6話:喚起
意識が覚醒した俺に声がかかる。
『おはよう。シンヤ』
レックスの声だ。
ゆっくりと覚醒していく意識の中で思う。
苦しい。
視界は暗い。
だが、嫌な感じがしない。
良い匂いがする。
温かい。
そして顔いっぱい柔らかい。
素晴らしい。
ここが天国か?
『……』
無言が痛い。無言で責められている気がする。
この匂いには覚えがある。
状況的に考えて、ベルに抱きしめられているといった所か?
『うん』
……やはり、天国か……。
『……』
無言が痛い……。
さっきも感じたがなんか言葉でない部分で責められてる気がするのだ。
……何かしたっけ?
『……目が覚めたら、僕はベルの布団の中に一緒に居て、目が覚めても何故か離してくれないんだ』
ふと、昨日の夜に意識を失う直前の事を思い出した。
『……昨日、何かあったの?』
聞かれて、搔い摘んで昨日会った事を簡単に説明した。
寝ている間に体を動かせた事。
悪いとは思ったが、少し外の空気を吸いに行った事。
そこにあった墓を眺めている時にベルが起きだして様子を見に来てくれたこと。
そしてそこで気を失った事。
『そう』
レックスは一言だけそう返した。
『悪かったな』
『……? 何が?』
『いや、だって体を勝手に動かしたりして……。なんか自分の体なのに動かされるとか……気持ち悪いだろう?』
『……別に』
『別にって、お前……?』
『気持ち悪くないよ。……気持ち悪いって言うのがよく分からない……』
ああ……。そうか……。レックスは感情がない。
『いや、まあそれでもな。ごめん』
『いいよ』
今後の為にも念のためお願いしておく事にした。
これからも体を動かしたくなる欲求は必ず出るだろう。
『……そんで、図々しいとは思うんだが、夜寝てる間だけでも少し体を動いてもいいか?』
『いいよ』
特に考える素振りも見せず、ノータイムで答えが返ってきた。
『え? そんな、簡単にいいのか? 自分の身体だぞ?』
『悪い事しないなら別にいいよ』
まあ悪い事はするつもりはない。
体を動かしたり、調べ物したりをしたい。
昨日は眠気が全く来なかった。起き続けているのも退屈だ。
ベルに抱きしめられて、何故か意識を失ってしまったが……。
『じゃあ、別にいいよ。それに……。まあ、それはいいか。……でも、昨日あったのはそれだけ?』
『それだけって? どういう意味だ?』
『ん。ベルが離してくれないのもそうだけど……。もう一度喋ってみてって……』
あ。
『すまん。昨日の夜に、声をかけられて、振り返りざまにベルの名前を呼んだ』
『……そう。それで……』
自分の無神経さに腹が立つ。
レックスは喋れない。
それがいきなり名前を呼べば、声が治ったのだ勘違いするに決まってる。
『す、すまない。俺は……』
『いいよ』
レックスは一言で返した。
その一言は無機質で、怒りも悲しさも含まれてはいない。
言葉に詰まり、どう続けるか迷った。
『ねえ』
レックスから声がかかった。それに反応する。
『なんだ?』
『シンヤなら声を出せるんだね』
『……あ、ああ……』
『もしも出来るなら、ベルの名前を呼んであげて欲しいんだ』
『でも……レックスが起きてる時に動かすのは出来ない感じがするんだ』
あまり強くはやってないが、指一本を動かすのも難しそうな感じだった。
『ん。少し待って……』
そう言って、レックスは黙り込んだ。
ふいに体が軽くなったような印象を受けた瞬間があった。
『これでどう……かな?』
どうって? と、疑問に思ったが、とりあえず指だけでも動かしてみる事にした。
するとぴくりと指が反応した。
え?
