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前編)ヴェルフ将軍の助言、あるいは惚気

*こちらは以前「オマケの詰め合わせ」に置いてあったものです。



「縁談、ですか」

 目を瞬いて俺が訊ねると、アルデルト王は「ふん」なのか「うん」なのか、どちらとも判別つけがたい声で答えて頷いた。

「それはまた……ずいぶん急なお話で」

 少しばかり困惑しながらそう返事をして、いやこの言い方も何かおかしいなと首を傾げた。


 アルデルト王は現在二十五歳。王族であればもうとっくに伴侶を得ているか、それでなくともすでに決まった婚約者がいるはずの年齢である。

 妻どころか婚約者も、その候補となる女性さえ存在していないという、今の状況こそが異常なことなのだ。


「ヴェルフ将軍もそう思うだろう。まったくこの忙しい時に何が縁談だ、迷惑極まりない。なあ?」


 ここはまず臣下として「おめでとうございます」という言葉を出すのが適切だったかと考える俺の内心を吹っ飛ばすように、王は憤然と鼻息を吐き、椅子から身を乗り出して同意を求めてきた。ますます返答に迷う。

「しかし実際、避けては通れない問題でもありますし」

「それにしたって、まだ先王が死んで三月も経っておらんのだぞ。しかも死に方が死に方だっただけに、王城中どこもかしこもバタバタと浮足立っている状態だ。将軍も今は休む間もないほどあちこちを駆けずり回っているのだろう」


 まるで他人事のような顔をしているが、前君主ラドバウト王の急死には、ここにいるアルデルト王も深く関わっている。

 しかし、臣下だからという理由だけでなく、その件には口出しできない立場の俺も、素知らぬ振りで「おいたわしいことですね」という沈痛な表情を作ってみせるしかない。

 ここはアルデルト王と第六将軍の俺、そして王の近侍であるヴィム氏という、いわば「関係者」だけの内輪の場とはいえ、この王城内にはどこに誰の目や耳があるか判らないからだ。


「いろいろと雑務に追われておりまして、余分なことに費やす時間がとれません」

「そうだろうとも」

「ですから陛下、この書類に早くサインを」

「私だって即位して間もないのだぞ。この多忙な時期に結婚を勧めてくるとは、相手の神経を疑ってしまうよな。そう思わんか」

「…………」


 はー、と大きなため息をついて、俺はアルデルト王に向けて差し出していた書類の束を下ろした。

 王がさらっとサインをしてくれればこの仕事はあっという間に片付くのだが、逆に言えばサインを貰えなければ永遠に終わらない、ということである。アルデルト王はどうしてもこの愚痴を俺に聞かせなければ気が済まないようだし、ここは諦めて大人しく拝聴するしかないと腹を括った。


 俺だって、今日こそは早めに帰宅したいのだ。最近は忙しすぎて、リーフェとゆっくり話をする時間もない。


「このタイミングでいらしたご自分の不運さを恨むしかありませんよ、将軍。なにしろ陛下はずっとこの件で誰かに鬱憤をぶつけたくてしょうがなかったんですから」

 アルデルト王が座る椅子の傍らに立つヴィム氏が、慰めるというよりは面白がるような口調でそう言った。最愛の妻と似た面差しをしている義理の兄だが、こちらのニコニコ顔はちっとも俺に安寧をもたらさない。

「その通りだ。なにしろ私はまだ表では愚鈍の仮面を被っているからな。こうして本音を晒せる相手はごく限られているのだよ」

「数は少なくても、陛下には信の置ける側近の方々がいらっしゃるでしょう」

「あいつらもやることに追われていて、私の話をあまり聞いてくれん」

「私も先ほどそれとまったく同じことを申し上げました」

「その縁談の相手というのがな、将軍」

 アルデルト王は「あまり」どころか「まったく」俺の話を聞く気がないらしかった。側に召される頻度が高いということで、王城内には「第六将軍が王に取り入った」と陰口を叩く輩が多くいるそうだが、実態は大体いつもこんな感じである。

