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翌朝になって俺が起きた時、リーフェ嬢はまだベッドの中ですやすやと安らかに眠っていた。
目を閉じて寝息を零している姿は、起きている時よりもずっと無防備で、幼く見える。
思わず、笑みが漏れた。
昨日は疲れたのだろうし、おまけに夜あれだけ満腹になったのだから、目が覚めないのも無理はない。
俺は極力音を立てないように静かに着替えを済ませて、そっと寝室を出た。
「おはようございます、お坊ちゃん」
食堂に行くと、アリーダが待ち構えていた。
「おはよう」
「奥方様は、まだお眠りで?」
「うん。起こさなくていいから、そのまま目が覚めるまで寝させておいてやってくれ」
「もちろん心得ております。お疲れのことでございましょうから」
真顔で頷くアリーダを見て、「お疲れ」の言葉の中にいろいろと微妙な意味が含まれていることに気づいたが、俺は知らん顔をした。
人からすれば、リーフェ嬢は昨日初夜を終えたばかりの初々しい花嫁、ということになっているのだろう。彼女は中身はともかく外見はどこからどう見ても頼りなさげなか弱い乙女なので、アリーダの中には、さぞ大変だったはず、という同情も大いにあるに違いない。
しばらく彼女とそういう関係になるつもりがないのは昨夜決意した通りだが、俺はそれを誰かにわざわざ知らせるつもりはなかった。
おかしな誤解が生じて、リーフェ嬢に要らぬ恥をかかせるようなことになったら困る。
俺の中でのリーフェ嬢は、未だ、「大事な客人」という扱いのままになっている。
とにかく彼女が不便を感じないように、丁重に遇すればいいのだろう、と。
……「結婚する」ということの意味が、俺にはまだあまりピンときていなかった。
食事を済ませてからきっちりと身支度を整え、さて出かけるかという時になって、目が覚めたらしいリーフェ嬢が、バタバタと小走りでホールまでやって来た。
「レオさま、申し訳ございません! わたくしったら、すっかり寝過ごしてしまって……!」
「構いませんよ。俺のことは気にせずに、もっとゆっくりされていてもよかったのに」
「そういうわけにはいきません!」
リーフェ嬢がムキになったように唇を曲げる。
昨夜たらふく食事を詰め込んだせいか、頬がずいぶん血色良くなっていて安心した。
空腹で目を廻して倒れた時は、暗くても判るくらい、白い顔をしていたからな。
「せっかく妻らしいことが出来る最初の機会でしたのに! 絶対レオさまよりも早く目を覚まして、『お寝坊ですね、起きてくださいまし』って声をかける予定でしたのに! 計画の第一歩目から台無しです!」
「計画?」
首を傾げてから、思い出した。
ああ、俺をメロメロにするという、アレですか……
夫を起こすのってそんなに重要な儀式かな、と俺は疑問に思った。どちらかというと、ぐっすり寝入っている妻の顔を眺めるほうがメ……いや。
「明日こそ早起きして、レオさまが起きるまで待機しています!」
地団駄を踏むようにして悔しがるリーフェ嬢に、アリーダは唖然として口を半開きにしている。
アリーダはアリーダで、「高貴なイアルの血を引く令嬢」に対する緊張や警戒心があったのだろうが、とりあえずそういったものはどこかに飛んで行ってしまったらしい。
アリーダの視線が、さりげなくリーフェ嬢の全身を滑るように動く。それで何かを感じ取ったのか、少し難しい表情になった。
リーフェ嬢が着ている服は、もともとの質は良いのかもしれないが、ちょっと年数の経過を思わせるものだ。そういったことにまったく疎い俺でさえ、型が古いな、と気づくほどに。
アリーダはそういう点、非常に賢く気の廻るベテランなので、リーフェ嬢を傷つけないように、上手いこと新しい服を用意するための手立てを考えてくれるだろう。
「リーフェ殿、ここにいるのがメイドのアリーダです。この家のことは、彼女が隅から隅までなんでも把握していますので、安心して頼ってください。アリーダの他には、料理人のロベルトがいます。昨日のように特別な行事でもあれば臨時に人を雇ったりしますが、平時はこの二人しかいません。母は早くに亡くなりましたし、父は今は田舎の領地にいますから」
