エピローグ
悪名高かったラドバウト王が崩御し、新たにアルデルト王太子がノーウェル国君主として即位してから、半年が経過した。
前王の急死後、しばらくはバタバタしていた王城内も、ようやく落ち着きを見せはじめた。現在は近々行われる即位後の祝賀パレードの準備で、誰もが多忙さを抱えているところである。
もちろん、第六軍もその例外ではなかった。
「……つっても、パレードで新王の周りを囲むように行進して、市民からの声援を受けるなんて派手なところは、みーんな第一軍が掻っ攫っていっちまうんだけどなあ」
俺と並んで王城の廊下を歩き、パレード警備の予定表を見ながら、マースはぼやくように言った。
「陛下の護衛じゃなくても、巡回や警戒だって重要な任務だろ。別にいいじゃないか、そんなことは」
「へいへい」
俺の言葉に、不満そうに口を尖らせる。
「もう一度、きちんと装備を点検しておくように、全員に通達しておいてくれ。それから当日は──」
手元の用紙を指しながら確認事項を並べていると、背後から、「第六将軍!」と怒鳴るように声をかけられた。
後ろを振り返れば、顔を赤くした第一将軍が怒ったように眦を吊り上げて、大股でこちらに近づいてくる。
もういいトシなのに、そんなに興奮して大丈夫か、と内心で思いながら、俺はマースと共に姿勢を正した。
「第六将軍、陛下をお見かけしなかったか!」
鼻の下に立派な白髭をたくわえた第一将軍は、憤懣やるかたないというように唾を飛ばしながら叫んだ。
ものを訊ねるというよりは叱責するような勢いだったが、別に俺たちに対して怒っているわけではないらしい。彼の腹立ちの矛先は別のところにある。
「いえ、今日はお見かけしておりませんが」
俺がそう答えると、第一将軍はますます鼻息を荒くした。そのたび白髭が左右に広がるのが可笑しいので、そちらはあまり見ないようにする。
「どこに行かれたか知らぬか!」
「存じ上げません。陛下のご予定なら、護衛を担当する第一軍が把握していると思いますが」
俺は普通に返事をしたつもりだが、相手によっては皮肉に聞こえたかもしれない。マースは笑いを噛み殺し、第一将軍の顔はさらに赤くなった。
「その護衛がお姿を見失ったから聞いている!」
「ああ……」
第一将軍の言葉に、俺は曖昧な声を出した。
また護衛を撒いて、どこか人目につかない場所で、ヴィム氏や「本当の」側近たちと悪だくみ……いや違った、今後の予定などを話し合っているんだな。
とは思ったが、それは言う必要のないことなので黙っておく。
「いつもいつもフラフラと……まったくこれだから愚鈍王は」
第一将軍は忌々しそうに吐き捨てた。前王の時もいつも文句ばかり言っていた御仁だが、代替わりしたところでそれは変わらないらしい。誰であれ、この自分が振り回される、ということが屈辱なのだろう。
「第一将軍、その呼称はせめて、ご自分の執務室の中で呟かれるだけにしておいたほうがいいですよ。十分に不敬です」
「ふん、本当のことを言って何が悪い。暗愚の次は愚鈍。この国は本当に君主に恵まれておらん」
別に聞かれたところで、あの王に何が出来るものか、という侮りがあるんだろうなあ、と少し気の毒に思う。表に出すか出さないかという違いはあれど、新しい王のおどおどした姿に不安を覚えている者、そして不満を抱く者は多い。
実態のほうを知っていると、あの演技にはちょっと引いてしまうくらいなのだが。
──きっと、この第一将軍も、パレードの時には驚天動地の心地を味わうことになる。
その時に新王が市民の前で見せる姿は、今まで彼が見て知っていると思っていたのとはまったく違う、才気溢れる威風堂々としたものであるはずだからだ。
民はきっと、その怜悧な相貌、穏やかだが気品のある振る舞いに感銘を受け、これからの期待を込めて年若い王を歓迎するに違いない。
今までの悪政によって苦しめられた心を慰め、笑顔で歓声を上げる彼らを、俺も早く見たいと思っている。
それこそが、俺たち軍人にとっても、希望の光になるだろう。
「陛下の周りにいるのも、揃いも揃って家格も序列も軽んじる輩ばかり。わしなどは『顔が怖い』と怯えられ遠ざけられる始末……いいや、とにかく、今は陛下をお探しすることだ! 第六軍も手伝え! 拠点から暇そうな奴らを呼びつけろ!」
俺は慇懃無礼にお断りした。
「お言葉ですが、王族の護衛は第一軍の管轄です。それに第六軍に『暇な奴』などは一人として存在しておりません」
そうしたら、いきなり胸倉を掴まれた。
