勝手に交わした約束のため
遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
目の前に倒れるは今回の騒動の首謀者。
背中から心臓目掛けて刺さったミスリル杭により絶命しているのは一目瞭然であった。
その様子に戦いが終わったのを理解して、クロスは膝を折る。
「「先生!」」
エリーゼはアリスティアにロープを切ってもらい、二人は駆け寄る。
改めてクロスを見て絶句する。
大量の出血と強力な神経毒、しかもミスリルと自身の魔法で魔力を大量に消費してしまった今、クロスの全身は血で赤く染まり、辛うじて血で汚れていない肌は不気味なほどに青白いものに変わり果てていた。
微かに呼吸しているが、むしろ生きているのが不思議なほどの重傷である。
「先生、治療を!」
「止血だけ頼む...」
「何言ってるんですか、ちゃんと治療しないと...」
駆け寄るエリーゼに進言するクロス。止血程度の治癒魔法では焼け石に水もいいところなのにそれを要求する。
納得いかないアリスティアは反論するがその言葉は遮られた。
突如、部屋の床や壁が赤く光り出した。
幾つもの線が床や壁に走り、それが赤く光り、心臓の鼓動の如く、光りは強まったり弱まったりする。
訳が分からず、この不可解な状況に二人は困惑する。
「一体、これは...」
「アリス...」
「やっぱり...最悪の置き土産をくれやがったな」
「「っ!?」」
物言わぬ死体を一瞥し吐き捨て、クロスは辺りを見渡す。
「先生、どういうこと何ですか?」
「アリスティア、マーカスはエリーゼを誘拐してエリクシールを完成させようとしていた。無駄な時間を避けるためエリーゼを連れて行くのを見た生徒達は眠らされただけだ。口封じをしない訳がないだろうが」
ふらつきながらもクロスは立ち上がり、出入り口に向かう。
「先生、一体どこに?」
「地下室だ...」
三人は学園の地下階層の中でも最下層の部屋に向かった。
その部屋は上層と比べて酷く簡素で薄暗く、中心には質素な台座とその上に直径20cmほどの水晶玉があった。
その水晶玉の正式名称は『刻印魔法核宝珠』。
学園の刻印魔法の全てを統括・管理する防衛の要である。
クロスは時間が惜しいからと剥ぎ取ったマーカスの上着の一部で止血だけ行い、二人の肩を借りながらここ刻印魔法の管理室にやってきた。
扉を通るなりクロスは二人から離れ、中央の『刻印魔法核宝珠』に近寄る。
「【起動】」
宝珠に手を添え、鍵言を唱えた瞬間、宝珠の内から青白い光が発生する。
発生した光は直線や曲線、右折・左折に弧を描き、天象儀に映し出された天体図の様に宝珠を中心にして空中に広がり投影された。
これは学園に施された刻印魔法の全てを宝珠より表示したもの。
魔法の刻印は複雑怪奇に緻密に記されており、学園に施された刻印魔法がどれだけ膨大かつ精密かを物語っている。
「これが....」
「学園の刻印魔法の全て...」
宝珠から現れた魔法の刻印に唖然するアリスティアとエリーゼ。
学園に様々な刻印魔法が施されているのを知ってはいても、それがどのようなものかを視覚化した時の衝撃は大きかった。
周囲に広がる刻印に目を走らせ、クロスは目的のものを見つける。
「チッ、やってくれたなおい」
苛立ちから舌打ちしながらクロスは刻印の一画に近づき、指先で触れる。
すると、触れた先から刻印の一部が青白い光から凶々しい赤い光へと変わる。更にその赤い光を発する刻印に繋がる線を遮る様にある刻印は黄色い光を発している。
「自壊刻印、ご丁寧に障壁刻印つきかよ」
苦々しく呟くクロス。
その言葉を聞いた瞬間、アリスティアとエリーゼの表情は凍りつく。
クロスが呟いた『自壊刻印』。
その効果は接続した刻印の魔力を利用して刻印が施された対象に自己崩壊を起こすというものである。
自己崩壊とは言ってしまえば自爆であり、この学園規模で行えばオリエの街全域にすら被害を及ぼす大爆発に成りかねないのだ。
しかも、解除を阻害するための『障壁刻印』が仕組まれている。
「婆さんならすぐだろうが、生憎いないしな」
「先生、何とかして避難を..」
「アホ、自己崩壊まであと15分程度だ。避難の選択はないんだよ」
「ですが、このままじゃみんな死んで...」
「だったら...」
アリスティアの提案をすげなく却下し、エリーゼの言葉を遮りクロスは行動に移った。
自らの右手首に歯を立て噛みちぎるクロス。
たちまち右手の指先は手首から流れる血で赤く染まる。
「先生、何を!」
「15分以内でこいつを解除するんだよ」
素早く答えると共に指先の血を刻印に走らせるクロス。
「【理の頸木、我が命脈の印をもって、解き放たれん、刻印解体】」
空中に描かれた血の上書きが一瞬輝くと共に、上書きされた刻印が消える。
クロスの使った魔法『刻印解体』は刻印魔法専用の解除魔法である。
適切な触媒(今回の場合はクロス自身の血)をインクにして対象の刻印に書き込むことで刻印魔法を解除する中級魔法である。
ただし、学園の刻印魔法となるとその規模の大きさから一度で解除するには不十分なため、今の一度で一部を消すのがやっとだった。
又、この魔法は刻印に対して適切な術式を刻まないと意味を成さないため、術式への理解が必要となる。
(速い....)
