第321話 再会 ※ 前半 エレオノーラ視点 後半 オスカー視点
※ エレオノーラ視点
私たちは何とか館に辿り着いた。
バルトルド様は目を覚まさない。傷は相当に深いようで、失った血の量も多い。世界樹の樹液も、さすがにすべて元通りにするとはいえないようだった。
「ダクマー・・・。じゃあ、私はオティーリエのところに行ってくるから。お医者様が言うには、彼女は命に別状はないようだけどね」
声をかけたけど、ダクマーはバルトルド様のそばに座ってうつむいたままだった。ラーレ先輩も、静かにバルトルド様とダクマーを見守っている。
私はそっとその部屋を出ていく。ダクマーを励ましてあげたいけど、今は彼女にできることはない。私は少し落ち込みながらその部屋を後にするのだった。
◆◆◆◆
廊下に出てしばらく進むと、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「貴重な世界樹の秘薬を、たかが子爵の、それも老人に使うなんて、何を考えているのですか!」
「これだから、あの薬はルドガー様に渡しておくべきだった! これは失態ですよ! 後で問題になるのは覚悟しておいた方がいい!」
フューリー様が、仲間のはずのヴァルト族から問い詰められている。どうやら、勝手にあの秘薬を使ったことを責められているようだけど・・・。ルドガー自身はおろおろしているだけで、仲間たちを止めることはできないようだった。
助けに行かないと! 一歩踏み出した私の耳に、どこか懐かしい、しかし怒りを帯びた声が聞こえてきた。
「何をしている! ここは、ビューロウ家の当主様が作った館のはずだ! そこで騒ぎを起こすなど、そんなことが許されると思っているのか!」
騒ぎを止めようとしたのは、40代くらいの男だった。黒い長髪を後で縛り、無精ひげを生やした美中年といったところか。彼は厳しい目でその場のヴァルト族を睨んでいた。
普通なら助かったと思うかもしれない。いいところで声をかけてくれたとも。でも、その男の顔を見て私は固まってしまった。
「オ、オスカー殿! い、いやこれは問題ですよ! あなたの娘が、勝手に世界樹の樹液を使ったのです!世界樹が闇魔の手にある今、あれは貴重なもののはずなのに!」
「そうです! あの出来損ないは、子爵が目の前で倒れたからって勝手に薬を使ったのです! あれを使えば、仲間たちの中に助かった者もいるかもしれないのに!」
口々に文句を言い出すヴァルト族たち。本来なら止めるべきだろうけど、私の足は石になったように動かなかった。
オスカーが静かに深呼吸する。そして――。
「だまれ!」
大きな声でその場のヴァルト族を一喝した。
オスカーはルドガーをぎろりと睨んだ。
「ルドガー。お前はどう思っているのだ。フューリーがしたことを間違いだと思っているのか?」
「い、いや俺は、別に・・・」
ルドガーはたじたじだ。
「間違っておらんというのならなぜ止めない! フューリーはお前の姉だぞ! 身内が理不尽に攻められているのに、何もしないのがお前なのか! それで、王国の貴族になるだなんてよく言えたものだな!」
ルドガーが俯いてしまう。
「い、いやあなたのご息女がしたことが問題だと言っているのです! あの秘薬がどのようなものか、あなたもご存じのはずだ! あれで癒されたいという方は大勢いらした! 我らの地位を高めるために有効活用できたはずなのに!」
「我らの価値は高まっている! ほかならぬ、フューリーがあの場で秘薬を使ってくれたおかげでな!」
オスカーの怒声に、周りのヴァルト族すべてが黙り込んだ。
「お前が子爵無勢と言ったバルトルド様は王国随一の魔法使いだ。すでにこの地の住民の心を掴んでいるし、あの学園の教員でも彼を慕う者は多い。そして何より今は、あのロレーヌ家の副官のような働きをしている。彼の命を救ったことで、私たちを見直す貴族も少なくないだろう」
オスカーはルドガーの仲間一人ひとりの顔を見回した。その視線を受けてヴァルト族たちは青い顔で一歩下がった。ルドガーの仲間は私たちと同じくらいの年齢の者ばかりで、貫禄のあるオスカーの剣幕に恐れおののいているようだった。
「それに、秘薬でお前たちの仲間の命を救えたかも、だと? お前らの仲間が死んだのはルドガーやお前たち自身の責任だろう! 私を迫るのならまだわかる! 一応はお前たちを指揮する立場だからな! だが失態をフォローしてくれたフューリーを攻めるとは見当違いも甚だしい!」
怒りに拳を震わせるオスカーに、誰も何も言わなかった。オスカーは冷たい目でヴァルト族たちを一瞥すると、鼻を鳴らした。
