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1.アリシア

「求婚っ?」


 レディオスはソファから立ち上がり、勢い余って侍女が用意してくれたお茶を零してしまった。傍に控えていた侍女が慌てて片付けるが、それに構わず、続けた。


「正気か?」

「もちろん」


 いやに自信たっぷりにそう言い放つ。レディオスは大きく息を吐いて、そしてまたソファに深く腰掛けた。王子ともあろうものが、そんなことを簡単に。


「まったく、何と言うか……」

「あれには驚いた。それで予言を信じる気になった。助けてもらったのも偶然ではなかったのだ。まあ、伴侶に関しては、寄り添っていた姿を見ただけだと言っていたから、生涯の相手とは限らない。一応、返事は保留のままにしてもらった」


 そう言って、二度ばかりうなずく。レディオスは頬杖をついて問う。


「その相手に心当たりが?」

「大臣の娘に一人、な。幼馴染だから、寄り添うこともあろう。妹みたいなものだ」

「ふうん」

「気のない返事だな」


 反応が面白くなかったのか、エグリーズは唇を尖らせた。


「どう言って欲しいのだ」

「どうって、姫の夢見の能力は素晴らしいだろう? 女神と呼んだ私の気持ちもわかるだろう?」

「くだらない。どうせ偶然だ」


 そう言い捨てる。そんな言い方には慣れているのか、エグリーズはさして気分を害したようでもなく、続けた。


「またしても、『くだらない』。この手の話を陛下はお嫌いなようで」

「その、妙に気取ったしゃべり方は止めて頂きたいね」

「ああ、これは申し訳ありません、陛下」


 エグリーズの返事にため息をつく。これ以上、こんな不毛な会話を続けても仕方ない。


「それにしても、求婚とは……」

「まあ、勢いで言ったところもあるが。早計すぎたかな」

「いや、そういうことではなく。そなた、仮にも王子であろう。結婚相手を自分の想いだけで決めるなどと、許される訳がなかろう」


 レディオスの言葉に、エグリーズは眉をひそめた。


「嫌なことを言うのだな。親の決めた相手と大人しく婚姻しろと?」

「残念ながら、仕方あるまい。王子として生まれたからには」

「おまえはいい。正室、側室。何人とでも婚姻できる。ああ、そう思うとやはり王位というのは魅力的だな」


 なんと楽天的な発言を。レディオスでさえ、ときどき、この男についていけなくなる。

 そこでジャンティが部屋に入室してきた。彼女についてを訊きにきたようだった。


          ◇


 隣国の王子の知り合いが大怪我をしているから世話をするように、と言われたアリシアは、ひとまず様子を見るために、賓客室へ向かった。


 王付きの侍女という仕事はやりがいはあるが、どうにも女同士の牽制が酷くて、息が詰まる。

 何が嬉しくて彼女らは、王妃になりたいと思うのか。いや、王妃じゃないかもしれない。側室とか愛妾とかになりたいのかもしれない。

 どちらにしろ、なんだか窮屈そうだ。

 そんな女性たちの中で、にこにこ笑いながら彼女らの牽制を躱しつつ仕事をするのは、面倒くさい。


 急に与えられたその仕事を誰がやるのか、と皆が顔を見合わせている中で、アリシアは元気に手を挙げた。他に誰もいなかったから、その役目はアリシアのものとすんなり決まった。

