外出
本日の賄いはサーモンステーキのバニラソースかけ。クリームにバニラビーンズと塩コショウを加え1時間以上煮込むだけのシンプルソースである。
こちらは目論見通り好評で明日のランチメニューに採用された。乳製品はやはり強い。少し悔しくなった。
そろそろサーモンの旬も過ぎ、季節は初夏に入る。次の食材の目星をつけなければ。今年は夏野菜が豊作だといいなー。
「エディーちゃん明日休みだったよね」
「あ、はい。すいませんレイラさんマイサーさん。明日は抜けますのでよろしくお願いします」
「いいのいいの、エディーちゃんのおかげでこちらも休める日が増えたんだから」
「明日はどっか遊びに行くのか?」
「あ、はい。タワン通りに行こうかなーっと…」
「あらまた?休みなのに研究熱心だね!私らも少しは見習わないと」
「いえ、私食べるのが好きなので趣味も兼ねているというか…」
タワン通りは通称「仕入れ横丁」。
そんなに広い道幅ではないが食材を扱う店が多く立ち並ぶ活気あふれる通りだ。変わった香辛料や新規の食材を開拓したければそこに行くと何かしら見つけれる。
その周辺は手ごろなレストランも多く、料理の勉強をする場所としては最適である。
二人ともしきりに感心してるが、この通りの商店は試食も盛んなので、そこで一食分を浮かせれるという邪な動機も持っている私は恥ずかしくなり、さっさと昼食の片づけにかかる。
現在私は基本的に月に3日の休みをいただいている。そのうち1日は月末の定休日で全員お休み。
残り2日はレイラさんとマイサーさんだけでお店を回して私だけ抜ける感じだ。
なので同じようにレイラさんが休む2日は私も厨房に籠るわけにはいかなくて、表に出て給仕をする。ちなみにマイサーさんの休みの日はレイラさんも厨房に入り、私と二人三脚で表と裏を行き来する。私一人で厨房を回せるようになったらレイラさんの負担も減るだろうから早く一人前になりたいもんだ。
さてその3日の休日の使い方はほぼ決まっている。
1日は郊外で食材収集。ハーブとかできるだけタダで手に入る食材を探してくるのだ。
1日は家で試作会。現在私はレイラさんのお店にほど近い場所で部屋を借りて住んでいる。
ロの字に中庭を囲むアパートメントで洗濯所やキッチンなどの水場は共同だが、家賃が前の世界の日本円で換算すると月5000円程度という安さだ。この世界は元々家賃の相場が安いのでとても助かる。
そこのキッチンを1日占拠しお店でいただいたいらない食材や採取したハーブや野草などで調理の練習をする。できた料理は他の住人の方に御裾分けすることで交流もできて一石二鳥である。
残り1日の休日はお出かけの日と決めている。食材を扱う店を見たり他のレストランに勉強のため食べに行ったり、そして「ある人」と休みの日が合えば会う約束をしている。
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天気は晴れ時々曇り。まずまず快調でしょう。
下町からは中央通りを通って行かないといけないが、もっとも人が多い場所なので少しばかり警戒してしまう。
中央通りは貴族、たまには王族の馬車も通る道。自意識過剰かもしれないが、やはり知り合いには遭遇したくない。
とはいえ今の私は令嬢時代とはあまりにもかけ離れた姿なので変装する必要はないだろう。
なにせ令嬢時代の私のトレードマークである縦ロールをばっさり切ってしまってショートカットになっているからである。
髪型に合わせて私の平服は男の子のような動きやすいパンツスタイルとくりゃあ、私のことをエディエンヌと見抜ける人間はそういないだろう。
タワン通りに着くと足早に待ち合わせの「豚の像」に向かう。うん、相変わらず脂がたっぷりのってておいしそうな豚さん…。
どういう由来でタワン通りを見守ることになったんだろう…。
どうでもいいことを考えつつ像の傍らに立っている人を見つけて声をかけた。
