第136話 公爵家の技術 ※ エレオノーラの弟 ファビアン視点
※ エレオノーラの弟 ファビアン視点
「姉上! お帰りになられていたのですね!」
屋敷の居間で学園に行っていた姉上を見つけると、思わず駆け寄っていた。この夏は他領にいくという連絡を聞いていた。その顔を見ることはないと思っていたので、本当にうれしかったんだ。
だけど姉上は、愁いを帯びた顔で僕を見た。表面上は普段通りに見えるけど、僕たち家族にはわかる。まるで、心ここにあらずと言った感じなのだけど・・・。
「ファビアン。あなたも元気そうね。短い間だけどゆっくりすることになったの。ちょっとの間だけどよろしくね」
そう言って穏やかに微笑む姉上を見て、僕はちょっと心配になる。家族にしか分からない微妙なものだから、気のせいならいいんだけど・・・。
「姉上? 何かありましたか? その、お気分がすぐれないようですけど」
姉上は一瞬真顔になるが、すぐに取り繕ったような笑顔を浮かべた。
「いいえ。なんでもないの。ちょっと疲れただけだから」
誤魔化すように言う姉上に僕は表情を曇らせる。
確か姉上は、我が家からさらに東にあるビューロウ領に行ったはずだ。何でもそこで闇魔の襲撃にあったらしいけど、そのせいでこんなに落ち込んでいるのだろうか。
ビューロウ家の一族には複雑な思いがある。エーレンフリート兄上はそこに信頼できる友人ができたと言っていたが、僕はまるで信用できなかった。ビューロウ家は子爵家に過ぎないし、「武の三大貴族」としての力はすでにないと聞いている。
「姉上? まさかビューロウの人間に何かされたのでは!? うちから出た分家のような者なのに、本家筋の姉上を困らせるなんて!」
僕が声を苛立たせると、姉上は慌てて言いつくろった。
「ち、違うのよ! 当主のバルトルド様は本当に良くしてくれたし、ダクマーはちょっとあれだけど、私を大事にしてくれたわ。なにより、かわいいアメリーちゃんがいっぱい癒してくれたの! あなたが心配することは何もなかったのよ!」
そう。姉上はビューロウ家の孫娘であるアメリーに首ったけなのだ。僕は内心、そのことを苦々しく思っている。何とか引き離せないかと思っているのだけど・・・。
「エレオノーラ。こんなところにいたのか。ん? ファビアンもいたのか。あんまりエレオノーラに手間をかけるんじゃないぞ」
居間に入ってきたのは父上だった。
「父上! 僕が姉上の邪魔をするわけがないじゃないですか! それよりもビューロウはどうなっているんです! みすみす、姉上を襲われるような真似をするなんて!」
僕が噛みつくと、父上はあきれたようにため息を吐いた。
「お前はまだ姉離れできんのか。再来年にはお前も学園に行くというのに、こう幼くてはな」
そんないい方しなくてもいいじゃないか! さらなる文句を言おうとした僕を、父上は手で制した。
「今回、ビューロウ家を襲ったのは炎のヨルダンだった。バルトルド殿は高位の闇魔からエレオノーラを守っただけでなく、見事にヨルダンを返り討ちにしたのだぞ。お前も王国貴族の一員なら、これがどういう意味か分かるだろう」
その言葉を聞いて絶句した。高位の闇魔は爵位の高い魔法使いでも傷一つ付けられないと聞く。そんな凶悪な闇魔から、姉を守るだけでなく返り討ちにしてしまうなんて!
