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2.村の姫君

 身体もだいぶ動くようになった頃、少女の家から他の村人の家に移された。


「姫のところにいつまでも見知らぬ男を置いておくわけにはいかない」


 ということらしい。

 今までは身体が言うことをきかなかったし、彼女が「責任を持って面倒を見る」と言い張っていたようなのだが、元気になっては仕方ない。


 エグリーズの愛馬にも、人々は治療を施してくれたようだった。厩舎に向かうと、主人を見つけた馬が弱々しく立ち上がった。幸い、脚の骨折は免れたようだ。馬は立つことができない場合、死に至ることも多い。

 無事な姿を見ると、エグリーズはほっと息を吐いた。


「痛かっただろう」


 エグリーズがそっと話し掛けると、馬は一声、誇らしげに嘶いたが、一回り痩せた馬体は見ていて胸が痛くなった。すべては自分の不注意のせいだった。


 改めて外に出ると、その村は小さな集落であることが見て取れる。せいぜい百人程度しか住んではいないだろう。はたしてこの国の王であるレディオスは、セオ村の存在を知っているのだろうか。


 また、エグリーズの落ちた崖からはずいぶん離れているようだった。よくぞ気が付いてくれたものだ。彼女が来なければ、あのままのたれ死んでいたかもしれない。


 彼らはほとんどを自給自足で生活しているようだった。自由に身体を動かせるようになってからは、村人たちの農作業の手伝いをするようになったが、最初の内は慣れていないため、よけいに手間を掛けさせることもあった。


「いったいどこのご貴族さまなんだ。まったく今時の若いもんは」


 などと言われることも多々あったが、しばらくすると若さも手伝って役に立てるようになってきた。その頃には村人たちもエグリーズと少しずつ心を通わすようになった。彼らにも、誠意だけは伝わったらしい。


「リュシイ殿は、どこかの王族なのか?」


 ある日、農作業も一段落して村人たちと談話していたときのこと。エグリーズは、ふと、思っていた疑問を口にした。


「姫か? いや、姫はこの村で生まれたお人だが」


 一人の男がそう答える。


「しかし、姫と呼ばれている」

「ああ、『姫』というのは私たちが勝手に呼んでいるだけだ」

「勝手に? どうして」

「そりゃ、姫が神の使いだからだよ」


 事もなげに男は言った。それはにわかには信じ難い話で、エグリーズはその言葉に素直にうなずくことはできなかった。


「姫は時折、夢で神の御言葉をお聞きになり、私たちに伝えて下さる。だからこそ私たちは、こんな小さな村でも何とか自分たちだけでやっていけるのさ」


 今年は暖冬であるとか、雨が少ないであるとか。あるいは怪我をするかもしれないから気をつけろ、等の警告であるとか。そしてその予言は外れたことがないという。


「かくいう私も、姫の御言葉がなければ、大怪我を負っていたことがある」


 男はどこか自慢げに、胸を張ってそう言った。


「はあ……」


 話を信じられずに曖昧にうなずくと、男はその反応に不満だったのか、尚も言葉を続けた。


「信じられないって顔だな」

「あ、いや……」

「おまえさんも、救われたクチだろう。姫はおまえさんが崖下に倒れているのを夢で見たから、確認しに行ったのさ。でなければ、あんな崖下に人が倒れていることなどに気が付くか」