アリスティアは驚嘆した。ほんの一部とはいえ、ここまで素早い刻印の解除は見たことがなかった。
ただでさえ『障壁刻印』の効果で失敗した瞬間『自壊刻印』が起動してしまうリスクがあるため普通は慎重に成らざるを得ない。
そんな中での素早い解除はクロスの術式への理解の深さ、そして胆力を物語っている。
だがそれでも...
「先生、やっぱり無理ですよ!」
「.....」
「先生!」
「.....」
アリスティアとエリーゼからの制止を聞かずクロスは指を走らせ、次々に刻印を消していく。
二人が制止するのはクロスの身を案じてのものだった。
残り少ないだろう魔力で中級魔法を連続使用。更に触媒として負傷で減らしていた血液の消費。
既に死んでいておかしくない状況での命を削っての無謀な行為でしかなかった。
刻一刻と失われる血と魔力。
それを実感しながらもクロスは止まらない。
着実にクロスの命が削れていくのをアリスティアとエリーゼにも目に見えて分かった。
「何で...」
「.....あ?」
「何でそこまでするんですか...」
先ほどのように張り上げた訳でもないか細いアリスティアの声は、クロスの耳に不思議と届いた。
「言ったじゃないですか『死んだらそれまで』って。なのに先生は今死ぬかもしれないことをしてるじゃないですか!」
アリスティアの悲痛な叫びが部屋に響き渡る。
目元を赤くし、涙が溢れそうになるのを堪えていた。
「どうしてですか、先生は元々は英雄を否定していたじゃないですか! それなのに、どうして自分を犠牲にしてまで学園を守ろうとしてくれるんですか!」
「約束だよ....」
実際にはほんの数秒だが永く感じる沈黙の後、短い返答が来た。
「ああ、そうだな。俺は今の英雄志願が嫌いだ。
過去の英雄の偉業にばかり目を向けて、大事なものを見落としてばかりだからな。
けどな、この学園は...確かに英雄を、勇者のような人間を育成するって意志を代々継いできた。
それが.....『アイツ』のためになると信じてたからな」
普段なら口にしなかっただろう言葉がクロスの口から紡がれる。
出血等で意識が朦朧としているせいだろうか。
初めは何もなかった。
力も、知恵も何も持っていない何処にでもいる脆弱な一人だった。
「弱かった癖によ...」
弱いのを自覚しながらも、『アイツ』は守るために剣を手に取った。
だから鍛えてやった。
弱いからこそ、強くなれる。
立ち上がれるから、守れる。
そのための術を教えてやった。
「教えたことを馬鹿正直に繰り返してくれたよ...」
指摘したことを何度も失敗しながらも繰り返して直していった。
教えたことを活かそうと頭を捻り、策を弄した。
「俺の予想通りに.....俺を超えてくれると思ってたのに『アイツ』は...」
振り下ろせば奪える命。それも倒すべき相手の命。
なのに...
「俺を良い意味で裏切ってくれた! 最高だったぜあの時は」
けど....
「そのせいで、俺が看取ってやることになるとはよ...」
だから...
「だから俺は決めた。勝手な約束を死んだ後に立ててやった」
約束とは名ばかりの決意だ。
でも決めた。
「『アイツ』の、レイの...意志を、想いを、願いを絶やさないようにしているもの全部、守ってやるってよ!」
身体中の熱が失せる。
ならば命を燃やそう。
指先の感覚が消えていく。
なら目で確認して指先を走らせる。
命が尽きそうだ。
それでも止まらない。
「これで...」
最後の術式に指先が駆け巡る。
そして遂に...
