第129話 前哨戦
登山口からすさまじい勢いで魔物たちが突撃してくる。先頭を走るのは、魔犬だ。足の速い魔犬が私たちの出鼻をくじき、後続のゴブリンやオーガで仕留めようという腹か。
「マリウスがいるから『緑の手の中に』とは叫べないわね。まあ、バルトルド様のおかげでこっちは一丸になってるみたいだけど」
エレオノーラが近づいてくる魔物たちを見ながらつぶやく。
ちなみに「緑の手の中に」という言葉は私たち東側の貴族の標語みたいなものだ。うちの王国は東西南北と中央にそれぞれ一個ずつの標語があって、敵と戦うときに叫んだりするんだよね。
「でもやっぱり圧巻だな。この短期間にこんな数の魔物を召喚するだなんて。やっぱり、闇魔って危険だね」
「短時間でここまでの数の魔物を呼び出せるのは、さすが高位闇魔と言ったところか。しかもあ奴め、同じ闇魔を召喚しておる。火属性のゴブリンとオーガか。ふん! ヨルダンらしい編成じゃわい」
おじい様は私のつぶやきに応えてくれた。
そうなのだ。高位の闇魔は、同じ闇魔を召喚できたりするんだよね。まあヨルダンほどの実力者じゃないとできないらしいけど。
おじい様はそのままラーレを振り返った。
「そろそろお前の力を見せてやれ。王国貴族の力を、見せつけてやるのだ」
ラーレは青い顔で頷いた。
魔犬との距離は徐々に縮まっていく。
300歩、200歩、そして100歩!
「今じゃ! 撃てええい!」
おじい様の掛け声とともに、ラーレが手を前にかざした。
「燻り、焼き尽くせ!」
ラーレの手のひらから黒い炎が生まれた。いつもより大きいそれを、ラーレは魔犬の群れ目掛けて放った!
「キャイィィィィィィン」
炎は先頭の魔犬に直撃して吹き飛ばした。そしてラーレの炎はその場にとどまると、黒い煙を放ちながらその場で燃え盛った。
「みろ! 魔犬どもが!」
犬の嗅覚は人の数万倍って聞いたことがある。煙を吸った魔犬はそのまま滑るように転がってくる。両脚で鼻を必死に抑える。涙目になっている犬も少なくない。
「そうか! 煙が広がれば・・・・、風よ! 煙を広めろ!」
ギルベルトがラーレの炎目掛けて風を送った。煙を広範囲に広めるための風魔法か!
煙は風に乗って敵陣全体に広がっていく。いたるところで魔犬が倒れるのが見えた。
それを見ていきり立ったのが、エレオノーラだった。
「東を束ねるロレーヌの力、見せてあげますわ!」
エレオノーラの杖に膨大な魔力が集まる。爵位が高いとそれだけ魔力量が多いと言われるけど、こんなに魔力を持っているとは!
エレオノーラは目を閉じて集中した。
そして目を開くと、魔物の群れに長杖をかざした。
「レフェクション・シュピーゲル」
静かにそう唱えると、魔物の周りに鏡のようなものがいくつも浮かんだ。
「食らいなさい!」
エレオノーラの手のひらから、水の弾が発射された。水の弾が鏡に当たると、軌道が変わっていく。そして鏡から鏡に迅速に移動し、中の魔物を斬り裂いていく!
すごい! これがロレーヌの秘術か!
鏡は何度も水弾を反射するが、まったく傷ついている様子はない。それどころか、水の弾は鏡に当たるたびに威力を増しているようにみえた。
「何なの、あの鏡・・・。魔物の攻撃にもびくともしない。あんなの、どうやって攻略したらいいの」
私は茫然とつぶやいた。これが公爵家の、ロレーヌ家の秘術!
ロレーヌ家には2つの秘術があると聞いたけど、ここまで強力な魔法だなんて!
魔法が効果的に魔物たちにダメージを与えているのを見て、エレオノーラはアメリーを振り返った。
「アメリーちゃんは、倒れた魔犬にとどめを刺すのよ!」
「は、はい」
そう、星持ちのアメリーなら、この場で魔法を撃ち続けるのは難しくない!
アメリーが火の魔法を放つと、倒れた魔犬があっという間に火だるまになる。さすがアメリー! やるね!
2人の攻撃は着実に魔物の数を減らしてる。
私はやれることがないので待つことしかできないけどね!
魔犬が苦しむ姿に臆することなく、魔物の群れは土壁を避けながら突撃してくる。先頭に立つのはオーガと呼ばれる体格の大きな鬼だ。体長3メートルほどにもなる彼らは手に金棒や斧を持ってこちらに駆け寄ってきていた。エレオノーラの魔法が切れると同時に近づいてくる姿は、ちょっと恐怖だ。
「魔よ! 退け! サキューレ・フレーゲン!」
マリウスが魔法を放つ。そして、光魔法で作った光弾を、風魔法で押し出すように弾いた!
