一歩踏み出した瞬間だった。
「ねえ」
「ひっ」
突然横から声をかけられ、心臓がひっくり返りそうになる。
ドキドキと鼓動を感じながら振り向くと、金髪に異国を感じる整った顔立ちの男性が、驚いたような顔をしてそこに立っていた。