9
部屋全体に張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
周りにいた兵たちが全員、剣の柄から手を離し、肩から力を抜いてほっと息をつく。その態度もその表情も、現王が目の前で突然倒れたというこんな非常時に、見せていいものではなかった。
「案外、時間がかかったな」
「なにしろ陛下は頑健さが取り柄のお方ですし、この大きな体格ですからねえ」
アルデルト王太子が顎に手をやり、まじまじとラドバウト王の巨体を観察するかのように眺めている。
冷淡なほどに醒めた目つきといい、落ち着き払った口ぶりといい、いつぞや王城内でふらふらと迷っていたのと同一人物とは思えない。それなのにヴィム氏のほうは驚いた様子もなく、こちらも平然と返事をしていた。
「──あの、アルデルト王太子殿下」
王太子は、強張った声を出した俺に目を向けると、「とにかく座れ、ヴェルフ将軍」と何かを払うように手を振った。
その言葉で、今の自分がまだテーブルの上にいることに気がついた。
慌ててそこから降りて床に立った俺に、兵たちは誰一人として向かってこなかった。拘束どころか、囲むこともしない。
なんだ、これ。
俺はすっかり混乱しきっていた。
「……ご説明いただけるのでしょうか」
「説明も何もだな」
王太子は改めて手近な椅子に腰かけ、片手で頬杖をつき、ゆったりと足を組んだ。
すぐ目の前には父親がおかしな格好でぐにゃりと曲がり、テーブルに突っ伏しているというのに、もうそちらには目をやろうともしない。
「……遡れば、十五年前、私の兄が亡くなったところからはじまる」
アルデルト王太子の兄は、彼の前に王太子を務めていた人物である。俺は立ったまま、その人の断片的な情報を頭に浮かべた。
確か、生きていれば、俺と同じ年頃だ。
「兄は、私の目から見てもよく出来た子供であったよ。賢く、優しく、人格も清廉で、幼くとも道理というものを弁えていた。私は兄を尊敬していたし、自分も立派な人間になって、いつかこの方をお助けしたいと思ったものだ」
王太子はふと遠い目を空中に向けた。見ているのは、在りし日の思い出と、かの人の面影だろう。
「──しかし、兄上は少々正義感が強く、気性がまっすぐすぎるところがあった。まあ無理もない、私は当時十歳の子供だったが、兄上もまた、私よりほんの三つ上の、やはり子供であられたのだから。だからこそ潔癖で、父上の非道が許せず、憤りを抱いていた。それである日、子供らしく正面から父上を非難し、反発し、諫言したのだ。この国のため、民のためを思うなら、今すぐ玉座から降りるべきだと糾弾し、正論をぶつけてな」
宙にあった王太子の視線が、今度は下に向かった。
「……そしてどうなったか。三日後、兄上は王城の敷地内で、遺体となって発見された。理由も原因も判らず、結局不慮の事故として片付けられたが、誰もそれに異議を唱えることはなかった。次代の王となるべき人間が亡くなったというのに、真相を究明しようという声さえ上がらなかった、不自然なほどに。みんな薄々、気づいていたからだ。その件の本当の首謀者、裏にいるのが誰であるかということに」
淡々とした口調で語られるその内容に、俺の背中を悪寒が這い上る。
「まさか……陛下が?」
「直接手を下したわけではないだろうがな」
「しかし、実のお子ですよ?」
「そも親子の情というものを解することが出来る人物であったなら、この国はここまで乱れてはおるまいよ」
「いや、しかし、王太子を……世継ぎを失えば、困るのは」
「──困るのは、父上以外のすべてだな。将軍のような人間には判らないかもしれないが、世の中にはそういう者もいるのだ。ひたすら、自分、自分、自分、それだけ、という化け物が。父上はな、自分が生きている間、『自分だけの楽園』が続けば、ただそれでよかったのだよ。自分が死んだ後のことなど、これっぽっちも考えてはおらぬ。自分の代で血が途絶えようが、どれだけ民が死のうが、この国が滅びようが、心底、どうでもよかったのだ」
「…………」
俺は言葉を失った。
──確かに、それは化け物だ。俺には……いや普通の人間には、到底理解できない。
