戦戯盤
セーレンド帝国学園の図書館は広く、そして深い。
なにせ外れにある棟一つまるまる使っての所蔵であり、地下へと広がっているのだ。
歴史書や娯楽小説といった一般的な書籍から始まり、学生用の魔法の呪文書や過去に築かれた武技の指南書、魔物の生態図鑑などの専門書がある。
更には禁書とされる書物も最下層にて厳重に管理されてもいる。
勿論、生徒が読めるのは専門書レベルまでだが、学生には十分過ぎる学びの宝庫である。
サイモン=テオリオはそんな図書館に入り浸っていた。
彼が読むのはもっぱらこれまでに開発され技術体系化された魔法の呪文書や魔法理論の本。
愛用の羽根ペンをノートに走らせ、複数の理論書の内容をまとめる。その理論に当てはまる呪文を見つければそれも記入していき、後日実践して会得するため練習する。
新しいことを探すだけでなく、自身が既に習得している呪文でも利用出来そうな知識や情報があればそれもまとめる。
一冊の本を一回読むだけで終わらせず、何回、何十回、何百回とページをめくり文章を指でなぞり頭に刻み込む。
魔法の習得は、行使する魔法の名称の理解、現象の理解、詠唱の理解の前段階を踏む。
その後、明確なイメージを持って詠唱し現象を起こすことで習得となる。
習得した魔法は脳内の未解領域にてその情報が蓄積されると言われているが、確証は得られていないので正確な答えは未だ誰にも分からない。
しかし、現実に魔法の習得はその手順をもって成り立っているのだから事実であるのだろう。
そんなことよりも、サイモンは空白のページを埋め尽くしていく。
新しい魔法、新しい知識、彼にとってこの図書館で本を読むことは至福のひと時だった。
だが最近、それが物足りなくもなっていた。
今までのように新しいことを知るだけでは満足できなくなってきた。
その理由は分かっていた。
クロス=シュヴァルツ。魔法士として三流を自称する担任教師だ。
確かに、彼は使える魔法のレベルや技術で見れば三流だ。
けど、使い方がそれを覆してしまう。
暗い森で魔物を相手にした時の魔法の使い方は巧みの一言に尽きた。
10体のゴブリンと3体のホブゴブリンを、生徒が相手するには数が多すぎるのと軽い運動がしたいという理由で---本音は後者だろうが---クロスが相手した時だ。
それまで使っていた殺傷性のある中級の『穿つ雷槍』を使うには敵の数が多く間合いが近かったためにクロスは手を変えた。
森林の中なので火炎系の魔法は厳禁。クロスが初めに使ったのは初級魔法の『水』だった。
大気中の水分を凝結することで少量の水を出すだけの攻撃力皆無の魔法だが、この時は魔力の量を中級魔法クラスまで使うことで水量をかなり増やしていた。
顔目掛けて水をかけられたことでゴブリン達は怯み、その隙を突いてクロスは次の初級魔法『放電』をゴブリン達の足元に発動した。
こちらも本来は些細な放電現象を起こすのみだが魔力を増やして無理矢理放電の規模を大きくしていた。
無作為に放たれた電気は濡れた足元からゴブリン達全てへと感電しその命を刈り取った。
効率の悪い魔力を増やす方法以外はあくまで初級魔法を二つ使っただけ。
それでありながら13体の魔物を一網打尽にしてみせた。
一つ一つ魔法を使って倒すのではなく、一つ一つ魔法を重ねて倒した。
魔法の使い方として学ばされた瞬間だった。
自分にはあんな使い方は思いつけなかった。
魔法は魔力を増やすことで規模や威力は増すが、魔力の消費効率という点ではやはり上の階級の魔法を使った方がいい。確かに即応性を求める先の戦闘ならば魔力を増やした初級魔法を行使した方が速いのも事実ではあるが。
しかし、魔法士の力量は使える魔法の強さ、平たく言えば使える魔法の階級でほぼ判断される。そのため、中級魔法を完全詠唱しなければ行使出来ないクロスの評価は一般的に見れば三流と言わざるを得ない。
だが、クロスの実戦時の魔法の実力はどうか?
