忍び寄る魔の手
授業開始の時間が迫り、正門の前に立つ門番の男はこれから鳴る鐘の音を期待して耳を傾けていた。
だが、今日は休日だったので鐘が鳴る訳はないと気づき失笑した。
一クラス分の生徒が門を通っていたのでついいつもの癖が出てしまった。
今日は左の胸ポケットに入れた懐中時計を確認しながら時間の経過を待たなければと気をつけようとした。
門の反対脇にいる相方は、肩コリから首を動かしてほぐしていた。
いつもなら鐘の音に合わせてやる癖があるのに、鐘が鳴らないことに気づいて早めにやったようだ。
いつもと変わらない日々。
だがやりがいのある仕事。
長年働いてきた彼にとってたまにはこんな日もいいかなと思ったりした。
しかし、普段と違うのは何も鐘が鳴らないことだけではなかった。
正門の正面からこちらへ歩んでくる二つの人影が見えた。
見慣れない顔の二人組で、来客の予定も連絡を聞いていなかったので、相方の門番は正門に近づく二人の前に立とうとした。
「申し訳ないが、止まっていただきたい」
相方の制止に二人組も止まった。
もしかしたら何か大事な用があるのかもしれないので、すぐに用件を聞こうと思った。
「すまないが、身分証とご用件を確認させてもらえないだろうか?」
「ああ、用件ね....」
相方の質問に二人組の片方が反応した。
ただしこちらが望む反応ではなかった。
バチ、と音がすると共に、相方が倒れた。
糸の切れた人形のように崩れた。
「なっ、貴様ら!」
相方の異常に門番が手に持つ槍を構えた。
同時に不審者を知らせるための連絡用の魔道具を起動しようとした。
起動しようとして、起動せずに門番の男は倒れた。
起動する直前に迫る光の筋。
それは彼の左胸に刺さり、
胸ポケットの懐中時計をいとも容易く貫き、
彼の心臓を経由して通過し、その命を奪った。
「ふん、他愛ないな」
「なんだよ、おれにも一人回せよ」
「任務はターゲットの身柄確保だ。お前だと時間をかけるだろ」
「わかったよ。だったら中の奴はいいよな? こいつらよりは弱いんだし」
「はあ.....一人くらいにしておけ」
「へへ、話が速くて助かるぜ」
倒れる門番を他所に歩く二人組は正門を潜り、学園の中へと進んだ。
「遅い!」
教室にて、席についているアリスティアは思ったことを口にした。
既に授業開始の時刻だというのに、肝心の担任が来る気配がなかったからだ。
「まあまあ、アリス...」
若干不機嫌な親友をエリーゼは宥めていた。
ちなみに机にはノートと教科書が広げられている。
クラスメイトの多くが同じようにノートと教科書を広げている。
これからテストがあるので、少しでも点数を稼ぐために授業内容のおさらいをしていた。
特に、アリスティアやサイモンなんかは前回のがよほど悔しかったようで念入りに見直していた。
テストに自信がない生徒はクロスがまだ来ないのをこれ幸いとひたする自分のノートや教科書の内容を暗唱して頭に刻み込もうとしていた。
そして教卓側の扉の開く音がして、生徒全員の顔が前方へと注がれた。
「お、いるいる」
「.....全員いるようだな」
現れたのは見知らぬ二人の男だった。
最初に口を開いた方は手足が太く大柄で、つるりとした頭も含めて服から覗く身体中の至るところに切り傷の跡があった。背中には革製のカバーに入れられた巨大な戦斧を背負っている。
次に喋った方は痩せ気味で青白いと評せる顔色で不健康そうな印象を受ける。何かを探すように生徒達を見ており不快感が否めなかった。
「あの、誰なんですか?」
見られない人物に、後方の席に着いていたアキラが切り出した。
「お前達に名乗る必要はない」
だが、痩せ気味の男はその質問を切り捨てるのみ。
不審者に対して窓際にいたサイモンも立ち上がった。腰に差した杖を抜き、魔法の準備もして。
「あの、何のようか...」
「動くな」
痩せ気味の男がサイモンの言葉を遮り、腰に差してあった短杖を抜いて構えた瞬間、杖の先から青紫色の電光が放たれた。
細い電光がサイモンの頬すれすれに駆け抜け、そして窓ガラスを貫通した。
「っ!? 穿つ雷槍...」
「ほお、お前も雷電魔法を使うようだな」
初見で、魔法の正体を見抜いたサイモンに、痩せ気味の男は感心した。
『穿つ雷槍』は雷電系の中級魔法の一つである。
下級の『痺電の稲光』と見た目は似てる---精々、色が青か紫かの違い程度---が、凝縮した電気の力線の貫通性はただの金属鎧や盾なら無意味にしてしまうため、その殺傷能力の高さから軍役の魔道士が好んで使う魔法の一つとして挙げられている。
その魔法に生徒全員は硬直した。
ただし、魔法そのものではなく、魔法の行使の方に驚いて。
(無詠唱で、中級魔法を...)
