5話:夜
深夜。
レックスもベルも寝静まった頃、俺は考えにふけっていた。
どういう訳か眠くならない。意識だけである為かはわからない。
眠れないというのはストレスになるものだが、不思議と「ま、いいか」と思えた。
体はしっかり休んでいるからかもしれない。
考える事はたくさんある。
答えが出ない事がいっぱいあるが、今後の方針だけでも固めたい。
そう思い、思考しようと頑張ってみるが上手くいかない。
集中力にかける。他の事に気を取られてしまう。
理由は、レックス。
風呂で聞いたレックスの話。風呂から出てからも色々聞いた。
分かった事から少しづつ整理していく。
ここは見た目通りに森林の奥らしい。
人との接触はほとんどないのだとか。
こんな所に住んでいる理由はレックスの声と瘤。やはり虐められるようだ。
それとベル。彼女はハーフエルフという存在らしい。人にもエルフにも、どっちにも疎まれるのだとか。
レックスは人だ。レックスとベルに血の繋がりはないらしい。簡単にいえば他人。
だけど共に暮らすようになった経緯が色々あったらしい。
色々な経緯についてはいまいち分かっていない。
喋る事の出来ないレックスは言葉にするのが苦手のようだ。
それも仕方ないだろう。会話をする機会がないのだ。
そして、風呂場での会話。レックスからの問いかけ。
『みんなの言う、感情って一体なんの事なの?』
感情。
頭の中で会話してわかった。少しづつ確かめて分かった。
レックスには感情らしいものが欠如していた。
虐められて、憤る事も、恐怖する事もなかったようだ。
ベルとの食事や会話で笑顔を見せる事はなかった。
ただ、俺と繋がった事で色々な感覚に戸惑ったようだ。
例えば、食事。
ベルの用意してくれた食事は美味だった。完全な固形物はまだ体に触るだろうからと用意された食事は、優しく、温かく、そして美味かった。
素直に美味いと味覚を通して感じた。
レックスはその時の感じた感情の波に戸惑っていた。
後で聞くと食事を美味しいと感じる感覚が欠如していた。
だがレックスを通して五感は伝わってくる。味は感じているはずなのだ。
これが美味しい。これが温かいか。
と、言ったレックスの言葉が頭に残った。
レックスに踏み込んで聞くべきか迷ったが聞いてみた。
感情と声を失う経緯はなにかあったのかと。
いや、正しくは考えただけでレックスが聞き取ってしまったが正しいか。
答えはなかった。
覚えていないと言っていた。
声が出ないのは身体的症状ではない……と思う。
ベルを襲っていた男達との戦闘時に俺は声を出した気がする。
……微かにだけど、あの時に俺は笑った。その声を耳で確かに聞いた。
精神的なものだろうか?
何があったら声と感情を失うのか想像の枠外だ。
ベルを襲っていた男達。あんな光景は普通は非日常。
そこまで考えてここが異世界だと思いだした。想像出来るほどの知識がない。
そもそも俺はどうしてこうなった?
あの虫が俺なのだろうか?
考えたくはないが、確かに虫の真ん中に浮かぶ俺の顔と目が合った。
まあこれは考えても答えはでない。不安があるが、何故を考えるのは建設的ではない。そもそも手持ちの情報が少なすぎるのに分かるわけがない。
さて、これからどうするか?