 仕方なく、はいはいと相槌を打ち、俺は王の話に耳を傾けた。


 聞けば、縁談相手は隣国の王女であるという。

 暴虐で悪辣な性質だった先王の治世時、このノーウェル国は周辺国との関係も決して良くはなかった。隣国は大国というわけではないが、王女を迎えて友好を結べるというのなら、悪い話ではない。


「おめでとうございます、陛下」

「待て、話をとっとと終わらせようとしているな? 将軍が考えるほど、この話は良いものではないぞ。『暗愚』とされていた先王が死に、『愚鈍』と称される王太子が即位した途端、持ち込まれた縁談だ。あちらは花嫁という刺客を私のもとに送り込み、機会さえあれば寝首をかいて、このノーウェル国を併呑しようという腹積もりに決まっている」

「緊張感溢れる新婚生活になりそうですねえ」

 楽しそうに言うヴィム氏を、アルデルト王は忌々しげに見やった。

「では、お断りしたら」

「それができたら、とっくに断っている。先王のおかげで隣国とは今、微妙な関係だからな。なるべくあちらを刺激するようなことはしたくない。隣国と手を結んだと思わせれば、他国への牽制になるというのも間違いではない」


 だったら、結論はひとつだ。時間稼ぎくらいはできるにしろ、いずれアルデルト王はこの話を受けるしかない。つまり隣国の思惑に乗らねばならないわけで、だからこその愚痴なのだろう。


「今から国内の令嬢をどなたか見繕って、内々に婚約が決まっていたので受けられない、ということにしてはいかがですか。陛下のお齢でしたら普通のことでしょう。というより、これまでどこからもそういうお話はなかったのですか」

「あったにはあったが……」

 アルデルト王は苦々しい表情になった。

「王太子の婚約者にという打診をすると、どの女性も急に原因不明の病気にかかったり、領地に引きこもったり、他国に行ってしまったりするそうでな」

「ははあ……」

 上流貴族の間では、王太子の「愚鈍」は有名だったらしい。自分の身を守るためとはいえ、アルデルト王も少々やりすぎていたのではないか。

「そもそも、先王がその話に積極的ではなかった。見かねた家臣が無理やり話をまとめようとすると、何かと難癖をつけて潰していたということだ。私が結婚して、優秀な子が生まれてしまったら、その子を掲げて反旗を翻す動きが出ないとも限らない。自分にとっての脅威になりかねないと思ったのだろうな」


 ラドバウト王は、自分が好き勝手できる治世が長く続けば、その後のことは真実どうでもいいと思っていたのだ。

 後継者が得られず王朝が絶えても、混乱が起こっても、民が困窮しても、国が滅びても。

 あれだけたくさんの愛人がいたのに、残った子どもが唯一アルデルト王だけという事実についても、嫌な想像をしようと思えばいくらでもできる。

 改めて、思う。



 ──アルデルト王の決断は、間違ってはいなかった。



「私はまだしばらく愚鈍王のままでいるつもりだから、その策に乗ってくれるような女性を見つけるのは困難だろうな」

 先王が亡くなっても、家臣の前にあまり姿を現さない弱気で臆病で幼子のような君主を演じ続けているのは、反乱分子になりそうな者を今のうちになるべく多く炙りだすためであるらしい。

 現在のアルデルト王に対して、忠言も叱責もせずに、やたらと持ち上げたりおもねったりしてくるような人間は、あわよくば王を傀儡として操ろうという下心や欲望がよく見える、という。


「独身を通していたばかりに、自分の意志とは関わりなく、妻になる女性を強引に押しつけられることになるわけですか……」

 ぼそりと呟いて、しみじみした。

 ──俺も少し前、これとまったく同じことを言われて、マースに不憫がられていたっけなあ。

 たぶん、あの時の俺も、今目の前にいるアルデルト王と同じ顔をしていたのだろう。断れないと承知してはいても、生涯の伴侶のことだ、簡単に呑み下せるものではない。わかる。


