騎士
料理用語
コンカッセ→粗みじん切り アッセ→みじん切り
冷蔵庫欲しい。クーラー欲しい。
この世界は近世ヨーロッパをイメージしたつくりなのか、家電がない。
そして妖精やらドラゴンやら女神やら、元の世界でいう都市伝説とか七不思議みたいな不可思議なおとぎ話はあるようだが魔法もない。
四季は高温多湿な日本に比べるとだいぶ乾燥して過ごしやすいのだが、夏はやはり暑いからこその夏である。
貴族のお屋敷となれば氷室を扱う業者から氷を購入したりできるが、ここは下町。風通しのいい日陰ならまだしも、火を使う厨房などはさながら炎熱地獄のようである。
「スズキお待たせ!」
「はいよー!エディーちゃんサラダ一つグラタン一つチキン一つ!」
「はーい!」
夏なのにグラタン、この世界は暑さによる食欲減退とは縁がないらしい。
ズッキーニと茄子の輪切り、トマトのコンカッセ、たまねぎのアッセをそれぞれオリーブオイルで炒め、蜂蜜とバルサミコ酢、塩コショウで味付け。それらの夏野菜をグラタン皿に並べてパン粉とチーズをかけオーブンに放り込む。汗が目に染みて慌てて拭った。がんばれエディー、暑くても来てくれるお客さんの熱意に応えるんだ。
「いらっしゃい!空いてる席に座っておくれ!」
ほらランチタイムも終わりそうなのにまたお客さんが来た。ラストスパートだ!
・・・・・・・・・・・・
ダガート・クレメインは王国騎士団の第一師団第三大隊第四中隊の隊長だ。父が公爵にしては低い地位だがそれは父の意向で、騎士になりたいのなら親の七光りに頼らせるつもりはないと、ダガートを騎士の従者につかせて修業を積ませた。本人も特に異論はなく黙々と雑事をこなしながら合間を見て稽古に励み、早々にトーナメントで活躍し騎士の叙勲を受けた。学園の4年の頃にはすでに小隊長にまで昇進していたのだから、本人の実力はかなりのものである。
そんなダガートは今日下町にある屯所に来た。近くの訓練所の拡大に関する批准書を屯所に駐在する同じ中隊長のイエンに渡しに来たのである。髭もきちんと剃らずだらしない親父という風情のイエンは見た目どおりダガートよりずっと年上で平民出身だがかなりの実力者であり、小隊長時代は直属の上司であり色々と世話になっているため頭が上がらない。
書類にサインしながらイエンはニヤリと笑う。
「この調子だと大隊長もあっという間だな、さっさと出世して俺らに楽をさせてくれよな」
「ああ、頑張って扱き使えるように登り詰めるからそのつもりでいてくれ」
ダガートが答えるとイエンが心底愉快そうに笑った。
「こりゃあ手厳しい!ああ、楽しみにしているぞ!」
イエンは豪放磊落な性格で慕う部下も多い。実力も経験も兼ね備えているのに、たたき上げだと出世は中隊長がせいぜいなのだ。
イエンみたいな例は多くダガートは思わず歯噛みする。
平和な世の中とはいえ、王国を守る剣と盾が実力ではなく家柄を優先するのでは弱体化を招く。いつか上に登り詰めたら評価制度を見直したいと常に考えていた。
現王太子妃とて平民出身なのだ。今は王宮のしきたりや古臭い因習が纏わりついて苦戦しているようだが、学園時代の実績を鑑みればいずれ味方をつけて反撃に出るだろう。王子も全面的に応援しているので将来自分にとっても追い風になることを期待したい。
考え込んでいるとイエンが声をかけてきた。
「昼まだ食ってないだろ?一緒にどうだ?」
「異存はない。近くに店はあるのか?」
「ああ、最近見つけた。ここらでは一番うまいかもしれん」
案内されたのは下町の商店通りの一角。「レイラの食堂」と書かれた看板が掲げられている小さな食堂である。
公爵家出身のダガートはもちろん贅を尽くした料理も食べたことがあるが、行軍ではそんな贅沢な食事など取れない。腹を満たせるのなら味にこだわる必要もなく、巡回中に腹がすけばそこらの店で適当に食べることもよくある。
