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突然の王命で、妻帯することが決まった俺に向けられる周囲の目は、どれもこれも同情に満ち満ちていた。
「いやあー、お前ってやつは、本当にどこまでも不運な男だよなあ」
その最たる例が、同じ第六軍に所属するマースである。
マース・クレルクが率いる「クレルク隊」と、レオ・ヴェルフ──つまり俺だが──率いる「ヴェルフ隊」は、第六軍の中でずっと共闘したり張り合ったりして、共に研鑽を重ねてきた間柄だ。
つまりマースは俺の同僚で、仲間で、良きライバルで、かけがえのない戦友、ということになる。
少し前から事情が変わり、マースは俺の「部下」という立場になってしまったが、彼の態度は昔とまったく変わらず、いやむしろ、その目に現れる憐れみの色は日ごとに濃くなっていく一方だった。
「いきなり第六軍の将軍職を押しつけられたと思ったら、今度は配偶者かあ~。不遇なお前に、せめて可愛い恋人でも出来たらいいなと思ってたら、それをすっ飛ばして今度はいきなり妻を決められちまったのかあ~。可哀想、本当に可哀想だなあ~」
ぽんぽんと慰めるように俺の肩を叩くマースの表情は、嫌味や皮肉などカケラもなく、心の底から「可哀想」という同情のみに占められている。
だからこそ余計に腹が立って、俺はじろりと元同僚で現部下のその男を睨みつけた。
「……将軍の座も、若い花嫁も、いつでも喜んでお前に譲ってやるぞ」
「いやだ、要らない」
マースはきっぱりと言い切ってから、素早く周りに視線をやった。
今自分たちがいる王城の廊下に、人けがないことを確認してから改めて顔を寄せ、声を潜める。
「バカ、やめろ。そんなこと言って、万が一陛下の耳に入ったらどうすんだ。またどんな難癖つけられるか判ったもんじゃないぞ。前の将軍の二の舞になりたいのか」
「俺がクビになったり、牢に入れられたりしたら、次の将軍にはお前を推しておいてやる。後は頼むぞ、マース」
「勘弁しろよ、そう短期間に次々と将が代わったら、軍全体の士気に関わる。ただでさえ第六軍は、寄せ集めのならず者集団なんて言われて肩身の狭い思いをしてるんだ。いつも危険な任務ばかり廻されるのはうちなのに、これ以上他軍のやつらに馬鹿にされてたまるか」
マースは憤慨するようにひそひそと言った。
他の五軍からは見下されることの多い第六軍だが、それでも俺と同じで、この男も自軍に対する愛着と自負くらいは持っているのだ。
その気持ちは痛いほどよく判るから、俺ももう軽々しく「将軍職を譲る」とは口に出せなくなる。
「じゃあ、せめて花嫁のほう……」
「それも勘弁しろ。俺にはもう大事な奥さんがいるんだから。知ってるか? 陛下は仲が良い夫婦ほど、嬉々として壊したがるそうだぞ。人妻でも、自分が気に入ったら強引に紙切れ一枚で離婚させて、妾として召し上げてしまうらしい。まったく、ぞっとするね」
自分の大事な妻が、ある日いきなり他人になり、王に取り上げられる、ということを想像したのか、マースは本当に恐ろしげにぶるっと身震いした。
「その点、お前は独身だからまだよかった。お前にすでに妻がいたら、あの陛下のことだから、その妻と離婚させてでも、新しい花嫁と無理やり結婚させられていたところだ。そんなことになったら、悲劇は数倍にもなる」
「それもそうか……」
マースの言葉に、なるほど、と納得した。
この結婚を命じられた時には、二十八になっても妻帯していなかった己の迂闊さを呪ったものだが、もしも俺に恋人や愛妻がいたなら、事はもっと複雑にこじれていた可能性もあったのだ。
なにしろ現在の君主ラドバウト王は、このノーウェル国で史上最悪と言われるほどの暴君として名を馳せている。
その性格は非情にして非道。残酷で、狡猾で、用心深い。他人が泣いたり苦しんだりするのを見ることに快楽を覚え、贅を好み、飽食を貪り、女色に耽り、忠言には一切耳を貸さず、自分が気に食わない臣は殺すか追い出すか、罪を捏造して牢に入れてしまう。
