密談と契約
新章に入る前に一旦幕間を入れます。
草木は眠り、星や月の光が遮られる曇天の真夜中。オリエの街は今静寂と暗闇が支配していた。
商店の多くは営業を終え、明日に備えている中でその酒場だけ未だに灯りが窓から洩れていた。
未だにと言うが、そもそもこの酒場が開く時間は周りの店が閉まり始める頃なので開店してからさほど時間が経ったとも言えないのだが。
そもそも、ここは街の南西部にしてブラックマーケットなどが横行している領域である。
そんな店故に利用する客は一般の者とは違う。
言ってしまえばこの店の客のほとんどはカタギではない。
時には裏社会の人間が取引の会談場所として、時には暗殺者への依頼の窓口としてこの店は大いに利用され、それによって利益を得ている。
一般人からすれば即座に通報するものだが、このエリアは黙認されている。
理由は単純。利用する者が悪人だけではないからだ。
時には語ることも憚る者が目的のために利用している。
このエリアだからこそ手に入るものがあり、利用できるものがある。
だからこそ、彼はこの店に来た。
黒のローブで頭まですっぽりと覆い顔が全く見えない。仮にローブの中を覗こうとしても、誰も中身を知ることは出来ない。
カウンター席で立つ無愛想な酒場のマスターの前に行くと、懐からアラム銀貨を二枚取り出し、
「染まる黒と染まらぬ白」
言葉を紡ぐ。
その言葉を聞いたマスターは何も言わずに棚に置いてあった酒のボトルを一本手渡す。
彼はそれを受け取りラベルを見る。
一見無造作に取ったように見えるが実際は彼の言葉に対しての回答として渡したもの。
彼はラベルを眺め、そこに記された内容を読むといつの間にか目の前に置かれていたグラスに中身を注ぎ、勢いよく呷る。
そして酒場の奥にある階段を降っていく。
酒場の奥は地下へと続き、いくつもの個室が用意されている。
個室の一つ一つで何が話されているのか聞き耳を立てようものなら、良くて翌朝に物言わぬ死体となり、悪ければ消息不明の行方不明となる。
誤って壁や扉に触れでもしただけで危うい。
故にここで何があったのかは外に出るまでは当事者の胸の内に留められる。
薄暗い階段を降り進むこと数分。彼は目的の部屋に到着する。
扉に貼られた木札に刻まれた文字の羅列。マスターから渡されたボトルのラベル刻まれていた暗号に一致するので躊躇なく扉を開ける。
簡素な部屋で、そこにあるのは安っぽい木製のテーブルと二脚の椅子のみ。
その部屋にいたのは女性だ。
熟れて豊満な肢体から発する色香を惜しみもなく発揮する際どい服装で、山高帽で目元は隠れているが彼が部屋に入るのを見ると嬉しそうに笑みを浮かべていた。
彼が扉を閉めるのを確認すると手に持つ短杖でクルリと円を描くように振る。その瞬間、部屋が見えない力によって包まれるのを感じると彼はローブを外した。
「悪趣味な真似してんじゃねーよ婆さん」
「あら、いいじゃないですか」
女性が笑うとポンと音を立て、煙が彼女を包む。そこから現れたのは慎ましい服装に身を包んでいた高齢の女性の姿となっていた。
彼、クロスは呆れた顔をしながら女性、フィアナを見た。
「ったく、変装するだけならいつもの魔女スタイルでいいだろうが」
「ダメですよ。あの姿は表用の変装なんですから」
「あっそ」
「それに、私とは似ても似つかない姿に変身した方がバレにくいんですから」
「確かに、お前昔からないもんな」
直後、空気が凍る。
「.....クロス先生。減給決定です」
「んな!」
突然の強権に慌てるクロス。
いくら元教え子とはいえ今は職場の上司。逆らう術はない。
ちなみに、ないと言ったものについてだが、アリスティアが親友に対して羨ましく思っている部位のことであったりする。
「はあ...それより例の件は..」