「終わりだ!」
学園を滅ぼす術式が消えた。
術式発動まで僅か十秒前にて。
「すごい...」
「先生...」
不可能と思っていた光景を見て息を呑むアリスティアとエリーゼ。
しかし興奮の余韻に浸る時間はなかった。
目の前でクロスが倒れ伏したのだから。
「「先生っ!」」
慌てて駆け寄る二人。
うつ伏せて倒れたクロスを仰向けにすると、明らかに危険な状態なのが分かるほどだった。
「速く、治療しなきゃ。【安らぎの御手、彼の者を癒し給え、助け給え、治癒】」
「うん、【快方の光よ、其の身を駆け巡れ、即急処置】」
それぞれクロスに手をかざし、治癒魔法を施すエリーゼとアリスティア。
クロスの傷口を中心に白い燐光が顕れる。
治癒魔法に優れたエリーゼに傷を治すのを任せ、アリスティアは止血・鎮痛効果の魔法を施しサポートに回る。
確実に流れ出る血液はその勢いを失い、傷口は少しずつ塞がっていく。
「よし、【蝕みし異物よ、立ち去れ、抗毒】」
アリスティアは粗方の止血を終えると今度は解毒系の魔法を施す。神経毒が強いものだと下級魔法なので効果は薄いかもしれないが、エリーゼが傷を治すのに専念している以上、やるしかない。
もてる魔法を維持し二人は治療を続ける。
魔力の消費はかなりのものになり、二人の額に汗が滲んでくる。
そして治療の甲斐あって出血は止まり、刺し傷が全て塞がった。
だが、クロスの表情はまだ生気に満ちていない。
「どうしよう...」
「これじゃ...」
困惑する二人。治癒魔法を会得しているとは言っても、負傷を対象とした治癒魔法しか使っていない故に神経毒、失血、マナの欠乏の三つからくる衰弱には効果がなかった。
特にマナの欠乏は魂を衰弱させ、自己回復が困難となっている。
治癒魔法の弱点、それは『魂は対象外』であること。
いかに肉体を治せても、実体のない精神は治しようがない。
そう、治癒魔法では.....
「.....アリス、私の手にあなたの手を乗せて」
「....うん!」
エリーゼの言葉にアリスティアは頷いた。
彼女の決意のこもった顔を見て、アリスティアは応えた。
「【深淵に眠りし者よ】...」
エリーゼがこの魔法を使ったのは過去に一度のみ。
「【大いなる者の声を聞き】...」
それも猫に襲われた雛鳥相手に。
「【一条の光に従い】...」
それでも、今クロスを救える可能性があるから、
「【黄泉より帰還せよ、復活】」
この蘇生魔法に賭けたのだ。
クロスの全身を白金の輝きが包み込んだ。
丁度、二人の髪色が混ざり合うような色合いである。
その輝きは先程の治癒魔法の光と比べると弱かった。
既に大量の魔力を消費したため蘇生魔法に必要な魔力が足りないのだ。
だからエリーゼはアリスティアの力を借りた。
治癒魔法の適性があるアリスティアの魔力を借りることで、何とか蘇生魔法が発動できる状況にまで持ち込むことが出来た。
そして長いようで短い時間が経過する。
光が収まると共に、クロスの顔に生気が戻るのだった。
「....もう大丈夫だよアリス」
「よ、よかった〜」
ホッと一息入れるエリーゼと安堵から涙が溢れそうになるアリスティア。
額から大量の汗が滲み、安堵感から全身を疲労が駆け巡る。
気力も体力も尽きた二人はへたり込むも、その顔は喜色に溢れていた。
かくして、学園を巻き込んだ一大事件は終息を迎えた。
だが、学園の関係者に犯罪者が潜入したという事実はセーレンド帝国を始めとした同盟国全体に衝撃を与えた。
このような出来事は今回限りではない。
それは事件の概要を知る者達のほとんどに共通する認識だった。
そして、今回の事件にて、二人の人物について捕捉すべきことが明らかになった。
一人はエリーゼ=フィーエル。
本名をエステリーゼ=エイル=リュアデスといい、その正体は病没したとされたリュアデス王国の第三王女であるということ。
そして蘇生魔法という魔法の最高峰の領域に踏み込んでいること。
この件は学園において学園長のフィアナのみが知っていたことだが、今回の事件にて新任教師のクロス=シュヴァルツも知ることとなり、それを決して明かさぬようにという学園長直々のお達しがきた。
もっとも、フィアナもクロス自身もエリーゼのことを他所に明かすなどないと思っているのでお達しはあくまで形式的なものだった。
捕捉される二人目の人物は件の新任教師、クロス=シュヴァルツ。
これはアリスティアやエリーゼにとって捕捉すべきことだった。
三流魔法師を自認しながらも魔法を無効化する特級魔法を使い、
熟練の戦士ですら出来る者が少ないプラーナの流動操作を軽々と扱ってみせる。
謎の多さに更に拍車がかかる中、彼の漏らした『レイ』の名前。
それは忘れてはならない者の名前。
それを口にするクロス。
それが語る真実は......