「まあ半分は自業自得なので、こうなったら潔く、隣国の王女をお迎えするしかありませんよ」

 ニコニコしているのは変わらないが、先程までの面白がるようなものよりもずっと柔らかくなった口調で、ヴィム氏が言った。

 アルデルト王が唇を曲げてそちらを見る。

「人のことだと思って……おまえも独り身なのだから、いずれ私と同じ目に遭うぞ」

「没落した貴族の家に嫁いでくれる人なら、僕は大歓迎ですよ。実家がお金持ちなら、なおいいです」

 後半の台詞が余計だ。

「それに僕は、あまり女性には不自由したことがないんです」

 陛下と違って、とおそらく内心で付け加えられただろう言葉が聞こえたかのように、アルデルト王は小さく舌打ちした。この主従は、時々友人同士のようにも見える。実際、そういう側面もあるのかもしれないが。

 ヴィム氏は俺を向いてにっこりした。

「ほら、なにしろ僕って、いかにも儚げな容姿をしているでしょう?」

「はあ……儚げ」

 俺も最初、リーフェに対してそう思った。イアルの血筋の特徴なのか、それともあまり栄養状態のよくない環境で育ったためか、この兄妹は確かにほっそりとして頼りなげだ。外見だけは。

「憂いを帯びた顔で窓の外を眺めていたりすると、女性のほうからわらわら寄ってくるんですよね。彼女たちの庇護欲をそそるんでしょうかねえ」

「庇護欲……」

 その憂い顔で考えていることは、どうせ食べ物のことなのだろうになあ。

「なにしろ我が家は貧しいので、ほんのちょっと悲しげに苦境を訴えれば、慈愛溢れる女性たちが洋服とか装飾品とか美味しいものとかを競うようにして善意で贈ってくれるのです。僕はそれをいつも、ありがたく受け取るようにしています。あちらは人助けができて気分が良くなり、僕の懐も温まる。双方満足でめでたいことだと思いませんか」

「……善意」

 クズの言い分にしか聞こえないのは、俺の気のせいか。

「オウムになっている場合ではないぞ、ヴェルフ将軍。女心を利用するヴィムが人妻や若い娘に背中からナイフで刺されても大した問題ではないが、この国の王たる私が自分の妻に刺されては笑い話にもならんということなのだ」

「…………」

 俺は少し黙って考えた。もちろんそれが笑い話でないことは理解している。

 なにより、アルデルト王は、このノーウェル国にとってなくてはならない人物だ。


「──では、どうされますか、陛下」


 俺は改めて姿勢を正し、まっすぐアルデルト王に視線を向けた。

 表情も声も一変して真面目なものになった俺を見て、王は一瞬渋い顔になったが、すぐさまそれを消し去って、こちらも真顔で俺を見返した。

 長い間、仮面の下で研いでいた牙は鋭い。アルデルト王も、するべきことはもうとっくに判っているはずだ。


「ヴィム、隣国に使者を出し、現在は多忙のためその話を進めるのはパレードの後にするよう、あちらの王に伝えよ。ヴェルフ将軍はそれまでの間に、第六軍を使って秘密裏に隣国の情報を集められるだけ集めよ。貴族平民問わず、使えるものは何でも使え。ことによっては、軍の体系を大幅に変えるという計画を早めねばならん。いいか、これはまだ極秘事項だぞ、二人とも慎重に動け」


「御意」

 厳しい声で出された命令に、俺とヴィム氏は揃って返事をし、頭を下げた。

 アルデルト王は口を閉じてから、少し憂鬱そうに短い息を吐きだした。



          ***



 久しぶりに夕食の時間に間に合った俺を出迎え、リーフェは大喜びした。

「すみません。最近ずっと一人で食事をさせてしまって」

「いいえ、レオさまがお忙しかったのは、よく判っておりますもの。それに朝食は必ずご一緒にしてくれましたし」

 それでも、にこにこと今にも笑み崩れんばかりの彼女の表情は、これまで寂しい思いをさせていたことをなにより雄弁に語っているように思える。アリーダとロベルト、それに豚のマルリースが話し相手になってくれるといっても、やっぱりそれだけでは埋められないものがあるのだろう。

