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「老人と子供とでは時間の流れる速度や濃度が違うから」。戦争体験者と現代人との違い

河川敷。

そこではバドミントンにいそしんでいる女の子たちの姿がある。

輪になって順繰り羽をついて遊んでいるようだ。

ファインプレイで歓声が上がり、羽を落としてもやはり歓声。


土手のベンチに腰をおろし、タバコをくゆらせながらそんな風景を見るともなしに見ている。


『一体何が楽しいのかな』


スポーツに何の関心もない私にとって、わざわざ肉体を傷め酷使する運動というものの楽しさどころか、存在意義すらわかない。


『日常において、本より重いものを持てることに何の意味があるのか?』


男の世界についてはわからないけど、女として生まれたなら、これは間違いのないことだと思う。


持てないものは男が運んでくれるので、殆どのシーンにおいて筋力など必要はない。

よってトレーニングなど不要。


だから、そんな余計なことに時間を使わないで、もっと有意義に生活するべきだと思う。

読書、勉強、映画鑑賞etc……運動なんかよりも自身を高めるための手段はいくらでもあるはず。

また、老化による衰退とも無縁。

それらのものは知るほどに蓄積し、深めていくことができるのだから。


運動と違って疲労による休憩がそれほど必要ないのもいいところで、読書に飽きたら絵を描き、それに疲れたら音楽を聴きながらゆったりするという具合に、連続的に没頭することができるのもいい点。


この没頭というのが、私にとってはかなり重要なところで、例の未来の仕組みうんぬんに関する余計な考えから解放される瞬間でもある。

また、知識を深めることで、もしかしたらこのクソったれた能力が一体なんなのかを知る手掛かりになるかもしれない。


「ほう、華子ちゃんは煙草を吸うのかね」


そんなことを考えているところに、いきなり誰かから話しかけられた。

振り向いて見ると、そこには隼人のおじいちゃんが立っていた。


「あ、どうも」


なんとはなしに寄り道した土手。

人通りも少なかったので、知り合いや学校関係者に会うことはないかと思っていたけど、ちょっと迂闊だったかな。

まぁ、ばれたところでせいぜい停学。

別段どうでもいい。

おじいちゃんはニコニコしながら話かけてきた。


「ここ、座ってもいいかな?」


「あっ、どうぞ。よければ煙草もありますよ」


「ありがとう。でも煙草はあるから大丈夫だよ」


そういうと、ポケットから皺くちゃになったSHINSEIを取り出し、口にくわえて手早くマッチを擦ると先端に火を点した。

ずいぶん手慣れた動きだなと思った。

やはり年季が違うのだろう。


「マッチ派なんですか?」


煙草吸いにとって、着火する道具は重要だったりする。

見た目の格好良さとかのどうでもいい話ではなくて、煙草の味に大きく関わってくる部分なだけに、必然こだわりが現れる。


百円ライターが一番癖がない。

燃料となるガスの臭いが薄いからであろう、煙草に余計な臭いが付着せず煙草本来の香りを楽しめる。

ジッポーはオイルの味が、マッチは燐の味が加わって、好き嫌いはともかくそれぞれにほどよくブレンドされた独特なテイストを味わえるのだが、それら着火物の中でも最悪なのが台所のガス。


危険防止のために臭い付けされたガスの臭さはただごとではなく、優雅で甘美な喫煙時間が完全に台無しとなる。

試したことは無いが、焚き火だと燃やした木の香りが付くのだろうか?

理科室にあるランプはどうなのかな?


「ああ、僕はマッチでしか吸わないんだ。昔からね」


「なにかこだわりがあるんですか? やっぱり」


「マッチの成分が燐なのは知っているかい? これは燐火すなわち人魂だね。つまり命の味がするのさ」


「なんだか洒落ていますね」


「ふふ、いや冗談ではなくね。この味が口に広がると昔、戦場にいた頃のことを思い出すんだ」


どこか寂しげ、どこか懐かしげだけれど真摯な表情でおじいちゃんは言った。

その顔つきは、少なくとも私の知る人たちからは一度も見たことがない類のものだった。


戦争を、いや死線を潜り抜けたことのある人は、平和しか知らない人間では決して持ちえない一面を持っているのだろうか?

