過去のトラウマ、そして予期せぬ襲来
野外訓練三日目。
魔物と命のやりとりをしてきたことで生徒達の顔つきも僅かばかりだが精悍なものに変わり始めていた。
そんな訓練も午前中に終わり、あとは身支度を整えて帰路に着くのみ。
達成感と安堵感から生徒達の表情は晴れやかだった。
ただ一人、クラウスのみは浮かない表情のままだった。
(結局、僕は何も変われなかった)
森に来てから先程までのことを頭の中で思い返す。
魔物の爪が班員目掛けて振り下ろされる。
間に入って盾で防ぐ。
生じた隙を突いて班員が討つ。
魔物の牙が班員へ迫る。
割って入って盾で弾く。
体勢が崩れた所を班員が討つ。
大柄な魔物の剣が自分を捉える。
万全の体勢をもって盾で受け止め勢いを奪う。
予想していなかった状況に驚く魔物を班員総出で討つ。
他にも何戦かあったが全て同様の展開と結末。
クラウスは盾で攻撃を防ぐことしかしなかった。
確実に防御してみせてもそこに続く攻撃を行わないのでは防御も徒労でしかない。
そう考えてしまう度に気持ちが沈んでしまうのを感じていく。
野外訓練前のある日。
いつもの様に模擬戦で負け、いつもの様に訓練場に篭っていた時だった。
担任教師のクロスが訓練場に現れた。
クラウスにとって彼は得体の知れない存在だった。
武技はそこそこ、魔法は並以下。
それが彼の客観的な能力の評価とされる。
だがそんな自身の力を巧みに使い熟すことでその客観的評価を覆してみせる彼は20代とは思えないほどの老練ぶりだ。
もしかしたら、実の祖母であるフィアナと互角なのではないかと思えたほどに。
魔法士の最高峰の称号『大賢者』を持つ祖母と。
「クラウス、お前は何故この学園に来た?」
クロスに尋ねられた言葉。
戦う意思を示せない自分の存在を見れば当然の疑問だ。
しかし、さして見知った訳でもない相手に自分がここにいる理由を語るのはどうかと躊躇ってしまう。
一方で、クロスは叱責目的の類で聞いているのではないと何故だかすぐ分かった。
気づいた時には理由に至るきっかけを話し始めていた。
クラウス=ゲニウス。
かつて勇者の仲間として活躍した戦士ライオとその妻である魔導師ソフィアの血を引き、これまで多くの英雄達を輩出したゲニウス家現当主の長男。
当主である父親はセーレンド帝国の元騎士団長で現在は指南役として後進の育成に励んでいる。
母親も名家の出身でかつては父親の副官として活躍した騎士として名が知れている。
そして一族の直系で父方の祖母のフィアナは刻印魔法の権威にして世界最高峰の実力を有しセーレンド帝国学園の学園長を務めるというエリートの家系である。
とは言っても、彼は一族のことで家族から重圧をかけられたことはなかった。
家族との時間を過ごすために騎士団を早くに退いた両親は一人息子のクラウスを愛情深く育ててくれた。
多忙ながらもそれなりの頻度で会いに来てくれた祖母も同様だった。
家族の愛情を一身に受けて育ったクラウスは心身共に健やかに育った。
同時に、英雄の一族に生まれた彼が剣を手に取り、父に手習いを受けるのが日常になるのは当然であった。
「たあああーっ!」
「いいぞ、思い切りのいい太刀筋だ」
木剣による振り下ろしは容易く受け止められるも、父からの賞賛を聞くと嬉しかった。
次に振るう木剣の勢いが更に増す。
庭で繰り広げるそんな光景を母や祖母は微笑ましく眺めてくれている。
この時までは、クラウスも父や母のように剣を手に取り騎士になるのだと決めていた。
そう、あの事件が起きるまでは。
「おばあちゃん、楽しみだね」
「ええ、そうねクラくん。二人には悪いことしちゃったわね」
8歳の頃。
クラウスはフィアナと共に旅のサーカス団の公演を観に行った。
そのサーカス団では猛獣ショーならぬ魔獣ショーが名物だった。
普通の獣よりも強靭な肉体を持つ魔獣が披露するパフォーマンスは一度観たらもう従来の猛獣ショーでは満足出来ないと評されていた。
おかげでチケットは毎日ほぼ完売だった。
仕事相手からサーカスのチケットをもらったフィアナ。ひと家族用だったので息子夫婦も一緒に思っていたが生憎二人とも仕事の都合で間に合わず、チケットの期限からクラウスのみがサーカスを観に行くことになったのだ。
クラウスもサーカスの話は通っていた初等学院で聞いていて興味津々だったので嬉しかったから一にも二にもなく観に行くことにした。