離婚や結婚が王の一存で決まってしまうのも、ラドバウト王が作り出した忌まわしい新法によるものだ。それで泣く泣く別れさせられた夫婦も多いと聞く。
あの王だったら、もし俺にすでに妻や子がいたとしたって、そんなものは何の障害にもなりはしなかっただろう。
そう考えると、確かに、俺は独り身でよかった。これ以上、あの王に人生を狂わされる人間が増えていくのを見るのは御免だ。
「ま、相手が相手だけに、お前も大変だろうとは思うけどな。見方を変えれば、光栄なことかもしれないぞ。なにしろ、かの有名な『イアルの血筋』なんだから」
マースはこちらの気持ちを引き立たせるために言っているのかもしれないが、それを聞いた途端、俺の背中にさらに重いものがどしっと圧し掛かった。
──そうなのである。
俺の花嫁となる女性は、ずいぶん昔に断絶したイアル王朝の血を引く、大変に高貴なお方なのである。
本来だったら、貴族といっても名ばかりの、ほとんど平民と変わらないような雑な育ち方をした、俺のような一介の軍人に娶せるような相手ではない。
本来なら。
「……イアルの血を引くったって、今じゃ相当に零落しているらしいからな。細々と血筋だけは繋いできたが、実態はかなり窮乏していると聞いたぜ。まあ、なんだ、その……お前の花嫁になる女性についてもいろいろと噂はあるが、本当のところはよく判らないわけだし……実際に見たら、そんなにひどくはない……かも、しれん」
だんだんと曖昧に濁していく口調と共に、マースの目は微妙に俺から逸れていく。気の毒すぎて、直視できない、ということらしい。
「とにかくだ」
最後に一回、区切りをつけるように、ぽんとひとつ大きく肩を叩いて、
「頑張れよ、レオ。相手がどんな女性でも、世を儚むんじゃないぞ」
と、ものすごく真情のこもった言葉をかけて、マースは去っていった。
「…………」
俺はその後ろ姿を見ながら、ふー、と深い息をつく。
結局あの男は何がしたかったのだろう。励まそうとしたのか、力づけようとしたのか。
はっきり言って、余計に憂鬱になった。
この命令を下した王の顔を思い浮かべ、苦々しい気分で唇を引き結ぶ。
まったく、あの──
と、内心で呟きかけた言葉を、俺は強引に腹の底へと押し込めた。
国に忠誠を誓った軍人、ましてや末端とはいえ将軍の立場にある者が、その先を続けることは許されない。
***
この国の婚礼は、男の自宅で行われるのが普通だ。
席を設けて、招待客に食事を振る舞い、皆の前で誓いの言葉を述べる。貴族としての格が上であればあるほどその規模は大きくなり、装飾が派手に、食事も食べきれないほど立派なものになるというが、俺は所詮下級貴族なので、そこまでのことは出来ない。
小さな屋敷は、親類や知人を招いただけでもう一杯、という有様だった。
しかも招待客たちは、誰もかれもが沈痛な表情で、祝福で浮かれた雰囲気などまったくない。一方的な王命で決められた結婚に、どういう顔をすればいいのかと、一様に困惑しているようだった。
俺は隣に座る花嫁にちらりと目をやった。
彼女の姿を実際に見るのは、この婚礼の席がはじめてである。要するに、お互い初対面の場で、俺たちは夫婦の誓いを立てなければならないわけだ。
しかし隣にいるにも関わらず、その顔はまったく見えない。頭からすっぽり被った白いヴェールがその先を塞いでいる上に、彼女はじっと俯いたまま、こちらに顔を向けようともしなかったからだ。
テーブルの上には、さほど豪華ではないが、この家の料理人が腕を振るって作った、数々の料理が並んでいる。祝い事には違いないからと、色とりどりに美しく飾りつけられた肉や魚や果物だ。どれも美味しそうだし、食欲をそそるいい匂いが立ち上り、鼻腔をくすぐる。
それなのに、彼女の前の皿は、どれひとつとして手がつけられていない。
下に向けられた顔はずっと動かないまま、よくよく見れば、膝の上で強く組まれた両手は小さく震えている。
緊張しているのか、あるいは、泣くのを必死で我慢しているのか。