 絶対に明日も早く帰ろう、と決意した。


 こうして彼女と食卓を囲むと、いつもの場所に戻ってこられたように思えて、俺もほっとする。


 リーフェは食事をしながら、最近あった出来事を次から次へと楽しそうに話していたが、ふと気づいたように手と口を止め、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

「わたくし、つい調子に乗ってお喋りしてしまって……レオさま、このところの激務で、お疲れなのではありません? 今日は早くお休みになったほうが」

「いや、そんなことはありませんよ。そうだな……隊長時代とは別の種類の疲労感は確かにありますが」

「でしたら、やっぱり」

「でもね」

 少し慌てるリーフェの言葉を遮り、微笑む。

「あなたが笑って、いろいろと話をしてくれるのを聞いているととても安らかな気持ちになって、その疲れも吹っ飛びます。最近はリーフェが元気よく食べる姿があまり見られなくて、俺も寂しかったんですよ」

 リーフェは「まあ」と小さく呟き、頬を赤く染めて俯いた。その顔を見たら俺も少し恥ずかしくなってきて、あらぬ方向に目を逸らした。束の間落ちる静寂がなんともいたたまれず、急いで話題を探す。

「その、今さらなんですけど」

 それが口をついて出てきたのは、昼間から自分の頭の片隅にずっと残っていたからだ。


「──リーフェは、俺との結婚話が出た時、不安ではありませんでしたか」


 その問いに、リーフェはきょとんとして顔を上げた。いきなり出された話が半年も前のことで、驚いたのだろう。

「いや、ちょっとその、知り合いに縁談が舞い込みましてね。そのお相手が今までにまったく面識のない女性ということで、戸惑っているようだったもので」

 まさかアルデルト王の名を出せるわけがないので、適当に濁しておく。

「一度も顔を見たこともなく、どんな性格なのかもまるで判らない相手と結婚し、同じ家で暮らして、これから一生を共にしていかなければならないわけです。貴族の間では別に珍しいことではありませんが、不安や懸念があって当然です。ましてや俺たちの場合、少々特殊な事情もありましたし……話が来てから、あれこれ悩んだり、つらい思いもしたんじゃありませんか」


 あらゆる意味で俺の想像を超えた言動をする花嫁だったのでつい忘れそうになるが、リーフェはほとんど世間を知らない、正真正銘の箱入り娘だったのである。

 見たことのない男との結婚を唐突に決められた時には、きっと胸が潰れるような思いをしただろう。


「それはもちろん、不安はございました」

 リーフェはあっさりと認めた。

「ヴェルフ将軍というのはどのようなお方なのか、あれこれ空想してドキドキしておりました。怒ったようなお顔をされているのか、短気な方なのか、それとものんびりした方なのか、お身体は大きいのか、お髭はあるのか、どんな声で何を話されるのか」

 流れるようにそう言ってから、何が可笑しいのかくすくす笑う。

「でも、いちばん不安で、いちばん怖かったのは」

 リーフェの目は一直線にこちらに向けられている。



「……もしもヴェルフ将軍が、わたくしを『イアルの娘』としか思わなかったらどうしよう、ということでした」



 俺はちょっと言葉に詰まった。

「──それは」

「家族以外でどなたかとお会いする時、その方たちは皆、わたくしのことを『イアルの姫』とお呼びになっていました。その呼び名を聞くと両親は嬉しそうにしていましたけれど、わたくしはちっとも嬉しくなんてございませんでしたわ。むしろ、ゾッとするほど忌まわしく思えてなりませんでした。『イアルの姫』と呼ぶ方の目には、すぐ前にいるわたくしではなく、何か別のものが映っているようで。ですから」

