更に募る不満
セーレンド帝国学園の食堂は中々に充実している。
生徒間における学内人気スポットのベスト3内を常にキープする程に。
その人気の理由はなんといってもバラエティ豊かなメニューである。
セーレンド帝国のある大陸から海を跨いで存在する帝国の同盟国の一つ、東の島国『ヤマト』。
この国発祥のマメ科の作物『ソイ(ヤマトでは大豆と呼ばれる)』を原料に作ったオリジナル調味料『ソイソース(ヤマトでは醤油と呼ばれる)』や『ミスー(ヤマトでは味噌と呼ばれる)』は独自の風味を持ち、ヤマト出身の者にとっては決して欠かせない故郷の味となっている。
学園にはヤマトをはじめとした同盟諸国からの留学生も多くおり、それに伴い様々な食の好みや文化も存在する。
そんな生徒達の日常を充実させる手助けになればという心遣いから各人の好みに応えていった結果、下手な飲食店とは比べ物にならないほどの豊富なメニューが出来上がっていた。しかも、値段もかなり控えめなので、人気に更に拍車をかけていた。
学園の生徒数も年々増えているため、スタッフにとって昼時の食堂は戦場であり、嬉しい悲鳴をあげてしまうのが常だった。
そんな食堂で購入したランチセット(魚介と野菜をメインとしたヘルシーメニュー)を口に運びながら、アリスティアは賑やかな食堂を眺めていた。
「アリス、それで足りるの?」
隣に座るエリーゼはアリスティアの昼食の内容を気にかけていた。
午後は実技系の授業の可能性がある以上、補給はすべきという観点からの心配だった。
ちなみにエリーゼが購入したのは具沢山のドリアにサラダ、コンソメスープとアリスティアと比べボリュームのあるセットメニューである。
「う..うん、大丈夫」
友人の気遣いに若干気まずそうに返事をした。
アリスティアがあまり食べようとしないのは年頃の少女なら誰もが気にする体型故のものであり、隣の友人にはおそらく縁が無いであろう事案だった。
(うう、いつもあんなに食べてるのに引っ込むとこは引っ込んで、出るとこは出てるなんて...羨まし過ぎる)
純粋な優しさからの気遣いが逆にアリスティアにとって心苦しかった。
特に、同じ年でありながられっきとした差が出ているある膨らみの部分で。
「相席するぜ」
アリスティアが密かに精神的ダメージを受けている時、彼女の正面の席にクロスは堂々と座った。
「ど、どうぞ...」
いきなり過ぎてそれ以上、何も言えなかった。
「わー、先生凄い食べるんですね」
一方、エリーゼはアリスティアのように困惑せず、クロスが運んだトレイを見て驚いていた。
何が凄いかってもう、山になってた。
しかも連峰を築いていた。
「食べられるんですか?」
そんな連峰に唖然とし、アリスティアも尋ねずにはいられなかった。
「食わないで注文する訳ないだろう」
そう言ってしまえばそうなのだが、やはり本当に食べられるのかと疑ってしまう。
だが、そんな疑問も十数分後には解消された。
築かれていた連峰が尽く姿を消し、クロスの胃袋へと収まっていったのだから。
「ふう、ごっそさん」
更に数分後にスプーンを置いて軽く一息ついたクロス。目の前にあるのは何も無い数枚の皿のみだった。
「「......」」
アリスティアもエリーゼも、そして食堂にいた面々もその光景に唖然としていた。
「おい」
「な、何ですか?」
トレイを手に立ち上がるクロスから声をかけられ、アリスティアも我に返った。
「時間なくなるぞ」
「へ...あっ!」
クロスの健啖ぶりに意識を割いてしまい、アリスティアの食事はほとんど進んでいなかった。
昼の休憩時間終了までもう半分もない。
急いで食事を再開するアリスティアを余所目にクロスは食堂を後にした。
昼食を終え、訓練衣に着替えて訓練場に集まった面々は、集まったことを至極後悔していた。
いや、授業である以上集まらないという選択はないのだが、やはり集まらなければよかったという思いがあった。
アリスティアは訓練場の隅にいた。
『戦士』の生徒達もいた。
そして彼女らは全員、瞑想をしていた。
訓練場の隅に集まるようにとクロスから指示を受けてそうすると、「立って身体を一切動かさず、目を閉じて意識を集中させろ」と言われた。
しかも、午後の授業が開始してからずっと。
一体何分経過したのだろうか。
アリスティアは訓練場から見える時計塔を確認するため目を開けようとすると「余所見するなよ」などというクロスの注意が聞こえるため開けることが出来なかった。
目を開けようとしていない時にも注意する声が聞こえる時があるため、自分以外にも時間が気になっている生徒がいるんだなとアリスティアは予想していた。
しかし、身体を動かすことの多い『戦士』の生徒達にとって身体を動かすことができないこの状況は苦痛だった。
『戦士』型の人間の特訓方法はもっぱら身体を動かすものだから。
武器を使い熟すための素振りなどの武器の訓練、それを扱う肉体の鍛錬、そしてプラーナを駆使した武技の会得を目指した訓練。
クロスが提示した瞑想は真逆に思えて仕方なかった。
一方、エリーゼ達『魔法士』の生徒の多くは『戦士』の生徒以上に訓練場に集まったことを後悔していた。
「走れ」
授業開始時にクロスから出された指示である。
ひたらす訓練場に設けられたコース上を走り続けるということであった。
