3.生涯の相手
彼女からの返事は貰えないまま、数日が過ぎた。旅支度を整えて、世話になった家にお礼として幾ばくかの金子を渡す。
そして村人の馬を買い取って、一旦、国に帰ることに決めた。
幸い、愛馬は落ち着いていた。世話をしている村人たちに懐き始めてもいた。これなら心配ないだろう。
旅立ちの日には、村人総出で集まってくれた。心配そうな目をして、リュシイが彼の前に立つ。
「どうか、お気をつけて」
「世話になった、感謝する。私の馬のことだが、今は傷も癒えておらぬ故、世話を掛けてしまうが、あれは元々良い馬だ。ぜひ貰ってやって欲しい。きっと役に立つ」
彼女たちの目で見ても、あの馬が良い馬なのは分かるのだろう。「でも……」と、その申し出を受けるのを渋る。
「さきほど、あの馬によく言い聞かせておいた。必ず役に立つように、必ず姫を守るように、と。彼は了承してくれた。私にはわかる」
エグリーズが胸を張ってそう言うと、それ以上遠慮するのは逆に失礼にあたると思ったのか、リュシイは微笑んでうなずいた。
「では、私どもの方で預かります」
もしや、彼女の顔を見るのは最後になるのかと思うと、立ち去りがたくなり、足を動かすことがためらわれた。
「リュシイ殿」
「はい」
「……返事は今、聞かせてはもらえないのだろうか」
返事? と、村人たちがざわざわとし始める。
彼女は目を伏せた。
「私は、この村で生きます。私では王子殿下に釣り合いません」
そこかしこで驚愕の声があがった。
まさか。自分の身分を明かしたことなどなかった。何かわかるようなことを言っただろうか? 一目でそれとわかる持ち物でもあっただろうか?
「……どうして」
「昨夜、夢を見ました」
「……そうか」
村人たちは顔を見合わせて、そして思い思いのことを口にしている。
「ほらね、だから言っただろう」
「やはり身分の高い者だったのだよ」
「俺、無礼なことを言っちまったかも」
「あー、俺、叩いちまった!」
「馬鹿だね、わからなかったのかい。あたしは何となく分かってたよ」
真実、そう思っていたのかどうかは定かではないが、そういった言葉が耳に届く。
「姫はこんなところで終わる方ではないと思っていたよ」
「まさに王子さまが迎えにきたのだね」
「ついていけばいいのに。その方が姫のためだ」
村人たちは好意的に思ってくれているらしい。
先日、リュシイを『あれ』と呼んで喧嘩していた男は、あからさまに安堵のため息をついた。他にも同じような反応を示すものがいた。
だが、彼女を姫と呼んで崇拝していた者たちまで、一緒になって送り出すことに賛成している。彼らも心の奥底では、恐怖しているのかもしれない。
やはり、この村に彼女を置いておけない。
「返事は今でなくともいい。もしその気になったらいつでも迎えにくる」
そう言葉を連ねたが、彼女は首を横に振るだけだった。
これは仕方ない。本人が望んでいないものを、無理強いするわけにはいかない。
「わかった。無理を言って申し訳なかった。でも」
そう言って、先日少女を手籠めにしようとした男たちを横目でちらりと見やる。
「もしあなたが誰かに傷つけられることがあったら、ぜひ私に言ってくれ。この命に賭けて、必ずそいつを追い込む」
二人が舌打ちしたのがわかった。効果のほどはわからないが、牽制程度にはなるだろう。
「もし何か困ることでもあったら、いつでも私を呼んで頂きたい。あなた方は、私の恩人だ」
「はい」
彼女はそううなずいたが、隣国まで出向くことなどないだろう。
そして、少女はしばらく目を伏せた。
なんとなく気まずくなって、笑いながら言葉を続ける。
「気が変わっていただけると嬉しいのだけれどね」
しかしふとリュシイは顔を上げ、彼の瞳をまっすぐに見つめる。
「あの……、あなたの生涯のお相手は、残念ですけれど私ではありません」
いやにきっぱりとそう言った。何の話かと耳を傾ける。
「利発そうな瞳をなさった黒髪の女性が、あなたの傍にいらっしゃいますでしょう」
「え?」
「細身の方です。背の高さはちょうど、あなたの胸のあたりかしら」
心当たりは、あった。しかし。
「いるにはいるが、彼女は別にそういった関係では……それに、なぜ、彼女を」
戸惑うエグリーズを他所に、リュシイは言った。
「夢で見たのです。寄り添う姿を」