父も俺と同じく軍人だったのだが、数年前に足を悪くしたため退役し、領地に引っ込んだ。
なにしろ遠いため、急に決まったこの結婚に、こちらへ呼ぶこともままならなかったのだが、手紙では知らせておいたから、事情は汲んでくれるだろう。
「もしもご不便なら、もう一人メイドを雇いましょうか」
「いいえ、とんでもない。十分です」
リーフェ嬢が朗らかに言ってくれたので、俺は内心で胸を撫で下ろした。
将軍となって多少入ってくる金が増えはしたが、それがいつまで続くかはさっぱり予測できない。抱えられるかどうか判らない使用人を増やすことは、なるべく避けたかった。
それほどに、俺の立場は不安定だ。
──リーフェ嬢にも、そこをちゃんと説明しておくべきだろうか。
とはいえ、朝の慌ただしい時間帯に、そんなことを考えていてもしょうがない。その案件は後に廻すことにして、俺は玄関扉の取っ手に手をかけた。
「では、なるべく早く帰るようにします」
「いってらっしゃいまし、お……旦那様」
妻となった女性の手前ということを配慮してか、アリーダはいつもの「お坊ちゃん」を、使い慣れない呼称に変えて、頭を下げた。
リーフェ嬢が、そのアリーダと俺をきょろきょろと見比べてから、こちらを向き、にっこり笑う。
「いってらっしゃいませ、旦那さま」
「……いってきます」
俺は生真面目な顔を保ってそう返したが、実のところ、自分でもびっくりするくらい、照れ臭かった。
***
将軍になる以前の俺の勤務先は、第六軍拠点だった。
兵舎や厩舎や訓練場などがある施設である。新人の頃はよくそこで寝泊まりもしていた。狭くてむさ苦しく、男ばかりの汗臭いところだったが、あれはあれで楽しかった。
拠点は第一軍が最も王城に近く、そこから第二、第三と下がるにつれて距離も離れていくから、いちばん下の第六軍拠点なんて王城からはずっと遠い。それもあって、隊長をしていた時でさえ、俺は滅多に王城に出入りすることがないくらいだった。
それが、将軍になって、俺の行き先は王城に変わった。
そこに、第一から第六までの将軍の各執務室があるからだ。
将軍なんて、名前だけは大きくても、要するに雑用係なのではないかという気がする。書類仕事ばかりで、訓練にも入れてもらえない。演習などがあっても、将軍はご見学を、と椅子に追いやられてしまう。本気でつまらない。
隊長時代はよかった……と思いながら王城に出向くと、すぐに陛下のもとへ参上せよとのお達しがあって、さらに気が滅入った。
どうせ行かなくてはならないと思ってはいたが、こんな朝一番から呼び出されるとは。ラドバウト王は、待つのが嫌いで、非常に短気な性格であることもよく知られている。
はあー、とため息をつきながら、王の許へと向かった。
「第六将軍レオ・ヴェルフ、お召しにより、参上いたしました」
片膝をついて胸に手を当て、頭を下げる。
室内には、多すぎるほどの警護が立って、俺の一挙一動を監視するように目を光らせていた。俺に限ったことではなく、ラドバウト王は誰に対しても用心深いのである。
将軍といえど、王の前に出る時は、帯剣も許されていない。
段上の玉座にどっしりと座る王は、ふんと鼻息のような返事をしてから、
「──で、どうであった、そなたの花嫁は」
と、いきなり切り込んできた。
その不躾すぎる問いに、俺はため息を押し殺し、口を開いた。
「は、陛下より格別の配慮を賜り、このたびは……」
「そんなことはどうでもよいわ。顔を上げよ、第六将軍」
俺の言葉を性急に遮って、少し苛ついたように命令する。
無表情のまま顔を上げると、大きな玉座が小さく見えるほどにでっぷりと贅肉のついたラドバウト王が、鬱陶しそうに片手を振っていた。
「余が特別に計らってやった結婚であるぞ。無論、感謝しておるであろうな?」
「……もちろんです、陛下」