『僕が意識してシンヤと繋がるようにイメージすると大丈夫みたい……』
手をグー、パーと握りしめてみる。
動く。
これなら声も出せそうだ。
だけど。
『いいのか? 声を出して……?』
『うん。頼むよ。僕には出来ない事だから』
少し、考えた。
本当にいいのかと。俺が喋る事は、何か騙すようで気が引けた。
だけど、『僕には出来ない事だから』というレックスの言葉を聞いて、俺に出来る事ならばしてやりたいと思った。
『……わかった』
レックスに返事をして、気持ちを落ち着けて集中する。
息を吸って吐く。俺のタイミングで意識してやってみた。
そして、口を開く。
「……ベル」
ベルが瞬間、息を飲むのが聞こえた。
埋めている胸から鼓動が伝わってくる。
先ほどよりも早く。
心地よく。
ベルは俺を……レックスを抱えたまま起き上がり、顔を覗き込んでくる。
その顔はとても泣きそうな顔。
だけど、悲しみはなく。ただ純粋に嬉しそうに。
これ程、美しく、嬉しい顔を俺は見たことがなかった。
こちらの気持ちも変えるような、感情の詰まったこんな素敵な顔を俺は見たことがなかった。
『あ……』
レックスが頭の中で声を上げる。
俺はそれに返事することなく、その顔に見惚れていた。
「……もう一度。もう一度。呼んで?」
「ベル」
ベルの声に、さっきよりもはっきりと名前を呼んだ。
瞬間、抱きしめられた。
とても、とても強く。
レックスの小さな体を力一杯に。
う。
っく……。てか、本気で、痛い。
「……苦しいよ。ベル」
少し、力が緩む。
「……ご、ごめん……。でも、もう少し……。もう少しこのまま」
さっきよりも力が弱まり、心地よい程度だ。
ずっとでもこのまま居たい。
レックスの首元に顔を埋め、濡れていく肩を意識する。
……泣いているようだ。
俺はどうにかしてやりたくて、ただベルの頭を撫で続けた。
……。
暫く、そうしていると寝息が聞こえ始めた。
泣きつかれて、安心し、眠ってしまったようだ。
……もしかするとベルは昨日の晩から寝ていなかったのかもしれない。
『シンヤ』
レックスから呼ばれた。
それに返事を返す。
『ん?』
『ありがとう』
ただ一言、感謝を返された。
『あ、いや、俺は特に何も大したことはしてない……』
ただ、名前を呼び、泣き止むのをずっと待っただけだ。
『……そんな事はないよ』
今度は体が自然に動く。
レックスが自身の意志で動かしているようだ。
眠るベルを横たえて布団を掛けてやる。
黙ってその様子を眺めながら、ふとお腹に違和感を感じる。
この感覚は分かる。
『レックス。腹が減ってるのか?』
『?』
『いや、なんか腹が減ってる感じが伝わってくるんだが……』
『そうなの?』
『ああ……まあ』
そう返事を返して、少し思い当たる。
空腹の感覚というか、お腹が空いたという欲求を感じる感情というか……。
言葉にすると難しいが、そういったものがないのかもしれない。
『体はお腹が減ってると感じてるみたいだぞ? なんか食ったらどうだ?』
一応、さっき考えたような仮説が正しいのかはわからないが、空腹を感じてるのは確かだ。提案してみる。
『……なにを、食べればいいの?』
『なんかないのか? 材料あるなら料理作るとか……』
『料理なんてした事がない』
あー……。まあ、ベルもいるしレックスはまだ幼い。
料理した事がないのも当然か。
『そうか。じゃあ、材料あるなら俺が作ってやるよ』
『シンヤが?』
『ああ。まあ、大したものじゃないけどな。そこそこ作れると思うぞ?』
よく飯は作っていた。元居た世界では自分の飯は自分で賄っていた。
料理漫画の影響で料理を始めて、徐々に美味しくなる工程が楽しくて、ついでに凝った性格が災いして色々と料理は上手くなった。
俺は元居た世界では、ほぼ一軒の漫画喫茶で寝泊りしていた。
形は違うが住み込み兼バイトのような感じになっていた。
自分でいうのもなんだが、俺は元々環境が少し……いや、かなり特殊だ。
漫画喫茶での深夜のバイトは高校生には出来ない。まあ泊まるのも本来は駄目なんだろうけども。
そこは店主と上手くやっていた。
飯は厨房を借りて作ることが出来た。店舗で出す食事もそこそこ凝ったものを出す漫画喫茶で、厨房も業務用のそこそこの設備が整っていた。
コンロの火力もなかなか良くて、色々と料理の幅が出せるのも料理にのめり込むきっかけの一因だっただろう。
料理に火力は大切だ。
『わかった。じゃあ、シンヤにお願いするよ』
『おう。任せとけ』
『……あ。ベルが起きた時の分もお願いできるかな?』
『ああ。いいぜ』