「貴様らの処分は追って伝える。王国の貴族を待たずに勝手に先行し、多くの仲間を失った。挙句の果てに、フォローしたフューリーを攻める始末。殊勝な態度を取っているのなら考えたが、どうやらそれもないようだな。しばらく謹慎せよ! 楽な処分で済まされるとは思うなよ!」
ルドガーたちは顔を青くして立ち去っていく。オスカーはそんな彼らの背中を見ながら、呆れたようにため息を吐いた。
そして彼はフューリー様に向き直った。
「フューリー。お前はよくやった。バルトルド様をよくぞ救ってくれた。お前のおかげで私たちの命はつながったと言っても過言ではないだろう。お前の行動に、感謝する王国貴族は少なくないはずだからな」
フューリー様は涙目になりながら何度も頷いた。
「少し休みなさい。後のことは私がやっておくから。私は少し、やっておかねばならんことがある」
「はい。あ、あの。かばってくれて本当にうれしかった。ありがとうございます。お父さま」
そう言って一礼すると、フューリーさんは立ち去っていく。オスカーはさっきとは打って変わって優しい顔でその後ろ姿を見送っていた。そして溜息を吐くと、そのままその場を去ろうとした。
そんな彼に、私はあわてて声を掛けた。
「ま、待って! ちょっと、待ってください! オスカーさん!」
私が必死で声をかけると、オスカーはうさん臭いものでも見るかのように振り向いた。そして、私の顔を見て絶句した。
私とオスカーは見つめ合ったまま固まった。そしてオスカーは、恐る恐ると言った具合に私に話しかけてきた。
「ア、アキ? お前、なのか?」
「お父さん、だよね? 北条幸四郎だよね! あなたは、私の! 北条アキの父親の!」
私が彼を指さすと、彼は何度も頷いた。
「まさか・・・。こんなことが!? 今になってお前に会えるなんて!」
「お父さん! お父さん!」
気づいたら私は彼に駆け寄っていた。そしてずいぶん長い間、お互いの顔を見つめ合った。
この館を訪ねて来た彼――オスカー・オルレアンは、私の父が転生した存在だったのだ。
◆◆◆◆
私の前世――北条アキは、小さなアパートで父と2人暮らしをする女子高生だった。母は早くに亡くなったそうで、毎日忙しく働く父と一緒にさみしく暮らしていたのを覚えている。
「そ、そうか。お前は私の娘世代として生まれ変わったのだな。その、ロレーヌ家の令嬢として」
「ええ。私は18年前にロレーヌ家の長女として生まれたわ。前世の記憶を取り戻したのは10歳くらいのころだった。お父さんは? すっとこの島で生きてきたの?」
「ああ。私は・・・」
父は、40年ほど前にこの島のレジスタンスのリーダーの子として生まれたらしい。この地で闇魔から逃げ回りながらなんとか命をつなぎ、結婚して2人の子供に恵まれたとのことだ。前世で父の一人娘だった私としては、いきなり腹違いの姉弟がいると聞いて複雑な思いがしたんだけど・・・。
「そうか。アキはロレーヌ家の長女として生まれたんだね。それは少し複雑だが、無事でいてくれてほっとしたよ。前は、その、私の運転する車であんなことがあったから・・・」
言うや否や、オスカーは地面に両手をついて頭を深々と下げた。
「アキ! 本当にすまない! 私がもっと慎重に運転していたら! あの子にも、なんて謝ったらいいか!」
「お、お父さん! 頭を上げて! 私は平気だから! あの事故は避けられないものだったと思うし! お父さんが安全運転してくれてたことは分かってる。それに私は、なんというか、一応公爵令嬢に転生できたわけだしね。父子家庭の娘から考えると大出世じゃない?」
私はわざとおどけてそんなことを言った。でもオスカーは私に頭を下げ続けていた。
「それにね。こっちであの子とも再会できたんだ! お隣の家の、藍葉節佳ちゃん。彼女は子爵令嬢に転生してて、こっちでもまた親友になって、一緒に過ごしているんだ」
再び絶句したオスカーの顔を、私はくすりと笑いながら見返したのだった。
「あの白の戦姫が、まさか節佳ちゃんのことだったとはなぁ。らしいというかなんというか・・・。お前と違って彼女は運動神経が良かったからなぁ」
お父さん――オスカーは戸惑ったように頭を掻いた。
まあ、前世のころからダクマーは運動神経が良かったからね。私と違って、剣術の試合に出られるくらいだったし。
「本人にはそのあだ名を言わないであげてね。結構気にしてるみたいだから。その名前を聞いたときすんごい顔をしてたんだから」
私の言葉に、オスカーは苦笑した。オスカーも前世のあの子のことを思い出したようで、懐かしむかのように笑っていた。
そしてオスカーは深い深い溜息を吐いた。