「そうだろうとも、なにしろ相手はあの『イアルの血筋』なのだからな。そなたのように下の身分では、到底考えられない縁組であろうが。下賤の者の血と混じってしまっては、もはやイアルの血の意味は失せた。いつまでもイアル王朝の名を大事に掲げておった連中は、今頃歯軋りして、そなたのことを恨んでおるだろうよ!」
「…………」
王が立てる甲高い笑い声に、俺は黙って目を伏せた。
暴君と名高いラドバウト王は、自分が多くの人間から非難されていることも、憎まれていることも知っている。
だからこそ、とうの昔に途絶えた王朝を、未だに追慕し、讃えようとする勢力があることが許せないのだろう。人間というものは、自分が嫌われれば嫌われるほど、他の何かが愛されることが勘弁ならなくなるらしい。
「将軍になったからには、そなたにもその地位に見合った妻を持たせてやらねばな」
──という王の一言から始まった今回の結婚話は、辞職に追い込んだ前将軍が推した新しい将軍への皮肉であり、牽制であり、同時に、目障りでならない「イアルの血筋」への報復でもあったのだ。
高貴で希少なイアルの血を貶めてやろうという王の企てに、身分が低い末端の将軍は、うってつけの人材に見えたのだろう。
「それで、どうだ。そなたの花嫁は、噂通りの人物であったのか」
興味津々に乗り出して訊ねる王の顔には、下世話な好奇心が乗っている。花嫁についての噂とは、化け物のような容姿で頭のほうにも問題あり、という例のやつだ。
もちろん王は、それを聞いていたからこそ、俺の花嫁として彼女を選んだのである。
「は……」
俺はちょっと言葉に詰まった。
ここで本当のことを言う必要はないが、だからと言って、その通りでしたと肯定するのも気が引ける。王に対してではなく、リーフェ嬢に対して。
「少し……私の想像を超えるところがある方でして……戸惑うことも多くございましたが」
考えながらそう告げた俺の言葉をどう解釈したのか、王は機嫌良さそうに大笑いした。
「そうかそうか! 想像を超えるほどの醜女であったか! それはさぞ、そなたも戸惑ったことであろうよ! よいか、第六将軍、どれほど化け物じみた妻であっても、しっかり夜の務めは果たせよ! ものが役に立ちそうになければ、顔に面でも被せておけばよいわ!」
笑いながら、下品なことを言う。俺は畏まったように顔を下げ、うんざりした表情を隠した。
「どうにも我慢ならなくなったら、そなたも妾の一人や二人持てばいい。なんなら、余の妾をくれてやってもいいぞ」
「──お気持ちだけで。私のような者は、身分不相応な妻を一人賜っただけで十分です」
ラドバウト王には、妾が数多くいるが、いずれも短期間で入れ替わる。
飽きてしまって臣下に下げ渡される、のはまだマシなほうで、ぽんと捨てられたり、心を病んだり、死んでしまったりすることも多い。
彼女たちは表向きには病死とされているが、閨における王の特殊な性癖で半死半生にされ衰弱した、または、あまりの暴虐と屈辱的な扱いに自ら死を選んだ、という話もひそかに囁かれている。
妾にするのは未婚既婚問わずなので、無理やり王に別れさせられた元妻が、廃人になって夫のもとに戻された、などという痛ましい話までがあるくらいだ。
想像しただけでぞっとする、とマースが言っていたのも当然のことなのだった。
そんなことを頭に浮かべながら断りの言葉を出すと、王はまた笑った。
「であろうとも。よいか第六将軍、イアルの血を引く妻を、せいぜい大事にしてやることだ」
「──ありがたきお言葉」
俺は一本調子の声で礼を述べ、もう一度頭を下げた。
それから王はしばらく卑猥な言葉を出して俺をからかっていたようだが、聞き流していたのであまりよく覚えていない。「は」と「そのような」という返事を繰り返していたらあちらもつまらなくなったらしく、俺はようやく息苦しいその場から解放された。
執務室に戻ってから、思いきり机を蹴飛ばしてやった。
***
「おかえりなさいませ!」
屋敷に帰ると、リーフェ嬢が元気に出迎えてくれた。
今度は「旦那さま」がついていなかったので、ホッとする。毎回あんな風に呼ばれては心臓がもたない。これからは名前で統一してもらおう。