そして最前列の席で観覧しようとしていたクラウスとフィアナの前で、事件は起きた。
ショーの花形の魔獣が暴れ出した。
魔物使いの魔法士が使役用の隷属の首輪---主人の意思によって激痛を与えることが出来る首輪---を行使しようとするも起動せず、それに気づいた魔獣達がサーカスの団員に襲いかかった。
後に判明したことだが、サーカス団の魔物使いは首輪の定期メンテナンス用の費用を懐に入れてメンテナンスを怠っていたのだ。
最後にメンテナンスをしてから気づけば数ヶ月も経過しており、魔物使いはそれまで魔獣の暴走が無かったことで油断していたのだ。
豪腕大熊と血狂大虎が目の前で暴れる光景というのは幼いクラウスにとって衝撃の一言だった。
人が傷つき、血が飛び交うというものとそれまで---当然だが---無縁だったクラウスの足は恐怖で竦んでしまい、逃げることは叶わなかった。
グレートベアーの爪とレッドタイガーの牙が眼前に迫っていても動けず、その身が引き裂かれるのを悟ってしまった。
しかし、クラウスが傷一つでも負うことはなかった。
「お...おばあちゃん」
目の前で自分を庇ってくれた祖母のおかげで。
咄嗟に障壁を張るも耐久力が足りず、フィアナの背中と肩から痛々しい流血が見られていた。
クラウスの無事を確認するとフィアナの次の行動は速かった。
短杖を一振りすると何もない空間から無数の鎖が現れ、魔獣達を瞬時に拘束する。鎖は一本一本が魔獣の抵抗を一切許さぬほど強く締め付け、青白い燐光を放ち、その輝きの美しさから逃げ惑っていた人々の目を釘付けにした。
続けて鎖に触れていた所から凍りつき、数秒で全ての魔物が凍りつき絶命した。
上級魔法『魔を縛する者』と『雪姫の抱擁』の無詠唱での連続発動。
この日の事件は大賢者フィアナの活躍の一つとして語り継がれた。
だが、クラウスにとっては決して忘れられない苦い記憶であり、今の彼を形成する出来事であった。
『それ』が発覚したのは、それまでの日課であった父との稽古の時だった。
木剣を握る手が震えた。
父と向き合った瞬間、脳裏によぎるのは魔物によって傷つく人々。爪と牙が返り血に染まる光景。自分の手に持つそれも魔物の爪と牙と同じなのだということ。
傷つくのことの恐ろしさ、そして傷つけることの恐ろしさ。
それを理解してしまった時、クラウスは膝を折り泣きじゃくっていた。
この日以来、クラウスは『傷つける』ことが出来なくなってしまった。
これが全てだった。
クラウスが戦えない理由は。
そして今回の野外訓練。クラウスはこれを機に変わろうと決意した。
なのに変わることが出来なかった。
それが悔しくて悔しくて仕方なかった。
自分の不甲斐なさに、弱さに、情けなさに。
クロスははしゃぐ生徒達の中で一人落ち込むクラウスを遠目に見ていた。
落ち込む理由は察することができた。
けどクロスは何もしないし何もできない。
それはクラウス自身が乗り越えなければいけない壁だから。
生徒の準備が終わりに近づいているのを確認したクロスが魔物避けの結界を解除しに向かっていたその時だった。
木々が薙ぎ倒される鈍い音が耳に入る。
反射的に『探査』---魔力を薄く広く放射することで放射範囲内に触れる生体を感知する下級魔法---を発動する。
すると急速に移動する生体を感知。同時に最初は遠くから聴こえていた音がはっきりと聴こえ徐々に近づいてくるのも分かった。
クロスは走り出した。
この音が向かう先は自分ではなく生徒達のいる方だから。
音の正体よりも先に生徒の前に駆けつけたクロスは一息吸うと共に叫ぶ。
「全員、俺のそばに集まれ!」
駆けつけた時は何がなんだか分からなかったが鬼気迫るクロスの叫びに生徒達は一斉に集まった。
その内、アリスティア、エリーゼ、サイモン、トモエ、アキラ、アンナ、リーネ、そしてクラウスは武器も構えた。
直後、森の木々を派手に薙ぎ倒してソイツは現れた。
3メートルはあろう太い胴体、身の丈は推定15メートル、なによりその身を覆う鱗は岩石そのもの。
長い舌を出して威嚇の声を上げてきた。
ソイツを見た生徒の一人が愕然とした。
「なんで...」
他の生徒も同様に顔を蒼褪めていた。
ソイツは本来、この森の外周部には現れない存在。
本来はもっと危険な中間部に生息する存在。
ゴブリンやブラックウルフなど歯牙にもかけないその魔物の名は...
「なんで岩石蟒蛇がいるんだよォーッ!」




