再テスト、不穏な影
抜き打ちテストの日から数日後の現在、クロスは学園長室にいた。
当然、部屋の持ち主であるフィアナも。
嬉しそうな笑みを見せる彼女に反してクロスは若干不機嫌だった。
「授業の評判は聞いてますよ、クロス先生」
「チ、耳聡い婆さんだな」
ついこの間は担任教師を降りると宣言しておいてすぐに掌を返すこととなったクロスには彼女の言葉は皮肉に聞こえてくる。
最も、彼女にそのつもりがないのだから厄介だった。
嫌味の一つでも言ってくれれば言い返してやれるが、何もしていない内に自分から仕掛けたら負けたような気がしてしまうので仕掛けられない。
「そんな話はいいから、許可してくれるのか? してくれないのか?」
「ええ、こちらの申請は構いませんよ」
クロスの剣幕などないかのような振る舞いでフィアナは机の上にある書類に印章を押してクロスに手渡した。
書類の印が間違いなく押されているのを確認したクロスは来賓対応用のソファに腰を降ろした。
クロスが出した書類は学園内の施設を利用するための申請書類である。
調合室のように無許可での利用を禁じられている施設---主に貴重な資料や備品がある教室---を授業や行事以外の自主的な目的で利用する際に取る必要がある書類である。
書類に使用する施設、使用目的、消費される備品の内容などを記し、学園長や学年主任、勤続期間が5年以上の職員から正当性が認められ専用の印章を押してもらうことで初めて利用できるようになる。
「ですが、まさか学園の休日にテストをするために生徒の登校許可を求めるとは...随分熱心ですね」
クロスが今回申請を出した内容は次の休日での学園の利用である。
前回の抜き打ちテストの結果が散々だったこともあり、クロスは近い内に再テストを行うことを予定していた。
しかし、時間を大きく割く必要から授業の遅れを促すことになりかねないため、休日に時間を当てる必要があった。
当然ながら、生徒の多くはゴネた。
盛大に文句を垂れた。
デートの予定だ舞台を観に行くのだとかと騒ぎに騒ぎ、クロスは怒髪天を衝きそうになった。
だけど堪えてこう言うに留めた。
「今度の再テストの内容は期末試験にもそれなりに出そうと考えてるんだよな〜、お前等が期末試験に困らないで済む様にと考えたんだが、不要か〜。
じゃ、期末試験はその分難しくしないとな」
最後の一言で生徒が黙り込んだのは言うまでもなかった。
そんな、文句を垂れる生徒を黙らせた時のことを思い出しクロスはまた呆れてしまうのだった。
「ったく、休日登校に許可証貰わないとは面倒な話だ」
「普段なら許可証は不要ですが、その日は仕方ないですから」
書類の内容を確認するクロスにフィアナは補足する。
教室一つ程度なら休日でも許可証なしで利用することは普通なら可能なのだが、クロスが申請した日だけは特別だった。
その日は帝都にて国内の教育機関の職員を対象とした学会と研修が執り行われるのだ。
学会では研究者達の研究内容とその結果についての報告が行われ、ここから新たな技術革新に繋がる場合もある。
研修の方では主に各機関毎に実施されているカリキュラムについて他の機関の人間と意見を交わすディベートの一種である。
セーレンド帝国学園のように多方面を学ぶ総合的機関もあれば、魔術研究を主とするもの、護国の人材育成を担う騎士養成学校など、教育機関と言っても多彩である。その特色故に生じる利点もあれば欠点もあるため、こうして一定期間ごとに交流の場が設けられているのだ。
ちなみに、クロスの場合は教職についてまだ一月足らずなので今回は不参加である。
基本的に参加資格があるのは教職として三年以上の経験を積んだ者のみとされている。
クロス以外にも不参加の教職員はいるが、休日なのでその日は学園には不在である。
「ふふふ...」
「何笑ってんだよ」
書類と睨めっこするクロスを尻目に楽しそうに笑うフィアナに、クロスは不機嫌を隠さずに尋ねた。
「いえ、随分生き生きしているようでしたので」
「はあ? もう耄碌したか婆さん」
「いえいえ、最初にお会いした時の貴方は、何処か満ち足りていないご様子でしたから」
「ちっ、何十年前の話だ。ってか、俺は今も昔も変わってねーよ!」
憮然としたまま書類を持ってクロスは学園長室を出て行った。
「本当に.....貴方が元気になって私は嬉しいですよ」
そんな様子すらも嬉しそうにフィアナは眺めるのだった。
学園長室を後にし、クロスは屋上のバルコニーに足を運んだ。
最近は理由もなくなんとなくで歩いていると、自然と屋上の何処かに行き着くことが増えた気がする。
屋上から眺める空は遮るものがない分、気晴らしにも考え事をするのにも丁度よかった。
(生き生きか....楽しんでんのか、俺は?)
フィアナに指摘されるまでそんなこと意識しなかった。
意識したせいだろうか、何故か昔のことが思い出してくる。
『足運びが悪い! そんなんじゃ魔物の餌が関の山だぞ!』
『はい、先生!』
剣術を教えていた時。
最初は剣を振ることよりも足運びを徹底的に教えた。
自分が傷つかないようにと教え、いつしかこちらの剣を当てるのに苦労するようになっていた。
『違う違う、もっと集中してイメージ!
魔法の精度を高めれば階級の低い魔法でも十分な戦力になるんだ。大技覚えればいいと思ってるのは三流だと思え!』
『分かりました先生!』
魔法の指導をしていた時。
強力な魔法を覚えることに躍起になっていたのを喝入れて、魔力のコントロールを反復させた。
本人の弛まぬ努力のおかげで、得意な系統以外の魔法も上級魔法まで物にしてみせた。
『先生、私は強くなりましたか?』
『そうだな、初めて稽古つけた時から小指一本分くらいは進んだかな?』
『えー、酷い先生』
再会して自分の成長ぶりはどうかと聞かれた時。
素直に言うのも癪で過小評価してやったら笑いながら文句を言った。多分、素直に評価してくれないのを分かっていたんだろう。
『しかし、お前がここまで成長するとは....悔しいが認めてやるよ。強くなったな』
『は....はい!