「そうか。またお前は、あの子と一緒にいるんだね。まあ、あの子なら安心してお前を任せられるが、あんまりあの子の負担になるようなことをするんじゃないぞ」
「分かってる。あの子の邪魔をするような真似はしないわ。私だって、いつまでも子供じゃないんだからね」
憤慨しながら言い返すが、オスカーはあまり信用していないようだった。眉を顰めて疑うように私を見ている。
「そんなことより、そっちこそどうなのよ。いつの間にか子供まで作っちゃってさあ。フューリーさんはともかく、あのルドガーはちょっとないと思うわよ」
オスカーは痛いところを突かれたのか、引きつった顔で私に反論してきた。
「いや、ルドガーは・・・。あいつは、私の初めての男の子でなぁ。この島では長子相続が一般的で、オルレアン家の跡取りとして母親や親戚たちから扱われていて。私も厳しく指導していたがすぐに他の者に甘やかされてあの通りだ。資質は高いのに、肝心の実力が及んでいなくてな」
オスカーは苦い表情で頭を掻いた。
「アキ。いや、エレオノーラ様。あなたの目から見て、ルドガーはどうですか? 王国の貴族としてやっていくことはできるでしょうか」
オスカーはエレオノーラに改めて聞いてきた。ならば私は、ロレーヌ家の息女として真面目に答えなければならない。
「はっきり言って、公爵位を起こすのは難しいと思う。王国だと、伯爵クラスの後継になるには学園で上位クラス、せめて中位クラスを卒業するのが必須だから。見た感じ、ルドガーは勉強も魔法の訓練もロクにしていないようだし。そんな人にはちょっと厳しいんじゃないかな」
私はさすがに一目で資質が分かったりすることはないけど、その人が魔法の訓練を行っているかどうかくらいは分かる。ルドガーがあまり真剣に魔法を学んでいないのは明らかだ。私にわかるということは、学園の教員陣なら一目瞭然だと思う。
「爵位が高い貴族は責任もそれ相応にあって、他の貴族のまとめ役みたいなこともしなきゃいけないから、魔法に長けているか、他の技術を持っている人でないと難しいと思うわ。ルドガーに、そう言ったスキルはあるの? それとも、すんごく勉強ができるとか?」
私が問いかけると、オスカーは脱力したように首を振った。
「それなら、貴族にならないで地元の名士として生きていったほうがいいんじゃない? そう言う人ならあんまり魔法が上手くなくても大丈夫だから。王国の貴族は、魔法を的確に使わなければならない場面が多いからね」
貴族は地脈を操ったり、戦闘に参加したりで、魔法を使わなきゃいけないことが多い。今のルドガーに、それができるとは思えないのだ。
オスカーは伺うように上目遣いで私を見た。
「ちなみに、だ。仮の話として聞いてくれ。君はルドガーのことをどう思った。い、いや怒らないでくれ! 本人が、君と結婚したいみたいなこと言っていたから・・・」
私は腕を組んではっきりと断言した。
「お父さんの記憶があるなら知ってるでしょう? 私、これでも男を見る目はあるつもりだから。魔力もない。努力もしない。面倒なことは妻任せ。そんなのになりそうな人に付いていったりしないわ」
私が睨むと、オスカーはたじたじになった。
「い、いやすまん! 本当に聞いてみただけなんだ! 他意はない!」
私は溜息を吐きながらオスカーに質問を反した。
「お父さんの問題はまだあるわ。フューリーさんのことよ。なんかずいぶん、この島の人に侮られているようだけど?」
オスカーは話題が変わって安心したのか、ほっとした様子だが、でも不安そうな顔で答えた。
「あの子はなぁ。あの子は小さいころから気が弱くて。そのことが原因で、せっかくいたはずの婚約者から婚約破棄みたいなこともされてな。まあそんな薄情者とはこちらから縁を切ったが、本人はますます落ち込んでしまっていて・・・。あの子はあの気の弱さをどうにかしなければと思っていたんだ」
オスカーの言葉に、私は真面目な顔で目を見返した。
「お父さん。いえ、オルレアン家のオスカー様に忠告します。あの子が侮られている状況をすぐになんとかできないのなら、王国貴族に保護してもらいなさい。うちでもいい。そうしないと、あの子は仲間であるはずの人から妬まれてかなりひどい扱いを受けることになるかもしれない。何せあの子は、王国で最も価値がある星持ちなんだからね」
私が真面目に答えると、オスカーは息を呑んだ。
「あの子の評価は、この島と王国では随分と違う。この島では弱者扱いのあの子は、王国に来れば最高峰の魔法使いよ。今のままだとねたまれて大変なことになると思う。すぐに、対処した方がいい」
オスカーは顎に手を当てて考え込んだ。
