第336話 ヨルン・ロレーヌの追憶12
ヨルン・ロレーヌの追憶12
仕事が一段落し、私は数枚の書類をバル侯爵に手渡した。
「バル侯爵。こちらの事件の確認を。こちらを調べ直せば帝国の動向が分かるかもしれません」
「うむ。ご苦労。これで何とか形になったな」
あれほどあった書類はすべてなくなっている。ユリアンが来てくれたおかげで、バル侯爵が引き受けた書類はすべて確認済みになったのだ。
「いやあ、きつかった! でもこれで、なんとかなりそうっすよね! これで帝国の動きが分かればいいんですが」
「ああ。しかし、やはりツヴァイルの町は怪しいな。ヨルンからもらった事件はすべてあの町で起こっておる。あの町で帝国が何かを企んでいるのやもしれぬ。あの町には、第二の世界樹も生まれたことだしな」
バル侯爵の言葉を聞きながら、私は立ち上がって上着を羽織った。疲れた顔をしていたユリアンが、顔を拭きながら尋ねてきた。
「あれ? 兄貴、これからどこかに行くんすか? 書類仕事がやっと終わったところなのに」
「ああ。ランドルフ様とエデルガルド様がツヴァイルの町に行くらしくてな。一応、彼らの護衛をしておこうかと。近接が得意な者もいるが、魔法の使い手はいないようだし」
私が準備しながら答えると、ユリアンが慌て出した。
「な、何言ってるんすか! だめっす! 兄貴、ここ数日は寝ていないんだから、ちょっと休まないと! ランドルフ様の護衛はおれっちが代わりにやりますから!」
いつにもなく強い口調で止められた。
「いや、バル侯爵の言う通り、やはりツヴァイルの町は気になる。護衛ついでにあの町の様子を見てきたいのだ。これも息抜きだから・・・」
「だめっす! 兄貴は休んでください! そのためにおれっちが来たんだから!」
ユリアンと押し問答していると、執務室にアマ―リアが入ってきた。
「なに? もめ事? それとも兄弟喧嘩? まったく、アンタたちって本当にしょうがないわよね」
入ってくるなり文句を言うアマ―リアに、ユリアンが喜色を浮かべた。
「ああ! アマ―リア様! いいところに! また兄貴が無理をしようとしてるんすよ! アマ―リア様! こんなこと頼むのはあれかもしれないっすけど、兄貴のこと見ててあげてくれませんか? 油断するとすぐに無理しちゃうんすから」
「へ? あ、うん! 私に任せなさい! ふふふ。いつもしかめっ面してるんだから、こんな時くらいは休みなさい。私の前で働けるなんて思わないでよね!」
アマ―リアが腕を鳴らしながら近づいてくる。
「くっ! 待て! 私が行く! アマ―リア! 邪魔をするな!」
「あ、ダーヴィドは借りていくっすね。じゃあ姐さん、お願いしやす。兄貴のこと、よろしく頼むっすよ!」
私は慌ててユリアンの背中に声をかけるが、ユリアンは全くこちらを振り向くことなく手を振りながら立ち去っていった。
「騒がしいことだな。まあ、私から見てもお前は少し働きすぎだ。この機会に、少し休んでおくことだな」
あきれたようにバル侯爵はつぶやいた。私は必死で抵抗するが、ユリアンを止めることはできなかったのだった。
◆◆◆◆
ユリアンが出ていってから3日が過ぎた。私はすぐにユリアンを追いかけるつもりだったが、アマ―リアが邪魔したせいで城から出られなかった。今日も、私は城の中庭で足止めを食らっていた。
「もう! いつまでむくれているのよ! ダーヴィドさんもいるんだから、向こうは大丈夫でしょう? いい加減シャキッとしなさい! ほら! 書類がなくなったからってやることないわけじゃないでしょう?」
アマ―リアが私の顔を覗き込んだ。
「どうも気になるのだ。あの町が帝国に狙われているのは間違いない。もう一度、見てみたかったのだが・・・」
「私だって、気にならないって言えばうそになるわ。でも、ランドルフ様たちなら安心して任せられるからさ。アンタだって、ユリアン君やダーヴィドさんのことは信頼してるんでしょう? だったら、大人しく待つしかないでしょう!」
アマ―リアがじれたように私を叱りつけた。私は憮然とした顔で彼女を見返した。言い合いをする私たちを、レインカネルたちはあきれたように見ていた。
「そんな顔しても無駄だから。私がいる限り、アンタを働かせたりはしないからね。今はしっかり休みなさい。まったく、休暇なのに休まないなんて何を考えているのよ」
私はそんな彼女に食って掛かろうとするが、彼女の背後から一人の少女が駆け寄ってくるのを見て顔を引きつらせた。
「な!? エデルガルド様? あなたは、ランドルフ様と出かけたのではなかったのですか?」
私が驚きの声を上げたが、他の者は戸惑ったような顔をしている。モーリッツなど、本気で心配しているようだった。
「幻覚、ですかな? ヨルン殿。本当にお疲れのご様子。少し、お休みになったほうがいい。大丈夫です。睡眠が足りておらぬだけです。少し休めば、すぐに元に戻りますので」
私は驚いてモーリッツを見返すが、彼は変に優しい顔で首を振った。
「い、いや! 親父! それは違う! あいつが来ているんだよ! アマ―リアには分かるだろう? あたしにはうっすらとしか見えないが!」
「え、ええ! 確かにあの子がここに来たみたい! え? なに? ヨルンにもその子が見えるってこと?」
アマ―リアが目を丸くした。私は頷くと、驚きを隠せないまま、エデルガルド様によく似た少女を見つめ直した。しかしその少女は私のことを一瞥もせずにアマ―リアに話しかけた。
「アマ―リア! 急いで! あの子が危ないの! 早くいかないと、私たちのあの子がいなくなってしまうわ!」
その言葉にアマ―リアは絶句した。
「アマ―リア! その、あの方が来ているのか? なんといっておるのだ?」
レインカネルには彼女の言葉は聞こえないのかもしれない。彼の誰何に、しかしアマ―リアは答えない。少女と目線を合わせるかのようにかがむと、彼女に優しく語りかけた。
「世界樹様。第二の貴方様に、何かあったということですか? 今、ランドルフ様が視察に訪れているはずですが、それでも危険が迫っているということですか?」
今、アマ―リアは何と言った!? この少女のことを世界樹様と呼ばなかったか?
「アマ―リア! 急いで! あの地に危険な魔物が集結している。私たちの加護も、あのおぞましき魔物には通用しないかもしれない。あの子を、助けて。急がないと、取り返しがつかないことになる!」
そう言うと、その少女は静かに消えていった。私はその様子を茫然と見つめることしかできなかった。
「ヨルン! 悪いけど、手を貸して! もしかしたら、ツヴァイルの町で何かが起こったかもしれない! 急いでいかないと! こんなこと、王国の貴族のあなたに言うのは見当違いかもしれないけど、力を貸してほしいの!」
いつになく真剣な顔で言うアマ―リアに、私はごくりと唾を飲みながら頷くのだった。




