その名前は...
学園を崩壊の危機に晒した事件から三日後。
セーレンド帝国学園は現在臨時休校となり、静けさの中にあった。
そんな学園の屋上に一人、眼下に写るオリエの街並みを眺める者がいた。
クロスは屋上でぼーっとしていた。
赴任して教鞭をとって随分長く感じるも、実際はたかだか一月経過した程度だった。
忙しくも充実した日々を過ごしていたのだと自覚すると自嘲の笑いを浮かべてしまった。
先日の負傷は見る影もなく完治していた。
事件後すぐに専門の治癒師によって刺し傷の治療、神経毒からの解毒、大量の失血からの造血と施された。
だが、クロスの負った傷はいくら優秀な治癒魔法が治療しても一人で歩けるようになるまでには下手すれば一ヶ月はかかる。
それが三日で治る。いくらなんでも異常である。
エリーゼの蘇生魔法により死の淵から蘇ったからか、アリスティアと共に施してくれた治癒魔法のおかげか。それは否。
そんな謎の答えを知るべく、彼女達は屋上に来たのだった。
「よお」
振り向かないまま声をかけるクロス。
「お元気そうでなによりです」
「.....」
「どうした、アリスティア? 黙りこくって」
「.....」
クロスの問いに応えないアリスティア。
「かつて世界を救った勇者はその存在を知られながも、詳しいことはほとんど分かりませんでした。
踊るような剣技をもって困難を切り裂き、卓越した魔法で窮地を脱してみせた。
そんな曖昧な話ばかりしか分かりません」
不意に口を開くアリスティア。
「昔、父の友人が言っていたのです。『勇者は今も生きている』と」
「なんじゃそりゃ? どれだけ昔の人間だと思ってんだよ」
「あれから調べてみました。勇者の消息が経ってからこれまでの間。奇妙な目撃情報がありました。それも世界各地で」
「私も、アリスから聞いて調べてみました。正体不明の人物が、当時世間を騒がせていた犯罪組織を壊滅させたこと、異常発生した魔物の群れを討伐したこと、数えればきりがありません。アリスの言う踊るような体技を見せていたこと、そして魔法を無効化したという話もあります」
「で、それが何なんだ? まさかその怪人みたいなヤツが勇者だって言うのか? ってか、それが何だってんだ?」
「....先生なんでしょう」
「....ハハハハハッ!」
何がとは言わないアリスティアの言葉に、クロスは笑って返した。
「おいおいおい、アリスティア、お前は何を言ってるか分かってるのか?
頭大丈夫か疑われるぜ!」
心底愉快そうに嘲笑うクロス。
アリスティアの荒唐無稽な推理を否定するように、大笑いするクロス。
クロスの反応は普通の反応と言える。
だが、その様子にエリーゼとアリスティアは逆に違和感を抱いた。
クロスなら呆れて辛辣な言葉を浴びせるだろう。
今のクロスの反応はむしろオーバー過ぎるのだ。
「先生が思っていることとは違いますよ」
大笑いするクロスに対し、アリスティアは冷ややかな反応を示した。
「先生、私もアリスも聞きました。先生が術式を解除していた時の『レイ』の言葉を」
瞬間、クロスの嘲笑は止まった。
「そんなこと言ったか?」
今さら無駄と分かっていながらもクロスは惚けた。
当然、二人はそんな言葉に惑わされない。
「先生も、ご存知ですよね」
また何をとは言わないアリスティア。
この場において、全員言わずとも分かっているからだ。
アリスティア自身、この結論に至った時は困惑した。
その通りなら、自分が目指していたものは一体....
その通りなら、あの時自分を助け、今目の前にいる人は.....
「レイ=アスタリスク。かつて世界を混乱に貶めた魔王から世界を救った勇者の名前です。私も、アリスからよく聞いてましたから覚えてます」
クロスが漏らした一言から行き着いたエリーゼの結論にクロスは何も言わなかった。
たった二文字の言葉で特定の人物を指すなどと無理矢理な話だ。
虚構の探偵なんかが聞いたら鼻で笑うほどお粗末なものだ。
それを分かっていながらもクロスは何も言わない。
言っても無駄だろうと確信したから。
「勇者レイの生存説が噂される大きな要因は、勇者と思しき人物の目撃情報と同時に、誰も勇者の最期を知らないからです。勇者レイの最期に関する情報は全くない。
仲間であった戦士ライオや魔導師ソフィアすら勇者レイの最期について後世に語らなかった。
だからいつしか、勇者は生きているという噂が流れ、そして目撃情報が出てきた」
その通りだ。世界各国の文献を漁っても、勇者レイの最期に関する記述は断片たりとも存在しない。
まるで意図的に隠されているようにすら思えるほど。
「でも、勇者の最期を知り得る人がただ一人いるんです」
アリスティアはあの言葉を思い出す。
『そのせいで、俺が看取ってやることになるとはよ...』
『だから俺は決めた。勝手な約束を死んだ後に立ててやった』
それはつまり、その人の死を見届けたこと。
そして、目の前の人物の正体は....
