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1.長剣

 エグリーズはその日、大臣と共に早々に帰って行った。

 来るのも突然なら、帰るのも突然だ。いつものこととはいえ、嵐が去ったあとのように思えた。


 そしてその嵐の置き土産。

 ジャンティが憤怒の形相でレディオスの前に座っていた。


「まったく、国王ともあろうお方が賭けなどと、嘆かわしいことですな」

「確かに軽率ではあった。しかし、その辺の賭け事と一緒にされては困る。これはほんの余興で」

「じゃあ、約束を反古にされるというのですか?」


 脇に控えていたアリシアが口を挟む。いらぬことを、とは思ったが言葉にはしなかった。


「いや、いずれ客人にはちゃんと話を聞いてみたいとは思っていたからな」


 別に謁見くらい構わないだろう、と思った。

 しかし、ジャンティの方はますます苦虫を噛み潰したような表情になる。


「もう少し、お時間をいただきたかったのですがね。まあ、いい機会といえばいい機会ですかな」


 そう言ってはいるが、彼の表情を見るに、とても納得しているとは言い難い。

 これみよがしに深くため息をついてみせる。


「時間が必要と言うならば、別に後回しでも構わぬが」


 構わない、というよりはそうした方がいい、と思った。それでできれば話が立ち消えてしまった方が、なお良い。

 実際、謁見を申し出る者の話をすべて聞いていられない。そんなものを一々受けていては身体がいくつあっても足りはしないのだ。

 大抵はジャンティ、または城勤めの役人のところで止まってしまう。ほとんどが聞く価値もないような小さな問題だからだ。でなければ、対処のしようがないほど、途方もない話か。

 リュシイの場合はたまたまエグリーズの顔見知りだったから、こうして直接レディオスの耳に入ってきただけなのだ。


「いえ。いつまでも先延ばしにするのもよくないと存じます」


 はっきりとジャンティが言い切った。


「陛下に謁見していただきましょう。正直、私には判断できかねます」

「え?」


 それは珍しい、と思った。判断できかねる、などとジャンティの口から発されたことなど過去にあっただろうか。

 いや、記憶にはない。彼がそんな言葉を紡ぐことなど永遠にないと思っていた。


「いったい、どういう話なのだ」

「いえ、私の口からではなく、客人の口から聞かれた方がよろしいでしょう」


 そうきっぱりと言うと、ジャンティはアリシアの方に振り返った。


「もうかの客人は歩けますな。では、こちらに」

「い、今からですか?」


 アリシアは戸惑いを隠すことなく、そう訊き返した。ジャンティは何も言わずに深くうなずく。

 アリシアも承知したようで、では、と一礼すると王室を出て行く。

 彼女が出て行ったことを確認すると、ジャンティはレディオスに向き直り、言った。


「陛下、剣は手の届かないところに置いてくださいませ」

「剣?」


 ジャンティが見つめる方向に視線を移せば、自分の長剣は脇に無造作に置いてある。


「それは構わぬが、なぜ?」

「抜刀されては困りますからな」


 訊き直す前に、ジャンティが立ち上がって近寄り、レディオスの長剣を手に取るとさっさと棚の上に置いてしまった。


「よろしいですな」

「よろしいも何も」


 レディオスは承知していない。

 実際長剣に触れたのがジャンティでなければ、即刻奪い返して、場合によっては厳罰に処するところだ。


「まあ、よい」


 何か考えあってのことだろう。


「いったい客人が何をしゃべるか知らないが、とくと聞こうではないか」


 レディオスがそう言うと、ジャンティは一礼したのであった。


          ◇


「お連れ致しました」


 ゆるりと扉が開くと、アリシアが入室してきた。その後におずおずとついて来たのは、あの少女。

 流れるような銀の髪が眩しく目に映る。

 行き倒れていたときとは違って、城で支給された服を身につけ、血色もよくなった彼女の美貌は輝かんばかりだ。新緑の色の瞳が、レディオスを見つめていた。


「どうぞお掛け下さい」


 ジャンティが椅子を指し示すと、少女は戸惑いながらも席についた。

 レディオスとジャンティが並んで座り、向かいにリュシイ。アリシアは他の侍女たちがそうするように、部屋の隅に立って控えている。


「お身体の加減はいかがですかな」


 微笑みと共にジャンティがそう言うと、リュシイは深々と頭を下げつつ、言った。


「おかげさまで、もうすっかり良くなりました。本当に良くしていただき、何とお礼を申し上げていいものか」

「いやいや、頭をお上げになって下さい。謝辞など必要ありません。私どもは当然のことをしたまでですから」


 よそいきの顔と声だ、とレディオスには感じられた。彼自身も、多少彼女に警戒心を抱いているのかもしれない。

 顔を上げた彼女は、ふと王室の壁に目を向けると、小さく首を傾げた。

 棚も何も置かれていない、石造りの壁。そこをじっと見つめている。


「いかがなさいました?」


 ジャンティが彼女の行動をそう問うと、リュシイは慌てて向き直り、「あ、何でもございません」と首を横に振った。

 ジャンティもそれ以上、彼女に問うことはなかった。

 咳払いをすると、ジャンティは言った。


「さて、陛下に謁見を望んでおられたようですが、我が国王陛下は是非ともあなたの話をお聞きしたいと申されました。こうして内々にどなたかにお会いするのは珍しいことではありますが、あなたは陛下の旧友の命を救って下さった方ですから、今回は特別にとの陛下の思し召しでございます」