店に入るとちょうど席が空いていたので、ダガートは味にさしたる期待もせず席に座った。
「はい、いらっしゃい!おや隊長さん、また来てくれたのかい」
「ああ、景気はどうだ?」
「おかげさまで、さて今日はなんにするかい?」
黒板に書かれているメニューを見ているイエンを横目に、ダガートは注文をする。
「エールと、あとはなんでもいい、適当にお勧めを量多めに頼む」
それを聞いてイエンも続ける。
「じゃあ俺もお勧めで」
「はいまいどー」
威勢がいい女将が厨房に向かう背中を見ながらイエンが苦笑いを浮かべながらダガートに言う。
「期待してないって顔だな」
「食えればいい」
「お前なー。ここは悪くないと思うぞ」
「期待している」
むっすりとした表情のまま答えたダガートを見てイエンはやれやれと肩をすくめ、何とはなしに同僚を眺めた。
黒い目に黒い髪。整った精悍な顔立ち。これでもう少し愛嬌があれば女など選り取り見取りだろうに。
堅物すぎて女の一人も口説いたところを見たことがない同僚に、まあ騎士にとっては女に群がられるのは煩わしいだろうが…と思い直す。
・・・
厨房をのぞきこみ、レイラさんは私に声をかけてきた。
「エディーちゃん、騎士の隊長さんがまた来たんだけど適当にお勧め二人分量多めだって」
「騎士ですか…」
少し考えてマイサーさんに声をかける。
「マイサーさん、スズキ6枚お願いします」
「ん?肉じゃなくていいのか?」
「今日の肉はチキンであっさりめですから、やはり『おすすめ』でいこうかと…」
「そうねー騎士の隊長さんなら訓練でもない限りそんなに腹を空かせてないだろうよ」
食堂の方に目をやってレイラさんも頷いた。
「よーしじゃあエディーは野菜を頼む」
「はーい」
マイサーさんが魚を焼く傍で、私は手早く塩レモンが効いたズッキーニのフリカッセにとりかかった。
強火にかけた鍋にオリーブオイルとにんにくのアッセ。レモン果汁にコリアンダーとにんじんとズッキーニを加えて煽ってからタイムとローリエを入れて白ワインでしばらく蒸し煮。そこにソラマメと日本にいたころ流行った塩レモンを入れてさらに煮込んで出来上がり。これとこんがり焼いたスズキとの盛り合わせは塩レモンの爽やかさ先立つ試食会で好評を得た夏の新メニューである。
・・・
しばらくして目の前に出された魚を見てダガートは眉をひそめる。
貴族の夕食じゃないのだしあまり食事に時間をかけたくないものだが…行儀が悪いだろうが口に放り込んでから骨を吐き出すしかない。
魚の骨を取り除く手間を考えてため息を一つつく。
イエンを見ると行儀もなにもなくさっさと魚にパクついている。
「…骨に気をつけろ」
「ん?骨なんざないぞ?」
それを聞いてダガートは疑わしそうに食べ始める。
「…ほんとだ…」
「食べやすくてよかったな」
「……」
顔を顰めたまま食べるダガートにイエンが思わず聞いた。
「まずいのか?」
「いや、うまい」
「んじゃあなんで難しい顔してるんだ」
「下町でこんな手間暇をかけたものを食べれると思わなかった」
実際横にある煮込み野菜も実家の公爵家で食べた正体が分からなくなるほど手の込んだ料理ではないが、単純な味付けではない。素材の歯ごたえが残っていて味も上手につけている。つまりうまいのだ。
「ここの娘が骨を抜いてくれたんじゃないか?」
「娘?」
「ああ、厨房に父娘で働いているようだ」
見やると、ちょうど厨房を挟んだカウンターに料理を置いてあっという間に引っ込んだ金髪の少年が見えた。
「娘?」
もう一度言うとイエンはブハっと吹き出した。
「髪は短いが娘だ。かわいい女の子だよ」
ついでニヤリと笑う。
「どうだ?うまいもんがさらにうまく感じるだろ?」
ダガートはさらに眉をひそめ、どう見てもうまいと思えない顔で料理を完食した。ソースの一滴も残さずに。