第3話 思い出の剣術
私が目を覚ましたことを聞いて、祖父が駆けつけてきた。後ろには10歳くらいの紫の髪をした少年が付いてきている。
「目覚めたのかダクマー!! 大丈夫か。身体強化ができてうれしいのはわかるが、身の安全はしっかり守りなさい」
おじい様は心配そうな顔をしているけど、説教も忘れなかった。ぼうっとした頭でおじいさまの言葉を聞く。意外と優しい反応に、ちょっと戸惑ってしまう。
でも、前世の記憶を思い出した私は、正直かなりショックを受けていた。うつむく私を見て嫌な笑いを浮かべたのが、私より一つ年上の従兄、ホルストだ。
「やれやれ、おじいさまに心配かけるなんて。身体強化ができてはしゃいで頭を打つなんて、君は本当に粗忽者だね」
ホルストは小ばかにしてきた。おじい様は一瞬何か言いかけたけど、結局何も言わなかった。おじい様はいつもこんな感じなんだよね。
「すいません。ホルストお兄さまにまで心配を掛けちゃって」
私はやっとのことでそれだけ吐き出した。でも、本調子ではない私を見て怪訝な顔になりながらも、ホルストの嫌味は止まらない。
「そもそも身体強化を使って頭をぶつけたなんて。また拾ったものでも食べたんじゃないか? 従兄としてちょっと情けないよ」
しばらく、ホルストの嫌味だけが続いていた。いつもなら、勝ち気に言い返す私と言い合いになるんだけど、今日は黙って嫌味を聞いていた。正直、いつものように言い返す気になれない。
そんなとき、部屋の外から誰かが駆け込んでくる音がした。
「すみません。失礼します。ダクマー、大丈夫なのか?」
駆け込んできたのは、双子の兄のデニスだった。双子なのに髪の色は水色で黄色い目をしているから、ちょっとうらやましいんだよね。その後ろから、赤い髪と目をした妹、アメリーが息を切らしながら駆けこんできた。
「魔法が使えたからって、調子に乗りすぎだ! 頭を打つなんて、怪我をしたら元も子もないだろう!」
デニスに叱られたけど、私は呆けたようにその顔を見つめることしかできなかった。
「お姉さま、大丈夫ですの?」
いつもと様子が違う私を見て、アメリーが心配そうな顔をした。でも私は、彼女に笑顔を返すことはできない。無表情で、アメリーを見返す。アメリーはハッとしたような顔で私を見た後、おじい様とホルストに話しかけた。
「お姉さまはちょっと本格的に調子が悪いようです。心配してくれるのはありがたいですが、少しだけそっとしておいてあげてくれませんか」
アメリーの言葉に、おじい様はゆっくりと頷いた。
「しばらくは、体を治すことだけ考えなさい。ホルスト、戻るぞ」
そう言い残すと、振り返らずに部屋を出ていく。ホルストは慌てておじい様の後を追った。
兄と妹が顔を合わせて頷き合ったのが見えた。
「ダクマー、あとのことは私たちがやっておくから、今はゆっくり休みなさい。あんまりラーレ姉さんに迷惑をかけるんじゃないぞ」
「お姉さま。お医者様は大丈夫とおっしゃってましたよ。今は休んで、また元気な声を聴かせてくださいね」
そう言うと、2人は部屋を出ていった。ぼうっとした頭のままその姿を見て、今世でも私を気にかけている人がいることを実感した。私はショックをごまかすかのように、頭から布団をかぶった。
◆◆◆◆
あのあと、両親も様子を見に来てくれた。領地の視察から急いで帰ってきたみたいだけど、ちょっと返事をする気になれない。父は「身体強化ができても怪我をすれば意味はないだろう」とあきれたように言い、母はため息混じりに「あなたはいつもはしゃぎ過ぎなのよ」と嘆いていた。
しばらく、何も考えられない日が続いた。ラーレや兄妹や両親が代わる代わる様子を見に来てくれたけど、私は落ち込んだままだった。
元の日本人――藍葉節佳として生きた16年間は私にとって大切なものだった。両親も兄とも仲が良かったし、学校には友達もたくさんいた。趣味の剣術も楽しかったし、道場の師範も厳しいながらも丁寧に剣術を教えてくれたものだ。その人生が消えて、新しい人生が始まったと言われても、何も考えられない。
辛くて何もできない私を家族以外も気にかけてくれた。専属メイドのカリーナは私の好物を毎日作ってくれた。まあ、まったく食べる気がしなかったんだけど。大事な食料を無駄にしてしまって、申し訳ない。
そして、いつも護衛してくれる戦士のなかにも私を心配してくれる人がいた。我が家に代々仕える剣士の家系のエゴンだ。
「ダクマー様、こちらは以前欲しがっておられた木刀です。私の手作りですが、素振りなら問題なく使えるはずです。どうか、これで元気を取り戻してください」
彼には私と同い年の娘がいるらしく、何かと気に掛けてくれるのだ。お見舞いの品としてはあれかもしれないけど、彼は私が喜ぶことを十分に理解してくれている。
木刀の刃渡りは100センチほどで、刀のように反りが入ってる。ぼうっとした目で何気なく木刀を見る。この木刀なら、前世の剣術の素振りをしても問題なさそうだった。
何ともなしに木刀を見ていたが、ふとした瞬間に気づいた。これは、こっちの世界の武器ではない。前世の道場に飾ってあった刀と同じものだ! エゴンに話したのは記憶を取り戻す前だったのに、無意識で前世の武器を求めていたということだろうか。
静かに一礼して部屋から出ていくエゴンの後姿を見ることもなく、私は木刀を握ってみる。そして隅々まで木刀を確認すると、誰にともなくつぶやいた。
「この木刀のこの感触、覚えてる。前の剣術道場で毎日のように素振りした木刀とおんなじだ」
私は木刀の感触をもう一度確かめてみる。そして木刀を隅々まで触ると、居ても立っても居られなくなって部屋を飛び出した。向かうは部屋の近くにある祖父の道場だ。
誰もいない道場の隅に立つと、息を整えながら木刀を正眼に構えてみた。
「たしか、前はこうやって素振りをしていたはず」
私は木刀を両手で持ち、振り上げるとゆっくりと振り下ろした。筋肉がついていないせいか、前世のころと比べると全然なっていない。
でも、振れた。前世と比べて未熟だけど、この素振りは確かに前世で学んでいた示巌流の一振りだった。
「あははは。私は覚えてる! 前世の修行は無駄じゃなかった! 私は確かに、日本で16年を過ごしたんだ! 夢なんかじゃない! 日本で暮らした私は確かに存在していたんだ!」
私は気づいたら涙を流していた。
一振りごとに前世の記憶がよみがえる。素振りの仕方を注意されたことや、うまく振れて褒められたこと。そして、秘剣を初めて振った時の思い出を!
木刀を振れば、前世の自分を感じられた。前世の家族や友人には会えないけど、木刀を振ると昔の自分に会える気がした。私は昔の自分を今世の自分に刻みつけるかのように、何度も何度も素振りを繰り返したのだった。