魔法の調味料
母は魔法使いなのかもしれない。
その考えに至ったのはとても簡単な事だ。
私の家は、小さな洋食屋を営んでいる。
父の澪音は、顔に似合わず洋菓子とブレッドを担当している、自称ジョン・レノンの生まれ変わりと豪語するおめでたい人。
しかし我が父ながら凄い名前だ。
どっかの自称5流小説家と読み方は違うが同じ字を書く。(笑)
若い頃はバンド小僧で、”Loose Beat”と言うバンドを組んで、色々な街で音楽活動をしていたそうだ。店内には当時父が使っていたエピフォンのセミアコ、”カジノ”が飾られている。
閉店後など、時々ギターを弾く姿を何度か見た事があるが、テクニックは中の上と言ったところで、なるほどなるほど。正にルーズビート。
そんな父が命名した店名。
”Que Sera Sera”(ケセラセラ)
”なるようになる”と言う意味らしいのだが、実に父らしいと言うか、父そのものだ。
母の香里はメインである洋食を担当している。我が家では紅のトマト使いと呼ばれている。
母の実家は農家で、その絡みで小さい頃から毎回食卓に上るトマトが大っ嫌いだったそうな。しかし残すと怒られる為、なんとか美味しくトマトを食べられないものかと試行錯誤し始めたのがキッカケで料理に目覚め現在に至る。
ほぼ毎日母の実家からトマトが届く為、我が家の食卓にも毎日トマトが上る。しかしそれを鼻歌交じりで魔法の如く美味しく調理してしまう。よくこんなにもレシピを思いつくものだと、私も父も感心してしまう程だ。これこそが紅のトマト使いと言われる所以だ。
そして二人の間に生まれた私。
名前を洋子と言い、勿論父が命名。まぁ何となくわかると思うのだが、由来はジョンの妻であるオノヨーコから。
折角偉大な著名人から名前を取って頂いたのだが、悲しい事に、私は芸術にも音楽にも才能は恵まれなかった。
正確にはどちらにも興味が湧かなかったと言うのが正しいのかもしれない。
そんな私も今年で18歳を迎え、この春から念願だった”Que Sera Sera”の厨房に母のアシスタントとして入れてもらうことが出来る様になった。
多少の贔屓目はあるかもしれないが、有難い事に我が家の小さな洋食屋は毎日とても繁盛している。
お昼には近くのOLさんやサラリーマンが列を作る程だ。夕方からは学校帰りの学生さんや、カップルが多く見られ、テイクアウトのケーキやパンも好評で、ご近所の主婦の方々や女子高生にも評判がいい。
ネットや雑誌に掲載している訳でもなく、口コミだけでこれだけ繁盛した事には、正直驚きを隠せない。
店名通り、なるようになったのかな?と思うところもある。
しかし、本当の所はやっぱり母が作る洋食なんだと思う。
食べもの屋を営んでいる以上、味はそのお店の命だ。味が悪ければお客さんなんて来ないだろう。
これだけ繁盛するって事はやはり母の作る料理が美味しいからなんだと思う。
食事をする人達の顔は笑顔で、とても楽しそうな時間がそこには流れているように見える。
私の瞳にはそれがとても眩しく映って、羨ましくもあった。
いつか私も人に喜んでもらえるような、幸せを感じてもらえる様な洋食を作りたい!かえるの子はやっぱりかえるであって、幼い頃からこれだけ身近に料理と密接して生活していれば、母を尊敬し同じ道を志したいと思うのは自然なのかもしれない。
厨房に入れてもらえるようになってからは、母のアシスタントをしながら、調理方法や食材など学べるものは全て目で見て覚えた。レシピも忘れない様にしっかりとメモを取った。
休日や夕飯作りに、そのレシピ通り作っては見るものの、どうもシックリこない。
見た目は同じだが、食べてみるとどうしても母と同じ味にはならない。
決して不味い訳ではない。
父も母も美味しいと言って食べてくれる。上手く言えないのだけど、何かひと味足りない様な気がするのだ。
初めはそれを仕方ない事だと思っていたし、経験不足からだとも思っていた。
でも何度やっても母のあの味には近づく事すら出来ない。自分なりにいろいろ工夫したりもしてみたが、どうしても辿り着けない。
私は少し焦っていた。
たかが18歳の小娘が何を言うか!?と怒られてしまうかもしれないが、焦っていた。
理由はある。
近頃、夕方に顔を出す男性。私はその人の事がとても気になっていた。
気になっているといっても、異性に対してのソレではない。
上手く言えないが、わかりやすく言うと表情がないのだ。
いつも同じような時間に来て、同じものを注文し、黙々と食事をすると、食後のコーヒーを飲みながら持参した小説をしばらくの間読み耽って、時間になると帰っていく。
笑顔が絶えないこの小さな洋食屋では、逆にそう言った事に気が付く。
出来ればあのお客さんにも笑顔であって欲しい。そう思えば思う程、自分が作るひと味足りない料理に焦りを感じるのであった。
思いつく事、今の私に出来る事、全て試して足掻いてみた。
私は思い切って母に全てを話し、教えを乞う事にした。
「洋子、あなたの作る料理はとても美味しいわ。それは娘だからと言って贔屓目で言っている訳ではないの。まして慰めでもない。母さんこれなら将来安心してあなたにこのお店の厨房を任せてもいいとさえ思うわ。それでも自分の作る料理の味に納得いかないと思うなら、魔法の調味料を教えてあげる。」
魔法の調味料!?
それこそ私に足りなかったものなんだ!
「教えて母さん!」
大声で母を急かすと、母は笑顔で答えてくれる。
「魔法の調味料はね、あなたの胸の中にあるの。自分の作った料理を美味しく食べてくれる人の顔を想像するの。嬉しそうな顔、楽しそうな顔、幸せそうな顔。誰かの事を想う気持ちが、料理を更に美味しくする魔法の調味料だと思うの。だからあなたも、そうさせたいと思う人の喜ぶ顔を想像しながら料理をしてみて。きっとそれはその人に伝わるはずだから。」
何とも想像していたものとは随分とかけ離れた答えだったが、なぜか私は母のその言葉に、妙に納得してしまったのだった。
次の日、私は母に頼んでミネストローネを作らせてもらった。
母に教わった通りのレシピで、教わった通り、食べてくれる人の喜ぶ顔を想像しながら。
夕方。
いつもの時間に表情の見えない男性が来店した。
私はお冷とメニューを出し、注文を聞く。
「チーズハンバーグセットで。コーヒーは食後にお願いします。」
笑顔で注文を承り、母にその旨を告げる。
私も一旦厨房に戻ると、ランチ用のスープカップに今日作ったミネストローネをよそい、男性の席に持っていく。
「どうぞ。」
注文していないスープが出て来た事にいささか驚いた様子の男性。
「いえ、頼んでいませんが・・・。」
私は笑顔で答える。
「実は今度ランチで出そうかと考えているスープなんです。よろしければご試飲頂けませんか?」
何処か少し困り顔の男性であったが、カップを手に取るとそれを口に運ぶ。
「あっ、・・・美味しい。」
そう呟いた男性の顔を見ると、そこには優しそうな笑顔があった。
「優しくて、心温まる味でした。ありがとう。」
始めてみるその顔と言葉に、私はとても嬉しくなった。
私が求めていたものが今ここにある。
母が教えてくれた魔法の調味料は、誰の心の中にでもあって、とても簡単だけどとても難しいもの。
まだまだ未熟で、覚える事や勉強する事、教わる事も沢山あるけど、ひとつ願いが叶った。
大きな夢に向かって小さな一歩。
今日、私はそれを踏み出した。