 リーフェがはにかむように唇を綻ばせる。

「結婚してはじめての夜、レオさまがちゃんとわたくしの名前で呼んでくださって、とても安心したのです。この方はわたくしを一人の個人として見てくださるのだって」

「……そうですか」


 自分の名を呼ばれる。そんなごく当たり前のことで安心を得られるのだとしたら、それまでの彼女は一体どれほど自分というものを抑圧されて過ごしていたのだろう。

 メイネス家では、口を開けて笑うのも、楽しくお喋りをするのも、娘らしく華やかなものに憧れるのも、自身の意見をはっきり述べるのも、すべて「イアルの血筋に相応しくない」と禁止されていたという。

 ヴィム氏が以前、結婚前のリーフェはいつも無表情で静かに日々を過ごしていた、と言っていたのを思い出した。


「あのね、レオさま」

 少し暗い表情になってしまった俺の手に、そっと自分の手を重ねて、リーフェはにっこりと笑った。

「そういうわけで、不安はもちろんありましたけれど、同時に、楽しみでもありました。ヴェルフ将軍とはどのような方だろうといろいろ想像して、兄からも話を聞いて、そわそわと胸をときめかせて、まるでお会いする前から恋をしているような気持ちでした。実際にお会いしたら、レオさまは想像よりもずっと素敵な方で、わたくし、自分はなんて幸運なのだろうと思いました。顔も見たことのない方と夫婦になるというのは確かに大変なことも多いのでしょうけれど、悪いことだけではないのではありませんか? 知らないことばかりだというのなら、これからいくらでも知る喜びが待っているということですもの」

「……ええ、そうですね。本当に」

 俺もリーフェの手を握り返して、頷いた。



 出会えたことが「奇跡のような幸運だった」と思っているのが俺だけではないとしたら、こんなに嬉しいことはない。



「お知り合いの方も、奥様になられる方と幸せになる道を進んでいければよろしいですね」

 にこにこしながらそう言われ、ん? と首を傾げてから、思い出した。

 そういえばそもそもアルデルト王の結婚を念頭に切り出した話なのだった。妻の愛らしさに気を取られて、すっかり忘れていた。

「そうですね。未来はどうなるか誰にも判りませんから……あれ」

 そこで今さらのように気づいて、目を瞬く。


 食事を始めてからもう大分時間が経つというのに、リーフェの皿はどれもあまり手をつけられていなかった。いつもなら、もうとっくに空になっていてもおかしくないくらいなのに。


「どうしました? もしかして、気分でも悪いとか」

 だとしたら呑気にお喋りしている場合ではない。慌てて席を立とうとしたのを押し留めるように、リーフェが俺の腕に自分の手を置いた。

「お気になさらないで。ちょっとこのところ、食欲がないだけなのです」

「大変じゃないですか」

 俺はますます血相を変えた。リーフェに食欲がないとは、一大事である。このところということは、不調は今日だけの話ではないのか。忙しいからと、そんなことにも目の届いていなかった自分を殴ってやりたくなった。

「すぐに医者を。いや、もう診てもらいましたか。まだだったら今から呼んできます」

 リーフェの体調が悪いなんて、アリーダからもロベルトからも聞いていなかった。あの二人がそんな異変を見逃すとも思えないのだが。いや今はそんなことはどうでもいい。直ちにリーフェをベッドに運んで、それから──