──または、こんな男に嫁がされることが、屈辱でたまらないのか。
どんな理由にしろ、無理はないと思う。イアルの血筋は、かつての王朝の美談とも相まって、「尊い血」、「高貴な血」、「希少な血」と呼ばれ、貴族の中でも憧れられるくらいなのだ。
いくら零落しているとはいえ、こんなこぢんまりとした屋敷で、地味な婚礼を挙げることなど、彼女だって想像もしていなかっただろう。
俺としては精一杯、花嫁とその家族に恥をかかさないように気を遣ったつもりだが、あちらからこの場に出席してくれたのは彼女の兄だけだったし、両親のほうは未だに俺が挨拶に行くのを拒否している。
そりゃ、あちらにとっては、大切な宝を盗人に奪われたような気分なのだろうと理解は出来るから、彼らに対して申し訳ないと思いはすれども、腹は立たなかった。
それに、花嫁となる女性は、俺が思っていたよりもずっと華奢で、余計に罪悪感を煽られた。
彼女は確か十九歳だと聞いた。それにしては華奢というか、頼りないくらいに細い。
イアルの血筋は男女ともに儚げな容姿をしていると言われるが、今俺の隣に座っている彼女は、儚げを通り越して息を吹きかけただけで倒れそうなほどだ。
対して、俺は軍人だから、筋肉がついて体格もがっちりしている。肩幅もあるし、身長も高い。こうして横に並べば、両者の差が激しすぎるのは明らかで、おもに俺に同情的だった知人たちも、今は花嫁のほうに憐憫の眼差しを向けるくらいだった。
逆の立場だったら、俺だってここまでの体格差には、肉体的な恐怖を感じてしまうだろうと思う。
……だってさ、夫婦となるからには、今夜は一緒に枕を並べて寝ることになるわけで。
俺がちょっと力を入れて抱いたら、こんな細い身体、すぐに骨が折れてしまうんじゃないか?
***
どうしようかなあと考えている間に宴はお開きになり、いよいよ問題の初夜を迎えることになった。ちなみに、俺はまだ花嫁の顔を見ていない。
身を清めて、重い足取りで寝室へと向かう。途中で、この屋敷に古くから仕えてくれている年嵩のメイド、アリーダと行き会った。
「奥方様のご準備は、つつがなく整いました」
頭を下げて報告されて、「あ、うん」と返事をする。足元がそわそわした。
「その、彼女、どんな感じだった? 怯えてるようだったか?」
だったらまずはその恐怖を取り除くところからはじめないと、と思いながら訊ねてみると、アリーダは難しい顔つきで首を傾げた。
「それが、緊張なさっておいでなのか、お顔の色もすぐれません」
「うん」
「お声も掠れ気味で、一言二言しかお話しされず」
「うん」
「時々苦しそうに胸のあたりに手を当てて、今にも倒れそうで」
「うん」
「なんとか聞き取れたお言葉は、『もう、だめ』というような」
「……も、もういい」
俺は手を挙げ、アリーダの説明を遮った。そこまで詳細に言わなくてもいいではないか。まるで自分が、無垢な娘を無理やり手籠めにする、とんでもない悪人のように思えてきた。
アリーダは真面目な顔で、俺を正面から見据えた。
「お坊ちゃん」
「その呼び方やめろって。俺もう二十八で、結婚もしたんだから」
「何を仰います、お母君が若くして亡くなってからというもの、お坊ちゃんのお世話はこのアリーダが一手に引き受けてきたのですからね。よろしいですか、お坊ちゃん、こういうことは最初が肝心ですよ。とにかく優しく、柔らかく接しなければ。お坊ちゃんがいくら朴念仁で不器用な脳筋で、異性に言い寄られたらすぐに逃げ出すような弱腰な性格でも、剣を扱うように女性を扱ってはなりませんよ」
古くからの付き合いだけあって、アリーダは俺に対して大体いつも、容赦がない。
「だって剣は、完璧でスマートなエスコートを要求したりしないし、少し仕事を優先させるだけで怒ったり文句を言ったりもしないから」
「そんなことだからそのお年で独身の挙句、こんな事態になっているのではありませんか! よろしいですかお坊ちゃん、お相手がどれほど高貴なお方であろうと、お坊ちゃんもその若さで今や将軍の地位にお就きになられたのですから、もっと堂々としていらっしゃい」
