人はどんな状況でも笑えるもの。それが戦場であったとしても
『はあはあ、もうダメ』
行く先に小さくおじいちゃんの姿が確認できる。
おじいちゃん、体力ありすぎ。
というか、私の体力がなさすぎるのか?
しばらくしてから図書館に着いた。
まだ開いている。
どうやら間にあったようだ。
息を整える間も貰えずに本のある場所を催促され、案内する。
件のページを開き、数点ある写真の中から該当のものを指差して教えてあげると、おじいちゃんはその写真を見るなり、さっきと同じキツイ視線で凝視している。
数分経過。
閉館を知らせるアナウンスが流れ出した。
館内の人々は次々に出口から消えていくが、おじいちゃんは依然ピクリともしない。
けど、とても話しかけられるような雰囲気ではない。
『なんでそんな恐ろしい顔をしているの?』
いつも優しくしてくれるおじいちゃんは偽りで、もしかしたらこっちが本音?
怖い……たぶん戦場では、人を殺したことがあるのだろう。
だって、今のおじいちゃんの顔、今開いている本の写真の中にたくさん写っている表情と同じだもの。
鬼とか般若とか仁王像とか、昔から伝わる工芸や絵の顔つきに近い。
今よりも殺伐とした日常であったと思われる昔には、そんな顔、顔、顔、が溢れていて、だからこそそういった恐ろしいものを作ることができたのではないだろうか?
ぼんやりとそんな事を考えていたとき、司書さんがきて閉館の旨を事務的に告げた。
おじいちゃんは無言で一つ頷くと、本を元の場所に戻して言った。
「行こうか」
◆■◆
帰り道。無言の行進が続く。
西日で伸ばされた影を追いながら、家へと向かう。
おじいちゃんの家、すなわち隼人の住む場所は私の家の近所なので方向が同じなのだ。
『あの写真、なんだったのかな』
思ってはみたものの、私の危険探知機がそのことには触れるなと警告信号を出しているので追求することはしない。
けど、そういえば戦場での笑顔の話は結局聞けずじまいだったな。
そんなことを考えていた時、まるでおじいちゃんが私の心を覗いたかのようにその事について話し始めた。
「人間はね、どんな時にでも喜んだり笑ったりできるものなんだ。それがたとえ極限の状態であっても。戦場での笑顔もそれなんだ」
「ただし、憎んでいる喧嘩相手にだとか親しい人を亡くしたとか、怒りや悲しみの真っ最中の時以外の話だけどね」
「でも戦争って、それこそ喧嘩のようなものですし、怒りと悲しみの坩堝なんじゃないですか?」
「いや、戦争は代理の喧嘩だから。もちろん仲間が殺されたり病死したときには怒りや悲しみの感情が芽生えるけど、それとて長くは続かないんだ」
「涙も出なくなるんだよ。でも涙が枯れるんじゃない、習慣化したことによって刺激を感じなくなるんだな」
「異常な事態が日常的になるから。当たり前になるから」
「感覚が麻痺してしまっているんだろうね。まあ、そうでもなければ人なんて殺せやしないよな」
そう言うとおじいちゃんは自嘲気味に鼻で笑った。
「そう麻痺してしまったんだ。いや、そう思い込もうとしているだけなのかな? そう思うことで自身を許そうとしているだけなのかも」
「いまの自分は自分ではない。状況が作り上げている仮の自分なんだ、と」
半ば言い聞かせるように、半ば同意を求めるような口調でおじいちゃんは言った。
「ただね、笑いや喜びにも種類があるんだ」
「種類、ですか?」
「そう、笑いや喜びの原動力は何もきれいごとばかりじゃないってことだね」
そこまで言ったところで家の前に着いた。
するとおじいちゃんは、いつもの優しい顔でお別れの言葉をくれた。
「今日はありがとう。悪かったね、遅くまで」