決闘・刹那の決着
アリスティアは幼き頃からある本が大好きだった。
それはかつて世界を救った勇者の活躍を描いた童話の絵本だった。
その本を書いた者は当時の勇者を知っており、そんな勇者の活躍を童話として残したのではと語られるが、作者亡き今、それを確認することは不可能だ。
子供向けな絵で勇者の活躍が描かれたその本をアリスティアは字が読めない頃は親にねだって毎晩読んでもらっていた。
ある時、勇者は悪い魔法使いが操るお化けの群れの前に颯爽と現れ倒したと。
ある時、勇者が懲らしめた悪者が仕返しに差し向けた怖い戦士達を返り討ちにしたと。
ある時、生きた嵐とも言われたドラゴンの硬い身体を手に持つ剣で切ってみせたと。
そんな勇者が踊るような動きで振るった剣は誰もが見惚れるほどに美しく強かったと。
勇者は色んな困難に遭いながらも、傷つきながらも最後まで諦めず戦った。
そした魔王を倒した。
10年前くらいの頃、自分と同じようにあの絵本が好きなある大人がいた。確か父の友人だったか。
その大人はこう言った。
『勇者は実は今も生きて世界を守っているんだ』と
当時のアリスティアは是非とも勇者に会いたいと興奮した。
だが、そんな夢物語を語った大人は実はお酒を飲んで酔っ払っていたと知ったのはその翌日だった。
けど、アリスティアはそんな夢物語を夢物語として頭ごなしに否定しなかった。
勇者は本当に生きているんじゃないのか?
魔王を倒した後、勇者は何処へと消えはしたが、死んだという話は聞いたことがない。
そんな希望を抱くと同時に、ある夢が芽生えた。
もし勇者がいないなら、誰が世界を守ってくれるのだろう?
もし誰も守っていないなら、自分が守ろう。
勇者がいないなら、自分が勇者になろう。
幼き頃より抱いたその壮大な夢は、今も消えることなく、アリスティアの胸の中で輝いていた。
だからこそ、アリスティアは目の前の教師を許せなかった。
勇者を否定するこの教師に負けたくなかった。
セーレンド帝国学園において、生徒間の諍いは下手をすると重傷者を出し得る可能性もあるため、『決闘』という決まりを作ることで未然に防いでいる。
ただし、決闘は生徒だけでなく、教師も対象となっている。
とは言え、生徒と教師の決闘というのは普通はなく、あくまで教師間の意見対立から教師同士というのが一般的である。
所変わって場所は訓練場。
芝生の地面の上でアリスティアとクロスは対峙していた。
それを遠巻きに眺めるは他のA組の生徒全員。
ちなみに、二人の服装に変わりがあるわけでない。
アリスティアは生徒用の制服、クロスは教師用のコートを脱いでカッターシャツにズボンの普段通りの格好であった。
生徒及び教師の制服は見た目に反して防御面において高い性能を持っている。
故に、わざわざ着替えようという者はそうそういない。
もっとも、教師の制服はあくまでコートが主であり、下に着ているシャツなどは自前の物であるため防御性能などないのだが。
「先生、コートを羽織ってください」
「やだ、暑い」
「くっ...」
子供のような理由で要求を拒否するクロスにアリスティアは更に憤慨した。
「おっと、そういえばルールを決めてなかったな」
苛立つアリスティアの様子を気にせず、クロスは話を切り出した。
決闘は基本、挑まれた側がルールを設けることとなっている。ただし、挑んだ側もその内容に異議申し立てることができるため、不公平なルールになることはまずない。
指を立てながらクロスはルールの説明を始めた。
「一つ、攻撃が掠りでもしたらその時点で終了とする。もちろん、喰らった側の負けだ」
「分かりました」
この手の勝敗の決め方はよくあるので異論はなかった。
「二つ、勝負はこの訓練場内で行う。出たら負けだ」
「異論はありません」
このルールに関してもおかしな点はなかったのでこちらも同意した。
「そして、こっからはハンデだ。三つ、俺は魔法を行使する際、フル詠唱で行う」
「えっ!?」
クロスの説明にアリスティアだけでなく、観戦する面々も驚いていた。
魔法の行使は当然ながら、呪文の詠唱が必要となる。
強力なものほど詠唱は長くなるため、魔法使い同士の戦いとなればいかに相手よりも早く詠唱を終わらせられるが重要となる。
そのため、呪文を一部省略する『略式詠唱』、詠唱そのものを行わず魔法名のみを唱える『詠唱破棄』といった技術がある。
お互いに魔法を使えるアリスティアとクロスにとってこのルールはアリスティアに有利過ぎるものである。
(もしかして、先生は武技の方をメインとしてるの?)