魔法戦士である分、身体能力は高いのでそれを活かした体捌きを用いているとはいえ限られた手札を巧みに捌くことで素の弱さをカバーしていた。
いや、寧ろ限られた手札故に最善を切り出すのが上手いとも言える。
一体、どれほどの経験を積み重ねてきたのか?
20代と若いはずなのにその戦い方はまるで老獪そのものだ。
(悪賢いという意味では本当に老獪だな)
ふと思考が逸れてしまうことにサイモンは苦笑してしまうのであった。
「さて、今日の戦史の授業はこいつを使う」
そういってクロスが出したのは巨大なボードである。
直径2メートルはありそうな円型のものである。
「先生、それは何なんですか?」
「こいつは戦戯盤。記憶させた地形の情報を縮小して再現してくれる代物だ」
クロスがエリーゼの質問に答えると今度は胸ポケットから出したカードのような物を取り出し、ボードの横にあったカードと同じサイズの穴に差し込んだ。
そうすると、何もなかったはずのボードの上に凹凸した地形、地面を覆い尽くす草、ボード端を流れる大河、更には盤上から降りしきる雨が現れた。
「凄い....」
「今入れたカードは『フロド大戦』の戦場を再現したものだ。まあ、説明するよりはやってみる方が速いだろうな。さーて、このゲームをやってみたいやつはいるか?」
『はい!』
教室にいる生徒ほぼ全ての手が挙がる。
興味がなさそうなのはサイモンを含めた少数である。
ちなみに『フロド大戦』とは過去にあったとある部族とその土地を狙っていた国の戦いのことである。
戦いの舞台となった場所は広大な湿原で底なし沼もあるなど危険な場所であったりもする。
「よし、それじゃサイモン。お前が相手しろ」
「ハァッ、何でですか?」
「だって興味なさそうだし」
「興味ないのに何でですか?」
「いいからやれ。お前のためにもなるぞこれは」
何がなんでもやらせる気が満々のクロスにサイモンは抗う気力も失せた。
ボードを挟んで対峙するクロスとサイモン。
「お前は東軍な。駒の数、力量、バランスはそっちのが上だからハンデにはちょうどいいだろ」
「....分かりました」
遠回しに格下扱いされて不満げなサイモン。
改めて盤上を眺めて思考を巡らせる。
駒(軍勢)は多数存在し、主なものとしては以下のものが挙げられる。
①歩兵:身軽な軽装兵と防御に長けた重装兵に内訳される。
②騎兵:動物(主に馬。時には調教した魔獣)に騎乗し機動力に長ける。
③魔法兵:主に後方からの遠距離火力役であり、数人がかりで行使する超級魔法による大規模攻撃も担う。
④衛生兵:治癒魔法の使える者、薬品類などを扱う技術者で構成。負傷者の救助を担う。
⑤偵察員:情報戦を制するため、隠密活動に長けている。
⑥工作員:直接戦闘を担わない代わりに戦局を左右するための工作活動に従事。
そして戦場は草原地帯。遮蔽物の類いはないが天候が雨のため視界は不良。
(数は僕の方が上だ。ならば重装兵を壁に防備を固めながら質量戦に持ち込むのが正解だな。だが先生の方は魔法兵が少ない代わりに偵察員と工作員の数が多めだ。先生お得意の搦め手に持ち込まれるとまずいからこちらの偵察員と工作員に加えて騎乗兵もそちらの妨害に持ち込むか...)