元の体に戻れるならそれがベスト。
その方法はさっぱりわからないが。
問題はなんにしても情報不足。後は自由ではない事か。
この体は俺のものじゃない。あの男達との戦闘では確かに自由に動かせたが……。
手探りで先がまったく見えないが……。なにか状況を変える手はあるかもしれない。
何と言っても異世界だ。
やる事はレックスに頼んで情報収集か。
元に戻れるかの不安はあるが、まだ実感が湧いていない。
その内にわっと不安になるかもしれないが……。
今まで色んな経験はしてきたから度胸はある方かもしれない。ここまで突飛な経験は初めてだが。
今は幸い、少し好奇心もある。未知の世界。異世界。
背中の傷を治した魔法。
魔法。
それがこの世界にはあるのだ。ワクワクしないかと言われれば嘘になる。
レックスが目覚めてからは頼んで色々見てみたい。体を動かせないんは正直ストレスだが、見ていても楽しい。そう、見ているだけでも。
そこでふと思い出したのはベルの顔だった。
なんて、単純。
真っ直ぐに見られただけで……。俺に向けられた瞳でもないのに……。
思考を振り払い、他の事を考える。
思考がよくない方に堕ちていく気がした。
ベルか……。
ベルを襲っていた男達。異世界とはあんな事が当たり前によくある事なのだろうか。
エルフ。
ベルはハーフエルフらしいが。そんな物語みたいな種族が存在する世界。
確かにベルは物語の様な美しさだった。
違う。思考がまたベルに行っている。
俺が殺した男達。あんなのが日頃からいる世界なのだろうか?
明日、レックスに聞いてみよう。
もしもまたあんな事があったなら……。ベルが汚されると考えただけで、怒りが湧く。
あの時は俺が動けた。
この状態のままだと今度はどうなるのかわからない。あの時のように動ければいいのだが。
そこまで考えて、ふと試してみる。
戸上信弥の体に居た時の感覚で右腕を上げるように試みる。
少しだけ、ぴくりと腕が動いた。
……お?
なんとなくいけそうな感覚。
もう少し集中してみる。
途端、ぐわっと右腕が持ち上がった。
そして、感覚を忘れないうちに寝ている状態からそのまま上半身を起こしてみる。
半身を起き上がらせて呟く。
「……動いた?」
喉から呟きが漏れ、耳に届いた。
レックスが起きている時は全く動かなかった体が動いた。
今はレックスが寝ているからか?
なんにしても、レックスには悪いが動けるのはありがたい。
眠気も来ない。流石に答えの出ない思考だけではしんどかった。
同じ部屋で寝ていたベルを見る。
その綺麗な寝顔を見て……視線を逸らす。
視線を逸らすのに苦労した。
俺は起こさないように部屋を出て夜の外に出てみる事にした。
遠くに行く気はない。
なんとなく……寝ているベルと同じ部屋にいるのが憚られた。
小屋を出て、夜風を受けて息を吐く。
五感はあったが、自分で動いて受ける風は印象が違った。冷たいのが気持ちいい。
視線を辺りに巡らせる。
そして小屋の前で見つけた。
三つの墓。
名も刻まれてはいない。
だけど直感で悟る。
俺が殺した男達の墓だ。
それを見て……罪悪は湧かない。
罪悪が湧かない事に違和感を覚える。
俺は今まで色んな事を経験した。不良に絡まれるのは可愛いもので、俺に戦い方を仕込んだあの男の所為だ。
それでも、今までの経験の中に殺人はなかった。暴力はあったが、殺人はなかった。
初めての経験。殺人に対して湧かない罪悪感。
冷静になって自分を見つめる。
戸惑い。
男達を殺した時の事を思い出す。
あの時の男達を手にかけた罪の意識よりも、ベルを汚そうとした事に対する男達への怒り。
怒りがとめどなく湧いてくる。
死んで当然だと。
そんな極論を考える自分に違和感を覚えるが、怒りで思考が埋め尽くされる。
「……レックス……?」
後ろからかかった声に意識がスッと冷める。
ぐつぐつと煮えたぎるような感情が霧散していく。
声を聞いて、少しだけ。少しだけだけど、どこか安心したんだ。
煮えたぎるような昏い感情。
罪を意識するよりも、激しい怒りを感じていた自分。
それに恐怖していた。
微かに震えながら振り返って、その顔を見て、思わず呟いた。
「ベル?」
瞬間、その声が耳に届いたベルは顔を歪め、泣いた。
「レックス……っ! 貴方、やっぱり声が……っ!?」
ベルは駆けより、俺を抱きしめた。
鼻腔をくすぐる良い匂いと、抱きしめられる温もりに包まれて俺は意識が遠のいた。
とても、安心出来たんだ。