4話:瘤
な……んだよ……これ?
俺は絶句した。
360度を一望出来る視界の広さに。
訳がわからない。
だが、と考える。
混乱する気持ちは自然と落ち着く。
感覚がある。五感を感じる。
どういった経緯でこんな物語みたいな状況になったのか疑問は尽きない。
けど、ここは異世界。
何が起こっても不思議はない……というより、俺の常識で考えても答えは出ない。
手が再び持ち上がり後頭部を隠す。
すると、再び視界が180度。正面しか視えなくなった。
どういう仕組みだ? 後ろに目でも付いてるのか?
「隠さなくてもいいわよ。ほら、背を向けて。」
少女の服を脱ぐ気配にドキッとする。背を向けて、後ろの視界が手で隠されている為、見えないけど。
少し残念な気持ちと、超残念な気持ちが湧く。
残念な気持ちしか湧かない。
クソ! 邪魔だっ! 手を退けろ!
気取っても見たいものは、やっぱり見たかった。
本能のままに叫ぶ。
「……そんなに、頭のそれを見られるのが嫌なの?」
「……」
少し間を置いてから、こくりと首を縦に振った。
「そう。気にしなくてもいいけれど……仕方ないわね」
湯を汲み、ゆっくりと背にお湯をかけてくれる。
温かく、優しい。
初めはゆっくりと背に、次いで頭にとお湯をかけてくれる。
後頭部はしっかりと抑えられているので、少女の裸体が視界に入る事はなかった。
ゆっくりと、お湯で流された後にタオルで背を流される。
強すぎず、弱すぎず心地いい。
前に回ろうとした少女の気配を察したのか、少女からタオルを受け取り前を自分で洗っていく。
「どうしたのかしら? 今日のレックスちょっと変よ?」
少女は呟いて数瞬、悩む。
「……まあ、一昨日あんな事があったし……」
どうやら変だと思った理由をそれで納得しようとしているようだ。
その後は少女も特に気にすることなく、自身を洗いはじめた。
片手で後頭部を抑えたままなので、あまり上手だとは言えないが丁寧に体を洗っていく。
あちこちにある血の跡が、一昨日あった事を思い出させる。
ざっと洗った後に、少女から声がかかる。
「上がりましょうか?」
その質問に体は首を横に振る。
「え? まだ出ないの? でも、洗い終わったでしょう?」
「……」
無言で後頭部を指さす。
「ああ。そこを洗ってないの? んー。でも、見られるのは嫌なのね?」
今度は首を縦に振る。
「どうしたのかしら? いつもは気にしないのに……。まあいいわ。先に上がってるわね?」
また、首を縦に振った。
それを見た少女は先に上がっていった。
少女の気配が遠ざかっていく。
……。
後頭部を隠して、必死に少女を視界に収めようとしなかった行動。
それを見て、ある疑念を抱いていた。
少女の気配がしなくなった事で確かめてみる。
『なあ。あんた……。俺の声が聞こえてるか?』
なんとなく、この体は俺の存在を認識しているような気がしたのだ。
「……」
無言。
後頭部から手が離れる。視界が再び、拡がる。
……やっぱ、気のせいか?