隣のマースが気色ばんで何かを言いかけたが、俺は片手を挙げてそれを抑え、第一将軍を見返した。
「第六軍が最近賑わっているからといって、調子に乗るなよ、若造めが……! 平民の混じった使い捨ての軍など、我らがその気になれば、お前ともども、いつだって潰せるということを忘れるな!」
顔をすぐ間近まで寄せ、恫喝の言葉を出されたが、もちろんそんなものを怖いとは思わなかった。
この人は依然として、ラドバウト王が作り出した因習に捉われたままになっている。時代の潮目を感じ取れず、自らが変わるつもりもなく、周囲に悪影響を及ぼすだけなら、もはやそれは老害と呼ぶしかない。
俺は小さく息をついて、自分の胸倉を掴む軍人にしては筋肉の乏しい腕を取った。
そのまま、ぐぐぐと力ずくで引き剥がす。第一将軍の目が大きく見開かれたが、身体を鍛えるという努力も放棄した年寄りが、それに抗えるはずもなかった。
「──その言葉は、聞き捨てなりませんね」
「な、なん」
「第六軍を潰すと? でしたらこちらも、容赦なく全力でやり返すまでです。俺も将として、いつだって受けて立ちますよ。……その覚悟がないのなら、余計なことは仰らないことだ」
今度はこちらから顔を近づけ、視線に威嚇を込めて囁くように低い声で返すと、第一将軍の顔から血の気が引いた。
「では、失礼します」
ぱっと手を離して、挨拶をする。
踵を返して歩き出したが、後ろからもうそれ以上声がかかることはなかった。
***
「……いいのか? レオ」
隣を歩くマースが顔を覗き込んできた。いつもなら俺よりこの男のほうがよほど頭に血が昇りやすいのだが、今はそれよりも心配のほうが大きいらしい。
「第一将軍を敵に回すとあとが厄介だぞ」
「まあ、大丈夫だろ。……そろそろあの人も、引退の頃合いだしな」
「そうなのか? そんな話、聞いてないけど」
正確には、「引退させられる予定」といったところか。
アルデルト王は、家柄だけで能力に関わらず役職が決まってしまう第一将軍家も、廃止する意向であるという。
「今度のパレードが終わったら、たぶんいろいろ忙しくなるぞ、マース」
「いや今だって忙しいよ。何かあるのか? 大きな予定でもあったっけ」
「大掛かりな人事異動がありそうなんだ」
「へえ」
「これからは国防に力を入れるそうだから、軍の体系も少し変わるかもしれない」
「……なあ、お前、それ、どこからの情報だ?」
訝しげな顔をされたが、俺はそれには答えずにマースのほうを向いた。
「第六軍のほうはどうだ? 新しく入った奴らはちゃんとやってるか?」
最近になって、第六軍は急激に人が増えた。若い連中が、どっと入隊希望を出してきたのである。
その中には第一軍から転属してきた者や、高位の貴族なども入っていたりして、マースらを大いに驚かせたらしい。
「ああ、張り切ってるよ。うちは品行方正とは程遠い奴らばっかりだから、はじめはあの空気に馴染めるのか不安だったけど、なんとかやってるようだ。平民の隊員とも距離を縮めようと努力してる。青臭いことばかり言うやつが多くてけっこううんざりしたけど、あれはあれで、周りにもいい影響を与えてるのかもしれん」
「それはよかった」
俺はホッとした。よく判らないが、あいつらの入隊には、俺にも責任があるらしいからな。
「明日にでも、拠点に様子を見に行くよ」
「そりゃいい、みんな喜ぶ。ついでにこっそり訓練に混じったらどうだ? お前もそろそろ身体がなまってきてるだろ」
「ああ、それはいい」
笑いながら返すと、マースが嬉しそうに目を細めた。
「お前が楽しく将軍をやっているようでよかった。以前は本当に、押しつけられてしょうがなく、って感じだったからなあ」
「うん、そうだな」
それは認めて、少し苦笑した。
もともとは押しつけられた将軍職だが、俺はそれを一度ラドバウト王に返上した。だから今の「第六将軍」の名は、自分の意志で、自ら求めて手にしたものだ。
だったらとことんやるまでさ。末端は末端で悪くない。いや、もうすでにかなり中枢に関わってしまっている気もするのだが。
「──今度こそ、ちゃんと守り抜けるといいな、マース」
ぽつりと呟くと、マースが「なんだよ、お前まで青臭いこと言いやがって」とからかうように言って、それでも満更でもなさそうに笑み崩れた。
***
「おかえりなさいませ、レオさま!」
屋敷に帰ると、いつものように妻が笑顔で出迎えてくれたが、とたとたと軽い足取りで小走りになっていたので、俺は渋い顔になった。
