不死と霊薬、そして神薬
「今日は時の権力者の多くが望んだ『不死』についてだ」
今日も講義のためにクロスはチョークを手にする。
授業のテーマにどんな講義が始まるのか想像がつかず、首を傾げる者がいた。
「不死...つまり死なないってことだが、普通は生物である以上死ぬのは避け得ないものだ。
だが、世界各地にはそれに抗うものが存在し、それが不死を単なる夢物語に留めなかった」
その話に生徒達もそういえばと気づく者が現れた。
クロスの言う通り、世界各地には不死に関するものは枚挙に暇がなく、自分達も中等学院の歴史の授業でも触れたことがある。
今回はその中で不死のみに注目した内容で授業が送られるのだろう。
「定番の話ならアンデット系の魔物だな」
『アンデット』
死者に何らかの要因が働き誕生した魔物の総称であり、厄介事しかない存在である。
死体が元となるゾンビ、スケルトン、グールといった実体あるものから、実体を持たない霊体のゴースト、レイス、ファントムと多々ある。
「実体のある方は魄に、実体のない方は魂が異常な変化をきたしたことで生まれたものだ。
自然発生の場合だと、霊脈の異常から空気中に存在するエーテルの濃度が高いと、それが魂魄に影響しアンデット発生というメカニズムを引き起こしている」
『エーテル』とは、魂魄より生まれるプラーナやマナの根源とも言える不可視のエネルギーのことである。
生物は呼吸や食事、接触を介して微量のエーテルを吸収し、それを糧に魂魄がプラーナとマナに変換しているとされている。
このエーテルの濃度が高くなると自然と吸収するエーテル量も増えてくる。
その結果、死んだことで本来は生命活動により消費されるはずのプラーナやマナが消費されずに溜まってしまい、アンデットが生まれるとされている。
大抵のアンデットは生前エーテル濃度が高い場所で生活していた傾向があるため、死体には早期にエーテルを放出する処置を施す必要があった。
又、大気中のエーテルを皮膚接触で吸収してしまう以上、死後に死体をエーテル濃度の高い場所に放置すれば時間はかかるがアンデットは生まれてしまうということもその後の調査で判明している。
「とは言っても、アンデットは厳密には不死というより単なる死への悪足掻きというべきだがな。
身体が腐ってたり、なくなってたんじゃ“色々”と意味がないからな」
妙に強調して『色々』という言葉に、生徒の一部は赤面していた。
(一体何を考えてんだが...)
何を考えているか予想がつくクロスは軽く呆れていた。
男にしろ、女にしろ、『その手の話題』には敏感なのはいつの時代も変わらないようだ。
「そんな中で、不死が実現可能だという可能性を示した魔物が、こいつ等だ」
クロスは黒板に何枚かの絵を貼り出した。
その絵には炎の中で優雅に羽ばたく鳥、荘厳溢れる竜、自らの尾を喰らい環となった蛇、頭が無数にある竜と蛇といった迫力のある生物が描かれていた。
「灰燼より雛となって再生する不死鳥、竜種の中でも悠久の刻を生きたことで圧倒的な力を得た竜王、永劫回帰の象徴である環の蛇、幾度に生える頭部を持ちし竜と蛇の兄弟である多頭竜と多頭蛇。
他にもいるが、この様に世界各地では不死身と称すべき上位の魔物が存在する。この存在が不死という概念を確かなものにしたんだ。
もっとも、現在では存在が確認されてないけどな」
クロスの言う通り、この絵に描かれる魔物達は確かに存在したと言われる一方で現在でも存在するかを確認することが出来ていないのだ。
それは存在しないからだろと、生徒の多くはそう思っている。
「存在しないから確認出来ないと思ってる奴はその考えを改めときな。
確認出来ないのはもっと単純な話さ....調査に乗り出した人間が全員死んだからだよ」
黒い笑みと共に繰り出されるクロスの話に教室内の温度が下がったような感覚がした。
それはアリスティアだけでなく、クラス全員がそう感じたのだろう。
クロスの表情は茶化すようなものではなく、自分達が慄くのを分かった上で笑っているものだから。
「これは事実だ。過去百年、不死の力を得るため、その生態を解き明かすためにと、数多くの学者や強者がその存在のもとへと旅立った。
だが、誰一人として帰ってこなかった。消息を追うためにと派遣された捜索隊も一人として帰ってこなかった。
これは約30年前に某国に残された公式の記録だ。ちなみに行方不明者は五百人はくだらないってよ」
補足された情報に血の気が更に引く生徒達であった。
「そんな脅威を理解してなお、こいつ等のもとへ足を運ぶ輩は後を絶たない。その理由が.....霊薬の存在だ」
黒板から絵が剥がされると、今度は何かの名前が書き出されていった。
「仙丹、アムリタ、回春の泉の変若水、ソーマ、神酒、蘇りの葉、ハオマ、竜血、不死鳥の灰、ウロボロスの尾....あとはさっき言った上位の魔物の肝ってところだな」
チョークを置いて生徒の方へ振り返るクロス。
生徒達は黒板に挙げられた霊薬と称される物の一覧を見て、どこか興奮した様子だった。
「どうだ、こんだけあると不死は不可能じゃないと思うだろ?」
その問いに確かに、俺たちにも出来るじゃね、などと言った声が漏れてきた。
それに対してクロスは、
「バーカ! 不死なんて目指すな、たわけが!