「えっ」


 そうだ。彼女は以前、言っていた。


『神が私にあの夢を見せたのですもの』


 あれは、そういう意味だったのか。しかし。


「信じられない……」


 誰に言うともなく小さくつぶやくと、男はにやりと笑って、エグリーズの肩をぽん、と叩いた。


「ま、すぐには無理だ。でもしばらくすれば、嫌でも信じるようになるさ」

「ええ、まあ……」

「姫のあの美しさを見てみろ。あれが、人の持つ美貌か? 数々の奇跡と、あの美貌。それだけで姫が神の使いであることが信じられるってものだ」


 確かに彼女は美しかった。さほど着飾っている訳でもないのに、クラッセ城にいる豪奢な衣装を身に纏った女性たちの中に置いても、ひけをとらないだろう。

 美しい姿、美しい心。それは正に、女神の持つものではないだろうか。


「なるほど、女神か……」


 エグリーズのそのつぶやきに、男は得たりとばかりにうなずいた。

 しかし。


「何を言っているんだか」


 輪の中で静かに話を聞いていた男が一人、吐き捨てるようにそう言った。


「なにが女神なものか。あれは死神の類いだよ」

「おい、止めろって」


 隣にいた男が、肩を叩いて制止するが、一度口に出したら止まらないのか、男は続けた。


「あれに声を掛けられる日が来るのが、俺は恐ろしいよ。あれに声を掛けられたら例外なく怪我したり病気したりする。あれが不幸を呼び込んでいるんだよ。なんでわからないんだ」