アリスティアはクロスの提示するルールに裏があるのではと考えた。
「どうした、異論でもあんのか?」
「い、いえ大丈夫です」
一抹の不安を抱えながらもアリスティアは同意した。
例え武技を得意としていても、広さが十分な訓練場なら魔法の撃ち合い勝負になることだってあり得る。となるとやはり、自分が素早く魔法を発動出来るというルールに反対する理由はなかった。
「では四つ」
(まだあるの?)
「俺は武技を使わない。観戦してる連中も含め、俺が武技を使う素振りでも見られると判断したら俺の負けでいい」
「なっ!?」
先ほど以上に場がざわめいた。
てっきり武技をメインに戦うのかと思ったら武技すら使わないというクロス。
つまりこの時点でクロスは魔法しか使わないということが決まった。しかも、魔法の行使にすら縛りを設けて。
「どうした? まさかこれだけハンデをくれてもまだ勝てないと思って不安か?」
嘲るような笑みと共にクロスは困惑するアリスティアに尋ねた。
「っ! いえ、分かりました!」
挑発的なその態度にアリスティアは四つ目のルールに同意した。
そしていよいよ決闘が始まるので観戦する生徒陣は訓練場から出て、訓練場傍にある吹き抜けの通路の方へと向かった。
「先生、始めますからコートを着てください」
アリスティアは未だに教員用のコートを着ないクロスに注意した。
「おっと、言い忘れてた。五つ、俺はコートを着ない、武器は使わない、そして触媒も使わない。以上だ」
だが、その指摘すらもクロスは意に介さなかった。
むしろ、更に自分が不利になるようなルールを追加して。
アリスティアは我慢の限界だった。
確かに教師と生徒では実力差があるというのは分かる。それでも、ここまで一方的なまでに自身を不利にするルールを嬉々として設けるのはもう、相手を舐めきっているとしか言えないのだ。
その様子に観戦する側からも反感を買っていた。
「ねえ、エリーゼちゃん。今さらだけどアリスティアちゃんの実力ってどうなの? 入試首席だから強いとは思うんだけどさ〜」
褐色肌が健康的な女子、アンナ=ニキータにエリーゼは聞かれたので素直に答えた。
「アリスは強いよ。勇者になるんだって小さい頃から頑張ってきたって言ってたし。実際中等学院でも魔法と武技のどちらも成績優秀で負け知らずだったから」
「へぇ〜、やっぱ強いのね〜」
「話に割り込んでしまい失礼」
会話する二人の横から別の女子が声をかけてきた。
濡羽色と言って過言でない長い黒髪と女子にしては高い身長だった。
名前はトモエ=シンラ。
セーレンド帝国の同盟国、ヤマトからの留学生である。
「アリスティア殿は『魔法戦士』だが、何故腰に差した剣とは別に魔法の触媒と思われる腕輪をしているのでござる?」
特徴的なヤマト口調でトモエは質問した。
確かに、アリスティアの腰には剣が差してあり、そして右手首にはブレスレットが付いていた。
魔法を使うのには基本、マナのコントロールを補佐するために『触媒』を使用する。
エリーゼやサイモンが使う杖は最もポピュラーだが、それ以外にも指輪やブレスレットなどの装飾品の類も触媒として使われる。
勿論、触媒たりうる素材で作られるのが前提だが。
アリスティアの様な『魔法戦士』は基本、武器の素材を魔法の触媒としても使える素材で作るのが一般的である。
これは同じ武器で魔法が使われるのか武技が使われるのかを相手に読まれない様にするためである。
よってアリスティアが二つのアイテムを用いるのは一見不便な印象が否めなかった。
「ああ、それはね..」
エリーゼが説明しようとした時、アリスティアは鞘から剣を抜いた。