「あ、姉上! 大丈夫なのですか!? あのヨルダンに襲われたなんて!」
「ええ。大丈夫よ。怪我一つないわ。私の身には、だけれどね」
そう言って姉上は愁いを帯びた顔で溜息を吐く。
「エレオノーラ。大丈夫か? 怪我はないとはいえ何か気になることでもあるのか? 体調が悪いなら。しばらく学園を休学してもいいんだぞ」
父上が心配そうに尋ねるが、姉上は静かに首を振った。
「いえ。ちょっと前のたたかいを思い出していただけですわ」
姉上はそう言うと、目をつむる。僕は父と顔を合わせると、そのまま姉上が話し出すのを待った。
姉上はゆっくりと口を開く。
「ヨルダンとの戦いで、私は何もできなかったのです。我が家に伝わる秘術も使ったけど、ヨルダンにはまるで通じなかった。それどころか、バルトルド様の高位魔術もマリウス様の光魔法もまるで相手にならなかった。私たち魔法使いの技が、何一つ通じなかったのです。ヨルダンですらあのざまなのに、さらに高位の闇魔に襲われたらと思うと、気が気でないのです」
僕は驚いた。子爵のバルトルドはともかく、姉上は公爵家で随一の魔力を持っているし、ヘリング家のマリウス様は星持ちだと聞いている。彼らの魔法が通じなかったとしたら、一体どうやってヨルダンを倒したというのだろうか。
父上は何か知っているのだろうか。そう思って父上を見ると、視線を姉上から外して考え込んでいるようだった。そして思い出したように姉上を見ると、慰めるようにやさしく言葉を紡ぐ。
「エレオノーラ。ヨルダンに魔法が通じなかったからとはいえ、そう落ち込むことはない。私たちのご先祖のヨルン・ロレーヌのことは知っているね。彼は、その膨大な魔力で高位の闇魔を何体も退けたと言われている。我が家で随一の魔力を持つ君なら、高位の闇魔とはいえ戦えないわけではないのだ」
その言葉を聞いて、姉上は即座に顔を上げた。
「父上。あるのですか? 私でも、高位の闇魔と戦うための術が!」
父上は真面目な顔で姉上を見ると、そっと頷く。
「バルトルド殿は優秀な魔法使いだが、我々ほどの魔力があるわけではない。むしろ少ない魔力で闇魔と戦うことに優れているのだ。大量の魔力を持つ我々の戦い方を熟知しているわけではないのだよ」
そう言うと、厳しい目で姉上を睨んだ。
「我が家に伝わっているのは2つの秘術だけではない。公爵の名にふさわしい魔法の使い方についても、ヨルン・ロレーヌから伝わっているのだ」
そして姉上の肩に両手を置いた。姉上は驚いた顔で父上のほうを見た。
「一つ聞く。ヨルダンを倒したのは誰だ? 話を聞く限りバルトルド殿ではないのだろう。ギルベルト君もマリウス君もその点に関しては沈黙している。可能性のあるのはラーレ君か? いやそれも違うだろう・・・。とすると?」
姉上は気圧されたようになる。だが、父上の圧力に屈することなく、答えを言うことはないようだった。
「そうか。ダクマー君か。彼女は、色のない魔法使いということなのだな」
僕は驚いた。色のない魔法使いという存在は知っている。すべての属性に見放された素質のまったくない魔法使い。だけど、それ故に誰よりも強く戦える存在だと言われている。正直に言うと、”加護なし”の魔法使いが強いだなんて、おとぎ話のようなものだと思っていたけど・・・。
「そうか。君の焦りはそれか。確かに、あの子が色のない魔法使いだとしたら、君の気持ちも分かる。色のない魔法使いには何人たりとも近づけない。それが、公爵の血を引く我々でもな」
姉上は真っ青な顔で父上を見つめていた。
「私には、あの子の足を引っ張ることしかできないのでしょうか。あの子は、迫りくる敵を簡単に斬り伏せた。その戦いぶりは類を見ないものでした。このまま魔法の腕を磨いたところで、彼女の場所に辿り着けるとは思えないのです」
僕はあっけにとられる。姉上はわずか15歳にしてヨルン・ロレーヌが残した秘術を使いこなせるまでに成長している。星持ちではないけど、それに準ずる力を持っているのだ。そんな姉上が、自分の負けを認めるようなことを言い出すなんて・・・。
父上は姉上の顔を見てそっと微笑んだ。
「エレオノーラ。少しやる気になったみたいだね。君は魔術の才能に恵まれすぎて、何でも簡単にこなしてしまっていた。何をやらせても簡単に乗り越えるから、挫折を知らなかった。でも、今の君なら我が家のもう一つの技術を身に着けられるかもしれない」
姉上の顔が驚愕に彩られた。おそらく僕も同じような顔をしていることだろう。なにせ、3つ目の秘術についてはこれまで聞いたことがなかったのだから。
「この技術は新しい魔法というわけではない。ただ単純に、一度に放てる魔力の量を増やすための技だ。爵位の低い、というか魔力量の少ない者にはあまり効果がない。この技を使わなくてもすぐに魔力切れになってしまうからね。でも公爵の位を持ち、膨大な魔力を秘めた我々なら、高位の闇魔を倒す重要な武器になるのだ」
姉上の目が驚愕に見開かれた。そして、そのまま父上に縋り付いた。
「お。お父様! 私にその技を教えてください! このままでは、私はあの子を一人で戦わせなければならなくなる! 私も、これまでにない強さを身に着ける必要があるのです!」
縋り付く姉上を見て、父上は溜息を吐く。
「ああ。せっかくの女の子だから大切に育てたかったのに。戦いなど無縁の場所で生きていてほしかったのに。でも時代がそうさせてはくれないみたいだ。君は望むと望まざるにかかわらず戦いに巻き込まれることになる。そうなったときに生きていけるように力を付けさせるのが、親の役割というやつなんだろうね」
力なく笑う父上の背中は、なぜかとてもさみしそうに見えたのだった。