アリスティアは戦慄した。
戦闘において魔法は如何に素早く発動出来るかが全てと言われる。特に魔法士同士の戦闘ならば先手を打てればどれだけ違うか。
そのため、魔法士達は強力な魔法の習得だけでなく、詠唱を短くする『詠唱要略』の技術も追求してきた。
詠唱の一部を除く『略式詠唱』、魔法の名称のみで発動する『詠唱破棄』、そして最高位に存在する『無詠唱』。
詠唱を全て省き、魔法の名称すらも唱えずに魔法を行使する技術である『無詠唱』は魔法士の目標の一つではあるが、その難易度が詠唱破棄と比べて段違いであった。
初級魔法ですら無詠唱の行使は難しく、人並みの魔法士は大概が初期魔法の無詠唱が限界とされている。
下級魔法を無詠唱で出来ればその魔法士は秀才、中級魔法なら天才、上級魔法なら人外と評される。
この痩せ気味の男が中級魔法を無詠唱で行使出来ることはその力量がどれだけのものかを示し、アリスティア達との実力差がどれだけ開いているのかを見せつけた。
「大人しくしていろ」
杖を手に持ったまま痩せ気味の男は警告し、生徒達はそれに従った。従わざるを得なかった。
「なあ、ジャス〜。やっぱ全員殺しちゃダメか?」
「駄目だホレス。仕事が先だ」
大柄な男ことホレスの要望は、痩せ気味の男ことジャスに却下された。
ホレスは手にかけていた戦斧へ伸ばした手を素直に離した。
「要求は一つだ。エリーゼ=フィーエルを出せ。すうすれば他の者には手を出さない」
ジャスの言葉に生徒達がどよめいた。
エリーゼはその言葉にすぐ立ち上がろうとしたが、アリスティアが制服の裾を掴み止めた。
「おいお〜い、正直に名乗ってくれよ〜」
「少女なのは判明している、大人しく名乗り出てもらいたいのだがな」
誰も何も言わない状況に、二人は焦ることはなかった。
言わないなら言わざるを得ない状況にすればいい。
「じゃあ、エリーゼじゃない子は全員殺すか?」
「仕方がない、手間だがやるぞホレス」
「流石ジャス! ほんと話がわかるぜ」
嬉々として戦斧を構えるホレスとやれやれといった様子で杖を構えるジャス。
脅しではなく本気であることは言わずとも分かった。
二人が両端の席へと歩き、生徒の命を奪おうとする。
「待ってください!」
だからアリスティアは立ち上がり名乗ったのだ。
「私が、エリーゼ=フィーエルです」
身代わりになるために。
自分を制止しようとするエリーゼをアリスティアは逆に一瞥して阻止した。
「ほう....お前がエリーゼ=フィーエルか」
「ええ、そうです。だから他の人には手を出さないでください」
ジャスの視線から感じる圧力に、アリスティアは震えないようにと必死に堪えた。
この男達が自分を連れ去り何をするのかは想像できる。
それでも、親友やクラスメイトを見殺しには出来なかった。
(また、先生に怒られるな)
自分を犠牲にするこの行為を叱責する担任教師の姿が思い浮かんだ。
「ホレス、この少女にしろ。殺して構わん」
「おっ、ほんとか?」
「えっ!?」
何を言っているのか分からなかった。
自分を殺せ?
いや、先程までのやりとりからして目的はエリーゼの拉致の可能性が高い。
殺すのが目的ならこの場の全員を殺せば目撃証言もなにも無いのだから。
なのに自分を殺せと言った。
それはつまり....
「くだらない嘘は身を滅ぼすぞ」
そう言って、こちらに歩んで来たジャスはアリスティアの隣にいるエリーゼの方を見た。
「大人しく私達についてきてもらうぞ、エリーゼ=フィーエル」
つまり、最初から分かっていたということ。
よく考えればそうだ。
名前を知っているのに顔は知らないというのはおかしい話だ。
そうでなくとも容姿について多少の情報は入手しているはずだ。
(馬鹿だ私...)
アリスティアは自分の浅はかさに呆れた。
「あ、貴方達には従います。だから、みんなには...」
「ついてこい」
エリーゼの要求に答えず、ジャスはただ命令する。
エリーゼがジャスの方へと歩き、ジャスがエリーゼに意識を向け杖を下げた。
そのタイミングを突いてアリスティアが傍らに置いてあった剣を抜き斬りかかった。
狙うはジャスの背中。
無詠唱で魔法を使うこの男を無力化すればまだ可能性はある。
今がチャンス。
だから剣を振るった。
剣は金属音を響かせた。
「おいおい、何しようとしてんだよお嬢ちゃん?」
「がっ!!」
アリスティアの剣はホレスの戦斧に受け止められていた。
続いてその細い首をその体格に見合った大きな手に掴まれた。
息が上手く吸えない。
アリスティアは意識が途絶えぬようにと耐えた。
「なあジャス、遊んでもいいよな?」
苦しむアリスティアの顔にホレスは愉悦の顔で尋ねた。
「はあ...早く終わらせろ」
「やめて! アリスに手を..」
エリーゼの言葉はそれ以上先に行く前に、教室内を白煙が広がった。
ものの数秒で教室の中から人の声が消えた。
席に突っ伏したり、背もたれによりかかるようにして生徒達は眠っていた。
エリーゼも眠っていた。
「いきなり睡眠煙幕出すなよジャス」
「これ以上時間をかけるわけにはいかないのでな」
ホレスの文句をジャスはさらりと流した。
二人の口元にはいつのまにか布---防毒用のマスク---で覆われていた。
ジャスはエリーゼを抱え上げた。
体格の割には鍛えているようだ。
「ホレス、その少女で遊んだらすぐ戻れ。15分後に呼びに戻る」
「15分かよ、みじけ〜な〜」
二人とも少女を連れて教室を出て行った。
(エ、エリー...)
首を絞められたことで逆にガスをほとんど吸わずに済んだアリスティアは薄れる意識の中、連れて行かれる親友の身を憂いた。
 




