夕暮れのバス
ゆったりとした大人の童話です。
語りかける絵本のような文体を心がけました。
ゆったりとした穏やかな愛の物語です。
あたりが薄紫に包まれる夕暮れ時
「樫の木の町」の目印になっている大きな樫の木をぐるっと回って
そのバスはやってきました。
ガタガタ プシュー。ガタガタガタガタ
ずいぶんとくたびれた音がするバスですね。
もう何十年も働いているバスなのでしょう
停留所に止まって 「プシュー」の音がしたのに 乗り口のドアが開きません。
もう何年も前から壊れているようです。
運転手さんが運転席を降りてきて
「どっこいしょ」と言いながら ドアを開けました。
どっこいしょと言う運転手さんもやっぱりバスと同じくらいのおじいさんでした。
このバスと運転手さんは 同じ年月を働いてきました。
その昔 このあたりには鉄道が無く、もちろん車を持ってる人なんか居やしません、どこかへ出かけるには皆、てくてくと歩いて行くほかなかったのです。
その頃の運転手さんは 町から町へ手紙や荷物を運ぶ仕事をしていました。
いえいえバスは無かったんですよ。だからその頃の運転手さんも皆と同じように てくてくと歩いて町から町へ荷物を届けていたんです。
運転手さんが届けていたのは殆どが手紙でしたが 時折、大きな荷物を、しかも遠くの町へ頼むお客さんが居て その時は何日も何日も 重い荷物を背負って 町から町へ歩き続けるのでした。
この樫の木の町にはそんな風に手紙を町長さんの家に運んで来たのですが
町の真ん中にある噴水の前で休憩していると 呼び止められました。
「手紙屋さん 手紙屋さん」
そうですね この頃の運転手さんは 「手紙屋さん」と呼ばれていました。
顔をあげると 綺麗な栗色の髪の女の人が手紙を持って立っていました。
「手紙屋さん この手紙を港の郵便局まで届けてくださいな」
ずいぶんと綺麗な人でしたから 運転手さんは 返事も忘れてしばらくその綺麗な人を眺めていました。
「この手紙を港に届けてくださいな」
どうやら 女の人のご主人さんが外国で働いているようで
港の郵便局まで届けて欲しいということでした。
運転手さんも 外国までは届けられません、港の郵便局まで届けられれば外国のご主人にこの奥さんの手紙が届くのです 。
「2日で届けます」
そう言って運転手さんは手紙をうけとりました。
運転手さんは2日かけて港までてくてくと歩き 手紙を届けました。
町から町へ歩く生活、運転手さんは住むところも決まって居ませんでした。
まじめに手紙を運んで居ましたから お金はあったんですよ。でも住むところを決めずに町の宿だったり 星の綺麗な夜は 噴水前のベンチで眠ったりしていました。
港町で 少し休んで手紙を集めて次の町を目指そうと 準備をしていると
今度は郵便局の人が運転手さんに 手紙を頼んで来ました。外国からの手紙です。
運転手さんはピンときました、ご主人からあの奥さんへの手紙だと。
また町から町へてくてく歩いて 大勢の人に手紙を届け こんどは4日もかかってしまいました。
樫の木の町に戻ると 奥さんにご主人からの手紙を渡しました。
「ありがとう」
もともと綺麗な奥さんの顔が明るくなって パっとお花が咲いたようでした。
運転手さんは嬉しくなって
「またよろしくおねがいします」と答えました。
その夜は噴水の水がキラキラ光って見えました。
運転手さんは綺麗な奥さんと異国のご主人さんに役に立てた事が嬉しくて、その事を噴水の猫に話して夜を明かしました。
それからも運転手さんは 手紙を運び続けました。
がんばれば2日、他の届け物もしている時は 4日から6日かけて 樫の木の町から 港町まで 奥さんと旦那さんの手紙を運び続け気がつくと2年もそんな事を続けていました
2年も続けていると 奥さんの名前も旦那さんの名前もわかりましたし、それどころか樫の木の町の人たちの名前も殆ど覚えちゃいました。
実は1年ほど経ったある日 いつものように港町へ手紙を届けると 受け取るはずのご主人からの手紙は届いておりません。
仕方なく 他の人の手紙やら荷物やらを背負って樫の木の町へ戻りました。
奥さんは すごく悲しそうな顔をしていました。
笑顔のお花が枯れてしまった、
運転手さんはそんなふうに思いました。
次の日奥さんから 新しい手紙を受け取ると 急いで港町に向かいました。
だって片道2日も3日もかかる道のりですからね、入れ違いでご主人さんからの手紙が届いているかも知れません。
でも港町の郵便局に行っても ご主人さんからの手紙は届いていませんでした。
仕方なく 運転手さんは とぼとぼと樫の木の町に戻りました。
それから2ヶ月もした頃でしょうか 何度港町に行ってもやっぱりご主人の手紙は届いていません。
運転手さんには 奥さんの 悲しそうな顔が浮かぶのでした。
悲しいのは奥さんなのに なぜか運転手さんの胸が苦しいのです。
運転手さんは港町の郵便局で 便箋と封筒を買いました。
あたりをキョロキョロと見回すと便箋を隠しながら
「やぁ 返事が遅くなってしまってすまない」
と書きました。
「仕事で怪我をしてしまって右手が使えない、読みにくいのは勘弁してくれたまえ」
外国で働いているご主人さんが書きそうな言葉を考えて書きました。
そこまで書いてみて ご主人さんがどんな事を書くのか 全くわからない事に気付いて
「こまったな」 とつぶやきました。
仕方なく「君の笑顔は お花のようだね」と書きました。
封筒を少し土で汚して 外国から届いたような感じに仕上げて封をして鞄にしまいました。
果たして樫の木の町に戻ると 奥さんの家を訪ねました。