「リーフェ、走ってはダメだと、あれほど……」
「だって早く報告しないとと思って! あのねレオさま、今日、マルリースが……」
「その話はあとで聞きますから。今日も一日、何事もありませんでしたか。体調は?」
「問題ございません。今日もたくさん食べました!」
「悪阻が治まってなによりでしたね。でも、食べすぎるのもどうかな……あまり余分な肉をつけると、それはそれで産む時に大変だと医者が……」
「だって、二人分ですもの!」
首を傾げてぶつぶつ言う俺に、リーフェはきっぱりと主張した。
妊娠してからというもの、悪阻の時を除いて、彼女の食欲は増加の一途を辿っている。「お腹の子が食べさせてと訴えている」とリーフェは言うのだが、それが本当だとしたら、腹の子も相当な食いしん坊になりそうだ。
「それでね、マルリースが」
ちなみにマルリースは腹の子ではなく、豚の名前である。半年前の件で、謝罪のために俺がリーフェに買い与えた子豚だ。今はもうすっかり大きくなった。
早く大きくなあれ、とうっとりしながら餌をやっていたリーフェも最初のうちは食べる気満々だったようだが、せっせと世話をしているうちに情が移ってしまい、現在は家族の一員となっている。
まあ、生まれてくる子供のいい遊び相手になるだろう。
「はいはい」
返事をし、また走り出さないよう注意しながら、彼女を伴って着替えに向かう。
厨房のほうからは、ロベルトが用意してくれる夕食の良い匂いが漂ってきていた。食堂からは、アリーダが食器を揃えているのであろうカチャカチャという音がする。
いつもの日常の風景だ。
「マルリースが今日、わたくしのお腹に鼻を押し当てて、プギッと小さく鳴いたのです。それでわたくし確信いたしました。お腹の子は女の子に違いありませんわ、レオさま」
「すみません、ちょっと話が飛躍しすぎていて理解が追いつかないんですが」
「だってマルリースは殿方が嫌いですもの。わたくしやアリーダには愛想がよくて可愛らしく懐くのに、レオさまのことは敵視して、お顔を見るたびにキーキー怒って騒ぐでしょう?」
「……まあ、そうですね」
それは俺が、あの豚を見るたび腹の中で「丸焼きにしたら旨いのかな」と思うからではないか、という気がするのだが、それは黙っておく。
「ロベルトにも怒るのです」
そりゃ、料理人だから。
「先日訪ねてきた兄にも、同じように怒っておりました」
さてはあの人も、同じことを考えていたな。
「ですからマルリースが怒らないということは、この子は女の子なのです! そのことを早くレオさまにお伝えしないといけないと思って」
リーフェは胸を張ってそう言ってから、はっと気づいたように口に手を当てた。
「……でも、あの、レオさまはもしかしたら、それはまだ知りたくはないことだったでしょうか。生まれた時のお楽しみにしておきたかったですか?」
「いや……」
そもそも、豚が怒らなかったというだけで女の子だと決めつけるところに根本的な問題があるのだが、あまりにもリーフェが真面目に「悪いことをした」という顔をしているので、口には出せなかった。
ふっと笑って、健康的に色づき、ふくよかにもなってきた頬を、ちょんと指で突っつく。
「男でも女でも、無事に生まれてくれたらいいんですよ。女の子だったら、そうだな、あなたに似ていると、なお嬉しいです」
「あら、わたくしはレオさまに似ていると嬉しいですわ」
リーフェはそう言ってにっこりし、俺がいちばん好きな笑顔になった。
「あのね、レオさま」
「はい」
「男の子でも女の子でも、わたくし、この子は自由に伸び伸びと育てたいと思います。レオさまがわたくしを呪縛から自由にしてくださったように。その身に流れているのは、イアルの血ではなく、わたくしとレオさまの血ですもの。血筋ではなくて、自分の生き方に誇りを持ってほしいと思うのです」
「──そうですね」
俺は微笑んで、妻の頭に手を置き、ふわりと撫でた。
「レオさまは、子供に何を伝えたいとお考えですか?」
「俺ですか? そうだな……」
元気に育ってくれればそれでいいと思ってはいるが、親として子に伝えたいことといえば……
「……押しつけられたものの中には、時としてとんでもなく希少な宝が入っていることもあるから、それを見つけたなら、決して手離さないようにしなさい、ってことですかね」
俺はそう言って、笑った。
──きっとそれだけで、人生は鮮やかな色彩をまとうことだろうから。
完結しました。ありがとうございました!