「準備はいいか?」
「問題ありません」
「それじゃ始めるか」
「軽装兵と騎兵、敵勢中心に突入を開始」
クロスがそう言うと軽装兵と騎兵の駒達がその指示に合わせて動きだす。
戦戯盤は操作者の指示で駒が動くという魔法による細工が施されている。
その動きにサイモンは対応を始める。
「重装兵を前線に出し迎撃準備。軽装兵は重装兵の後方、魔法兵は更に後方に位置取り前進」
サイモンの駒も動き、クロスの駒に対峙する。
「俺は工作員と偵察員を...」
「工作員、偵察員、騎兵を用いて相手工作員と偵察員をマークし接近。活動妨害に従事」
クロスの指示を遮るようにサイモンが続けて駒を動かす。
戦戯盤はゲームのようだが、ターン制がある訳ではない。操作者が如何に素早く指示を出すのかが重要なのである。
故に両軍の編成や数から戦術を考えていくサイモンのやり方は正解といえる。
「だったら工作員と偵察員を中心部の方へ移動する。重装兵は魔法兵と共に移動」
(密集地帯に持ち込んで妨害し難くするつもりか? ならば機動力優先で....)
「軽装兵と騎兵を最速で前進。重装兵はそれを追走。魔法兵は射程距離に入り次第攻撃開始。衛生兵も支援に回れ」
サイモンの駒が動きは速まり、このままクロスの駒の軍勢とぶつかるのみである。
兵数はサイモンの方が上。このまま正面衝突していくならサイモンに軍配が上がる......はずだった。
「半回転陣形を継続。一撃離脱を旨に撹乱」
「くっ、魔法兵で攻撃....いや中止」
実際はサイモンが苦戦を強いられていた。
数列の部隊を組み、前列が一撃見舞うごとに後退して後列と交代する。
数を減らされることはほぼなかったがこっちも減らせない状況である。
しかも各列の部隊編成をさり気なく少しずつ変えることで攻め方が変わってくるため対処の手が打てずにいる。
更に、クロスは軍勢の位置を動かしながら交戦を繰り返しているのも地味にやりづらい。
今だって後衛の魔法兵からの射程攻撃を仕掛けようと思ったが敵の位置がずれてしまい味方への被害の方が大きくなりかねないために中断を余儀なくされた。
機動力の高い騎兵を筆頭に動きの速い工作員、偵察員、軽装兵で構成し、かつ雨天の草原という足場の悪さも活かした故の撹乱戦である。
しかし、それでも双方に被害は出ており、元々の兵数が上のサイモンの方が優勢になりつつあった。
(よし、いける!)
敵の人数が減っていき、敵の動きも読めてきたことで勝算が見えてきたサイモンは更なる追撃にかかろうとする。
「全軍、撤退。工作員と偵察員は煙幕を展開する」
「な?!」
クロスの言葉により後退していく軍勢。
同時に張られた煙幕の効果でサイモンの方は動きが鈍る。
罠を警戒して足の遅い重装兵が出せる速度で追いかけるもみるみる距離は開いていく。
だが、この状況での逃走はいわば降参の提示。
戦戯盤の勝者はサイモンになる。
クロスが何もしなければ....
「魔法兵、大河に向かって水魔法を展開しろ」
その瞬間、盤面は変わる。
サイモンは見た。重装兵と共に戦場端から盤上の端にあった大河までゆっくりと進んでいたクロスの魔法兵。
大河目掛けて繰り出された水魔法。
サイモンがその意味に気づいたのは盤上の状況が変わった時である。
フロド大戦。
この戦いに勝者はいない。
いや、あえて勝者をあげるならそれは自然というべきか。
連日続く雨天での交戦。
戦地であった草原はもちろん、その近くを流れる大河も雨の影響を受けた。
なにせ、大河の水が奔流し、草原を一夜にして湿原に変えてしまったほどに。
「.....」
水魔法による増水がとどめとなって奔流した大河の水は、瞬く間に草原を呑み込む。
そこにいたサイモンの軍勢を巻き添えにして。
「俺の勝ちだな」
半数以上の手駒が残っているクロスは勝ち誇り、サイモンは何も言えないのだった。