そう思った瞬間に答えが返ってきた。
『……君は誰? 僕の頭にある瘤なの?』
口から発せられた声ではなかった。
頭に直接響くような、思った事を伝えるような感じで声が届いた。
『……やっぱ、聞こえてたのか。』
予想したとおり。こいつは俺を認識していた。
だから俺に少女の裸を見せないようにしていたのだろう。
『俺は戸上信弥だ。』
『トガミシンヤ?』
『ああ。信弥が名前だ。信弥でいい。』
『シンヤ……』
『あんたはレックスでいいのか?』
『うん』
『まず、疑問があると思う。俺が誰だとか、どういう状況なのかとか。』
『……うん』
『だが、俺にもよく分からんのが現状だ。気が付いたらレックスの頭の中に居たみたいだ。』
『僕の頭の中に……』
『なあ。聞いていいか?』
『なに?』
『さっき、あの少女が背中を治したのって……魔法か?』
まだ信じきっていない部分の確証を得る為に質問してみる。
背中に傷はないかは、レックスが後頭部から手を退けた時点で確認した。
『少女って……ベル? うん。さっき僕の背中を治したのは魔法。』
あの少女はベルと言うのか。
そして、治したのはやはり魔法。
『魔法か……。なんでこんな状況なのかはわからないけど……。一つ分かった事がある。』
俺の世界に魔法はない。
もしも魔法が存在するならば、安易な考えだと思うけれど……。
『……なに?』
『俺はこの世界とは違う世界から来たみたいだ。要は異世界っていうか……』
『異世界?』
『んー。こことは違う世界というか、ずっと遠くというか……』
『ずっと遠い国から来たって事?』
『まあちょっと違うけどそんな感じだ』
少し話した感じと、視界に入るレックスの身体。思えば目線も随分低かった。
レックスはおそらく幼い。だから、噛み砕いた説明を心がけたつもりだったがなかなか難しかった。
『それがどうして僕の頭の中に?』
『それはわからん。俺も突然だったんだ』
『……そう。』
……。
そこからどう答えたものか会話が止まる。
随分とレックスは無口なようだ。ベルとの会話でも声を出しているところ聞いていない気がする。
『……僕は……』
『?』
『僕は、喋れないんだ……』
『……』
さっき、思った事が伝わったようだ。
喋れない事を教えてくれる。
『そうか……』
言葉が思いつかない。
どうしたものかと思考が巡る。
そもそも、だ。
俺はあんまり人と話すのは慣れていない。
これだけ会話したことすら久し振りだ。
最後に長く会話をしたのはいつだったか。
あいつだ。あいつと話したのが最後だ。
そいつは『トモ君』という。
気のいいやつで、気さくなやつだ。
俺の目つきの悪さや、赤い髪を全く気にしない。
あいつは言ってくれったっけ……。「俺が大切だって思える友達が、たまたま赤い髪で、目つきが悪かっただけだ。気にする事か?」と。
……ああ。
やめよう。つらい。
あの時の事を思い出すと胸が締め付けられるように痛む。
この話には落ちが付く。大体、予想通りだ。
俺はある小説を読んだ。タイトルは『歯がない』。
不良に見られる男子高校生が部活動をきっかけに友人を作っていく物語だ。
境遇に重なる部分もあり、感情移入して読んだ。
その中のヒロインがやっていたのだ。
『エア友達』
エアギターを知っているだろうか。
ギターを持っていなくても、そこにギターがあると仮定して、演奏したように見せる。
分かりにくいならば、空気椅子。椅子があるように見えるように座るだろう?
それらの友達版。
俺はそんなものがあるのかと感銘を受けた。
そして、俺は創造した。エア友達のトモ君を。
やってみた感想は割愛する。
虚しき事、山の如し。
まあ、やってみて分かった事もあった。小説を読んでいる時に、ヒロインはなんでエア友達の名前をトモちゃんにしたんだ? とか思っていたが、自分でトモ君とした時に気持ちが分かった気がした。
そうか。友達だからトモなのかと。
……ああ。そうだな。どうでもいい話だ。
俺は会話していたのだ。
会話が続かないからと言って、自分の思考に逃げるのは良くない。
『……友達がいないの?』
……っ!
『お前……さっきのも全部聞こえたのか……?』
『うん』
……っ!!
心の中で声にならない声を上げる。
羞恥で悶え苦しむ。
考えていることが全部筒抜け。
洒落にならないっ!!
『僕もいないよ。友達。』
続いた言葉で止まる。
『……そうなのか?』
『うん。僕は気持ち悪い……らしいから。』
『気持ち悪い?』
……喋れないから虐められてるのか……?
『喋れないのもある。けど、後頭部にある瘤が気持ち悪いって言われた。』
瘤か。そういえば後頭部を気にしてたな。
『ちょっと見てもいいか?』
なんとなく……自分と無関係ではない気がした。
後頭部を隠すと視えなくなる、後ろの視界。
『うん。後ろが視えるならお湯に映せばいい?』
後ろが視える事も把握出来ているようだ。やはり考えてる事が筒抜けのようだ。
『ああ。それでいい。』
気持ち悪い瘤か。
正直、嫌な予感がする。嫌な方の予感は大体当たる質だ。
そして、映し出される瘤。
瘤の大きさはピンポン玉とテニスボールの中間ぐらいか。
球体のその半分ほどが後頭部から突き出しているような感じだ。
形が気持ち悪い。
見た事がない。が、虫のような形をした瘤だった。いも虫が丸まったような形だ。
そして、その中心。
そこにあったのは、小さくて瘤にの中にあって分かりにくいが顔があった。
……分かりにくいが、間違いない。
あの特徴と呼べる程の、凶悪な目付き。
虫の中心に浮かぶ顔は俺の顔だった。
水面越しに、自分の目と目が合った。
なんというか……。
これは予想以上に、きつい。
異世界に来た喜びはなく。
俺は醜悪な虫の様なものに成ったらしい。
『こんな風になってたんだ。僕の瘤って。』
……?