 大仰に言うジャンティの前口上が続く。

 レディオスの本音を言えば、とっとと話を聞いて追い返してしまいたいのだが、これくらいは仕方あるまい、と諦めてじっと話を聞いた。

 リュシイはジャンティが言い終わると、畏まって頭を下げた。


「感謝のしようもございません」

「では、話をお聞かせ願えますかな」


 リュシイはゆっくりと頷いた。そして、薄桜色の唇が開く。


「私は、神の声を聞く者にございます。私はその声に導かれてここまでやって参りました。私は陛下に、遷都をお願いしたいと考えています」


 ジャンティとアリシアにとっては、これを聞くのは二度目となるのだろう。二人は落ち着き払っていた。

 が、レディオスにとっては寝耳に水。


「はあ?」


 つい気を抜いていたのも災いして、そんな間抜けな声を出してしまった。

 レディオスは一つ咳払いをすると、言った。


「すまぬ。聞き間違いではないとは思うが、今、遷都と言ったか?」

「そうです。遷都です」

「なぜ、と聞いてもいいか」

「この地はいずれ、大震災に遭うでしょう。私の夢では少なくとも、王城は崩れ去ります」


 しばらくの沈黙。

 そしてレディオスは額に手を当てると、深いため息を一つついた。


「大震災……ね」


 その言葉には深刻な響きはないはずで、むしろ侮蔑すら感じられただろう。その思いを隠すつもりもない。

 しかしそれに気付いているのかどうか、リュシイは続けた。


「どうか、お願いです。犠牲者が出る前に遷都をなさって下さい。私には何もできない。けれど、陛下ならできるのでしょう?」


 多少、我を忘れているようにも感じられた。それが演技でなければ、必死さは伝わった。

 だがあまりにも突拍子もない話で、どう応対していいものやら分からない。


「わかった、覚えておこう。追って沙汰を伝える。ご苦労であった。今日のところはひとまず、部屋で待機していただきたい」


 リュシイは一旦口を開きかけたが、すぐにレディオスの言葉に頭を下げた。

 気まずい沈黙が王室を支配する。

 アリシアがそれを感じたのかリュシイに退室を促すと、彼女はそれに素直に従い、アリシアと共に部屋を出て行った。


「いったい何が目的なのやら」


 扉が閉まると同時に、レディオスは吐き捨てるように言った。


「神の声を聞く者だと? よくもまあ、そんなことが口に出せたものだ」

「陛下、どうぞ落ち着かれて下さい」

「私は、十分に落ち着いている」


 けれど、膝の上でぎゅっと握り締めた拳が小刻みに震えていた。

 ジャンティがためらいがちに口を開く。


「問題は、彼女が嘘をついているのかどうかではありませんよ」

「どういうことだ?」

「先日のアリシアの様子を見たでしょう」

「それがどうした」


 あの彼女の取り乱し方。あの気の強い娘が、泣き出すとは思ってもみなかった。


「……まあ、少し、頭を冷してお考え下さい。今の陛下では、冷静な答えを導き出すことはできないでしょうから」

「ジャンティ」


 低い声音で一言名を呼び、睨みつける。けれどジャンティは臆すことなく、視線を返してきた。

 しばらくの静寂。根負けしたのは、レディオスの方だった。深くため息をついてから、絞り出すように言った。


「わかった。冷静になる必要があるだろう」

「ご理解いただければ」


 そう言うと立ち上がり、棚に向かう。そしてその上に置かれた剣を手に取ろうとした。

 しかしレディオスはそれを制した。


「よい。本来ならば、誰にも剣を触らせたくないのだ。手に取ったのがそなたでなければ、抜刀していたぞ」


 レディオスの言葉に、ジャンティはにやりと笑った。


「存じ上げております。陛下の私への信頼あってこそ」


 剣を手に取ると、恭しく両手でレディオスの前に差し出した。


「陛下が客人に激昂なさらなかったこと、ようございました。陛下が大人になられたようで、私は嬉しく思います」


 レディオスは眉根を寄せると、ジャンティの手の中にある剣を奪うように手に取った。


「それでも私は、あのときそなたが止めたことを、許す気にはならぬのだ」


 その抑えたような声音をジャンティは平然と受け止め、一礼した。


「一生お許しいただかなくても結構です。しかし私は、私のしたことを間違っていたとは思いません」

「わかっている。正しいのはそなただった」

「ありがたきお言葉」


 それだけ言うと、ジャンティは退室していった。

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