「だからそれは、前の将軍が辞職に追い込まれて、しょうがなく……それに、第六将軍が吹けば飛ぶくらい不安定な立場だってこと、アリーダだってよく知ってるだろ。あんなの、ほとんど第一から第五将軍たちの使いっ走りで、王の遊び道具だよ」
だからこそ、こんな風に結婚までする羽目になっているのではないか。
俺は本当に将軍になんてなりたくなかったのに、つくづく、頼まれればイヤとは言えない自分の性分が恨めしい。
「そんなこと、軍関係者以外には、言わなければバレやしません。ハタから見れば、お坊ちゃんは大出世をなされた、栄えある若き軍人なんですから。表向きだけでも威張っていればよろしいんです!」
アリーダはそう決めつけて、俺に威張らせる暇も与えずに、ぐいぐいと寝室へ向けて背中を押した。
「とにかくお坊ちゃん、頑張ってくださいね!」
マースと同じことを言っている。この場合の「頑張れ」の意味は、ひとつしかないと思うが。
俺は背中を押されながら、少し迷ってから口を開いた。
「それで、アリーダ」
「はい」
「その、花嫁なんだけど」
「はい」
「やっぱり、噂通り……」
「はい?」
「──いや、いい」
口を噤んで、大人しく足を動かす。
うん、そんなこと、これから初夜という時に、聞くもんじゃないよな。
俺の花嫁、リーフェ・メイネス嬢は、本当に噂通り、おそろしい化け物のように醜い容貌で、まともな会話も交わせないくらい頭のほうにも問題があるのか──なんて。
***
寝室内は、薄暗かった。
ベッドの脇にある小さなテーブルの上の蝋燭だけが、ほんのりと室内を照らしている。そうだな、これからのことを考えると、あんまり皓々と明るくないほうがいいよな。覚悟はしているつもりだが、その……やっぱり、いろいろな意味でこちらの想像をはるかに超えていたりしたら、平常心を保てるかちょっと自信がないし。
花嫁は、ベッドの真ん中にちんまりと腰かけていた。
白い夜着を身につけているが、あまり扇情的なものではないのでホッとする。俺はそもそも女性というものが得意ではないが、強気にグイグイ迫ってくるようなタイプは、特に苦手だ。
まあ、たぶんこの花嫁については、そんな心配はしなくていいのだろうけど。
力を行使して人を屈服させることを生業とする俺のような軍人は、彼女のようにたおやかな箱入り娘には、蛇蝎のごとく嫌われているはずだから。
ベッド上にいる彼女は、相変わらず下を向いていた。さすがにヴェールは外されているものの、豊かな蜂蜜色の髪が垂れて、やっぱり顔が見えないのは同じだ。
ただでさえ細い肩を小さくすぼめ、小動物のようにぶるぶると震えている。
それを見て取って、俺は急にこの女性が哀れになった。
……なに言ってるんだ、マース。
俺なんかよりもずっと、この人のほうが「可哀想」じゃないか。
単なる王の気まぐれと嫌がらせで、十歳近く年上のまったく見知らぬ男と本意ではない結婚をさせられて、「尊き血」の誇りまで踏みにじられて。
怖がるのも、泣くのも、怒るのも、当然だ。
「──リーフェ殿」
ギシリとかすかに軋む音を立ててベッドに腰を下ろし、そっと囁くように声をかける。か細い身体が、びくっと身じろぎした。
「こんなことになってしまって、いろいろと思うこともおありでしょうが、あまり悲しまれませんよう。決して、あなたの嫌がるようなことはしませんし、無体なことも乱暴なこともしないとお約束します」
というより、初夜を迎えることそのものが無理だな、と俺は思った。
ごてごてした飾りを取っ払い、布一枚の夜着になった姿を間近で見たら、彼女は思った以上に弱々しかった。
襟元から覗く鎖骨はくっきりと飛び出ていて、袖から出ている手首は骨かと見紛うほどに細い。
華奢とか儚いとか言うよりも、栄養が不足しているようにしか見えない。
イアルの血筋は、野蛮な肉食を好まず、花を食べて生きている、という噂もあるのだが……まさかあれは本当じゃないよな?