「貴方は、勇者レイの最期を見た人物。
違いますか、クロス=シュヴァルツいや、魔王クオン=ヴァディス」
「........」
クロスは何も言わない。肯定も否定もしない。
ただ、天を仰ぐだけだった。
アリスティアはこの答えに至った時、自分の立っている足場が崩れてしまうような恐怖を感じた。
自分が目指していた勇者は魔王の教え子だというのなら、勇者が世界を救った話は一体...
もし、自作自演の英雄譚なのだとしたら...
今この瞬間も動悸を感じ、呼吸が逸る。
そばにいるエリーゼはそんな親友の様子に恐々とするしかなかった。
「アリスティア=スターラ。お前の考えているそれは不正解だ」
「え?」
クロスの言葉に、アリスティアはどこか安堵してしまった。
否定できるはずもないのに否定してくれたのが嬉しかった。
それは憧れが汚されなかったからか。
それとも別の思いからか。
「誰かが語った話だがな、昔は世の中全てがって言うほど腐敗し歪んでいたらしい。国々では戦争が絶えず、多くの血が流れていた。それを利用して更なる害を撒き散らす連中はそこら中にいた。
その害の一つが生体兵器の開発だ。錬金術師ラケルス=ホーエンハイムの研究データを使って人造人間製造に乗り出した組織もいる」
当時を知っているかのような口ぶりで語られる話に、アリスティアとエリーゼは凍りつく。
「魔王クオン=ヴァディスは、悪魔の角をもたらされ作られた魔人にして人造人間の成功例と言われている。
悪魔の角の力によって膨大な魔力を御し、恐怖と混乱を撒き散らした」
脳裏によぎるのはどんなに時間が経っても色褪せることのない光景。
意思の有無関係なく奪った多くの命。
その断末魔の叫びと血の色と匂いは決して忘れられない。
「ふと、魔王は思った。こんな世界壊してしまおうと。
そうなれば後は簡単だ。既に誰よりも強い力を持っていたんだから、壊すために準備し実行するだけだ。
けど、そんな時に魔王は出会った。自分を超えてくれる可能性に」
最初は非力な癖に他人のために棒切れ持って魔物と対峙していた。
勝てる訳ないのにその目に光が消えずにいた。
自分には決してない輝き、そして可能性を秘めている。
「魔王は計画を変えた。自分が壊す世界の命運をたった一人の少女に託そうと。
真実を伏せて魔王は少女に近づき、彼女を強くした。素質があった彼女は日に日に強くなる」
剣術、魔法、知識、とにかく教えられるものは教え、託せるものは託した。
「そして遂に少女は勇者と呼ばれ人々を救い、国々では魔王という脅威を前に一致団結した。
魔王はもう壊す必要がないと悟ると、勇者と決着をつけようとした」
危険を承知で振り抜き迫った剣を受け止め、薙ぎ払ってやった。
放つ魔法も悉く消してやった。
そんな実力差を示しながらも、彼女は諦めなかった。
死闘の果て、彼女が自分を超えてくれた。
あとは彼女の剣で討たれるだけ。それだけだ。
でも.....
「魔王は計画通り、勇者に自分を討たせて世界から消えた。以上だ」
最後はあっさりと話を終えたクロスはそれ以上は何もないと言わんばかりにその場を去ろうとした。
「あの、魔王の真実を知っている人はいるんですか?」
「......勇者は分からないが、仲間は意外と気づいていたかもな」
エリーゼの問いに曖昧な返答がくるのみだった。
クロスは扉に手をかけ去ろうとした瞬間、
「先生、私決めました!」
「何をだ?」
「私はやっぱり勇者になります。そして、魔王クオンを超えてみせます!」
アリスティアはクロスの目を見据えて高らかに宣言した。
「はあ....死んだやつを超えるか」
溜め息混じりの声でクロスは目の前の教え子を見る。
「いいぜ、やってみせろ。超えたかどうか、俺が見極めてやる」
「はい!」
「もっとも、俺の教えに着いてこれればだけどな」
「勿論、やってみせます」
嬉々とした笑みと共に告げるクロスに、アリスティアも笑った。
「さて、それじゃおじゃんになった再テストの内容を作り直さないとな」
「「え!?」」
「折角勇者を目指すっていう気概ある教え子がいるんだ。俺も応えてやるべきだろう」
「う.....横暴だぁーっ!」
屋上より響くアリスティアの叫び。
それを背にクロスは歩いていく。
快晴の空の下、これからの楽しみを胸に、彼は歩いていくのだった。
ひとまずこれで『入学編』は終わりです。
ここまで終わるのに時間がかかり大変申し訳ありませんでした。
物語はまだまだ続きます。




