ユリウスの懸念
2020年3月現在。
コロナウイルスの流行で仕事のスケジュールが狂いまくりでてんてこ舞いです。
ただでさえ更新ペースが遅いのに、更に大幅に投稿が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
それは野外実訓練を終えて間もない頃。
「なんなんだこれは!」
その叫びは会議室内に響き渡った。
今日は生徒は休みだが職員会議の日。
学園の職員達が一堂に集まり報告と連絡を主とし、必要に応じて会談を行う場である。
「これはどういうことだ、クロス=シュヴァルツ!」
叫んだ張本人、ユリウスは会議資料の書類を片手にクロスに向かって声を荒げる。
一方のクロスはと言うと両の人差し指で耳を塞ぎ、ユリウスの叫びの喧しさに堪えていた。
「うるせ....どういうことも何も、書類に書いた通りですよ、ユリウス先生。ってか、俺のことフルネームで呼ぶの面倒じゃないですか?」
耳から指を抜いて適当にあしらうとクロスは欠伸をかく。
不遜を隠すつもりのないその態度にユリウスは更に怒り心頭となる。
「き・さ・ま〜〜!!!」
「ちょ、ちょちょちょっとセンパイ、待つッスよ!」
席から立ち上がり今にもクロスに掴みかかりに行きそうなユリウスを女性教職員の一人が慌てて後ろから羽交い締めして抑える。
アンナのような地黒の褐色とは違い日に焼けた小麦色の肌とベリーショートの髪が特徴のこの女性の名はカノン=ウルーガ。
ユリウスが担任を務める1年次生B組の副担任である。
「ええい、離せカノン! 『暗い森』にてロックバイパーと遭遇、しかも交戦だと! 何を考えているんだ貴様! 生徒の身を危険に晒すなど言語道断だ!」
クロスからの野外訓練の報告にユリウスは憤りを抑えきれない。
それもひとえに生徒達を思ってのもの。
「仕方ないでしょ、まさか『はぐれ』が現れるなんて予想できませんよ」
「ならばなぜすぐに逃げなかった?」
「俺が異変を察した時にはもう逃げる余裕はなかったからですよ。
確かに俺が殿を務めて逃げる手もない訳ではないですが、慣れない森の中じゃ逸れてしまう奴が出てしまう。そうなったらよくてエサか野垂れ死ぬかってところですね」
その言葉にカノンの顔が引き攣る。『よくて』で『死ぬ』。つまりはもっと悪いことはあるということ。女性の身である故に想像でき、言葉にするのも憚られる結末の存在に他人事とはいえないから。
「確かに、貴様の言い分は理にかなっている。だが、貴様はその状況を利用して生徒達をロックバイパーと交戦させたというのはどういうことだ」
ユリウスの言葉にクロスの眉根が僅かに寄る。
「誰がそんなこと吐かした?」
隠すつもりのない不機嫌丸分かりの声音での質問にユリウスは思わずたじろぐ。
ユリウスの言葉、クロスの威圧に関係ないはずの他の教職員達もざわついていた。
クロスはロックバイパーとの交戦について自身が捕まり仕方なしに生徒達が参戦したとして報告している。
普通ならそれで一先ずはバレるはずがないのだ。
だが、よく考えると一つの答えに行き着いた。
野外実習から学園に戻り、報告書を仕上げるためにと学園に残っていた。
ロックバイパーに締め付けられ身動き取れない状態であったために生徒達が交戦し自分を救出したと書いたのに、その当人はピンピンしている。
仮に帰還する前に治療を受けたと主張しても十分に怪しい。
となれば、その日に会った何人かの教員達がそんな憶測を立て、職員内で噂になっていてもおかしくはないのではないか。ただでさえ就任当初は生徒から邪険にされていたのだから。
その結論に達すると、自身の不始末が原因と納得しクロスの威圧はすっかりなりを潜め、代わりにため息一つを漏らすのであった。
「とりあえず、報告書の件は事実です。以上」
「何が以上だ、そんな不測の事態を起きたのならば今後そうならないようにと対策を講じてはどうなんだ貴様は!」
そんなユリウスの叱責に対し、クロスは呆れ混じりに再度ため息で返すのだった。
「なんだ、その態度は?」
「いえ、先輩は随分お優しいなと」
「馬鹿にしているのか」
「いえいえ、インテリらしい意見だなと呆れはしましたが」
「何だと!」
怒りでユリウスの顔に青筋が走る。
ちなみにクロスの言う通り、ユリウスは教師の傍ら魔法の研究をしておりインテリと称される部類である。
「不測の事態を起こさないようにする。そんなこと出来る訳ないでしょうが。出来ることは予測出来ることへの対策のみ。本当の意味で不測の事態は防げないんですよ」
「屁理屈を...」
「不測を予測しろと言ってくる理不尽よりはマシかと」
「ぬぅ..」
「俺達がしてやれんのは、どんな事態が来ても十分に対応出来るように鍛えてやることと、鍛えた力を十全に発揮出来るようにしてやること。それだけなんですよ」
「ぐうぅ...」
「最後に戦争と称される馬鹿騒ぎが起きたのは約50年前。ここの教職員じゃ経験のある奴はほとんどいない。まあ、いても当時は若過ぎたから後方支援だったりですけどね」
クロスの目線は静かに様子を見ていた学園長の方に向く。
「ほとんどの教職員世代じゃそれは歴史という紙の上から識ってはいても、実際の経験として知ってはいない。そこ、分かってますか?」
「.....」
ユリウスに反論の言葉はない。
言おうと思えば自分よりも若いクロスが説教するなと反論できた。
だが、クロスに言われるまで気づいていなかったのも事実。そして正論でもある以上、反論を言うつもりはない。
が、
「貴様の言葉に一理ある。だが、それでも生徒を危険に晒すのは許せん。
私達教育者には未来ある若者に道を示し、そして守る義務もある!