「なに言ってるんだ、姫が助言してくれなければ、俺は死んでたところだったんだぞ!」


 男が立ち上がる。リュシイをあれ、と呼んだ男も立ち上がり、二人は周りの制止の声も聞かず、言い争い始めた。


「なにが助言だ、そんなものがなければ元々怪我すらしなかったんじゃないのか? おめでたいな」

「なんだと?」

「あれの両親だって、死んじまってさ」

「まだ姫が小さい頃の話じゃねえか」

「村長だって、あれを引き取って一緒に住んで大切に育ててたのに、死んじまったじゃねえか!」

「ありゃ寿命だろ! 馬鹿か!」

「馬鹿とはなんだ!」


 そこで男が殴り掛かろうとしたところで、後ろから声がした。


「やめてください」


 静かで、だがよく響く声。

 リュシイだった。

 一瞬にして、その場が水を打ったように静まり返った。


「このままだと、皆、怪我をしますよ」


 そりゃそうだろう、とエグリーズは思ったが、村人たちはそうは思わなかったらしく、息を呑んで立ち尽くした。


「……行こうぜ」

「ああ」


 一人、二人と、輪の中から去っていく。リュシイにぺこぺこと頭を下げながら、去っていく者もいる。

 彼女はそれを見送ると、エグリーズのほうに向き直って、微笑んだ。


「エグリーズさん、あなたの馬が寂しがって啼いているそうなんです。見に行ってくださいますか?」


 用件はそれらしい。このところ、だんだんと良くなってきた馬は、何かを訴えるように啼くことがある。そんなときはエグリーズが顔を見せると一旦は落ち着くのだ。

 そろそろ帰る頃合いなのだろうが、まだ長距離を走らせるほど元気になったわけでもない。


「どうしたものかな」


 ため息交じりにそう言うと、彼女はまた微笑んだ。


「出て行かれるときには、馬をお貸しします。その頃にはあの馬も落ち着いていますから」


 その言葉に、まじまじと彼女の顔を見つめた。


「なにか?」

「いや……今のは、予言?」

「ええ」


 事もなげに彼女はそう言った。

 ふむ、と顎に右手をやった。

 さきほどの怪我をする発言も、馬に関する発言も、予言と言われれば予言と受け取れなくもない。

 だが、誰もが簡単に予想できる範囲ではある。

 エグリーズを見つけてくれたときのことはともかく、そんなことの積み重ねなのかもしれないな、と思った。

 だが、どうやら皆が皆、彼女を姫と崇めているわけではないらしい。


「この村にいるのは、つらい?」


 ふと、彼女の細い身体を見て、口からついて出た。

 彼女はじっとエグリーズの顔を見つめ返してきた。いいえ、と即答されないことが、何よりの答えのような気がした。

 しかし唐突だったか、と思い、どう誤魔化そうかと思案すると、彼女は小さな声で言った。


「私は、夢に従っているだけです」


 そしてにっこりと笑うと、踵を返して歩き出した。エグリーズもその背中を見ながら歩き出す。

 彼女をこの村から連れ出してあげられるといいのだが。

 そんな考えが浮かんだ。


          ◇


 ある日のことだ。畑仕事も終わって井戸の近くで農具を洗っていたとき。どこからか、言い争うような声が聞こえた。

 どうにも気になって、声のするほうに行ってみると。


 リュシイと二人の男が揉めているところだった。慌てて民家の陰に隠れる。

 どう見ても、下卑た笑いを浮かべてリュシイを人気のないところに連れ込もうと腕をつかんでいる男たちと、それを振り切ろうとしている彼女、の図だった。


 これは仕方ない。なるべく村人たちとは揉めたくなかったが。

 女神のごとき美しい彼女に手を出すとは、なんと不遜なやつらか。一つため息をついて覚悟を決める。

 物陰から出て、そちらに歩いていく。


「やあ!」


 ふいに声がしたことに驚いて、男たちは彼女から手を離した。彼女は慌てて男たちから離れる。

 男たちとリュシイの間に立つ。


「すまない、彼女は私と会う約束があってね。なにか御用だっただろうか? 急ぎでなければ後回しにしてもらいたいんだが」

「はあ? なに言ってんだ、白々しい」

「余所者には関係ないだろ、痛い目を見たくなきゃ、すっこんでろ」


 ここで引いてほしかったが、そう甘くもなかったようだ。

 二、三発殴られれば気が済んで、引くような人間だろうか。いやたぶん違うだろう。となると、のしておくべきか。面倒な。


 そんなことを考えている間に、さっそく殴り掛かってきた。

 ので、それを避けると同時に胸ぐらを掴み、左右に揺らしたあと足払いを掛けてもう一人の方に向かって押し出す。均衡を維持できなくなった男は、もう一人の男を巻き込んで、倒れてしまった。