何周走ればいいのかと聞いた生徒に対しクロスは「いいから走れ」と言って答えてくれなかった。
エリーゼは『魔法士』だが、実家の庭園の世話などを趣味としてきたことで多少なりに体力はある方だった(あくまで『魔法士』としてだが)。
『魔法士』の生徒の多くが十何周か走った頃には息切れは当たり前、走っているとは思えないような足取りもチラホラとなっていた。
瞑想し続ける『戦士』の生徒達の近くでランニングしている様子を確認するクロスの前にに『魔法士』の生徒、サイモン=テオリオが立ち止まった。
「はあ、はあ...あの、先生..」
眼鏡の位置を直しながらサイモンは必死に呼吸を整えようとし、本題に入ろうとしていた。
「どうした、まだ走れるだろうが」
「い、いえ...どうして僕たちが走らなければいけないんですか?」
そして遂に指示を受けてから感じていた疑問について質問した。
『魔法士』の訓練方法は魔法に関する理論を学ぶために魔術書を読み漁り、精神統一によりマナのコントロールを訓練し、そして新たな魔法を会得を目指した魔法の練習。
つまりは『戦士』と『魔法士』の訓練内容が真逆としか思えないのが、サイモンの疑問だった。
勘違いしてこの訓練を提示したなら今すぐ修正してもらい休みたいのと、魔法の研鑽に時間をかけたいという気持ちの下、彼は代表して質問した。
だが、彼の希望は容易く砕かれた。
「動けない魔法使いなんぞただの雑魚だろうが。くだらねーこと言ってねーで走れ」
無情なクロスの回答にサイモンはそれ以外何も言えず、素直に走るのだった。
ただ、その足取りはどこか重かった。
そんな会話を聞いていた『戦士』の生徒達も自分達の瞑想について質問しようと思ったが、先手を打つようにクロスが更に言葉を紡いだ。
「集中力のない『戦士』はただの木偶だ。無駄口叩いてる暇があったら集中しろ」
何も言えなかった。
そして授業終了を告げる鐘の音が鳴るまで、A組はひたすら指示された内容を続けた。
「足が...パンパンだよ..」
「もう動けない...」
『魔法士』組は一人残らず芝生で覆われた訓練場に横たわっていた。
途中、何人かは酸欠を起こして保健室送りになっていた。
「足が、し、痺れ...」
「頭、いてー...」
『戦士』組も長時間直立不動を続けさせられたために足が痙攣していた。
更に意識を集中し続けたことで頭痛に苛まれ、何人か吐いて同じく保健室送りになっていた。
走るペースを落とすと「手抜くな」と名指しで指摘され、集中を切らせば「案山子かお前は?」と正面から言われるため、リタイアする以外には逃げ場が一切無かった。
「ったく、この程度でリタイアするのが出るって...」
疲労困憊の生徒達を一瞥しながらクロスは隠すことなく不機嫌な表情と声音で呆れていた。
「おら、今日の授業は終わりだ。ささっと家帰って寝ろ」
身動き一つまともに取れない生徒に手を差し伸べることなく、クロスは訓練場を後にするのだった。
「アリス、大丈夫?」
「ありがとう、エリー」
瞑想による頭痛や足の痛みに苦しんでいたアリスティアをエリーゼはなんとか近づいて回復魔法『生命の向上』を施していた。
自己回復能力を強化するだけで重傷には使えない下級の魔法だが、疲労回復には十分であった。又、触媒を持っていないこの状況においてエリーゼが使える数少ない回復魔法でもある。
淡い白光に包まれ時間が経つと、多少の痛みは残るも何とか動くのには困らない程度にまで落ち着いた。
動けるようになるとアリスティアも起き上がり、今度は自分がエリーゼに『生命の向上』を施した。
先程より弱い白光がエリーゼを包み、彼女の疲労回復を促していった。
「やっぱり、回復魔法はエリーには敵わないな」
「ありがとう。でも、アリスは私と違って攻撃系の魔法が得意だし」
治療した友人からの称賛に微笑みながらエリーゼも称賛した。
エリーゼの言う通り、アリスティアは回復や支援系の魔法は不慣れで、直接的な攻撃魔法を得意としている。
対してエリーゼはその逆、攻撃魔法は不得意だが、回復魔法に関してはかなりの腕前を有している(エリーゼ曰く、家族揃って回復魔法を得意としているらしい)。
エリーゼよりは時間はかかったが、何とか動ける程度の回復は終わり、エリーゼも立ち上がった。
二人はいち早く訓練場すぐ近くの更衣室に向かった。
残念だが、他の生徒を助ける余裕は二人にはなかった。
更衣室傍に設けられたシャワースペースで汗を流し、訓練衣から制服に着替えた二人は重い足取りで教室に置いた通学用鞄を手に帰路についていた。
「あの人、やっぱり嫌がらせ目的なんじゃ...」
「う、う〜ん...でもまだ一日目だし」
担任教師への不信感を更に募らせるアリスティアに対し、エリーゼも苦し紛れな返答をする。
実際、クロスの授業は異端である。
しかし、彼の指摘は決して的外れという気はしなかった。
何処か、体験してきたような説得力というものが言葉から感じ取れるからだ。
そのことにはアリスティアも気づいておかしくないと思うエリーゼだが、入学式の件での苛立ちから正常な判断でも奪っているのではと気になっていた。
(何か先生のことをちゃんと知る機会があればいいんだけどな〜)
親友が今後教師と揉め事を起こすのではと思うと気が気でなかった。
そして、エリーゼの予想は後日的中してしまうのだが、それを今の彼女が知る由もなかった。