だからこそ、最善を尽くすのが当然なのだ。クロス=シュヴァルツ、今後はこのような事態にならぬように尽力せよ!
一人が無理なら他の教員陣にも協力を求めろ。いいな!」
「わ..わかりました」
ユリウスの勢いに押され、クロスも素直に応えるのだった。
(お優しい人で...)
口にはしないが感心はした。
会議が終わると、薬草栽培の温室近くにあるベンチにて、ユリウスとカノンは腰掛けていた。
「まったく、クロス=シュヴァルツめ...」
「まあまあセンパイ、あの人の意見には納得してたじゃないですか」
「それは分かっている。だが、奴には不測の事態が起きることは仕方ないと割り切っているふしがある。それが許せんのだ」
「はあ...」
クールな印象を抱かせるこの先輩教師は生徒思いの人物だ。
一見すると生徒を蔑ろにするような真似をするクロスに対し憤慨してしまうのも仕方ない。
ユリウス=レーゲンス、29歳。
元学園の卒業生。入学時は他人への関心は薄く、自身の向学に励み続けたが故に孤立していた。
我が道を行くといった点ではある意味クロスと似ているなと思うのはカノンの意見である。
卒業後は帝国の魔法省にて魔法研究の分野に進むことを考えていたが、実際に彼が選んだのは教職。
そうなったのは一人の恩師の存在がきっかけであった。
現学園長、フィアナ=ゲニウス。
当時は魔法関連の科目を担当していた彼女が、孤立していたが故に周囲との軋轢があったユリウスに対してかけた言葉が彼を変えた。
「あなた、一人じゃもったいないわよ」
その言葉は当初こそ意味が分からなかった。
だが、次第にその言葉から伝えたいことが分かった。
ユリウスは当時、魔法の威力向上を目指してある試みをしていた。
それは学生時代の彼には検証が困難なものであり、同級生の協力があれば容易なものだった。
ほとんど交流を持たなかったクラスメイトに頼み込み、見事検証にて予想以上の結果を得ることが出来たユリウス。
これをきっかけに度々クラスメイトに協力を仰ぐようになり、その時の結果のデータを基に彼は今の実力を得たのである。
同時に、周りと関わるようになり頼られることから打ち解けていった。人間関係がうまくいくようになったおかげで彼の学生生活は充実したものへと変わっていった。
フィアナから教えられた些細な教えは彼のその後に大きく影響し、今の自分がいるのはひとえにフィアナの教えあってのものと思い、ユリウスは卒業後に研究機関からのスカウトもあったがそれを断り、専門教育を学んだ後に教師として学園に就職。
フィアナに教えられた自分がいるように、今度は自分も生徒を導いていきたい。
そんな熱意が彼を突き動かしているのであった。
カノンもそんな彼に世話になった一人である。ユリウスが三年次の年にカノンは一年次として入学。
戦士としての身体能力や戦闘のセンスは見事だったが如何せん座学は壊滅的であり、図書館で一人残って勉強するも苦戦していたため、それを見兼ねたユリウスが面倒を見たのがきっかけである。
当時はスパルタな指導をしてくるユリウスに涙目になるばかりだった。
だが、成績が少しでも上がると褒めてくれるため、カノンは更に頑張った。
結果、成績上位者として学園を卒業。帝国の軍部からスカウトの声をかけられるも、彼女もまた学園の教師として就職。
勉強の出来なかった自分だって頑張れば出来たのだから、同じような悩みを持つ生徒を導いていきたい。
それが彼女の表向きの就職動機であった。
そう、表向きは...