もしかして……。
『視えるのか? 後ろが?』
『うん。シンヤを認識できるようになって、集中すると自然に』
後方の視界。
あの虫の様な瘤に付いているのは俺の顔。
俺自身の目で見る視界。
だから、後頭部を隠すと俺の視える範囲は前方だけしか視えなくなった。
風呂に入るまでは帽子を被っていた。だから視界が遮られていた。
俺がレックスの視界を共有して前方を見れるのだ。
逆にレックスが俺の視界を共有出来ても不思議はない……か?
『ああ……。視えたなら分かるだろうが、瘤の真ん中あたりに浮かんでいる凶悪な目付きの顔が俺だ。』
『あの人の顔見たいな部分?』
『……そうだ』
『そう……。でも瘤に人の顔みたいなのが浮かんでいるって言うのは初めて聞いた。虫みたいで気持ち悪いって言われた事はあるけれど。』
……。
これはレックスの不運だ。
「身体的特徴なのだから仕方ない。気にするような事じゃない。」なんて言葉は綺麗事だ。
俺にはよく分かる。
赤い髪と目付きでどれだけ色々な目にあってきたことか。
『シンヤも気持ち悪いって思う?』
……。確かに、醜悪。
でも、どうしても……気持ち悪いとはもう思えなかった。
この瘤が付いているレックスを思えば、どうしても気持ち悪いと断じる事が出来なかった。
胸が、痛んだ。
『?』
レックスがふと胸を抑えた。
『気持ち悪いとは、俺は思わないよ』
どう言うのが正解なのだろう? わからなかった。だから、正直に言った。
この胸の感情がなんなのか判断がつかない。伝える術がわからない。
だから分かっていることだけを端的に言った。
『そう。ベルと同じ事を言ってくれるんだね』
『あの少女……てか、ベルと?』
『うん。ベルも私は気持ち悪いとは思わないって。全部で「レックス」だからって。』
感情がわっと広がる。
レックスにはそう言ってもらえる人がいた事を素直に良かった思える嬉しさ。
そして、昏い嫉妬。あの真っ直ぐな目を思い出す。あの目が向けられるのは俺ではなく……。
『?』
また、レックスが胸を抑える。
思考が深い部分に堕ちそうになる前に気付けた。
『どうした? さっきから、胸を抑えてるけどどこか悪いのか?』
『……ううん。なんでもないよ。少しおかしな感じがしたから。』
『おかしな感じ? 本当に大丈夫なのか?』
『……うん。少し胸が痛かったりなんか色々』
『……』
少し、思い当たる。
俺の感情が繋がったんじゃないだろうか?
考えていることも分かる、感覚も共有している。
なら精神も繋がっているんじゃないんだろうか?
考えていることが分かるなら、隠し事は無意味だろう。
だから、開き直って正直に言うことにした。
『……多分だけど、俺と感情とかそういった気持を共有してるんじゃないか? 俺はさっき色々思った。レックスにはベルみたいな人がいて良かったと嬉しかった。……それと一緒に、嫉妬したんだ。俺にはそういう人は居なかったから……』
『嬉しいと嫉妬……』
『レックスもあるだろう? 嬉しかった時に胸に来る感覚。そういうのが伝わったんじゃないか?』
『……』
レックスが考える。
俺にはレックスが考えていることがわからない。そのうち分かるようになるのだろうか?
『どうした?』
『……ない』
『あ?』
『嬉しかった時に胸に来る感覚とか……ない』
『は?』
『昔から疑問に思ってた事があるんだ』
『……なんだ?』
『みんなの言う、感情って一体なんの事なの?』
ざっくりとした、レックスから哲学な質問が投げられた。
次回『夜』