「ただいま帰りました。なにか変わったことはありませんでしたか」
「はい」
にこにこしながらリーフェ嬢は返事をしたが、口許が今にも喋りたそうにむずむず動いている。「変わったこと」はなくても、話をしたいことはある、ということらしい。
着替えを済ませてから、彼女を促して食堂に向かった。
テーブルの上には、すでにちゃんと夕食が整っている。普段よりも少し華やかなのは、料理人のロベルトが張り切ってくれたのだろう。リーフェ嬢は、ものすごく嬉しそうな顔で並べられた食事に見惚れていた。
「あのね、レオさま」
そして着席した途端、意気込んで話しはじめた。
「はい」
「今日ね、昼食の後で、お菓子を出していただいたんです」
「お菓子?」
「カップケーキです。これくらいの、小さくて、丸くて、とっても可愛いんです! こんがり焼いたきつね色のケーキの上に、あまーいクリームがとろりとかかっているのです。その上に鮮やかな色のゼリーがちょこんと乗っておりまして、ほんとうに食べるのがもったいないくらいでしたのよ!」
若い女性ということで、ロベルトも気を遣っているらしい。
リーフェ嬢の興奮ぶりに、ついこちらも頬が緩んでしまう。
「美味しかったですか」
訊ねると、こくこくと何度も頷いた。
金の瞳がキラキラ輝いて、眩しいほどだ。
──俺も軍人になりたての頃は、こういう目をして未来を語っていたのかな、とふと思った。
「それがもう、天にも昇る心地でした。昼食も美味しかったのですけど、お菓子はさらに美味しかったです! 実家ではそういうものに縁がありませんでしたし、偶然どこかから頂いても、母に禁止されていたのです、虫歯になるからって! でもレオさま、あれは一本二本歯を犠牲にするくらいの価値はありますわ。お菓子は悪魔の食べ物だなんて教わりましたけれど、こんなにも美味しいものが毎日食べられるなら、わたくし悪魔に魂を売ってもいいかなと思いました」
いくらなんでも大げさだ。
笑いながらふと見ると、食堂の入り口でロベルトがコック帽を両手で握りしめ、さかんに恐縮して赤くなっていた。
父の代からいる料理人だが、彼がそんな顔をするのを、俺ははじめて見た。
「あ、でも」
突然、リーフェ嬢がしゅんとする。途端に、食堂の明かりが翳った気がした。
「どうしました?」
「わたくし、うっかりして、出されたケーキをぜんぶ食べてしまったのです。こんなに美味しいもの、レオさまにもぜひ召し上がっていただかなくてはと思ったのに、気がついたらお皿が空っぽになっていました。申し訳ございません」
肩を落としてしょんぼりと謝っている。どうやら真面目に言っているらしいので、俺も噴き出すのを我慢した。
「構いませんよ。ロベルトはあなたのために用意したのでしょうから。それに、俺は甘いものが苦手なんです」
「まあ、それはお気の毒に」
しみじみと憐れまれた。甘いものが苦手というのは、彼女にとってとんでもない人生の損失であるようだ。
「そこまで喜んでもらえたら、ロベルトも嬉しいでしょう。俺は何を出されても、いつもただ黙って食べるだけなので」
「あら、それを言うなら……」
リーフェ嬢はぱちぱちと瞬きして、おもむろに食堂の中をぐるりと見回した。
また俺のほうに顔を戻して、ふふふと笑う。
今度は何を思いついたのか知らないが、本当に見ていて飽きない人だな、と俺は感心するように思った。
「あのね、レオさま」
この言葉が新しい話の始まる合図になっているらしい。
「──こう申してはなんですけれど、メイネスのお屋敷はとても広いのです」
それはそうだろう。内実はどうあれ、イアルの血を引くメイネス家の伝統と格式は、俺の家など比較にならないほどに立派なものだ。所持する屋敷はそのまま家格を示し、何代にも渡って受け継がれる。
「でしょうね」
「広いばかりで、とても古くて、修繕も何もされないものですから、あちこちガタついておりましたけれど。食堂も広くて、長辺が部屋の幅ほどあるような、こーんなに長いテーブルが、真ん中にどんと置いてありました」