「もちろん、ロレーヌ家を頼ってくれるなら全力で保護させてもらうわ。あの子をうちできちんと教育すれば、希代の魔法使いになれるのは間違いないだろうから」
そう言って私はオスカーと目を合わせた。オスカーは落ち込んだようにうつむいてしまっている。
私がさらに何か言おうとしたその時、廊下の奥から誰かが歩いてくる気配がした。どうやら、話し合いの時間は終わったようだった。
少し話しただけだけど、ずいぶん立場が変わったと思う。私は公爵令嬢で、お父さんはレジスタンスのリーダー。お互いに優先するものは違うし、価値観も全然違っている。
「お父さん。いえ、オスカー。会えてうれしかったわ。元気に暮らしているのを知れて安心した。元気でね」
私が言うと、オスカーは口ごもってしまった。でもすぐに気付いたようだった。転生して、お互いに大事にする者が変わってしまった。昔みたいに、仲の良い親子には戻れないということに・・・。
「ああ。その、困ったことがあればすぐに言いなさい。その、できないこともあるができる限りのことはするから・・・」
私はくすりと笑ってオスカーに手を振った。
「うん。何かあったら声を掛けさせてもらうわ。私のほうでも多少はできることがあると思うから、気軽に声をかけてね。まあ無理なことは無理って言うけどね」
私がおどけたように言うと、オスカーは苦笑する。今のセリフで、私があまりオスカーに手を貸すことができないことを察したようだった。お父さんの、オスカーのことは気になるけど、今の私はエレオノーラ・ロレーヌだ。気にしなければならないことはいくらでもある。
私は後ろ髪をひかれながらも、次の場所へと向かうのだった。
※ オスカー視点
「アキ・・・。もうすっかりこっちの人間だな。最初はあんなに懐かしがっていたのに、今は前世の父親のことなど、まるで気にしていないようだった」
エレオノーラの背中を見送りながら呆然とつぶやいた。
前世の娘のアキがエレオノーラ・ロレーヌに転生していると知って本当に驚いた。私たちを転生させた神のようなものがいるとしたら、それはずいぶんと残酷なことをするのだと思う。
「すっと私一人が転生したと思っていたが、この年になってあの子と再会できるなんてな」
こちらの半生は本当に厳しいことばかりだった。
何しろここは、闇魔の本拠地であるアルプトラウム島。そこのレジスタンスの息子として生を受けた私は、闇魔から逃げ回りながら成長してきた。前世にはなかった魔法という力を鍛え、仲間を失いながらも何とか生き残ってきた。前世の記憶を思い出さなければ、とっくに墓の下に行っていたことだろう。
「それにしても、ロレーヌ家か。ルドガーの奴、本当に何も分かっていない。よりによってロレーヌ家の令嬢に、アプローチしようなんてな」
顔が引きつってしまった。娘が転生したロレーヌ家は、確かに様々な支援を行ってくれたが、決してうちの味方というわけではなかった。むしろかの家こそが、我がオルレアン家の再興を妨げた一番の障害になったのだから。
「ロレーヌ家こそが、わがオルレアン家の野望を打ち砕いた存在なのだがな。今の若い奴らにはわからんか。まあ、王国の貴族になりたいとのたまう者ばかりになってしまったしな」
世界樹の恩恵が絶えて、もう一世紀もの時が流れた。その力を実感する者はおらず、豊かな王国との違いを嘆くものばかりになってしまった。癒しの力も、気づいたころには王国が開発した霊薬にとってかわられてしまったのだ。
窓からそっと外の様子をうかがった。
多くの人が、バルトルド様の見舞うために訪れていた。あの人が心配だと衛兵と押し問答する姿もよく見かけた。この地に来てまだわずかの時間しか経っていないのに、彼はもうここの住民の心を掴んでいるのだ。
「はぁ。本当に憂鬱だね。この分だと、私たちの行動もすぐに忘れられてしまうんじゃないかな。あの国の魔法使いたちは、地域の住民の心を確実につかんでいるのだから」
あの国は本当に厄介だ。
武力を持って攻めてくるなら抵抗するという手もあった。だけど、あの国は利を持ってこの国を侵略してきた。王国の制御装置があればもっと豊かに生活できる、住民にそう思わせることで、王国に従う意義を知らしめてきているのだ。
「長い物には巻かれろというか・・・。ここからの挽回は難しいか。それならば、せめて優秀な魔法使いの存在を示すことで、こちらの力を認めさせる他ないな」
私は顔を上げてフューリーの元へと向かった。
彼女はもしかしたら激しく否定するかもしれないが、何とか説得するしかない。一人の親として、またこの地を率いるリーダーとして、何としても彼女の意思を変えるしかないのだ。




