第94話 バプティストとレオンハルト
授業が始まってしばらくした後の休日、私は珍しくホルストに呼ばれていた。集合場所にはラーレだけでなく、デニスもいる。護衛の他、珍しくカリーナも付いてきていて、その手には包みを持っていた。
「えっと、バプティスト様に呼ばれたんだよね? 私までお邪魔してもいいの? それにカリーナまで連れて来てだなんて」
ホルストやラーレはたまにお呼ばれしているらしいけど、私まで行ってもいいのだろうか。
不安がる私たちを見て、ホルストは鼻を鳴らした。
「バプティスト様のご要望なんだ。君たちの顔も見てみたいってね。それに、君の側近のカリーナには、バプティスト様の好物を用意してもらった。うちに来るたびに、おいしそうに召し上がられていたからね」
おおう。バプティスト様の要望なら遠慮することはない。バプティスト様は東領に来るたびにうちに寄ってくれたんだよね。いっつも温泉に入ってくれて、ゆったりと過ごしてもらえる。まあ、ビューロウ領自体が前世の温泉街みたいなもんだから、ゆっくり過ごすには向いているんだけどね。
私たちは馬車でバプティスト様の屋敷へ向かった。
「やっぱり王族だけあって豪勢だね。こんな広い屋敷に一人で過ごすなんて、ちょっと寂しくなりそう」
私の独り言に答えたのはホルストだった。
「バプティスト様は妻女に先立たれ、子供はいない。学園長をしていた経験があるから、訪ねてくる人はいるみたいだけどね。今日はせっかくお呼ばれしたんだ。いろんな話をして、楽しもうじゃないか」
ホルストは珍しく機嫌がいい。まあ、私たちにとってバプティスト様は親戚みたいなものだから、親しみを持つこともしょうがないのかもしれない。身分差を考えると、本当はよくないことなんだけどね。
守衛の案内に従ってホールに行くと、すぐにバプティスト様が出迎えてくれた。
「おお! おまえたち、よく来てくれた! ホルストとラーレはたまに来てくれたが、ダクマーとデニスはひさしぶりじゃな! 大きくなって!」
笑顔で出迎えてくれるバプティスト様を見て、私もうれしくなった。
「バプティスト様。本日はお招きいただきましてありがとうございます。これはつまらないものですが・・・」
そう言って、私はカリーナから受け取った包みを執事に手渡した。バプティスト様ははっとして執事から包みを受け取ると、中身を確認したようだった。
「こ、これは・・・・、羊羹ではないか! ビューロウ領でしか食えんと思っておったが、まさかこちらで食べられるとは思わんかったぞ! じゃが、イーダ殿はこちらにおらんはずじゃが・・・」
そうなんだよね。バプティスト様がいらしたときは、叔母のイーダがお菓子を作って出していたんだ。一応叔母も貴族だから失礼には当たらないからね。でも、叔母は今、領地でしっかり働いている。だから、私たちのデザートは必然的にカリーナが作ってくれているんだけど。
「こちらは、私の使用人のカリーナが作ったものです。彼女は叔母といつも切磋琢磨しているんですよ。叔母とは少し風味が違いますが、それでもかなりおいしく作られているはずです」
一応カリーナは私直属の使用人だから、それほど失礼には当たらないはずだ。バプティスト様は包みを見てにんまりと笑う。
「3本も作ってくれるとは気が利いておるの。これは、今日の昼食は料理人には頑張ってもらわねばなるまいて」
嬉しそうに笑うバプティスト様を見て、私たちも笑顔になる。
◆◆◆◆
私たちは応接間に通されると、さっそく使用人が羊羹を私たちの前に出してきた。こんなときなのに、ラーレが嬉しそうに羊羹を一口つまむ。まあ、毒がないことを証明するために私たちから口を付けるものなんだけど、ちょっとラーレは素が入ってない?
ラーレがおいしそうに食べたのを見て、バプティスト様も続いて羊羹を口にする。
「これはいいな。イーダ殿が作ったよりも甘みが強い気がするが、触感もビューロウ領で食べたものと変わらない。ああ、ビューロウに行くたびにこの羊羹を食べるのを楽しみにしておったのじゃ。我が家の使用人に命じて作らせてもどこか違う味になったんじゃがのう」
しみじみとつぶやくバプティスト様に、使用人が慌てて駆け寄ってきた。あれ? なんか失礼でもした?
使用人は跪くと、慌てて報告した。
「お屋形様! レオンハルト殿下がお見えになりました。近くまで来たので立ち寄ったのことですが、いかがいたしましょうか?」
え? レオンハルト殿下って、確か学園長だよね? ダブルブッキングでもした?
バプティスト様は渋い顔になった。
「今日は、あ奴が来る予定はなかったはずじゃがのう。まあいいか。レオンのやつにお前たちのことを紹介すれば、何かあった時に力になってくれるはずじゃ。すこしだけ、我慢してほしい」
◆◆◆◆
しばらくすると、学園長が応接間に入ってきた。同じ学園に通っているとはいえ、身分が高すぎる相手だからちょっと緊張する。
私たちを代表してホルストが挨拶した。
「バプティスト様にお招きにあずかり、参上した次第です。今日はお会いできて光栄です」
学園長は私たちが訪ねてきていることに驚いたようだ。軽く頷いて、バプティスト様の隣の席に座る。
「そうか。お師匠様は、ビューロウ領でよく湯治に行ったと言っていたな。その縁で、お師匠様と会っているということだな。これはすまないことをしたな」
学園長が静かに謝罪した。
頭こそ下げなかったものの、王族に謝罪されるなんていたたまれないんだけど!