「こちらに」
フィアナを指をパチリと鳴らすとテーブルに書類の束が姿を現わす。
魔法で亜空間に隠していたようだ。
クロスは早速書類を手に取り中身に目をやる。
「今回判明したメンバーの調べられる限りの詳細です。組織名はクロス先生が聞いた『セフィロト』として帝都の方でも伝わっています」
「それと、メンバーが崇める『ダート』という人物。それは生命の樹の頂点に立つ『神の真意』を意味する言葉だからおそらく本名じゃないな」
「ええ、国の諜報部もそうであろうと検討をつけています」
クロスはメンバーの資料を読み進める。そこには死亡した様子についても記載されている。
「魔法師のジャス...出身はアルマレスだったか」
「ええ、『即効魔術杖』を開発したあの国の出身なら、入手も容易でしょうね」
「死蔵していたのを掻っ払ったってところか....魔法師としての才能は当国の学園で落第スレスレ。卒業後、同期生が何者かに襲われて死亡する事件の発生した頃に姿を消したことで重要参考人として指名手配される」
クロスが読んでいる書類は先日の襲撃事件の実行犯達に関する資料である。
あの事件で彼らの裏には何者かがいるのが推測出来るため、経歴を改めて確認しているのだ。
「戦士のホレス。元傭兵団所属の傭兵。何人もの女性への暴行殺人を行なっていたことが発覚し傭兵団を追放。その後も罪を繰り返し同じく指名手配」
ちなみに、この情報の内容は一般市民であるクロスが触れられるものではないため、有力者であるフィアナが手に入れてくれたものである。
「マーカス=ピーブス。こいつが今回の実行犯達のリーダー格だな」
「ええ、魔術学院にて刻印魔法を専攻。成績はとりわけ優秀ではない中の中で、卒業後は学院で得た知識と技術で施設の魔法刻印の調整役として勤務。不祥事を起こすことなく真面目な働きぶりながら方々に勤め、今年に学園の事務員として就きました」
「そいつが勤めた施設は調べたか?」
「ええ、幸い職務経歴は全て事実だったので調べるのは容易でした。クロス先生の言う通り、各施設の魔法刻印が改造された痕跡がありました」
「やっぱりな...必要に応じて行動を起こせるように秘密裏に改造を行い、必要がなくなれば元に戻す。経歴も真実であることからしても正に優秀な『草』だな」
資料の内容に感心すると共にクロスは辟易する。
「『草』...確かヤマトで用いられる密偵の呼称でしたね」
「ああ、必要が来るまでは技は磨いても一般人として生き、下手すればそのまま終わりを迎えることもあるほどのな。学生時代の成績と実際にやったことを比べてもこの段階で草として生きていたのは明白だな。刻印魔法のような専門技術は独学で腕を磨くのは無理があるからな」
「ですが、一番恐ろしいのは...」
「そう、必要とあればそれまで築き上げたものを全て捨て去ることを厭わないあの異常な思考回路。あれは一種の狂信者だ。マーカスに殺されたジャスとホレスもそれだった。あの二人は捕まった瞬間、抵抗することなくマーカスの凶刃を笑って受けやがったしな」
今思い返しても異常としか形容できなかった三人。
生い立ちも出身も経歴も異なる彼らがここまで信仰する存在、『ダート』とは一体何者か。
資料の続きを読み進めるクロス。次の資料を見た瞬間、僅かに動揺する。
「双子の暗殺者ヘンゼとグレーテ。フリーの暗殺者として各地で雇われ活動。現在はある組織に所属していた模様。そして...」
「クロス先生によって拿捕された後、拘留中に死亡したとのことです」
「暗殺か?」
「いえ、自殺です。魔法による記憶を覗き込まれることを危惧して何かの詠唱を口にした途端、胸元の刺青から毒魔法が発動しました」
「精神干渉の魔法は防ぐのが難しいが死ねば意味を成さない。死人に口なしか」
「そういうことですね」
「....」