そのような化け物が君主の座にあったという事実が、なにより恐ろしいことではないか。
「それで私は、自分の身を守るため、『愚鈍の面』を被ることにした。父上は自分よりも劣る者のことは、まったく気にもかけなかったからな。それに王太子が無能であればあるほど、自分が実権を握る期間が長くなる。父上にとって、私は実に都合の良い世継ぎであったのだろう。もちろん、愚鈍を装うのは私にとっても利があった。なにしろ、その面を被っていれば、誰もが面白いくらい本心を見せるからな、敵と味方を判別しやすい。……そうして私はずっと、機を窺っていたのだ」
反撃の機会を。
そう言って、アルデルト王太子は静かに息を吐き出した。
俺は、ぴくりとも動かない、ラドバウト王の丸い背中を見つめた。
もはや王が事切れているのは誰の目にも明らかだ。こんなにも都合よく、心臓発作を起こすはずもない。あの苦しみ方、急死の理由は、おそらく毒だろう。
しかし、どうやって? 怪しいのは葡萄酒だが、栓は自分の目の前で開けさせたと言っていた。大体、酒に毒が入っていたのなら、勧められた俺も死んでいた可能性があった、ということだ。
「陛下はとにかく用心深いお方でしたからねえ。普段の食事に細工をするのも簡単ではない。その点、今日はよかったです。なにしろ陛下の注意は、おもに将軍のほうにばかり向けられていましたから。将軍が何をしてくるか判らない、と思うように仕向けたのは、まあ、僕たちなんですけど。仕込んであるのは、酒瓶のほうとは限らないということにも、頭が廻らなかったようで」
ヴィム氏がにこやかに言いながら歩いてきて、王の前に転がっていたグラスを手に取った。その代わりに、俺の席の前にあった、手のつけられていない酒の入ったグラスをことんと置く。
そして空のグラスを、なにげなくそのまま自分のポケットにしまった。
「…………」
──もしかしたら俺は今、大変に重要な、証拠隠滅の場面を目の当たりにしているのではなかろうか。
それは見なかったことにして、俺は改めて王太子のほうを向き直った。
「なぜ、今だったのです?」
なにも今でなくても、王を暗殺しようというなら他にも機会はあっただろうに。王太子が噛んでいるのならなおさら、本人はその場に居合わせないほうがよかったのではないか。
──それに、放っておいても王は死んでいた。俺が勝手に暴走して罪を背負うところを黙って見学していれば、なにより楽で安全だったはず。
俺の疑問に、王太子は肩を竦めた。
「ヴェルフ将軍、こちらは数年かけて、これだけの人間を用意するのがやっとだったのだよ」
その言葉に、周囲を見回す。
兵たちも、ラドバウト王の護衛をしていた青年も、その場から動くことなく、大人しく王太子の話に耳を傾けている。
なるほど、ここにいる全員が、計画のため、王太子によってひそかに王の許に送り込まれていた面子であるということか。
……なぜか、彼らの目がやけにキラキラ輝いて、俺のほうに集中して向けられているような気がする。
あまり見ないでおこう。
「本当は、事を起こすのはもう少し先にするつもりだったのだがね。ヴィムが、将軍はどういう行動に出るか判らない、先手を打つべきだと言い張って」
「だって、『無謀の第六軍』の将ですから。僕の言ったとおりになったでしょう、殿下?」
ヴィム氏はニコニコして、手柄を取ったかのように大威張りだ。
「ですから、なぜ……」
「王の首が、国軍の、それもよりによって将軍に討ち取られたなどということになったら、大騒ぎになるからだよ。ただでさえこれまでの悪政によって、このノーウェル国は荒れている。疲弊している人心を、これ以上血生臭い話で惑わせることはあるまい。新しい時代の幕開けは、せめて民の目には、希望と期待に満ちた、綺麗なものに映るようにしてやらねばならん」
「は──」
アルデルト王太子の言葉に、俺は恐れ入って頭を下げたが、
「そうしておかないと、次の王になる私が面倒じゃないか」
あっさり本音を出されて、そのままの姿勢で固まった。
「私は王になってからも、しばらくは『愚鈍』のフリを続けるつもりなんだ。そのほうが切り捨てる者たちの選別が簡単だしね」
