8.ガールズトーク
地球周辺の機雷空間と言っても、地球からの距離は月よりも遙かに遠い。近くで爆発させ下手にデブリが大量発生すれば、同じ様な報復に襲われて、結局自国の首も絞めることになる。戦争といえど破壊の規模は抑制されているのだ。
それでも掃宙作戦が優先的に行われた太陽黄道面の軌道は、航行する宇宙船の数が圧倒的に多く、戦後の産業復興のためには早急な作業が欠かせない。同様な理由で、近く火星周辺の掃宙も行われるらしい。
「モニカはこの後どうするの? 下士官試験を受けるの?」
ハナが手際よく処理を進めながら、アシストのモニカへ話しかける。
「リヴから工科学校の進学を勧められているんですけど」
「ああ、若いからね。キャリアアップを目指すのは当然よお」
後期ミッションも進んでくると、二チームの組み合わせを替えてみようとのリヴの提案があって、モニカはハナと組んで処理に当たっている。連邦曹長の手並みは速くはないが、堅実な正確さにはやはり目を引かれた。
「ハナ曹長はA級宙航士の資格をどこでとられたんですか?」
「あ? あー。ええ、現場訓練は軍、で、あとは通信教育? かな。はは」
ハナの手が少し止まってまた動く。
「そうなんですか。サムも勉強してるんでしょうね。コース決定できるんですから」
「しっし! それ内緒」
ヘルメットの中からとがった口が見えて、モニカはすみませんと肩をすくめた。A級宙航士は宇宙船乗りにとっての憧れの資格だ。取得すれば一般の高給口に就けるし、掃宙任務の下士官でいるより、はるかに家族も安心だろう。
家族――あのフォトカードの映像が頭から離れない。
一方で、天涯孤独とのサムの言葉から察するに、今はあの笑顔の中にはいないように見える――のは自分の思いこみで、やはりあの通路の横顔にあったのは、家族への幸福な笑みではなかったか。
モニカは自分の小心ぶりにうんざりした。結局、それがはっきりするのが怖くて、今に至るまでフォトカードを渡せずにいるのだ。
「どうしたの、大きな溜息して」
思わずもれた息がしっかりハナに伝わって、モニカはなんでもありませんと赤面した。
「それにしても、あなたのリヴ・ローワン少佐殿はやっぱりすごいわあ。知識、腕とも同じオンナで、なぜこうも違う」
今度はハナの溜息がこちらに聞こえて、モニカに苦笑がもれる。
「年季も違いますから」
「それをいうなら、あのスベスベお肌はなんなのお」
カミサマは不公平、とぶつぶつしながらハナは作業を終えた。
モニカはリヴ・ローワンの年齢など気に止めたこともないが、ジッブスが新兵の頃すでに今と同じ落ち着きある上官だったという。しかしながら端正な容貌も全く変わらず、あのアイス・グレイの瞳には誰もが魅了された。
女も――当然男も。
このミッションが始まった頃から、リヴを追うサムの密かな視線にモニカは気づいていた。おまけに最下兵の役務である将校のスチュワードを自ら買ってでて、食事ごとにミールセットを恭しく差し出している。
「ありがとう。ちょうど甘いものがほしかったのよ」
ブラックコーヒーが定番のリブが、セットにココアを添えたサムへ微笑んだ。
「作業が続いてお疲れだと思ったので」
うれしそうに応えるサムに、モニカは憮然とする。
――あんなきれいな奥さんがいるのに。
内心つぶやいて惨めになった。違うのだ。家族は関係ない。不満の原因はあの笑顔がリヴへ向けられることにあった。もちろんサムは同じ笑みをモニカにもくれる。口端をあげた笑みを。
「モニカはフルーツヨーグルトだよね」
――ほら、今も
しかし細めるその目の端は、今やいつもリヴ・ローワンを捉えていた。
機雷発見は不定期なので、探索にあたる当直以外のクルーはなるべく睡眠時間を確保しておかねばならない。食事の後、ハナを残した面々はそれぞれ体を個人バンクに固定して、操縦室の照明が落とされた。
枕元の小窓を開け、モニカは虚空の星々をぼんやり眺めた。サムへの気持ちははっきりしたものの、どうやら成就しそうもない。今では、自分が言いたかったあの言葉の意味がわかる。
――サム、私は(あなたに必要)?
サムの求める先に自分はいないのだと、モニカは深く嘆息した。
私物の入ったダッシュボードをそっと開ける。例のフォトカードを入れた小物入れを見つめ、帰還したら返そうと決心した。リヴの前では、さすがに恥ずかしい。なんと言おうか。
奥様、おきれいな方ね、は、盗み見たことがばればれだが、リヴへの浮気心を突いていいかもしれない。
妬いてるの、モニカ――頭に浮かぶサムのにやにや顔。――そうだよ! どうせリヴとはこの任務が終わるまででしょ!
任務が終わるまで。胸がどきりと鳴った。
「モニカ、起きてる?」
突然耳元のスピーカーから漏れ出るリヴのささやき。
「あ、はい。リヴ、眠れないんですか?」
「最近少しね」
前代未聞の合同作戦やジッブスの事故などで、心労重なる上司をモニカは思いやった。
「せっかくこういう機会だし、ちょっとしてみない? ええと、ガールズトーク」
ふふ、とリヴが小さく笑った。作業艇の個人バンクでは、上官から部下へ特定命令のための個別通信ができる。使用目的が違うが、モニカには自分へ話しかけてくれたリヴの気軽さがうれしかった。サムの想いが彼女にあっても、それは変わらない。
「楽しそうですね。何話します?」
「定番はあれね、ほら恋バナ。あなた、サム・ゴトーが好きなの?」
いきなり直球が投げられる。モニカはああ、とか、うう、とか言いよどんだ末、もうかなわないのだとの諦めもあって、素直にはいと答えた。
「でも失恋です。奥さんと子供さん、いるみたいで」
「それは……忘れるしかないわね」
「忘れたくないです」
性急に言い返してから、なにをムキになっているのかとモニカは自問した。続くリヴの声音もあきれているようだ。
「忘れないとつらいわよ」
そうなのだろう。でも。
「そうね、つらくても忘れられないことはある」
口調に慰めが込められる。
「それになにより、あったはずの光は消せないもの」
光。その言葉がモニカに一つの光景を思い出させた。視界いっぱいの青い光。青い地球。
と、リヴのつぶやきがその上に被さる。
「光。光……ルチア」
はっとしたモニカの瞳に、小窓の外の星々が映った。幾千の星光の真中をさすらうルチア・ジョス。
「忘れていた? そうよ。みんな忘れる」
戦争も終わって――リヴの嘆息に、モニカは勢い込んだ。
「忘れていません。ルチアのことはみんな覚えています。笑顔も声も好きな音楽も嫌いな食べ物も手の小ささも鼻を鳴らす癖も全部、全部、全部!」
しばらくスピーカーが沈黙した。微かな吐息が聞こえたのは気のせいだろうか。
「モニカ。忘れないといいわね」
きっとルチアは還ってくるから――聞こえるかどうかのささやき声。
と、突然景気のよい起床音が鳴り響く。
「乗員起床。機雷発見。全員定位置につけ」
ハナの声が短い休息の終わりを告げた。