資料に目を通し終えクロスは資料をテーブルに置く。
同時に部屋の壁が軋み、濃密な気配が部屋を満たし始めた。
「クロス先生、落ち着いてください。マナが漏れてますよ」
「...悪いな」
フィアナの指摘に部屋に溢れた異様な空気が晴れる。
「敵側とはいえ、子どもが殺されるのは嫌なものですね」
「苛つくのは筋違いだがな」
「....」
クロスの言葉に何も言えないフィアナ。
「しかし、入職してすぐに事件が起きるとはな」
「私もこうも早くことが起きるとは思いませんでしたよ」
「しかし、お前から依頼されるとは思わなかったよ。前会った時はチンチクリンだったお前が立派な婆さんになってんだからよ」
「ふふ、時間は流れるものですから」
「依頼内容は国内外における何らかの組織による不穏な動きから学園の職員として警護について欲しい。正直、時間がかかりそうだな」
「ですが、同盟国からの留学生も多く抱える我が学園にはその身を狙われる可能性の高い者も多いので安易に考える訳にはいきません」
フィアナの言葉にクロスも同意せざるを得ない。
蘇生魔法の素質を持つために表向きは病没したことになっているエステリーゼ=エイル=リュアデスことエリーゼ=フィーエル。
かつて勇者の仲間としてその勇名を轟かせた戦士ライオ=ゲニウスとその妻であり同じく仲間の一人である魔導師ソフィアの血を引きかつ目の前にいる現学園長フィアナの孫であるクラウス=ゲニウス。
エリーゼの身元を引受人としてその秘密を知り、帝国の法務省で働き国際貿易の一手を担うルイス=スターラを父に持つ勇者志望のアリスティア=スターラ。
この受け持ちクラスの生徒で帝国に籍を置くこの三人だけでも身柄一つ手にすればかなりの大事を巻き起こせるのだ。
それなりに警護を強める必要はある。
だが、表立ってやる訳にもいかない。軍備の配置を変えてしまえば同盟国はまだしも対立関係にある諸外国に付け入る隙を与えてしまう。
故にフィアナは祖先より伝わる契約を今回行使した。
それは契約というにはあまりにも脆弱な取り決め、いや約束事である。
だが、彼の意向に背かない限りは決して違わぬもの。
一族の中でもこの契約を行使した人間はフィアナも含めて極少数。
基本的には一族の家長ですら先代が亡くなるまで教えられることがない契約で生涯一度きりの契約。
いずれは自分は息子にこのことを伝えなければと思うものの、契約を行使することがないことを祈るのみである。
「クロス先生、全盛期の力を失っている貴方に頼むしかないこの情けない老いぼれの願いを聞いてくれて感謝致します。どうか、未来ある子ども達を守ってあげてください」
フィアナは頭を下げ改めて懇願する。
彼女の立場は貴族社会においても上位に位置するものであり、一介の教師に頭を下げるのは異常な光景である。
もし彼女を慕うユリウスなんかが見たら卒倒してしまうのが予想出来てしまう。
だが、これは彼女の本心からの願い。
故に、彼女は願う。
頭を下げることなど厭う理由すらない。
クロスがそれに対して返す言葉は決まっていた。
「頭を上げな。念押しされなくてもこれは俺が勝手に立てた誓いだ。どっちにしろ、今回の件にはどうにも関わらないといけない気がするしな」
「と、言いますと?」
「エリクサーのレシピを知っているのは今じゃ各国の王族ですらほぼ皆無だ。情報の抹消には俺も関わったからな。なのにそれを知っているダートって奴は何者か? 正直俺にも検討がつかない」
「.....」
「とりあえず、エリーゼのことは皇帝にも伝えるな。何処から情報が漏れたか分からない以上、警戒しなければならないからな」
「分かりました」
こうして深夜の密談は終わりを迎える。
結局得たものはなく、分かったのは敵の異様さのみとなってしまうのであった。