なにか恐ろしいこともさらりと言っている。
俺は聞かなかったことにして無言を通したが、王太子は構わずににっこりした。
「──というわけで、私はなるべく支障なく滑らかに即位したい。厄介ごとも少ないほうがいい。が、こちらにはまだ手駒が少ない。私が自由に行動できない分、私の代わりに動いてくれる手足、私の代わりに見聞きしてくれる目と耳が必要なのだが、そのための貴重な人材である第六将軍を失いたくはなかった、というわけだ。間に合ってよかった」
「は?!」
俺はぎょっとした。
「いやー、ヒヤヒヤしましたよねえ」
と言いながら、ヴィム氏までがあははと呑気に笑っている。今までの俺の「関わりたくない」という全力の意志表明を、主従二人して完全に無視するつもりらしかった。
「ちょっと、お待ちを。俺──いや、私はもう、将軍ではありませんし、そもそも軍人でもありません」
慌てて抗弁したが、王太子とヴィム氏は二人同時に首を傾げた。
「なんのことかな? ヴィム」
「はて、なんのことやら」
「さっき、ラドバウト王が、私の辞職の申し出を受理したはずです」
「ぼんやりしていて、聞こえなかったなあ」
「やだな将軍、だから僕、言ったじゃないですか、殿下は立会人にはなれないと」
「私は陛下を弑逆しようとした罪人で──」
「心配するな、将軍は未遂、実行犯はこの私だ。そして私はもちろん、これを罪にするつもりはさらさらない。どこにも外傷はないし、血も流れていないのだから、父上は心臓の病で急死なさったのだ。太りすぎの上、暴飲暴食を続けていればさもありなんと、医師もそう診立てるだろう」
王城の侍医まで抱き込み済みなのか。
「とにかく、俺はもう、将軍職を続けるつもりは──」
結果がどうあれ、俺は王に剣を向けたのである。その時点で、国に忠誠を誓う軍人でいる資格を失った。ましてや将軍なんて、どの面下げて名乗れるだろう。
若干ムキになって言いかけた時、まったく別の方向から思わぬ横槍が入った。
「お待ちください、ヴェルフ将軍!」
声を上げたのは、ラドバウト王の護衛をしていた青年だった。
俺のすぐ近くに駆け寄ってきた彼に倣うように、他の兵たちもぞろぞろと集まって来る。
「どうか、将軍職に留まってください。僕……いや、私は、将軍の滑らかで素早い攻撃にすっかり見惚れてしまい、一歩も動けませんでした。あの無駄のない動き、あの尋常ではない速さ! 第一軍にはあんな軍人は一人もおりません。あのような卓越した技量を持った方が軍を去るなどもったいない……いいや、そのような損失、とても許せません! ぜひ将軍を続けて、我々後進の育成とご指導をお願いいたします!」
間近まで詰め寄って熱弁され、俺は一歩後ずさった。
見渡してみれば、その青年だけでなく、俺が剣を奪った兵までが、どこかうっとりとした表情で、頬を紅潮させてこちらを見つめている。怖い。
「いや……育成と指導って……君は第一軍所属だろう?」
「将軍が残ってくださるなら、第六軍に転属願を出します」
「そんな無茶な」
「もともと自分は、家柄重視の第一軍には疑問を持っていたのです。軍人とは自らの身体を張り、腕を磨いて、国と民を守るものではないですか! しかるにこの現状の、なんと情けないことか。強いものにへつらい、弱いものを踏みにじり、家柄自慢と派閥争いばかりで、日々の訓練もおろそかになっている第一軍は、果たして軍人といえましょうか。ならば私はヴェルフ将軍のような方のもとで、軍人の誇りを持ち続けていたいと考えます」
「──軍人の誇り?」
俺の問いに、青年はかつんと踵を鳴らしてまっすぐ立ち、こちらを見返した。
「民が穏やかな日常を過ごせること。普通の幸福を手に入れられること。誰もが当たり前のことを当たり前だと思える暮らしを送れるように、この国を守っていくのが、軍人としての誇りだと私は思っております」
「…………」
俺はしばらく黙って、偽りも衒いもないその顔を見つめた。
それから、悄然として肩を落とし、ふー、と大きなため息をつく。
自分もかつては、この青年とまったく同じことを思っていた。軍人を志したのもそれが理由だった。いつの間にか、すっかり見失ってしまっていたが。