俺は厨房に向かうレックスに、気軽に請け負った。
異世界の食材がどんなものかは分からないがまあなんとかなるだろ。
厨房に着き、レックスの体を俺の意志で動かす。
厨房にある道具や材料を確認する。
卵や野菜。元居た世界に似たような食材がいくつかあった。
その中でも驚いたのは米だ。
米があった。
よく異世界物の物語で日本人が異世界で探し求める食材。
ソウルフードの米があった。
物語の中で必死に米を探す異世界へ渡った主人公達。
それを見て、たかが米で……と、思っていたが実際に自分が似たような立場になってから米を見つけられるとホッとするものだと実感出来た。
正直、かなり嬉しかった。
『なあ、レックス?』
『なに?』
『やっぱ、ハーフエルフとかエルフって肉を食べないのか?』
材料の中に肉の類が見つけられなかった。なので聞いてみる。
今後も機会があるなら食べられないものを入れるわけにもいかない。
『食べるよ。ただ、今はないだけ。獲るのが難しいし、それに保存があまり出来ないから』
まあ冷蔵庫の様な機器があるわけではない。
干し肉や燻製、塩漬けにでもすればいいのかもしれないが、普通の状態の保存方法はあまりないのかもしれない。
『そうか。まあ食べれるならいいか。ただ……どうやって火を付けてるんだ?』
厨房の中にコンロのような場所はある。
薪でも置いて火でも付ければいいのだろうが……。
火種が見当たらない。
まあ、サバイバルの様な事もしていた事がある。
外で原始的な方法で火種を起こしてもいいが……。
そんな方法で毎回料理をしているとは思えない。
何か方法があるのかと尋ねてみた。
『火の魔法だよ』
あー。魔法か……。異世界だったな……。
『みんな使えるものなのか? 魔法って?』
一般人というかみんな使えるものなのだろうか?
火種は全部魔法。
実にファンタジーだ。
『ベルだから。魔法を使える人は才能がいるらしいから』
そうか。まあ普通は使えないと。
この小屋の厨房がベル専用だから火種は不要なのか。
『あー。じゃあ、レックスも使えないのか』
問いかけというよりは、呟きに近かった。
半ば、外に行って一生懸命に火種を作る算段を立て始めていた。
『わからない』
『ん? わからない?』
自分の事なのに不思議な物言いだった。
『魔力を感じる事は出来てる……と思う。けど、何が出来るのかわからない』
『ん? 魔法は使えそうだけど、どんな魔法が使えるかわからないって事か?』
『そう。系統が分かれば出来ると思うけど、僕の系統は分からないんだ』
『そうなのか? なんか今まで調べる方法はなかったのか?』
『方法は普通は簡単な事なんだ』
『でも、レックスには難しいって事か?』
『声を出す必要があるから』
あー。その調べる方法とやらが声を出す必要があると。
だから今までレックスは自分の魔法の系統とやらを知る事が出来なかった。そう、ざっくりと解釈する。
でも。
『それなら、俺が声を出せばいいんじゃないか?』
『……ほんとだ』
今、思い当たったのかレックスから呟きが漏れた。
『それってすぐに出来るのか?』
『うん。ただ【全自己解析】って言えばいいだけだから』
随分とゲームみたいなものでわかるものだと思ったが、言われた通りに声を出してみる。
「【全自己解析】」
瞬間、ポンと紙が中空に表れた。ヒラリと落ちて、手に収まる。
それに目を通す。
俺には分からないはずの文字の様だが、不思議と意味が理解できた。
レックスの知識か?
紙の内容を分析する。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
レックス 10歳
LV:22
HP:1260/1260
MP:979/980
STR:225
VIT:190
MAT:210
RES:190
SPD:280
系統:【火】【水】【雷】【土】【風】【光】【闇】
状態:【祝福】【寄生蟲】【封印】
称号:【勇者】【祝福を受けし者】【呪いを宿し者】【封印されし者】【抵抗する者】【傀儡者】
特能:【剛力】【疾風迅雷】【傀儡化】
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺の慣れ親しんだ言語に変換するとこんな感じだった。
『……』
内容を確認して、俺もレックスも無言だった。
紙の内容を見て考える。
思った以上にゲームみたいな情報が飛び込んできた。
ステータスもそうだが、目を引く項目は2つ。
一つは【勇者】。
ゲームや物語の王道的主人公ポジション。
この異世界には勇者が存在するのか?