「お師匠様は昔、学園長をしていてな。その縁で、こうしてたびたび、この屋敷に訪ねているのだよ。まあ最近は来客も少ないから、いつもはアポなしで訪ねているのだから、それに甘えてしまった。君たちが来るのなら、今日は遠慮すべきだったな」
ちなみに血縁上は大叔父に当たるけど、なんかバプティスト様に望まれてお師匠様と呼んでいるらしい。
そう言っている間に、バプティスト様の執事が、学園長の前にお茶と羊羹を出してくれた。
「なるほど。これが叔父上がいつも褒めていたビューロウ領のお菓子か。叔父上があんまり誉めるものだから、一度食べてみたいと思っていたのだ。どれどれ」
そういうと、学園長は羊羹を一口つまむ。そして目を見開くと、そのまま羊羹を食べつくした。
「これは・・・・。確かにうまいな。甘さもしつこくなくて、何より食感がいい。このお茶と合わさると、甘みがうまい具合にかき消されていく。叔父上がお褒めになるだけはある」
そういうと、学園長は目で執事に合図する。執事は一礼すると厨房に向かった。どうやら、お代わりを持ってくるようだ。
でもそれを見て慌てたのがバプティスト様だった。
「こ、こりゃレオン! すこしは遠慮せい! ダクマーたちがもってきてくれたとはいえ、数が限られておるのじゃぞ! ワシが食べる分がなくなってしまうではないか!」
「こんなにおいしいものを独り占めするなんて、お師匠様も人が悪い。ここは、若い私に譲るべきです」
醜い言い争いをする2人に、私はおもわず意見を言った。
「あ、あの・・・。月に数本でいいのでしたら、この屋敷に羊羹をお届けしましょうか。数本くらいなら余裕があるよね?」
私が提案すると、2人の王族が同時に振り返った。
「ほ、本当か? 毎月これが食えるのか? それならぜひお願いしたいが・・・」
「私の家にも頼みたい。これが家でも食べられるのなら、料金はうちで持とう。これくらいでどうだろうか」
学園長が提示した金額は、私が思っているより数段高かった。カリーナに見せると、彼女もぎょっとしたように目を見開いた。
「こ、こんなにいただけるんですか? それほどのものではないと思いますが・・・・」
バプティスト様は首を振る。
「いや、さっきも言ったが、ワシの使用人ではこの味を再現できぬ。ダクマー殿の料理人にお願いできるなら頼みたいが・・・」
そう言われると平民のカリーナには断る術はないかもしれない。いや、申し訳ないことをしてしまったかなぁ。
「お、王族の方に召し上がっていただけるなら、これほど名誉なことはありません。ぜひお願いしたいです」
そういって、頭を下げた。2人は本当にうれしそうな顔をすると、そっと頷き合った。
それから学園長を含めて談笑した。学園長――レオン先生は結構話しやすい人で、学園のルールや先生について話してくれた。その後の数時間は、楽しく過ごすことができたと思う。
◆◆◆◆
「いやあ、学園長も意外と話しやすい人だったね~。バプティスト様は相変わらず面白い人だし、今日はいい一日だった」
ラーレは不機嫌に私を睨んだ。
「いやいいの? 勝手に羊羹を送ることになっちゃって。カリーナ様の負担とか考えないの? 平民のカリーナ様が、2人の依頼を断れるわけないんだからね!」
うっ! そうか。考えてみたらそうだよね。平民のカリーナが、あの場で断りを口にすることなんてできないよね。
でもカリーナは、ちょっと燃えているみたいだった。
「いえ。一カ月に数本でしたら問題ないです。それよりも、私にとってもメリットは大きいと思います。王家御用達なんて、簡単にはもらえない評価ですから」
そう言ってこぶしを握り締める。そういえば、カリーナはいつかは店を持ちたいとか言っていたよね? 確かに王族に認められたなら、お店を出すときに有利かもしれない。
「ごめんね! お金は全部渡すから、ちょっと大変だろうけど、がんばってね!」
私が応援すると、デニスが意外そうな顔をした。
「料金、全部カリーナに渡しているんだな。貴族の中には自分の手柄にするやつもいるらしいんだが・・・」
へ? そうなの? でもカリーナの手柄を横取りするなんて、そんなことしないよ!
私が憮然としたが、すぐに言葉を返す。
「でも意外だったね。王族の2人が羊羹をあんなに気に入るなんて。王族の味覚って、似たところがあるのかな」
ラーレがあきれたように答えてくれた。
「あのね。カリーナ様の料理は領地でも評判になってるんだからね! それが好まれることなんて、おかしいことじゃないんだから!」
そうなのか。まあ、カリーナが喜んでいるなら私も言うことはない。
「まあでも、これで学園長とのつてができたんじゃないか? 多少は、お前の評判も高くなると思うぞ」
あ、そう言う意味もあるのか。確かに私の学生たちへの評判は低い。クラスの中にはあからさまにバカにされることも多いんだよね。
「まあ、先生たちの評価は何とかなるかもしれない。学生の評判についてはまた考えましょう。私たちでも手伝えることは手伝うから」
ラーレがそう言ってくれる。デニスもホルストも温かい目で私を見てくれている。彼らの期待に応えるためにも、しっかりやるしかないよね。