さっきも言っただろ、魔物の方だけで調査に乗り出した人間が全滅しているって」
辛辣な言葉を吐き、浮かれていた生徒を現実に引き戻した。
「他の霊薬も、そのための材料込みで入手が困難なんだよ。仮にお前等が一生かけたとしても、材料を揃える前にくたばるのが目に見えるな」
クロスが先ほど挙げたアムリタやソーマといった一部の霊薬は、不死鳥の灰や竜血といった単体でも霊薬となる物を材料とする。その分、得られる効果は大きいが、完成させるためのリスクが更に大きくもなる。
「それにな、いくら霊薬でも薬である以上、ノーリスクじゃない。むしろそこいらの薬よりもハイリスクだ」
以前の授業にて、ポーションには抗炎症作用があると話した。これはポーションに限らず一般の薬でも得られる効果である。
炎症とは本来、病や傷からの回復を助けるための身体の働きであり、それに伴い身体に苦痛が生じるのである。
薬による抗炎症とは身体を守る生体の防御機能を抑え、その代わりに薬の効果で病や傷を治している。
これによって炎症の苦痛を和らげることは出来るが、その代わりのリスクを身体は被っている。
具体的には、炎症以外の身体の防御機能も弱めてしまい他の病などへの感染率の増大や防御機能を司る器官(肝臓や腎臓)の機能障害のリスクがある。
普通の薬ですらこれほどのリスクがあるのに、こと霊薬となれば...
「例えば、飲めば若返る回春の泉の変若水は、確かに若返りをもたらす。その代わり、細胞を急激に活性化させて肉体を若返らせるため、その反動で歳を重ねると一気に肉体が老化してしまうから結果的に寿命が縮む。
かつて、シンの国の女帝ダキは老いて醜くなる自身を許せず、多くの配下を犠牲に変若水を手に入れ飲んだ。当時は既に60代を迎えていた彼女は20代の美貌を取り戻したとされる。だが翌年、彼女は亡くなった。死因は老衰。その時の彼女はまるで100年は生きた老婆だったとされる」
この話に女子生徒の多くがゾッとした。
若返りに魅力を感じる一方、そのために早死するというのは御免被りたいものだ。
「他にもあるぜ、砂漠の国ミルラスイにて絶世の美女と謳われたパトラは美貌を保つためにと長寿を齎すネクタルを飲んだことで長命と若さを得た。だが、伝説の毒殺師マザールの毒蛇に咬まれ迅速な処置を施されたにも限らず彼女は呆気なく死んだ。
ネクタルは生物の細胞分裂を抑えることで長命そして若さを得ることが出来るが病や傷からの回復にも必要な細胞分裂を抑えたことが裏目に出て、蛇の毒に対する回復を遅らせてしまったのが原因とされている」
霊薬のみに焦点を当てて話を聞くと危険な面があるのだと理解出来る。
元々、『不死』というものには誰彼少なからず興味を抱く。英雄を目指す身であればこそ、『死なない』ことはある種の理想でもあるのだ。
「そもそも冷静に考えてみな。友も、家族も、恋人も、恩人も、みんな自分を置いて死んでいくんだぜ、本当に不死になればよ」
だが、駄目押しまでするクロスの否定的な話に生徒達の中の『不死』への熱は冷めていく。
それは『不死』への落胆もあれば、『不死』自体が目標ではないからだ。
彼等が目指すのは英雄だ。
歴史上、英雄は皆不死ではなかった。
英雄として誇り高く生き、そして散っていったのだ。
彼等は今日初めて『不死』の負の側面を知り、そして触れてはいけないのだと理解した。
「....しかし、それでも不死を目指し、多くの犠牲のもと遂に、完成してしまった霊薬が..いや、神薬がある」
そんな生徒達の様子を察してクロスはこの話を始めた。
彼等なら誘惑に負けないから。
彼等なら夢を見失わないから。