「あ、あのセンパイ! 今日もお願いするッス!」
そう言ってカノンは傍に置いていたバスケットを開ける。
中にはサンドイッチが収まっており、パンに挟まれた具材の方も何種類もパターンがあった。
「まったく...味に自信が持てないからとはいえいい加減、調理室の職員にみてもらったらどうなんだ?」
「い、いや...その、やっぱり、素人の料理をみてもらうなんて...それに忙しそうで悪いかな、と」
「私も週明けの授業の準備や研究とで忙しいのだが?」
「うう、すいません」
「まあいい、昼食としてもらうぞ」
縮みこむカノンにこれ以上言うのも気が引けたのでユリウスはサンドイッチを手に取るのであった。
職員会議は最低でも月に一回行われる。
会議が終わった後、カノンはこうしてユリウスに自分で作った料理の味見を頼んでいる。
カノン曰く、『いざ野営とかで自炊が求められてもいいようにしておきたいので』ということらしい。
学生時代からの付き合いであったユリウスはその殊勝な心がけに関心して協力している。
「ほう、美味いな」
「ほ、ほんとですか!」
「落ち着け、私は嘘は言わん。本当に美味いから美味いと言ってるんだ」
「あ、ありがとうございますッス!」
カノンの顔は誰が見ても歓喜に満ちていた。
「しかし、これだけ出来るならばもう練習する必要もないのではないか? お前も二人分作るのは手間だろう」
「そ、そんなことないですよ! それに、勉強にしろ料理にしろ、継続は大事じゃないッスか!」
「う、うむ...そうだな」
カノンの気迫に圧される形でユリウスは思わず頷く。
「カノン、お前、クロス=シュヴァルツをどう思う?」
「え、クロス先生ッスか?」
「そうだ。あの男は得体が知れん」
「得体が知れないって、凄い言い様ッスね。確かに、謎が多い人なのは聞きますね」
「そうだ。あの男は個人情報がほとんどが不明で、分かることは非常に少ない。
私が知っているのは教員免許はなく家庭教師の類をやっていたことで学園長に推薦されたこと、そして教師としての能力は...腹立たしいが見事だ。だが結局はあの男の身元を保証するものではない。用務員として潜入したマーカスの様な輩の存在がいる以上、油断は出来ん!」
「な、なるほどッスね...」
「心外だな〜」
「ぬおっ!」
「ウワァッ!」
二人の会話に突如として割ってきた三人目にユリウスとカノンは驚くしかなかった。
「ク、クロス=シュヴァルツ! 貴様、いつの間に..」
「いつも何も、お二人が来る前からあそこで寝てましたけど」
わざとらしい生欠伸をしながら生垣の裏を指差すクロスにユリウスもカノンも疑わしそうに彼を見る。
特に、カノンの方は寒気も感じていた。
彼女は漁村の出身で、小型の舟で水棲の魔物を相手にしたこともある。水中から突然現れてくる魔物を相手にしてきたことで培われた彼女の五感とそれに基づく気配察知能力は現役の斥候にも引けを取らない。
そんな彼女ですら、クロスの存在を捉えられなかったことに遅れて気づいたユリウスも警戒心を更に引き上げた。
「廃村の出身ですよ」
「なに?」
「だから俺の出身ですよ。国境付近にある村が俺の故郷なんですよ。まあ、今言ったように20年くらい前に廃村になりましたけど」
「うむ....」
「廃村になる前から身寄りはなく、村を出た後は教会の孤児院で一時世話になるも、そこも経営難で潰れてしまい獣狩りだ魔物狩りで金を稼いでいきました。人の縁には恵まれてましてね、その過程で学園長に短期間ながら教えを受けまして...それから、自分の人生経験も合わせて時折家庭教師の真似事をしてみたら上手くいって狩りの時よか稼げましたね」
「うへぇ...壮絶ッスね」
クロスの話にユリウスもカノンも筆舌に尽くしがたい気持ちだった。
さらりと語るが、彼の経歴はかなりシビアすぎる。むしろ、それを淡々と語っていられるからこそのあの不遜な態度なのかもしれない。
「そんで、新規職員の募集にと俺の噂を聞いた学園長から誘われる形で今に至るという訳です」
「経歴が白紙ばかりなのはつまり...」
「まともな記録のない廃村出身、学歴はなく、職歴もまともとは言えない。しかも教員免許もない。
下手に記載すれば俺の採用に対して反対意見が出るからあえて載せなかったんですよ」
肩をすかして語るクロスの話にユリウスも筋が通ると理解できた。
魔物を相手に狩りをしていたとなれば実戦能力の高さや実戦的な教育方針になった経緯は考えられる。
生徒の実力向上についても、現役の教師からの手解きが基盤となって自分の力にしてきたことが大きな要因なのだろう。
「そういうことだったのだな」
「ええ、そういうことです」
「貴様のことはよく分かった。だが...」
「何ですか?」
「貴様のその不遜な態度はやはり許せん!
この学園は我が国にとっても重要な教育機関。故に教職員は生徒への模範として振る舞うことが大事なのだ。
クロス=シュヴァルツ、教師を名乗るならそれらしい行動を取ることを義務とし、実行するのだ。分かったな!」
「...わかりました」
ユリウスの言葉にクロスはただ応える。露骨に嫌そうな顔で。
「なんか、あっさりと判明しましたッスね」
「ああ...そうだな」
メガネの位置を直しながらカノンの言葉に頷くユリウス。
しかし、その表情はどこか合点がいかないといったものであった。
(確かに、国営の教育機関の職員はそれ相応の立場のものが選ばれる。だが、帝国内においてと高い権限を有する学園長が身元を保証する立場である以上、下手に素性を隠すのは却って不信を買うはず...単純にそこまで考えが至らなかったのか?)
「はあ、面倒な奴に目をつけられたな」
学園の廊下を一人歩きながらポツリと呟くクロス。
しかし、その顔は言葉と裏腹にどこか面白がっているものだった。