考え方もそうだろうけど、表情にしても私なんかでは到底表すことのできない深みをたたえているように思えるのだ。


「戦争、ですか。まぁ、懐かしい味がするものなのかもしれませんね。私はマッチの臭いがちょっと苦手なんですけど」


「うん、燐の味が加わるからね。煙草の味がガラリと変わるからなぁ」


「そうですよね。独特の鼻にスッと抜けるような臭いが加わるというか。でもワーストは台所の火ですね。あれで付けた煙草はとても吸えたものじゃないです」


「ああ、それはわかるなぁ。確かに美味しくない。でも、いままで一番美味しくなかったのは焼死体の火で付けた煙草かな」


「え? そんなことをしたことあるんですか?」


さすがの私もこの発言には驚いた。


「はは、この話はちょっと刺激が強すぎたかな。まぁ、知らずに点けて僕自身もその味にびっくりしたんだけどさ」


「さすがにそれは普段ではないことでしょうね」


「まぁね。戦場ならではのお話だよ。教科書や新聞には決して載ることのない一コマなんだろうな。そんなあり得ないことすら平常だったりする。それが戦争なんだよね」


「そうですか。ところで戦場って、どちらに行かれていたんですか?」


「ああ。○×国だよ」


○×国というと、第×次世界大戦でも特に激しい攻防が繰り広げられた戦地であるということをなんかの資料で見たことがある。

死者数約××××××人も出たとか。

おじいちゃんは、その苛烈な戦地を潜り抜け、生き残り、戻ってきた一人なんだ。

煙草の煙を吐いておじいちゃんがしゃべりだした。


「そうか、華子ちゃんももう煙草が吸えるようになったか」


まあ、吸える体ではあるけど、法律ではまだ禁じられているんですけどね。


「隼人は煙草の臭いが嫌いなんだよな。ウチの家族は僕以外吸わないから肩身が狭くてさ」


隼人、煙草嫌いなんだ……私が吸うのってやっぱり減点かな。


「それにしても、ちょっとの間にずいぶんと大人っぽくなったね」


「そんな、何年も会っていないわけじゃないのに」


「いやいや、老人と子供とでは時間の流れる速度や濃度が違うから」


そう言うとおじいしゃんは、ポンと灰を落としてから遠くを見たまま言葉を続けた。


「背が伸びる、体重も増える、髭も生える、ある日突然声だって変わってしまう。子供ってのは、なんだってあんなにせっかちに育ちたがるのかね? ふふふ」


そう言われるとそうかもしれない。

成長期というのが成人くらいまでを指すことを考えると、その何倍もの人生を生きるのだから、確かに急なものだと言えなくもない。

でも、昔の人間の寿命が五十歳も行けば長生きだったことからするとちょうど中間地点。

現代人は無駄に生き過ぎているのかもしれないな。


そして、土手から見える遠くの景色を二人で黙って見つめていた。

バトミントンをしていた女の子たちも遊び終わったのか、帰り支度を始めている。


「あの河川敷でもよく遊んだなぁ。世代も変わった、町も変わった、社会情勢も常に変化している。けど、ここからの眺めはなにも変わらないね」


「え、おじいちゃんが子供のころからですか?」


「うん、そうだね。ここは不思議なほど変わっていないね。流れる川もその奥に横たえている厳めしい山も。心の故郷があるとするなら、僕にとってはここからの眺めなんだ」


「……」


「戦後、○×国から引き上げてきて町も家も人の心もめちゃくちゃになっていた。混乱を極めていた。腐敗しきっていた。けど、ここからの眺めを見て思ったのさ。変わらないものは変わらないんだってね。だから、僕はここからの眺めを心の原点としてやり直すことに決めたんだ。悲惨な世の中になっても、戦前のように変わらず美しいこともきっとあるはずだと思ってさ」


重たいはずの述懐もほのぼのとした口調のおじちゃんがしゃべればなんとなく、興味深い思いで話のようで耳に優しい。


「そういえば、調べ物は見つかりましたか?」


さっき図書館で熱心に読んでいた古新聞のことがなんとなく引っかかった。

それに、もしかしたら昔から住んでいる年寄りであれば、この町で古くから起こっている数々の不思議な出来事について、何か知っているかもしれない。

確率はゼロに近いだろうけど、私たちの能力を知るためのとっかかりがあるかもしれないし。


「ん~残念ながら収穫なしだね」


「そうですか。それは残念でしたね。ところで一体何を探しているんですか?」


「ふふふ、何だと思うかね?」


「そうですね……戦時中の仲間を探しているとか?」


「ほう、よくわかったね。いや、大したものだ。そう、仲間、いや命の恩人かな。あれがいなければ僕は今ここで華子ちゃんと話すことなんてできなかったろうな」


「とても大事な方なんですね」


「そうだね。絶対会わなくちゃいけないんだ。絶対にね。約束したことだから」


そういうと口をつぐんで黙り込んでしまった。

私に話したというよりは、自分に言い聞かせたように感じた。

だから気にはなったけど、それ以上の深追いは止めにした。

なんとなく、深刻な顔をしているようだし。


『戦争か』


何十年も前の昔話だろうけど、おじいちゃんの人生に計り知れない影響を与えたのだろう。

残酷、悲惨、絶望……筆舌に尽くしがたい、そして人には言えないような体験を数多くしているはず。

ましてや○×国で戦っていたとなると……人も殺しているだろう。


人の未来なんて、差こそあれども結局そんな酷いことの上に立脚している。


『おじいちゃんは戦争体験を通して罪悪感に苛まされることはなかったの? 今まで生きていくことは辛くなかった? 年を取ってまで生きようとする原動力はなんなの?』


『やっぱり未来になんてロクなことがないよ。平和な今だって大なり小なりの残酷を積み重ねてみんな生きているんだから』


まるで他人事。

そういう事実を知っているのはたぶん私くらいのはず。

にもかかわらず自己嫌悪しているふりをして結局何もせずにふさぎこむ。

被害者ぶる。

悲壮感を漂わす。

一番酷い人間って、もしかしたら私?