光はオーガの胸から上に直撃した。その一撃で、オーガの上半身は消滅していく。闇魔や魔物は光の魔法に弱いって聞くけど、これはすごい!
おじい様は、戦士たちの援護に徹していた。ゴブリンたちを低級魔法で吹き飛ばし、私たちに近づかせない。それでも近づいてくるゴブリンは、護衛によって足止めされ、エレオノーラやアメリーによって倒された。コルドゥラも剣と水魔法で必死に戦っている。頑張れ!
「もう一発、行きます。燻り、焼き尽くせ!」
ラーレが2発目の魔法を放った時、趨勢は決した。
黒い煙は魔犬の鼻や目を殺しただけでなく、魔物たちの魔力障壁を削る効果もあるようだ。そして障壁が弱まれば、エレオノーラたちの魔法の餌食だ。細かい魔法を連発することで、ゴブリンは確実にかすを減らしていく。
もちろん、こちらの被害もゼロではない。中には重傷を負う戦士もいたが、こちらには回復の名手、マリウスがいる。傷ついた戦士は連携して素早く下がると、マリウスが回復魔法で傷を癒していた。
「最初に見たときはやばいかもって思ったけど、案外何とかなりそうだね」
私がのんきにつぶやくと、おじい様から叱責が飛んだ。
「馬鹿者! まだ闇魔は倒しておらんではないか! 見ろ!」
おじい様が指す方向から、3体の闇魔が駆け寄ってくるのが見えた。闇魔は護衛の戦士に向かって炎を放つ。迎え撃つ戦士は盾で防御したものの、こらえきれずそのまま後ろに吹き飛んでいった。
あ、やばい! 隊列が乱れちゃう!!
「きええええええええ!」
私は剣を構えて突撃する。声に驚いて闇魔たちはこちらを見る。だが遅い!
「もらったああああああ!」
私は剣を上段から思いっきり振り下ろした!
闇魔にとっては私が急に目の前に現れたように見えたかもしれない。とっさに障壁を展開したのは見事だが、無駄だ!
「秘剣! 羆崩し!」
気合とともに振り下ろした剣は、闇魔を真っ二つに斬り裂いていた。
残り2体の闇魔も驚きを隠せない。近くの1体がとっさに私に魔法を放とうとするが、私はその魔法をあっさりと剣ではじく。そして返す刀で闇魔の首を横薙ぎに斬りつけた。
これで2体!
「なんだんだ! お前は何なんだ!」
闇魔の顔は恐怖で歪んでいた。でも、私に躊躇する気持ちは生まれない。そのまま縦に剣を振り下ろし、肩から胸にかけて斬り裂いた。闇魔は信じられないものを見るかのように傷を抑えながら私を見るが、私は首に剣を突き出してとどめを刺す。
「すげえな。3体の闇魔をあっという間かよ」
ギルベルトが驚きを漏らした。
ふっ、私の示巌流に敵はない!
そのとき、プレッシャーを感じて闇魔の集団に目を向けた。魔物の大群の中から出てきたのは、黒いコートを着た30代半ばくらいの、やせ形の男だった。赤黒い髪をオールバックにまとめ、手に大剣を持ちながら不機嫌そうな顔をしている。
「何を手間取っている。滅びかけのビューロウごときに情けない。敵は大貴族とはいえまだ子供だ。その首、さっさと取ってこの領を血で染め上げろ!」
男は不機嫌そうに、魔物の軍団に命令した。
「ぐおおおおおおおおおおおおお!」
その言葉で、ひるみがちだった魔物の軍勢に闘志が再燃したようだった。押されがちだった魔物たちだが、勢いを取り戻してこちらに突撃しようとする。まずい!
「ヨルダアアアン!!」
叫び声をあげたのはおじい様だ。その勢いのまま強力な水魔法を放つが、ヨルダンの障壁にあっさりと阻まれた。
こいつが、炎のナターエルの右腕と言われるヨルダンか!
王国側の地脈を通ってきたはずなのに、消耗した様子は見られない。
「誰かと思えば、腰抜けのバルトルドか。お前を殺し損ねて後悔していたところなんだ。貴様は狼ではない。ビューロウの狼はもう滅んだ。狼どもと同じように殺してやるから、安心して逝くがいい」
そう言うと武器を構えながら不敵に笑った。
私はなぜだろうか、無性に腹が立った。絶対に生かして返さない――そんな決意を秘めて、ヨルダンに剣を向けた。
「狼が滅亡したかどうか、お前の目で確かめさせてやる。そして冥途の土産に教えてやろう。ビューロウの剣が、お前たちの首に迫っていることをな!」