 もしこれが王子の知り合いのどこぞの大国の貴族、とかだったらこうはいかなかっただろうな、と思いながら、アリシアは賓客室の扉をノックした。


 返事はない。まだ眠っているかしら、と、そうっと扉を開ける。


「失礼いたします……」


 衣擦れの音一つしない。やはり、眠っているようだ。

 足音を立てないように気を付けながら、ベッドの傍に歩み寄る。

 目を覚ましたら食事とか飲み物とかいるかしら、ずっと傍にいたほうがいいかしら、それなら本でも持ってくればよかったかしら、と思いながらベッドを覗き込む。


「わ……」


 思わず、声が漏れた。慌てて口元を手で押さえる。

 同じ女でありながら、感嘆の声が出る。

 なんて綺麗な人だろう。人形みたい。その長い睫毛を触ってみたくなる。

 アリシアは、伸ばしそうになった手を止めて、ふるふると首を振った。

 いやいや、いけない扉を開けるところだったわ。

 美女は、ぐっすりと眠っているようだった。いや、額に汗をかいていたから、安眠というわけではなさそうだ。

 枕元に、水と手拭いが置いてある。治療を受けたときそのままなのだろう。少し手を入れてみたが温かったので、水を取り替えようと桶に手を伸ばしたとき。


「ん……」


 少女が、身じろぎする。

 はっとして振り返り、その顔を覗き込むと。彼女は、うっすらと目を開ける。

 瞳の色は、透き通った新緑。その瞳がアリシアを見た。


「お目覚めですか?」


 そう尋ねる。目を開けるとますます美女だわ、と心の中で思う。

 彼女はゆっくりと辺りを首だけで見まわして、そして言った。


「あの……ここは?」


 それは当然の疑問だろう。落馬してからここまで運ばれる間もずっと気を失っていたのだから。


「何も心配なさらずともよろしいですよ。ここは、エイゼン王城。陛下が倒れていたあなたをお連れになったのです。事情は聞いております」

「陛下……」


 彼女はそう口の中でつぶやいた。一生懸命記憶を探っているのだろう、何度か瞬きをする。


「エグリーズさまもいらして……」


 不安げにこちらを見てきたから、アリシアは彼女の言葉にうなずく。


「ええ、顔見知りとか。ああ、こうしてはいられない。申し訳ないのですが、あなたが目を覚ましたら知らせるようにと言われているのです。すぐに戻って参りますから、それまでに何か欲しいものがあるか考えておいて下さる?」