それを綺麗事だと放り出すのは容易だし、現実はそんなものではないと教えてやるのも、あるいは親切というものかもしれない。
でも、と思い、俺は苦い顔になる。
……でも、そんなことは、言えないよなあ。
ここにいるのは過去の自分で、未来の自分でもあるかもしれないのだから。
リーフェ嬢のおかげで夢と希望を持つというのがどういうことか思い出した俺が、こんなことを言われて、自分だけが降りたと逃げ出すわけにはいかない。
これまでに何人もの仲間を犠牲にし、守るべきものを守りきれなかった。
それをもう繰り返したくないのなら、責任を負う覚悟を持たなければいけないのだ。
青年と兵たちは、眩しいほどに明るい瞳でこちらをじっと見つめている。
俺はつくづく、こういう目をした人間に弱い。
「そうですとも、将軍にはまだこれから、たくさんやることが残っているんですから」
ヴィム氏が軽い口調で言って、何かをひらひらと振って見せた。
あの紙……と思って、はっとする。
「それ──」
咄嗟に手を出したが、ヴィム氏はさっとそれを避けて、ニコニコした。
「さっき将軍、なんて仰いましたっけ。『あとからすぐにお供します』でしたっけ? もしかして、陛下を手にかけた後、自分も死ぬつもりだったとか?」
「…………」
「リーフェがそれを聞いたら、悲しむでしょうねえ。というか、激怒するでしょうねえ。将軍はご存知ないかもしれませんが、あの妹は怒ると怖いし、けっこう執念深くて、根に持つタイプなんですよ」
「…………」
それはわりと、知っている。
「うむ。これは口頭ではなく、書面だからな。聞かなかった、覚えがない、では通らないな。私が王になったらこのくだらない法律はすぐにでも撤廃するつもりだが、即位が済んでいない今は、まだ有効ということに……」
王太子は首を捻って、白々しく考え深げな顔をしてそう言った。
「…………」
俺はリーフェ嬢の顔を思い浮かべ、額を手で押さえた。
彼女には言えない。
あなたの兄とこの国の新しい王は、主従揃って少々クズで大ウソつきです、なんて……
「──新王にお願い申し上げます。なにとぞ、私レオ・ヴェルフに、このまま、第六将軍の責を担わせていただきたく……」
片膝をつき、頭を下げると、周囲から歓声が上がった。いやそれはまずいだろう。まがりなりにも現王が逝去したばかりだぞ。
「手のかかる妹ですが、これからもよろしくお願いしますね、ヴェルフ将軍」
笑顔のヴィム氏が、手にしていた用紙を渡してくれた。
俺はひとつため息をついてから、受け取った離婚承諾書をびりびりに破って捨てた。
***
それから起こった王城での大騒ぎをなんとか切り抜けて、俺が屋敷に帰り着いた時には、すでにとっぷりと日が暮れていた。
てっきり誰もおらず真っ暗だと思っていたその場所に、明かりが灯っていることに、まず驚いた。
俺はもうここに戻るつもりはなかったから、アリーダには、リーフェ嬢をメイネス家に帰した後は、お前たちも逃げろと言い含めておいたはずだ。だからこれからどうやってリーフェ嬢を迎えに行き、アリーダとロベルトを呼び戻すかな、と思案していたくらいだったのに。
いささか焦って玄関の扉を開けると、ホールには、その三人が雁首揃えて待ち構えていたものだから、また仰天した。しかも三人はそれぞれ、手に何か変なものを持ち、今にもこちらに飛びかかってきそうな形相をして蒼白になっている。
アリーダは箒、ロベルトは延し棒、リーフェ嬢に至っては、どういうわけかフライパンだ。
「……レオさま!」
アリーダとロベルトの前に立っていたリーフェ嬢が、こぼれんばかりに大きく目を瞠り、真っ先に叫ぶようにして名を呼んだ。
持っていたフライパンを放り出して、勢いよく駆けてくる。
飛び込むように抱きついてきたその細い身体を受け止めて、背中に腕を廻した。
「リー……」
「レオさま、レオさま! ご無事だったのですね!」
うわあんと声を上げて、リーフェ嬢が泣き出した。
それと同時に、アリーダとロベルトが、糸が切れたようにへなへなとその場に崩れ落ちてしゃがみ込んだ。
「リーフェ殿、これは一体……メイネス家に戻らなかったんですか」