こーんなに、と言いながら、リーフェ嬢が両腕を広げてみせる。
「ああ……」
俺は頷いた。架台式のテーブルのことだ。昨日の宴でも借りてきて使った、大人数が余裕で座れる長方形のテーブルは、上流階級ではよく見られるものである。
しかし、客も少ない小さな屋敷には、そんなものは必要がない。従って我が家の食堂にあるのは小さな丸テーブル、椅子に至っては四脚しかない。
今のリーフェ嬢は、俺が少し手を伸ばせば触れられるくらい近くに座っている。
「その大変に長いテーブルに、家族四人が離れて座るのです。父がいちばん前、母と兄が真ん中、わたくしがいちばん後ろ、というように。端と端では距離が開きすぎて、わたくし、父の顔もよく見えませんでしたわ。テーブルの上には立派な燭台があったのですけれど、明かりはそれだけだったものですから薄暗くて、余計に。そんなに遠いと、お互いに会話をするためには、大きな声を出さなくては聞こえませんでしょう?『今日はお天気が良くてなによりでした』ということを伝えるだけでも、気合を入れて声を出さなくてはならないので、疲れてしまうくらいでした。肝心の食事は固いパンだけだというのに、お腹に力なんて入りませんわ。そう思われません?」
長いテーブルの端から、リーフェ嬢が口に手を当てて、父親に「今日は良い天気でしたね」と叫んでいるところを想像したら、ついぷっと噴き出してしまった。
笑ってから、いやこれは笑うところじゃなかったと気づき、慌てて、「すみません」と謝る。
リーフェ嬢は静かに微笑んだ。
「いいえ、笑ってくださってよかったです。実際には、わたくしずっと、とっても惨めだったんですもの。広い食堂、立派なテーブル、でも、なんの会話もない、暗くて静かで貧しい食事でした。ひんやりとしたパンを、お行儀よく小さくちぎりながら口に運ぶだけ。お腹はとても空いていて、パンが食べられるだけでもいいと思わなくてはならないのに、ちっとも味がしなくて、泣けてしまいそうでした。家族はそこにいるはずなのに、父や母がどんな表情をしているのか、何をどう思っているのかもよく判らないのです。わたくしはずっと独りぼっちでいるような気がして、悲しくてたまりませんでした。……でも、それが今は笑い話になったのなら、気が楽になります」
目を伏せながら淡々と紡がれる声には、あまり感情が乗っていなかった。だからこそ余計に、胸が締めつけられるような気がした。
幼い頃に母親が亡くなり、父親は仕事で不在なことが多く、俺もずっと一人で食事をしてきたから、寂しい食卓の寒々しさ、味気なさはよく判る。
軍人になってから兵舎での騒々しい食事を経験して、誰かと会話を交わしながらする食事はずいぶん旨く感じると思ったものだ。
──育った場所や環境がまったく違っても、判り合えることもある、ということか。
「リーフェ殿」
「はい?」
「……仕事でどうしても無理なこともあるかもしれませんが、これからは出来るだけ食事は一緒にしましょう。朝も、夜も」
俺がそう言うと、リーフェ嬢は花がほころぶように笑った。
「とても嬉しいです、レオさま。……わたくし思うのですけど、たとえ固いパンひとつでも、こうしてすぐ近くでお顔を見て、お喋りしながら笑い合って食べたなら、それはどんなご馳走にも勝るのかもしれませんね?」
「だったら試してみましょうか。明日はロベルトに言って固いパンをひとつ……」
「いやです」
笑顔のままきっぱり拒絶されて、俺はまた噴き出した。温かいスープを運んできたロベルトも、必死に笑いだすのをこらえている。
この屋敷の中がこんなにも明るくなったのは、いつ以来だったっけ。
「それで、あのね、レオさま」
「はい、なんでしょう」
彼女のその言葉を耳にするたび、なんとなく胸が上擦ってくるのを自覚した。
王城でのモヤついた気持ちは、いつの間にか自分の中から綺麗に消えてなくなっていた。
誰かと生活を共にするということは、相手の話に耳を傾けるために共有する時間が必要不可欠なのだということを、俺は胸に刻んだ。