ありがとうございます!』
そして遂に成長を認めてやった時。
あの時頭撫でてやったら顔を真っ赤にして照れていたな。そのあとすぐに飛び跳ねるようにはしゃいでもいたのが愉快だった。
『.....何故』
『先生....ごめんなさい』
そしてあの時。
最初で最後の自分の教えに従わなかった時。
いや、自分を超えてくれた時。
泣きじゃくりながらも超えてくれたことに、その時は嬉しかった。
でも、その後に後悔した。
あの時、何が何でもこちらの言う通りにしておけば、あんなことには....
「ああ、いた!」
不意にかけられた声に、クロスの回想は中断され、声の聞こえた方へと意識が向けられた。
その先にいたのは案の定、アリスティアとエリーゼの二人だった。
「どうしたお前等、何か用か?」
「あ、はい。今日の授業で少し分からなかった所があって...」
「アリスティアもか?」
「は、はい....私もそこが」
二人とも同じ所で躓いてしまったらしい。
「ったく、仕方ないな....ほら、教室行ってさっさとやるぞ。遅くなるとまずいからよ」
面倒とはいえ、ここまで自分を探していたのに邪険にしてしまうのも気分の良いものではないのでクロスは教えることにした。
「ありがとうございました先生」
「ありがとうございます」
30分ほどで躓いていた箇所を理解し、帰路につく前にエリーゼとアリスティアはクロスに礼を述べていた。
「気をつけて帰りな」
素っ気ないがクロスも一言を返した。
これであとは帰宅するだけだと思ったが、それは違った。
「あ、あの先生!」
「ん?」
何か決心したかのような趣きのアリスティアにクロスは立ち止まった。
「あの....この前は本当にごめんなさい!」
「???」
いきなり深々と頭を下げて謝罪するアリスティアにクロスは何のことだと首を傾げた。
「決闘で、先生に横柄なことを言って...あの後先生は私達に謝ってくれたのに私...」
「ああ...」
そのことかと思った。クロスにとっては既に済んだことで、生徒達の態度も若気の至り程度に納得していたから謝罪されるなど考えていなかった。
だが、アリスティアはそうは思えなかった。
クロスの授業の重要性が日に日に理解でき、それに気づけなかった自身を日に日に恥じていた。
だから謝らないといけないと思い詰めた。
そんな彼女の謝罪をクロスは、
「気にするな」
頭をポンとひと撫でしてやるのだった。
「俺はお前の夢を否定した。お前を怒らせるには十分だ。だからもう気にするな」
「は、はい....」
アリスティアはそれ以上何も言えなかった。
クロスと別れ、帰路に着くアリスティアとエリーゼ。
今さらになって少し気になることがあった。
「ねえ、エリー」
「どうしたの?」
「先生さ、なんで勇者を否定するんだろう?」
「そういえば...何でだろう?」
「勇者のおかげで世界は救われた。だから悪人とかでも嫌いはしても、誰もが勇者を認めている。 でも、先生は認めたくない感じがするのよね...」
「何か、勇者絡みで問題があったとか?」
「まさか、それはありえないわよ。勇者が魔王を倒したのは大昔よ、先生はまだ生まれてすらいないんだから」
「う〜ん、それじゃあ何だろうね?」
「昔は勇者の名を騙る犯罪者もいたらしいけど、それだって私達のお父様やお母様が生まれるよりもずっと昔だし...」
「やっぱり分からないね」
「そうね」
「とりあえず、次の休日に再テストだから、勉強頑張ろう」
「ええ、次こそ満点取ってやるんだから」
「やる気満々だね、アリス」
疑問を一先ず胸の奥にしまい、二人は帰路を進むのだった。
「準備はどうだ?」
【問題なく】
深夜。人気のないオリエの街の路地裏にて、男は語りかけていた。
だが、それは近くにいる他の三人ではなかった。三人共男の言葉に反応していないのに、何処からかくぐもったような声が聞こえてくる。
「その日ターゲットは間違いなく学園にいるのだな?」
【ええ、ターゲットのクラスが臨時の授業を行うので、病欠でもない限りは】
「そうか、了解した」
男は手に持つ宝石に尋ね、そして宝石から先ほどのくぐもった声が返ってきた。
男が手に持つのは通信用の魔道具---装飾品の宝石に偽装させた---である。
「確認するが、その日は学園長のフィアナ=ゲニウスをはじめとした教職員は一人を除いていないのだな?」
【はい。学園にいるのは生徒を除いて門番数名と、担任のクロス=シュヴァルツのみです】
予定通りの人員の推移を聞く一方で詳細を知らない人物がいるため、男は一応形式としての用心だが尋ねることにした。
「聞かぬ名だが何者だ、そのクロスという教師は?」
【年齢は20代半ば、適性は魔法戦士、教育者としては優秀な模様ですね。
ただし、武技は基本体術主体で精々中の上、魔法に関しては中級を完全詠唱しなければ出来ない中の下と、戦闘に関しては三流と言った所です】
「そうか、なら予定通りそいつは先に始末する」
【よろしくお願いします。何かあれば連絡を】
そう言って、通信用の魔道具からは声が聞こえなくなった。
「では、いくぞ」
『おお』
男の号令に、他の面々も小さく、だが力強く応えた。
誰も気づかぬ中、不穏な影が動いているのだった。