 エグリーズはしゃがみ込むと、起き上がろうとする男の額を指一本で押さえた。

 それで男は立ち上がれない。横に動くとか一旦後ろに引くとかすれば簡単に立てるのだが、頭に血が昇った男には、目の前の余所者のことしか目に入らないようだ。

 目を見開いてエグリーズを見る男たちの顔が、みるみる蒼白になっていく。


「うーん、これはいくらなんでも張り合いがない」

「てめ……」

「言っておくけど、本気ではないからね?」


 そう言って指を離すと立ち上がる。

 余所者の力量を測れない彼らは、それで諦めてしまったようだ。おぼえてろ、とよく聞く言葉を吐き棄てるように言って、立ち去ってしまった。


 実際のところ二対一ではかなり分が悪かったのだが、諦めてくれてほっとした。

 体術の授業をきっちり受けておいて良かった、と初めて思った。

 振り返ると、彼女が胸の前で手を組んで、真っ青になって震えていた。


「大丈……」


 言いながら一歩踏み出すと、彼女はびくりと震えて一歩下がった。

 怖がらせたか、仕方ない。


「す、すみません。思わず」

「いや、怖がらせたよね、すまない」


 そう言うと、彼女はふるふると首を横に振った。そして自分を落ち着かせようとしているのか、大きく息を吸って、吐いた。


「怖くなんて。助かりました、お強いんですね」


 そう言いながら、彼女は頭を下げた。


「強くはないよ。ほとんど、はったりだから」


 そう言って笑うと、彼女も弱々しくも微笑んだ。


「まったく、いい人ばかりのところと思いきや、酷いやつもいるものだ」

「……いえ、私が不注意でした。なるべく誰かといるようにしなければいけないのに。ここのところ何事もなかったからか、気を抜いてしまって……」


 ということは、あんなことは初めてではないということか。

 こんな小さな村で、年頃の女は限られる。しかも彼女は美しい。更に、両親もいなくて一人で暮らしている。

 良からぬことを考える男が出てきても、不思議ではないということか。


 ひとまず人気のあるところまで送ろうと、二人で歩き出す。

 彼女とは、少し距離を取って歩いた。

 彼女が怖がったのは、エグリーズが男であるという一点のような気がしたからだ。

 怪我をして動けない間ずっと傍にいたのは、外よりも怪我をした人間相手のほうが安全だと踏んだのだろう。


「あっ、いた、こらー!」


 仕事を手伝った畑の持ち主の男が、こちらに向かって走ってきた。

 そしてエグリーズの前に立つと、手を伸ばして頭をはたいた。


「いたっ」

「なに油売ってやがるんだ、道具ほっぽり出して! 錆びるだろうが! 最後まできっちりやれ!」

「あ」


 完全に忘れていた。


「申し訳ない、すぐ行きます」

「あっ、あのっ」


 慌てたように、リュシイが割り込んでくる。


「わ、私がエグリーズさんを呼び出したんです、ごめんなさい」


 その言葉に、男は首を傾げた。


「姫が? ……夢ですか?」

「ええ」


 それなら仕方ない、と男はため息をついた。


「まあ今回はいいけど、今度やったら仕事を倍に増やしてやるからな、まったく」


 そう言って手首を掴んで井戸の方向に連れていかれる。さして怒ってはいないようで、少しほっとした。

 振り向いて彼女のほうを見ると、こちらに小さく頭を下げた。空いたほうの手で手を振ると、彼女も小さく振り返してきた。

 やはり彼女には、この村はつらいのではないだろうか、という思いが強くなった。


          ◇


 それからしばらくは、彼女は女性たちと一緒にいることが多くなった。

 ときどき、誰も捕まらないときは、エグリーズの近くにやってきた。

 どうやら、この男は安全だ、と認識されたらしい。

 あの男たちも、エグリーズを見かけるとそそくさと逃げ出すようになったから、ありがたい誤解はそのままのようだ。


 ある日、仕事が終わってやはり井戸で使った道具を洗っていたときだ。

 彼女がやってきて、すぐそこにしゃがみ込んだ。


「もう、そろそろですね」


 そうぽつりと言った。

 村人たちの畑仕事の手伝いを、何の苦もなくできるのだ。完治としか言いようがない。

 ただ何となく、ここが居心地が良くて、そのまま居ついてしまっただけだ。愛馬の完治を言い訳にして。

 けれど、これ以上はもう無理だ。

 帰らなければならない。これ以上、旅を続けるわけにはいかない。もう、城に帰らなければ。


「……数日の内には、帰ろうと思う」

「そうですか」


 それきり彼女は黙り込んだ。そしてただ、農具を洗ったあとの水が流れるのを眺めている。

 本当に、彼女をここに置いて行ってもいいのだろうか。

 神のように崇められる一方で、死神と罵られる。安心して一人で外を歩くこともままならない。

 いくらなんでもこの狭い村でこれは、つらいのではないだろうか。


「姫……、リュシイ殿」

「はい?」


 何を言おうとしているのか。馬鹿げたことだとわかってはいる。

 でも命を救ってくれた人を、このまま見捨ててもいいのだろうか。

 どうしても、言わずにはいられなかった。


「もしよろしければ、私と共に来て頂けないだろうか」


 その言葉の真意を量りかねたのか、彼女は首を傾げる。


「それは、どういう……」


 エグリーズは彼女の次の言葉を遮り、矢継ぎ早に言う。


「私と共に、クラッセに帰って頂けないだろうか。生涯、あなたをお守りしたい」


 言った。弾みとはいえ、けれど彼女を連れ出したいという気持ちに嘘はない。

 彼女は何度も目を瞬かせ、ただぽかんとエグリーズを見つめているだけだった。

 急に冷や汗がどっと出てくる。


「いや、そんな急に言われても困るだろう。考えておいて欲しい」


 慌てて農具を片付ける。ちょうどそのとき村の女が井戸を使いにやってきたので、そのままそそくさとその場を立ち去る。

 ふとそのとき、幼馴染の顔が浮かんだが、首を振ってその想いを振り払った。

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