「レオさま、落ち着いて」

 これが落ち着いていられるか。

「まだはっきりしていないので、レオさまにご報告するのはもう少しあとになりそうなのですけど、大丈夫ですから。ちゃんとお医者様にも診ていただきます」

「大丈夫って」

「まだ見ぬ方とお会いするのは、楽しみだと申しましたでしょう? 未来は誰にも判らないからこそ、生きるというのは素晴らしいと、わたくしは思いますのよ」

 おたおたする俺に、リーフェは謎めいた言葉を口にして、幸せそうに笑った。



          ***



 翌日、リーフェとの会話の内容をかいつまんで話すと、アルデルト王はなんとも複雑な表情になった。

「……さっきから強烈な惚気を聞かされているだけに思えるのだが、気のせいかな」

「さすが僕の妹、いいことを言うなあ」

 ヴィム氏は感心するばかりでなく、もう少し妹のことを見習ってもらいたい。

「唯一、あの妻と出会わせてくれたことだけは、ラドバウト前王に感謝しています」

 たとえそれが悪意によって組まれた結婚だとしても。結果として、俺は希少な宝を手に入れた。

「それでつまり、ヴェルフ将軍は何が言いたいのだ」

 どこか投げやりに問うアルデルト王を、俺は正面から見据えた。


「無論私が申し上げたいのは、陛下にもぜひ幸せになっていただきたい、ということです」


 きっぱりした口調でそう言うと、アルデルト王は虚を衝かれたように目を見開いた。

「十五年の長きに渡り、ご自分を隠してこられたのは尋常ではない忍耐と努力を要されたことでしょう。時には、もどかしさも、苛立ちもあったでしょう。……そして、寂しさも」

 いくら人並外れた精神力の持ち主でも、そんなにも長い間仮面を被り続けていなければならなかったのは、相当な苦行であったはず。

 自分の意志によるものかそうではないかの違いがあるとはいえ、リーフェと同様、この方もずっと周囲に「自分自身」を見てもらえない孤独に耐えてこられたのだ。

 だからこそ、アルデルト王にとってヴィム氏や数少ない側近たちは貴重な存在なのだろう。

 しかし。



「ラドバウト前王が残された負の遺産を、これから陛下はひとつずつ片付けていかなければなりません。これから先もまだ、茨の道は続くでしょう。不肖第六将軍のこの私、レオ・ヴェルフは少しでも陛下をお助けできるよう力を尽くす所存でありますし、ヴィム殿をはじめとした側近の方々も同じ思いでありましょうが、やはりそれだけでは足りないのではと思います。──陛下には、隣同士手を携え、支え合い、その道を共に進んでくださる方がどうしても必要かと」



 アルデルト王は口を結んでじっとしている。ヴィム氏はその傍らで目元を緩めた。まるで優しく見守るように。

「隣国の王女がどのような方か、調査をすれば一通りのことは掴めるでしょう。しかしそれをもって、『知った』つもりになられるのは間違いです。顔を合わせ、互いの目を見て、言葉を交わしてこそ、ようやく判るものだってたくさんあるはずですから」

「顔を合わせ、目を見て、言葉を交わし、やはり相手がこちらの命を狙うつもりだと判った場合は?」

「敵を排除するばかりでなく、味方に取り込む器と度量を見せるのも、君主としての資質というものでは?」

 俺の反問に、アルデルト王は少し憮然としたように腕を組んだ。

 が、一拍の間を置いて、軽く噴き出した。


「──いや、もっともだ。将軍の言うとおりだ。正直、まったく気乗りのしない縁談だったが、少し楽しみになってきたぞ」


「それはよかったです」

 俺も目を細めた。

 表で愚鈍を装っているのもアルデルト王、裏で厳しい顔をしているのもアルデルト王、そしてこうして年齢相応の笑顔になるのもまた、アルデルト王だ。



 願わくば、アルデルト王の妻となる人物は、この方の別の顔を──本人でさえ知らないかもしれない新しい顔を──もっとたくさん見つけられるような女性であるといいなと思う。



「というわけで、陛下、こちらの書類に早くサインを頂けますか」

 俺は容赦なく手にした書類を突きつけた。

 さっさと仕事を片付け、今日も絶対に早く帰ると決めているのだ。家に帰って、リーフェの顔を見て、昨夜の話の続きをなんとしても聞きださなければ。

 明るい未来の予感と期待で、今にも胸がはちきれそうだ。


 まこと、人生は夢と希望に満ちている。





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