「その名を『エリクシール』。稀代の錬金術師トリス=メギストスの弟子にして、悪魔の研究者ラケルス=ホーエンハイムが研究の末に発見し、生み出したと言われる神薬だ。
エリクシールは他の霊薬の様なデメリットはなく、完全な不老不死を生み出すとされる」
生徒達の表情が強張る。
それはエリクシールの方ではなく、その開発者の名前に驚いた故だろう。
『ラケルス=ホーエンハイム』
錬金術師として優れた才を有するが、あまりにも破綻した人格と悪魔の所業とも言うべき研究を行った歴史上『魔王』に並ぶ悪名の持ち主である。
人造人間という人間を模した存在を創り出すためにと、多くの人間の命を奪ってきたことが有名だ。
その研究によって数百人の犠牲を出した末に、ラケルスは研究を完成させたと言われる。
「ラケルスは自らの知識欲を満たすためにかかる時間に自らの寿命では足りないからと完全な不老不死を目指そうとして、エリクシールを開発したと言われる。
ただし、エリクシールの開発方法が出来た直後にラケルスは死亡。開発資料は闇に消えたとされる」
背筋が凍る話だ。方法は分かっていたのなら、時間さえあればあの悪魔の錬金術師は今も生きている可能性があったというのだ。
怪談話を聞いた様な得体の知れない恐怖が生徒に伝播していった。
その様子にクロスは安堵した。
不死がもたらす恐ろしさを理解したから、生徒達は恐怖している。
それが分かるということは、命の尊さを理解することにも繋がる。
だから安心出来るのだ。
「エリクシールの調合に必要な材料の大半は霊薬だろうっていうのが定説だ。
もっとも、エリクシールの解明はもちろん開発は国際的に違法だから手ぇ出すなよお前等。昔エリクシールを作ったと言って粗悪品のポーションばら撒いた馬鹿がいたが、ソイツは終身刑になったからな」
普通なら詐欺行為で懲役か罰金である。
それほどまでにエリクシールが悪用された際の危険性が高いと世界が見ているのだ。
話が終わると丁度、授業終了の鐘が鳴り響いた。
「ということで、授業は終わりだ。お前等もこれからの人生を謳歌出来るようにしな」
午前の授業が終わり昼休みに入った今、アリスティアとエリーゼは食堂へと向かっていた。
「なんか、凄い話だったね」
「ええ、不老不死の神薬エリクシール....」
エリーゼもアリスティアも呆然としていた。
『不死』という夢物語のようなものが現実となり、それが法律で禁じられている。
スケールの大きい話で現実感が湧きにくいものである。
「ただ、ちょっと気になるわね」
「ん、アリス、何が気になるの?」
「エリクシールが凄い薬なのは確かよ。だから研究全般が禁止されるのも悪用された時のリスクが大きいからってのも分かるわ。でも....」
「でも?」
「作るのならまだしも、解明しちゃいけないのはやり過ぎな気がするのよ。
だって、必要な材料が分かればその動向を確認出来るから、製造を未然に防ぐことが出来るじゃない?」
「そっか、確かにそうだよね...」
アリスティアの疑問にエリーゼはようやく得心がいった。
開発することが禁じられているのなら、その材料について情報を集めておいた方がいいに決まっている。
秘密裏に開発しようとする輩がいても、材料を集めている様子があれば確かに先手を打てる。
「調合に関する研究データが闇に消えたのなら、残ってる可能性もあるわけだし、やっぱり材料だけでも解明した方がいいと思うんだけどな...」
「まあまあ、この話はひとまずおしまい。お昼食べに行こう」
「あ、ごめん」
思案に耽り歩みを止める親友を諌め、エリーゼ達は食堂へと歩を進めた。
一方、クロスは教室で教材用の絵を片付け終えていた。
「ほんと、死ねないってのはロクでもないよ...」
誰もいない教室でクロスは誰に言うでもなく呟くのだった。