「華子ちゃん?」


「あっ、はい?」


おじいちゃんが話しかけてきた。

突然の沈黙が違和感を与えたのだろう。

場をごまかすために適当な考えを巡らすと、ふとあることを思い出した。


図書館にあった本に載っていたとある写真。


戦場で撮影された兵隊たちの写真なのだが、その大部分が冷徹、拒絶という表情ばかりなのに一枚だけ笑顔のものが写っていたのだ。


休憩か何かをしているときのものなのだろうが、驚くほどにのどかで喜びに満ち溢れている穏やかな空間。

とても戦地とは思えないほどに。


現実における極限状態とも言える戦いの場で、なんであんなに朗らかな顔をすることができるのだろう。

戦争を体験したおじいちゃんなら、もしかしたらその理由を知っているかも。


でも、はたして聞いていいのだろうか?

戦争に関することだと、思い出したくないことも多いはず。

私のいらぬ一言で、傷つけるようなことにならないとも限らないし……でも、ここで聞くのも仕組まれたことだったのだ、と普段は嫌がっていることを都合よく味方につけて、思いきって質問してみた。


「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」


「なんだい?」


ニコニコとしながら聞き返してきた。

そういえば、こんなに家族以外の人と喋ったのは久しぶりのことだ。

そして、なんとなく楽しい。


けど、この笑顔も悲惨や残酷の上にあるもの……そう考えてしまうと、途端に気分がなえる。

私の馬鹿な能力が、他者とのコミュニケーション不全を引き起こしているのではなかろうか。

少なくとも、子供のころはここまでひどくなかった……はず。


「どうしたの? なんか聞きたいことがあったんじゃないのかな?」


そうだ、私から言い出したことなんだから沈んでいる場合じゃない。

気を取り直して話をしなければ。


「ええ、話というのは以前図書館で見た戦時中の写真のことなんです」


「ふむ、どんな写真だったのかな」


おじいちゃんは興味を持ったのか、真顔になって返事をした。


「はい、実は多くの写真が鬼気迫る感じのものばかりだったのですが、そんな写真ばかりの中一枚だけ違和感のあるものがあったんです」


「ほう」


「それというのも、みなさんが笑顔なんです。外国の戦地の写真では笑顔のものもよく見かけたのですが、日本人の兵隊さんの写真としては珍しかったので覚えていたんです。戦争のような危険と困難を極めるような場所においても笑顔になることなんてあるのかと……」


話している途中にも関わらずおじいちゃんがいきなり言葉を割り込ませてきた。


「その写真、どこで撮影したものなのか書いていたかい?」


いきなり声のトーンが変わった。

それにすごく険しい表情。

少なくとも、私がいままでに見たことのない人の顔。

さっきの寂しげな表情もそうだけど、今のこの顔もまた現代人には表現できない類のものだ。


殺気。


おじいちゃんの気迫に押されつつも、覚えている限りのことを話した。

写真に写っている人数や容姿、キャプションに書かれていたおおよその年月日などなどを思いだせる限りで。


話している間中、真っ直ぐに注がれるおじいちゃんの視線が痛い。

私の目を潰さんばかりに力強く見つめるその瞳は、まるで私の発言の真偽を問うかのように、一切外さず瞬きもせずそそがれ続けた。

短い間のことだったけど、すごい疲労感。

目力に完全にやられてしまった。


そして視線攻撃から解放さたのもつかの間、


「華子ちゃん、悪いんだけど図書館に一緒に来てもらえるかな?」


『首を突っ込んではいけないこと』


というシグナルが、私の頭に灯っている。

けど、とても断れるような雰囲気ではない。

すでに有無を言わせぬ空気感が漂っていた。

それに私がふった話題だし。


普段はドライだとかクール、マイペースで通っている私だけれど、それは所詮危険性のない相手であるのが前提。

今、意外なほどに流されていることに気が付く。

それに、こんなに緊張したことは初めてかもしれない。

やっぱり脆いな、私は。


「わ、わかりました。それじゃあ行きましょうか?」


おじいちゃんは、私の返事を聞くなりベンチから立ち上がって、図書館の方へと走り出した。


『うわ、駆け足ですか!』


走るくらいなら遅れる方がましという考えで、急ぐことも焦ることも嫌いなだけに、この展開はちょっと辛い。


「急いで。図書館が閉まってしまう」


おじいちゃんが走りながら私を急かす。

そうか、今日は日曜日だからいつもより閉館が早いんだ。なんてこった。


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