「欲しいもの……? いいえ、特に」

「今は目が覚めたばかりで何も考えられないでしょうが、きっともう少ししたらお腹も空いてきましてよ」


 アリシアは、彼女が目を覚ましたと報告するため、ぱたぱたと扉に向かう。

 だが、背後から少女の声が追ってきた。


「あのっ」


 振り向くと、少女がまたベッドに身を投げ出してしまったところだった。呻き声を上げている。アリシアに呼びかけようと身体を起こしてしまったのだろう。


「大変! 無理なさらないで」


 アリシアはまたベッドに駆け寄ると、少女の肩を抱いてゆっくりと横たわらせた。また汗がひどく浮き上がってきていた。相当な痛みなのだろう。


「治療は済んでいるそうですから、寝ていらして」

「すみません……」


 少女は申し訳なさそうにそう言った。


「なにか御用でしたか?」

「いえ、あの……、ありがとうございました。その、助けて頂いて」

「ああ」


 お礼を言いたかっただけだったのか。律儀な。

 アリシアはにっこりと余所行きの笑顔を作って言った。


「私は何もしておりません。機会がございましたら、陛下とエグリーズさまに直接言って差し上げて下さいな」


 そう返すと、少女はそれでも申し訳なさそうに頭を小さく下げた。

 アリシアは、そういえば桶を忘れていた、と気が付き、それを持って部屋を出る。

 一礼して扉を閉めると、ふっと息を吐いた。


 これは、いい仕事にありつけたかもしれないわ、とうんうんとうなずく。

 エグリーズの知り合いなだけに、図々しかったり横柄だったりしたらどうしよう、と思っていたけれど、その心配はなさそうだ。

 それにあの美貌は同じ女であっても溜息が出るほどで、目の保養になるわ、となんだかうきうきしてくる。


「さて、じいさまに報告するかあ」


 そう確認するように口にすると、アリシアは浮かれた足取りで歩き出した。


          ◇


 アリシアは、ジャンティの斜め後ろをしずしずと歩いてついていく。

 行き先は、客人の部屋だ。

 目覚めたら報告をするようには言われていたが、まさかジャンティ自らが動くとは思っていなかった。


 ジャンティは大法官という役職にありそれだけで忙しいはずだ。しかも、王の側近中の側近……いや、実質的なこの国の指導者で、寝る間も惜しんで動き回っている。

 だから客人に関しては、一切合切、誰かに指示を出すものだと思っていた。

 ここで動くということは、この先、お世話係のアリシアと絡むことも多くなるかもしれない。

 アリシアは心の中でため息をついた。

 じいさまは厳しいからなあ、気楽な仕事と思ったのに。


「アリシア」

「はっ、はい!」


 心の中を読まれたような気がして、驚いて声が跳ね上がった。

 だがそんなはずもなく、ジャンティは少し眉根を寄せただけだ。


「客人は、話はできる様子でしたか?」

「ええ、少しなら。でもやっぱりまだ痛むみたいなので、長時間は難しいかもしれません」

「そうですか」


 それだけ言って、黙り込んでしまった。

 そうこうしている間に、賓客室の前につく。

 アリシアは前に出て、扉をノックした。すると中から小さく、はい、と声がする。

 扉を開けてジャンティを中に促すと、自分も中に入り、扉を閉めた。

 少女は変わらずベッドの中にいて、半身を起こしてこちらを見ている。


「お目覚めと聞いたのですが、お身体の具合は?」

「少し痛みますが、大丈夫です」

「女性の寝室に立ち入る失礼をお許しください。どうしても聞いておきたいことがありましてな」

「はい」


 ジャンティは歩み寄りながらそう会話すると、ベッドの横にあった小さな椅子に腰かけた。


「さて、そんな身体でこちらの話を聞いていただくのは心苦しいが」

「構いません」

「申し訳ない、急いでいるもので。私は大法官をさせて頂いておりますジャンティと申します」


 そう頭を下げる。


「名前はリュシイと聞きましたが、相違ないですか」

「はい」

「あなたが路上に倒れているのを、エグリーズさま、クラッセ国の王子であられる方だが、その方が発見された。それは憶えておいでだろうか」

「はい」


 少女は質問にうなずく。


「かの方が言うには、そちらには身寄りがないとか」

「そうです」

「では、こうして城で保護していることを、どなたにお伝えすればいいのですかな?」

「それは……特に誰にも」

「誰にも?」


 リュシイの答えに、ジャンティは少しばかり身を乗り出す。


「あなたのような年若い女性が、誰の保護も受けずに生活していらっしゃると?」

「そうです。もちろん、住んでいた村の人たちには良くしていただいておりましたが」

「ふむ、なるほど」


 ジャンティは、右手で自分の髭をしごきながら、思案しているようだった。彼の態度に不安を覚えたのか、少女はおずおずと言った。


「あ、あの……」

「何ですかな?」

「私、ご迷惑をお掛けしているのですよね。お手間をとらせてしまって……あの」

「ああ、そのことは」


 ジャンティは、右の手の平を前に向けて差し出し、リュシイの言葉を遮った。


「聞けば、あなたもエグリーズさまをこうして助けて下さったのでしょう? そのときあなたは、迷惑だと思いましたか?」

「いいえ」


 少女は小さく首を横に振る。


「ならば、構わないのです。ましてやあなたはエイゼン国民。目の前に民が倒れているというのに、我が国王陛下があなたを見過ごすことなどできましょうか」


 ジャンティは多少芝居掛かったように大きく手を広げてそう言った。その言葉に少女は安堵を覚えたのか、ほっと息をつく。


「ありがとうございます」

「いいのですよ。身体が動くようになるまで、こちらでお世話させていただきましょう。ときに、何か用があって王都に赴かれたのでは?」


 その言葉に少女は顔を上げてジャンティをじっと見つめた。ためらいがちに言葉を舌に乗せようとしたが、


「長くなりますかな?」


 察したジャンティに先に言われてしまう。こくん、とうなずく少女に、彼はうなずき返して席を立った。


「これ以上は身体によくない。長々と失礼致しました。陛下に謁見をお望みならば、先に私が話を聞かねばなりません。また、次の機会でよろしいですかな?」


 少女ははっとして、ジャンティを見上げる。なぜ謁見を望んでいることを知っているのか、と顔に書いてあった。ジャンティは彼女の疑問に答えた。


「あなたは陛下を見て、『陛下』と呼ばれたとか。おそらく次の言葉は、『お会いできてよかった』でしょう?」


 その言葉に少女はうなずくしかできなかったようだった。


「わかりました。では、次の機会に」


 ジャンティはそう言うと、席を立つ。アリシアは慌てて扉に向かうと、彼のために開けた。

 扉を通り過ぎる瞬間、ジャンティはアリシアに言った。


「気楽な仕事と思って、手を抜かないように」


 やっぱり心の中を読まれている。

 このじいさまはいったい何者なんだか。

 アリシアはため息を隠して微笑んだ。


「もちろんですわ、誠心誠意、お仕えさせていただきます」


 アリシアのその言葉を聞くと、ジャンティは満足げにうなずいて、去っていった。

 部屋に残ったアリシアは、ベッドの傍に歩み寄ると、苦笑しながら言った。


「ちょっと、って言っていたのに、長くなってごめんなさいね」

「いいえ、私は大丈夫です」


 アリシアはリュシイの身体に手を添えると、ゆっくりと横たわらせた。


「じいさまの話には付き合っていられないわね。話が長くなっちゃって」

「……え?」


 何か聞き間違えたのだろうか、と思ったのか、少女は首を傾げた。それに気付くと、アリシアはああ、と声を洩らす。


「もうやっちゃった。こっちが地なの。でも王城に勤めるからには楚々としていなくちゃならないから、猫かぶってるだけ」


 そう言って舌をぺろりと出す。


「内緒よ」

「はい」

 くすくすと少女が笑う。

 それは少女らしい、可愛らしい笑みだった。

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