仕込み
この小説は料理の表現がやや多く食材は現実のものを準拠していますが設定はいい加減です…。
料理の記述は素人で適当なので本職の方は回れ右推奨です。
木槌をにぎりしめ無心に振り下ろす。
ガンッ ガッ バキッ
骨が砕く音を聞きながら真剣に叩く。
「エディーちゃん朝から精が出るね!」
「あ、おはようございまーす!」
笑顔で挨拶をし、引き続き作業を続ける。
砕いた魚の骨に白ワインと水を加えて沸騰させると、フュメ・ド・ポワソン、魚のだし汁の出来上がり。
ここはハイルゾン王国の都イースフェリア。
下町にある「レイラの食堂」は安さとボリュームと元気な女将を売りにしたそれなりに人気の小さな食堂である。
私はエディー。本当はエディエンヌ・レティスフォントというれっきとした侯爵家の一人娘なのだけど、諸事情により実家の爵位はく奪の上ほぼ無一文の状態でこの食堂に転がり込んだ。
給仕ではなく厨房に入りたいと頼み込み、食堂で一人だけのコック、マイサーさんの手伝いを始めて2年。すでにお客様に出す食事の数品は任されるようになって季節ごとのメニューでも意見を聞かれるようになった。3年ぐらいは下ごしらえをみっちりやる覚悟をしていたが、どうやら食堂のお客さんが増えてマイサーさん一人だと回らなくなってきたので、修業は実地で覚えろということになったらしい。
元侯爵家令嬢なだけあってエディエンヌは舌が肥えていた。
大衆食堂でグルメ舌が活躍するとも思えなかったが、意外に食材の選定の役に立つ。おかげさまで食材の仕入れでは必ずマイサーさんに連れていってもらえて色々と勉強させていただいている。黒歴史がごとき令嬢時代も無駄ではなかったということか。
そう、黒歴史。
刻んで燃やして地下10メートルの穴を掘って自分ごと埋まりたいほどの黒歴史が私にはある。
青春時代に私は悪役令嬢として名を馳せていたのだ。しかも、お、乙女ゲーム「届けこの愛~ジュリメイト学園の春~」でヒロインをいじめ抜く悪役として!
くそぅ恥ずかしい、乙女ゲームが恥ずかしいのか悪役令嬢が恥ずかしいのかよく分からないがとにかく恥ずかしい!しかもゲームのエンディング直前、令嬢の没落が確定しているところで前世?の記憶が蘇ったという謎仕様。前世?の一般人三田恵の記憶や常識があったところですでに詰んでいたため、足掻くこともできず侯爵家破滅の結果を受け入れるしかなかった。
だがエンディング後にヒロインと王子が結ばれてもこのゲームが終わる気配はない。
続いているのだ、レティスフォント家破滅の後も。
ここからは事態がこれ以上マイナスにならないよう三田恵の良識を持って奔走し、なんとか借金は返済し父母である侯爵と夫人を隠居所に押し込み、私はレティスフォント家から姿を消し、ただの一庶民「エディー」として生きている。
私の顔を知っている人がいる王都から離れることも考えたが、結局食の文化は都が一番発達しているし、食材だって都が一番集まるため、やはり腕を磨くなら王都しかないと思ってとどまっている。
早く独立できればどこに行ってもやっていけるだろうし、エディエンヌの顔を知っているのはほとんど貴族や王族ばかりなのでこんな下町で会うこともないだろうしね!
え?フラグ?
ははは、何のために厨房に入ったと思っている!1日中ほとんど表に出ないんだから遭遇率はほぼ0だよ完璧さ!!
話を少し戻そう。料理道を歩むにおいて元貴族エディエンヌのグルメ舌の他に大変頼りになるのが三田恵の料理経験である。この世界では味噌や醤油がないので、日本人としての料理経験のこの世界でのお役立ち度は50%ぐらいしかない。
それでも扇子より重いものを持ったことがないエディエンヌが包丁を握れて、鍋を振ることができたことを考えると、独り身OLが休日におしゃれごはん(笑)と称しなんちゃってエスニックやイタリアンなどを寂しく作ってた経験は決して無駄ではない。というか大活躍である。
そしてそんな両者の知識経験を持つ私が目下やきもきしているのがこの国の料理の味だ。貴族階級の食事はまだしも、下町の食堂となると単純豪快で悪く言えば雑。出汁など存在せずハーブもあまり使わず基本塩味。ソースはひたすら赤白ワインで作る…いや間違っていないんだけどもうひとひねりが欲しいところ。
そして重い。
牛脂、牛乳、生クリーム大好き。鍋の中で魚がバターの中で泳いでいたりする。これは特に日本で生きてきた三田恵にとって胸焼けがするほど衝撃的な風景だった。日本食は言うに及ばず、OLランチとか打ち上げなどで食べてきた各国のどの料理もここまで脂っこくなかった…はず。
下働きのぺーぺーなのであまり生意気な意見はいえないと最初は大人しく修行していたが、ある日の賄いで試しに油分を控え軽めの料理を作って出してみた。物足りないと言われるかと思ったら特に不満もなくペロリと完食されうまいと褒められ、軽く脱力した。
それからは少しずつ様子を見ながらエディエンヌと三田恵がおいしいと思ったものを目指し続けた。植物油でバターの代用をしたり、ハーブやフルーツを料理に多く使用したり。
節約して食材を自腹で買って自宅でも試作を繰り返し、失敗もたくさん重ね、今では少し凝ったソースやだし汁を使用するメニューを食堂で採用されるところまで漕ぎ着けた。