「わたくし、いやだと申しました! レオさまが戻ってくるのを、絶対にここでお待ちすると!」
胸の中で泣きじゃくる彼女の背をぽんぽんと叩きながら、俺は顔を上げてアリーダとロベルトのほうを見た。
二人して俺のほうを見返し、「無理無理無理」というように手を振っている。疲れきった顔つきに、彼らの苦労がしのばれた。
そうか、それで二人もここに残って、精一杯リーフェ嬢を守ってくれようとしたのか……
リーフェ嬢はぐしゅぐしゅ鼻を鳴らしながら、涙をごしごしと拭った。
「もしも王城から迎えが来たら、やっつけてやるつもりだったのです」
「フライパンで?」
「お鍋のほうがよろしかったでしょうか」
「無茶なことを……」
本当に俺がラドバウト王の首を刎ねていたらと思うと、ぞっとする。
書類上では他人になっていても、この屋敷に残っていたら、リーフェ嬢も捕らわれていたかもしれないのだ。
早まったことをしなくてよかった、としみじみ思った。
……自分の決断が、決して最良の道だと思っていたわけではない。
ただ、あの時はどうしても、他の方法が思いつかなかった。
でもやっぱり、俺が選んだのは、あちこちに綻びが生じる歪なものだったのだろう。
マースが怒るのも当然だ。そんな「守り方」はきっと、間違っている。
俺は今まで何をしていたんだ。末端だからと諦めている場合ではなかったのに。
もっとちゃんとした強さと力を身につけないと、正解は永遠に手に入らない。
「あなたに何かあったら取り返しのつかないところだった。こういう時は、屋敷のことなんていいから、まず自分の身を守ることを念頭に……」
「いいえ、ダメです」
リーフェ嬢はきっとして顔を上げた。頬にたくさん涙の跡が残っているのが痛々しい。気づけば、彼女の身体はずっと小刻みに震え続けていた。
怖かっただろうに。
それでも、俺が戻るのを待っていたのか。
「だって、このお屋敷も、アリーダもロベルトもみんな含めて、レオさまの『帰る場所』なんですもの。妻のわたくしがそれを死守しないでどうします。──レオさまは、必ずここにお帰りになると、信じておりました」
「…………」
俺は口を閉じ、自分の腕の中にいるその人を見つめ直した。
──うん、本当に。
俺が帰るのは、ここだけ。
だから守るんだ。
それは簡単なようで、ひどく難しいことかもしれないけれど。
背中に廻した手に力を込めて、強く抱きしめる。小さな頭に自分の頬を寄せた。
「……流れている血がどんなものであろうと、あなたは俺にとって、なにより貴重な宝物です」
リーフェ嬢がぎゅっと俺の腕を掴み、眉を上げた顔でこちらを見上げた。
「……申し上げておきますけど、わたくし、怒っておりますのよ、レオさま」
「すみません」
「わたくしをメイネスの家にお戻しになるつもりだったのでしょう。一緒に逃げましょうって、言ったくせに。朝だって、黙って出ておいきになって」
「申し訳ない」
「わたくし、何が何でもここに居座ってやるつもりだって、最初の時にちゃんとそう言いました。レオさまが浮気をしても、何人も愛人を作っても、絶対戦おうって決めておりましたのに」
「そんなことはしません」
「ウソつきは、兄だけで十分です」
「誓って、もう二度と嘘はつきません。今回のお詫びに、何か贈り物をさせてください」
「また、食べ物で釣ろうとなさっているのでしょう」
「ケーキと豚とゼリーのどれにします?」
「なぜその三択なのですか」
不服そうな声に被さるように、ぐきゅるるる、と腹の鳴る音が聞こえた。
リーフェ嬢が赤くなる。俺はぷっと噴き出した。どうやら今まで、何も食べずにいたらしい。いや、それを言うなら、俺もか。
彼女にとっても、俺にとっても、今日は大変な一日だったのだ。
顔を上げると、いつの間にか、アリーダもロベルトもそこからいなくなっていた。気を利かせたのかもしれないが、今頃はきっと厨房で、何か食べるものをせっせとこしらえてくれているだろう。
これから四人で一緒に食卓を囲もう。
今日の糧と、明日も訪れる平穏と、愛しい人たちがいる幸福に感謝して。
この奇跡のような日常を続けていくために。
「……ただいま」
そう言って、俺はリーフェ嬢に優しく口づけた。
次回、エピローグ。