「パウロさん!お待たせしました!」
髪に白いものが混ざった顔の丸い男性が嬉しそうに目を細める。
「お嬢様!おひさしぶりです」
パウロさんはかつてレティスフォント家で働いていたコック長だ。借金を返済するため家の財産を処分し、使用人に出て行ってもらうなか、こちらの我儘を聞いてもらって最後まで残ってくれた人で、私は心の中でひそかに○ャムおじさんと呼んでいる。債務整理の最後ら辺になると同じく残ってもらっていたメイド長のアメリーさんと共に戦友のような妙な連帯感が芽生えていた。別れる時は二人とも困ったことがあれば相談してくれと、令嬢時代では考えられない言葉までいただいた。
とはいえ自分の力で生きていきたいと思った私は、全てが終わった後、誰にも行先を告げることなく下町の食堂で働くことにした。
だがこの世界の大衆食堂のあまりにも雑…もとい豪快な料理に度肝を抜かれ、なんとかもう少し繊細な料理を作りたくても三田恵の知識をもってしても太刀打ちできず、試作で失敗を重ねて自信喪失に陥っていた。
そんなときに食材の勉強のためタワン通りに来て、仕入れ中のパウロさんを見かけたのだ。
パウロさんは贅沢に慣れた我儘なレティスフォント家の者を満足させることができる腕の持ち主で、得意料理であるオマール海老のビスクなどは飽き性なエディエンヌ嬢が何度もリクエストするほどの絶品料理であった。
意志薄弱だと笑えばいい、私は誘惑に負けてパウロさんに声をかけたのだ。
私の姿をみて当然ながらびっくりされたり心配されたりしたのだが、料理人になりたいという熱い思いを訴え続けたら
『お嬢様の紹介状のおかげでよい職場で働くことができました。私にできることなら』
と言って、私に教えることを快く承諾してくれた。
悪役令嬢時代にあまり顔を合わせることはなかったが、それでも無茶を言って困らせた記憶がある私としては五体投地したいほど感謝している。
とりあえずパウロさんの休みと私の休みが合う時にこうやって会って色々と教えてもらうことになったわけだ。
ちなみにアメリーさんも再就職に成功して今バリバリ働いているらしい。いつか胸を張って会いにいきたいな…。
「フォン・ド・ヴォーは無理ですなあ、手間がかかりすぎです」
「そうなんですか…でもソースの出汁はやはり欲しいです」
「ブイヨン・ド・ブフはどうでしょうか?風味は足りないですが代用になりますぞ」
タワン通りの手前にあるカフェに入り授業を始める。2か月ぶりなのですでに手持ちのノートには聞こうと思った質問がびっしり書き込まれている。
パウロさんがいくら凄腕のコック長とはいえ、貴族の料理を下町の食堂にそのまま持っていくわけにいかない。
そのため手間がかからないレシピはいくつか教えてもらったが、基本的にはアドバイスをもらったり、質問に答えてもらったりすることがほとんどである。
フュメ・ド・ポワソンなんて洒落たものも私がパウロさんに簡単な出汁のレシピはないかと聞いて教わったものである。
新メニュー開発で私は従来のメニューに比べてもう少しこまやかさがあればいいと考えているけど、実は時間はあまりかけたくない。私が目指してるのはあくまで「レイラの食堂」のような安くてボリューミーでおいしいお店である。仕込での事前のひと手間を加えるのは構わないが、回転率を上げるためにも素早く調理をするコツは必要だ。「手抜き」は必要な技術だと三田恵のOL時代で先輩に教わったし、それはこのままエディーの信条にしようかと思う。
パウロさんにそれを言って呆れられると思いきや、普段自分が貴族の屋敷で作っている料理と下町の食堂の違いをちゃんと理解して色々とアドバイスしてくれる。本当に頭が上がらない。恩を返したい人リストが増える一方である。
「一区切りしたら食材も見に行きましょう」
「はい!」
疑問に思っていたことが次々と解決され、私は夏の様々なメニューに思いを馳せた。