「俺に出来る限り、あなたのことは大事にしたいと思います。あなたにとっては、ご不満なことも多いでしょうが、言ってくだされば、ご要望に沿うように努力します。なんでも遠慮なく、仰ってください」
なるべく丁寧に話しかけたつもりだが、返事はなかった。
やっぱり俺のような武骨な男に、女性の心をほぐすことなんて簡単に出来るものではない。続ける言葉が思いつかず、困惑して口を閉ざす。
と、目の前の人物がそろりと動いた。
ゆっくり、顔を上げる。
「──っ」
俺は息を呑んだ。
その瞬間、噂というものがいかにアテにならないかということを、身をもって実感した。
誰だ、「化け物のような醜い容貌」なんて言ったやつは。
……すごく、可愛らしいじゃないか。
ぱっちりと大きな目は綺麗な夕日のような黄金色で、小さく形の良い唇はまるで誘うようにぷっくりしている。耳も、顎も、どこもかしこも繊細で優しい線で形づくられており、静謐な気品が滲み出るようだった。
顔色の悪さと、少しこけた頬の不健康さがあってもなお、それを帳消しにして余りあるくらい、愛嬌がこぼれるような顔立ちをしていた。
「ヴェ……ヴェルフ将軍」
可憐な唇が動いて、自分の名が出されたことに少々動揺した。
か弱く震える声は鈴の転がる音に似て、こちらの庇護欲をかきたてる。その口から出てくるのがたとえば俺に対する罵倒だったとしても、甘んじて受け入れてしまいそうだ。
「レオとお呼びください、リーフェ殿」
返す自分の声はどこか上擦っていた。いかん、さっき、今の彼女は手を出せる状態ではないと判断したばかりではないか。
「ほ……ほんとうに、遠慮なく、申し上げて、よろしいのでしょうか」
小さく紡がれる言葉は、途切れがちだった。一言言うたびに、息継ぎをしている様子を見て、こちらも不安になってくる。
まるで病人のように痩せていると思っていたが、まさか本当に心臓に疾患を抱えていたりするのではあるまいな。もしもそうだったら、早急に医者の手配をしないと。
「はい、なんでも」
「わ──わたくし」
俺がしっかりと請け負うと、リーフェ嬢は再び目を伏せた。
腹部を押さえて、苦しげに顔をしかめる。腹痛か。胃が痛むのか。胸の病ではないのか。こういう場合、何が必要なのだ。水か、薬か。
「わたくし……お腹、が」
「痛むのですか、苦しいのですか。すぐに医者を呼んだほうがよろしいですか」
その時、ふらっとリーフェ嬢の身体が傾いた。
慌てて手を出し、倒れる寸前で抱きとめる。
「リーフェ殿! しっかり」
俺の腕の中で、リーフェ嬢がぎゅっと眉根を寄せ、目を瞑る。腹部に置いた両手に、力が込められた。
「わ……わたくし……お腹が」
「はい」
「お腹がすいて、死にそうなのですけど」
「──は?」
次の瞬間、ぐぎゅるるるるる、と腹の鳴る音が聞こえた。
幻聴だと誤魔化すことも出来ないくらいに、盛大に。