3
少年は一人、妖怪と対峙する。鳥居を超える大きさの大鬼だった。
幼さが残る少年を助けに来る者はいなかった。師匠の祖父が留守中だったからだ。
大鬼が神社に侵入しようとしている。祖父の教え通り、退魔の術を発動させる。急所にあたり、大鬼は消え失せた。
同時に邪悪な気配が木の影から生まれたが、少年は気づいていない。その気配はサッとなくなる。
「久々に昔の夢を見ていたな」
カーテンに朝日が照らされ、八代は伸びをする。
夢の最後に、必死な少女の顔が浮かんだ。
あの人は……。
最近、先輩のことで一つ気がついたことがある。先輩の後ろに時々、狐の影が見えるのだ。悪い影のようには見えないので、仲間なのだろう。急に独り言を言っているときは狐と会話をしているのかも。
「よ! 部活動はもう決まったのか?」
先輩は見かけたら声をかけてくれた。見ただけでハッピーになれるのは本当だ。
「友達と料理部に入ることにしました。食べる専門になっちゃいそうですけど」
瑞穂に誘われて料理部に入部した。デザートの日が待ち遠しい。
先輩の後ろにいる狐が『料理いいなぁ』と言っているのが聞こえる。
「後ろの狐、可愛いですね」
周りに人がいないことを確認して、こっそり言う。
「生意気な奴だよ」
狐は眉をひそめるが、先輩が頭を撫でると気持ち良さそうにしている。犬みたいだ。
「名前は九火というんだ。九つの火と書いて」
「いい名前ですね」
その時、鋭い視線を感じた。
「先輩、ちょっと見てきます」
「どうした?」
校舎の角まで走る。そこには誰もいない。先輩が追いかけてくる。
「誰かいたような気配があったのですが、気のせいだったようです」
私は首を振った。
でも気のせいにするには露骨すぎる。用心するに越したことはないか。
「田村さん、ちょっと用があるんだけど」
クラスメイトの一人に声をかけられた。
え、と瑞穂と顔を見合わせて「すぐ戻ってくる」と言ってから校舎の裏に行く。
先輩のファンクラブの人達に囲まれていた。五人の女の子が腕を組んで私を睨んでいる。
背中に冷や汗が流れる。
「どうしてあんたが先輩と話してるのよ」
「先輩の隣に一般人がいるなんて許せない」
口答えをしたら火に油を注ぎそうだ。人通りがないので助け呼べない。我慢していたら、胸ぐらを捕まれる。
「黙っていないで何か言いなさいよ。この泥棒女!」
中心にいるファンクラブのリーダーから頬を叩かれる。痛かった。
ファンクラブのリーダーを見たら、黒い靄がかかっているのが見えた。瞳には生気がない。
下を向いて黙っていたら、他の女の子は弱気になり、「これくらいでやめとこうよ」と言う。
リーダーは手を緩めない。誰かに操られているようだ。
「何やってるんだ!」
先輩がやってきた。リーダーは一瞬瞳に光が戻るが、すぐに焦点の合わない目になった。
リーダー以外は、先輩を見た瞬間に逃げ出した。
先輩が手に集中して素早く術を唱えると、リーダーは苦しみだす。黒い影はリーダーの背中から剥がれる。
獰猛な大蛇だった。先輩と無言の睨み合いになる。大蛇は首を持ち上げて、噛みつきにかかる。
先輩は「こっちだ」と手を差し出す。私は手を取って走り出した。
大蛇は土煙をあげながら追ってきている。距離が少し開いたところで先輩は走りながら言う。
「葉月の友達からファンクラブの人に呼び出されたと聞いた。危なかったな」
瑞穂、先輩を呼びに行ってくれていたんだ。「ありがとうございます」と言って頷く。
下校の時間が近くなって、人とはすれ違わなかった。階段を登って屋上に出る。
上がった息を整える。先輩についていくので精一杯だった。
大蛇はすぐに私たちを見つけて、地面から這ってくる。
「九火」
声に反応して狐が出てきた。
『はい』
「あれ、頼む。狐火」
大蛇に向かって青い炎が広がる。青い炎で包まれた後、大蛇は尻尾を大きく揺らす。揺れが激しくなると青い炎は掻き消えた。
狐の瞳孔がスッと細くなる。
『効いていないようですね。狐火に浄化されるはずが。恨みが強いようです』
「葉月。手、もうちょっとこのままにさせてくれ。この方が力が出る」
視線を下に落とすと、先輩の手を握ったままだった。逃げていたときからずっと。急に恥ずかしくなってきた。自分の手の汗が気になる。
力が出るというのは? という疑問を持った私に応えるように、「妖怪が視える人と手をつなぐことで、退魔の力が高くなるんだ。すまない。我慢してな」と言った。
「紅蓮の炎」
先輩の手から赤い火柱が出てきて、大蛇を焼く。苦しんだのは一瞬のことで、尻尾で振り払って反撃してきた。先輩に向かって飛びかかってくる。
先輩は錫杖で受け止める。ちゃりん、と鈴の音がする。
「くっ!」
手に力が入り、大蛇を突き飛ばす。後ろに飛んでいくが、尻尾から着地するとまた向かってきた。
大蛇の動きは早かった。低く構える先輩に近づいてきたかと思うと、姿がぶれて一瞬消える。
「痛っ」
先輩は苦しげに顔を歪める。後ろから先輩の首を噛んでいた。大きな歯が首に食い込む。
『やばい。毒を吐かれる』
狐は葉を頭に乗せて、目を閉じて念じると光に包まれる。狐はいなくなり人の形になった。銀色の長髪が美しい、着物を身に付けた男だった。
男は長い爪で大蛇に切りかかる。大蛇の皮膚から黒い靄が放出され、素早く歯を離した。睨みをきかせる男に、傷を負った大蛇は苦しげに逃げた。
男は先輩に駆け寄ると、噛まれたところを見る。
『毒が少し入っているな』
歯形を手でなぞる。銀色のこぼれるような睫毛が色気がある。
「九火……。無理させてごめんな」
先輩は力なく言う。首から少しずつ青色が広がっていく。
先輩はゆっくり瞬きをすると、静かに目を閉じた。
「え? 先輩!」
先輩は目を閉じたまま動かない。手を伸ばすと、私の手を男が封じた。
『動かすな。毒が余計に回ってしまう』
じゃあどうすれば、と言った私に男はある提案をしてきた。