運転手さんが鞄の中から手紙を取り出すと それまでの奥さんの悲しそうな顔がパッと花のように咲きました。
奥さんは運転手さんに何度も何度もおじぎをしました。
奥さんの顔が また咲いたのです。
運転手さんは嬉しくてスキップして噴水に行きました。その夜は噴水の水がまたキラキラ光って見えました。
運転手さんは綺麗な奥さんに笑顔が戻った事が嬉しくてその事を噴水の猫に話して夜を明かしました。
こうして 運転手さんは奥さんからの手紙を港町に届け 港町の郵便局でご主人の手紙を書く仕事がはじまりました。
「やぁやぁ元気かな」どうにもヘンテコな手紙です。 どうして?ってそれは運転手さんが女の人に手紙を書いた事がなかったからです。
書く事に詰まると運転手さんは今まで旅してきた色々な町の様子を書きました。
「やぁやぁ今日はこんな町で仕事をしているよ」
町で見かけた1つ目の猫の話や 大雨の夜、象に出会った時のこと。東の町の不思議な音楽の事、町の全員が首が長い人だらけの町の話しを書きました。
そうですね 2年間のうちの 半分近くを そんな手紙を書いては届ける仕事をしていました。
その日は 砂漠のしゃべるラクダの事を書いた手紙を奥さんに渡しました。
奥さんはいつものように 笑顔がパッと咲いて それからこんな風に言いました。
「もう手紙は送らない事にします
長い間ありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げて
またニッコリと笑いました。
運転手さんは悲しい気持ちになりました。
仕方なくその夜は 噴水の猫の所に行って話します。
「もう手紙を届ける仕事がなくなってしまったよ」
次の日 運転手さんは 一生懸命働いてきたお金で大きなバスを買う事にしました。
手紙屋さんから 運転手さんに大変身です。
また 町から町へ 今度はとっても早く人も荷物もお手紙も運べます。
樫の木の町を出て それから 色んな町を走りました。
停留所なんてありませんからね 町の人が手をあげたら停まって乗せてあげるのです。
乗ってくれたお客さんが言った場所には必ずバスを走らせました。
皆 降りるときに 笑顔の花がパッと咲くのです。
「ありがとう」と。
噴水の猫はバスには居ません、だから運転手さんは噴水の猫を思い出して 笑顔を受け取った気持ちをつぶやきました。
それから 乗客の言うままにバスを走らせ 世界中を旅しました。
何年も何年も何十年も。
立ち寄る大きな町に郵便局があると 樫の木の町の奥さんに ご主人さんからの手紙を書きました。
だって奥さんの方は手紙を送るのをやめたけど ご主人さんの方は手紙をやめるかやめないかわからなかったからです。
きっと世界のどこかにいるご主人さんから手紙が届いたら あの奥さんの笑顔がパッと咲く きっと咲く そう思いました。
運転手さんは 笑顔が咲く その瞬間が とても好きだったのです。
バスは長い長い旅の間、何度も何度もパンクしました。
エンジンも壊れて なんども修理しました。
途中で 噴水の猫によく似た猫がバスに乗ってきたので 運賃は取らずに車掌さんとして雇う事にしました。
まあ 本当は 話し相手が欲しかったから 車掌さん、というより友達って感じでしたね。
その猫車掌さんも 13年生きて亡くなってしまいました。
その頃には運転手さんも すっかりヨレヨレ 頭は白髪のお爺さんになっていました 。
バスも全然スピードが出ません ガタガタプシュー です。
プシューと音が鳴るのにドアは開かず 運転手さんが 「どっこいしょ」と開けなくてはなりません。
もう世の中の人は すっかり車に乗っていて バスに乗るのは車に乗れない老人ばかりでした。その老人たちも 運転手さんのバスに乗りません、だってガタガタプシューのオンボロですからね。
あたりが薄紫に包まれる夕暮れ時
「樫の木の町」の目印になっている大きな樫の木をぐるっと回って
そのバスはやってきました。
ガタガタ プシュー。ガタガタガタガタ
ずいぶんとくたびれた音がするバスですね。
もう何十年も働いているバスなのでしょう
もう何十年も働いているバスなのです。
停留所に止まって 「プシュー」の音がしたのに
乗り口のドアが開きません。
もう何年も前から壊れているようです。
もう何年も前から壊れているのです。
運転手さんが運転席を降りてきて
「どっこいしょ」と言いながら ドアを開けました。
どっこいしょと言う運転手さんもやっぱりバスと同じくらいのおじいさんでした。
樫の木の町の停留所には
1人のおばあさんがバスを待っていました。
「おやおや 珍しい お客さんですね」
ガタガタのドアを支えながら 運転手さんは言います。
「この町も すっかり人がいなくなってしまって バスが来てくれるのなんて何年ぶりでしょう」
「どちらまで 行きましょうか?」
「一度 港町の郵便局に行ってみたくて。
おねがいします。」
運転手さんがドアやタイヤの点検をしている間、おばあさんはポツリポツリ話し始めます。
「むかしね 主人に手紙を送っていたんですよ。主人は外国で働いていましたので」
「そのうち 、行方がわからなくなっちゃったんですけどね」
言いながらおばあさんは笑っていました。
運転手さんは 猫に話しかけたくなりました。
でも 噴水猫も車掌猫さんも もういないので
むかーし手紙を運んでいた事から おきゃくさんに話してみようかな、
そうおもいました。
色んな愛の形 年齢や距離 も関係なく 見返りを求め無い 自覚すらも無い自然体の想いを描きました。
ゆっくりとお話しして聞かせる耳触りの良さと 絵本のようなテンポ感を感じていただけると嬉しいです。