てか、勇者とやらが何人もいるものなら問題はさしてない。
だけど、唯一の存在ならばレックスはかなり特別だ。
そしてもう一つ。
こちらが気になるものの本命。
【寄生蟲】。
虫ではなく、蟲かと納得してしまった。
ストンと腑に落ちた。
多分、これは俺の事だ。
直感でしかないが、そうだと思ってしまった。
蟲のような瘤。
【勇者】に寄生する蟲、【寄生蟲】。
俺は……碌な存在ではなさそうだ。
それが分かって、悲観をしていたわけではない。
いや、多少思う所があったのも事実だが。
俺は、所詮そんな存在かと、納得した。
どこに行っても厄介な存在で。
見た目も、存在も、肯定される事はなく。
ただ、真っ直ぐに歩くことすら困難な不平等。
世界は不平等だ。
それを俺はずっと昔から理解していた。
だから、俺は納得した。
この紙を見て、そんな風に考えていた。
だけど。
『シンヤ』
レックスから声がかかる。
『……レックス……俺は……』
どう言ったらいいのだろう。
俺の存在でレックスには瘤が生まれ、疎まれる存在になった。
俺が、存在から。
『シンヤ』
もう一度、レックスから声がかかる。
『……』
返事をする事なく、黙りこむ。
ただ鬱々とした気分で己の殻に閉じこもっていく。
『シンヤ』
三度の呼びかけ。
それに返事を返さずにいた。ただじっとしていた。
そして、世界が変わる。
昏い場所に光が拡がる。
その光は淡い。とても弱い。
だけど分かる。
これは……
『これが、「感情」なんだね。シンヤ?』
そう。伝わる温もり。繋がっているからわかる。
とても微弱。
まだ弱々しい。
産まれたて。その言葉がしっくりくる。
産声を上げたばかりの、薄い感情。
だけど確かに感じる。
温かいと感じる。
『レックス……お前……』
『伝わっている? シンヤ?』
『あ……ああ……』
鬱々とした気分は驚きに吹き飛ぶ。
今までレックスから伝わるものは何もなかった。
劇的ではないのかもしれない。
微弱かもしれない。
だけど世界は変わった。
俺に向けられる「感情」。
そこに、「悪意」も「恐怖」も俺が今まで受けてきた感情は全く、なかった。
そこにある感情。
「信頼」と「親愛」。
微かかもしれないけど、それは確かにそう呼べる感情だった。
『これが「信頼」と「親愛」なんだね』
『レックス……なんで……』
『何でだろう? わからない。僕には分からない事が多すぎるんだ』
『……』
『でもね、シンヤ。確かに、教えてもらったんだ。君に』
『……俺……に?』
『シンヤから伝わってくる感情。分からない僕に伝えてくれた』
『……感情』
『ずっと、ベルの事を見ていたよね』
『う……』
羞恥心が湧き上がる。
レックスには隠せない。
だからといって、面と向かって言われて開き直れるものではない。
『伝わったんだ。綺麗だと思う事。ずっと、傍にいてくれたベルを大切だって思う事。』
『……』
『まだ分からない事は多いけど。少しだけ、それが分かった気がするんだ。虐められても、叩かれても何も僕は感じなかった。けど、あの男達に襲われていた時にシンヤが居なかったら今日見たあのベルの泣きそうな程の嬉しさの籠った笑顔は失われたかもしれない。そして僕もあの笑顔を見ても何も感じなかったかもしれない』
喋る事がまだ慣れていなくて、苦手なレックスが一生懸命に気持ちを乗せて喋ってくれる。
所詮はたらればのもしもの話かもしれない。
だけど、懸命に幼いレックスは考え、言葉を紡ぐ。
『だから、シンヤ。もう一度言うよ。』
言葉に気持ちを乗せて。
真っ直ぐに。
『ありがとう』
……ああ。
元居た世界で聞くことがなかった感謝の言葉。
それを俺は初めて、異世界で聞いた。
ステータス部分は修正入る可能性はあります。
LV高いなと思うかもですが男3人屠ってる補正です。
次回『魔法』