柄は両手でも持てる長さだが、刀身の幅は狭めで片手でも持てる重量に調整されている片手半剣の一種だった。芸術品の様な印象を持ちながらも、実戦を想定した無骨な造りもあるデザインだった。
白銀の刀身は光の反射で淡く蒼い輝きを放っており、剣の美しさをより際立たせていた。
「ミスリルか...」
その刀身を見て、サイモンはアリスティアが触媒を別途に用意している理由を察した。
『ミスリル』
これは鉄や銅などの一般的な金属とは一線を画す『超金属』の一種である。
超金属は総じて、剛性や靭性が一般の金属を上回るため、一級品と称される武具の多くが超金属製とされている。
又、超金属はその名をたらしめる固有の特性を持つ。
ミスリルの場合はマナとの相性の悪さがそれに当たる。
相性の悪さとは具体的に言うと、外界のマナを遮断し、生体からはマナを急激に吸収し拡散するという『魔法士』泣かせな効果である。
『魔法士』がこれを触媒にすることはその特性上不可能とされており、それはアリスティアも例外に漏れず、故に彼女は魔法用の触媒として腕輪を装備しているのであった。
トモエ達もそれを見て納得していた。
「それじゃ、コイツで始めるとするか」
クロスはズボンのポケットから通貨のコインを一枚取り出した。
アリスティアは左手で剣を持ち、寝かせる様に構えた。
剣先が右後ろに向けるような構えであり、片手持ちだが脇構えに近いと言える。
そして自由になった右手からは拳銃の早撃ちのような雰囲気があった。
そしてクロスはコインを指で弾いた。
コインは高々と宙を舞った。
アリスティアが身を低くし突撃出来る様にするのに反し、クロスは両手を上げてまるで降参を示すかのようなポーズを取っていた。
もちろん、ニヤニヤと笑みを浮かべている様子から降参するつもりはないのが分かり、アリスティアの神経を懲りずに逆撫でするには十分だった。
彼女は頭の中で決闘の流れを組み立てていた。
まずコインが落ちた瞬間にプラーナを全身に巡らせての『身体強化』を発動。何度も練習しているので一瞬で発動できる。
そして武技で強化した肉体で一気に間合いを詰め、横薙ぎに剣を振るう。
仮に魔法で迎撃してきても、こちらのスピードに対応しようものなら詠唱が短い代わりに威力の低い下級魔法だろうからミスリルの剣で余裕で防げる。
又、剣を躱して間合いを取ろうとしても、右手で魔法を発動して逃がさず捉える。
使うのはアリスティアが詠唱破棄で使うことができ、かつ速度に優れる風の下級魔法『疾風の礫』。
幸い掠りでもすれば勝利なので威力よりも速度を重視した作戦である。
勝つ算段が整うのと同時に、コインが地面に落ちた。
アリスティアは駆け出した。
『身体強化』で加速した肉体で一気に間合いを詰めていった。
右手の方にも魔力を込めて次の手も打っている。
クロスが上げた両手にももちろん注意している。
『勝てる』
そう自信を持っての突撃だった。
だが、アリスティアの視界はその瞬間に閉ざされた。
何かが顔目掛けて飛んできた。
靴だ。
クロスが履いていた黒い靴だ。
クルクルと回転しながら顔に迫り、そして...
「キャッ!」
彼女の鼻っ柱に見事に当たった。
人体の急所でもある鼻への直撃に痛みはほとんどなくとも怯んでしまい動きを止めてしまうのには十分だった。
その硬直は不味いとすぐに切り替え構え直した。
今の隙に魔法が来ると警戒して。
だが、一向に魔法はこ来ない。
当然だ。なにせ勝負はもうついたのだから。
「攻撃が当たったから、俺の勝ちだな」
クロスは意地の悪い笑みでそう告げた。
「な、な.....」
アリスティアはわなわなと震えて...
「そんなのアリかあぁぁぁぁぁっ!!!」
叫んだ。