7.3Dフォトカード
集中治療カプセルに入った負傷者をモニカ達が囲んだ頃には、もう深夜を回っていた。ジッブスはヘルメットを貫通した破片が脳へ達し、摘出手術をうけて生命は助かったものの、意識が戻るかはわからない。手術中に駆けつけていたリヴ・ローワンが、カプセルを見下ろして大きく息をついた。
「家族に知らせないとね。独身だって聞いているけど、パーソナルデータに入っていたかしら」
「ケレスに妹さん夫婦がいるそうです」
ハナがつぶやき、ほか三人の視線を集める。ぼんやりしていた連邦曹長は小さな沈黙にはっとして、その丸顔を上げた。
「あ、なんとなく話しているうちに」
「そう、調べてみる。ありがとう」
リヴが薄い笑みを浮かべてうなずいたところへ、彼女のポケットからコール音。端末からの知らせは、事故検証の呼び出しだった。
「悪いけど行くわ。あなた方は、たぶん明日一番に事故聴取があるから、早く休んでおくのよ」
三人がアイアイと敬礼すると、上官はそれを返して退室した。
ハナがもう少しついていると言うので、モニカはサムと二人だけで病室を出た。人気のない通路を足下に目を落とし進みながら、作業に伴う負傷や死を考える。工兵について回るリスクはルチア・ジョスを持ち出すまでもない。戦時中の覚悟はもういらないとサムは言ったが、少なくとも今回のミッションを解かれるまで、モニカ達にとって戦争はまだ終わっていないのだ。リヴの言葉が心に浮かぶ――戦いを忘れちゃだめよ、モニカ。
「寄っていこう」
いきなりサムがモニカの腕をとった。答えも待たずに通りかかったラウンジへ引き込み、ドリンクラックから素早くパックを取り出して、窓際の椅子に並んで腰掛けた。
「飲んで」
差し出されたパックは温かく、表示にはホットミルクとある。いくら未成年でもとモニカは怪訝に見返したが、サムの持つパックも同じ文字が書かれていた。
「意外と気持ちが落ち着くんだ」
パック口を開いてふうふうと飲む姿に誘われ、モニカも熱さに気をつけながら唇をつけた。ふんわりと優しいほのかな甘さ。窓の外は月とは反対側の星空で、そういえば銀河はミルキーウェイだと連想された。
そこでサムが深々とつぶやいた。
「ああ、びびった」
不思議そうにモニカが首を傾げる。
「サムでもびびる事があるんだ」
「実は、結構なノミの心臓でね」
「まさか」
トラップセンサー解除時の冷静さは記憶に新しく、心ならずもモニカは小さく笑った。と、サムが手を差し出す。
「怖いものは怖いさ。ほら、震えてるだろう」
このパターンには覚えがある。
「その手には引っかからないから」
「そう?」
試すようなサムの眼差しに対抗心をたちまち刺激され、モニカはこれを無視できない自分が恨めしかった。
そろりと手を重ねる。
今回は握り返されることもない。手のひらに細かい震えが伝わった。
モニカが見開いた目を向けると、サムの視線は重ねた手に落ちている。しばらく見つめ、ふと気づいたように顔を上げて、「ね」と微かに笑った。
「そろそろ行こうか」
サムが腰を浮かせ、重ねられた自分の手を抜きかかる。と、モニカは反射的にその手をつかみ、驚いて見下ろす黒い瞳を、まっすぐ捉えた。
「サム、私は?」
いきなりの問いに珍しくサムが逡巡する。が、じきにいつもの口端があがった。
「君は強い」
その手の震えは止まっていた。
翌朝、事故聴取は個別に行われたが、たいした時間もかからず解放された。なにしろモニカの気づいた時には事故は起こった後で、せいぜい人物達の言動や模擬機雷の動きぐらいしか話せない。その後ジッブスを見舞いに行くと、病床にはすでに聴取を終えたハナが付き添っており、その憂い顔とはわずかに言葉を交わすのがやっとだった。
ラウンジの掲示パネルにあるスケジュール表には、案の定、作業演習棟での訓練がすべて中止とあった。訓練機器の総点検では、おそらく明後日の後期ミッション開始まで再開はできないだろう。館内放送がモニカの認識番号を告げ、コントロールセンターへくるようにとの指示をする。呼び出し主は、もちろんリヴ・ローワンだ。
中立ステーションは中立といっても、連邦軍がほとんどの運営管理を行っているので、職員は大部分が青い制服だ。三回の認証を終えて入ったコントロールセンターも例外でなく、レンガ色の人影はすぐに見つかった。周囲の階級章の星の数に圧倒されながらモニカが歩み寄るも、リヴ・ローワンはディスプレイのダストリストに見入っていて気づかない。と、その目元が潤んで光るのに気づき、モニカは発しかけた声を急いで止めた。
そこでリヴが振り返る。
「ああ、来ていたのね。ジッブスのところへは行った?」
今し方のアイス・グレイが、ジッブスに付き添っていた連邦曹長の眼差しと重なった。
「はい、容態は相変わらずです」
「とりあえず妹さん夫婦には伝えたわ。今後はミッション終了までここで治療を続けて、後は地球の専門施設へ移すかもしれないって」
言いながらリヴは足下の収納ボックスを引き出した。
「昨夜、更衣室に忘れていったでしょう」
取り出された見慣れた工具バッグを見て、モニカはあっと声を上げた。昨日は事故のため動転し、今朝になってようやく気づいたものの、演習棟が閉鎖されて入れなかったのだ。
「ありがとうございます。つけないと体のバランスがおかしくなるんです」
「しっかり使い込んでいるみたいだけど、昨日は使わなかったの?」
「あ、ええ。い、いつも万全の状況で作業できるとは限らないって、ゴトー軍曹が」
バッグを身につけながらモニカはもごもごと返したが、それは順番が違うと内心自分で突っ込んだ。けれど、とにかくサムの言葉であることは確かだし、リヴに本当の理由など言えるわけがない――サムと手を握ったあなたに拗ねたなどと。自己嫌悪に頬が熱くなった。
「ああ、サム・ゴトー。あの軽さには、ちょっと乗せられちゃうわね」
含み笑いをしながらリヴがうなずいた。
「そうそう、ジッブスの替わりに私があなた達のクルーに入ることになったから」
え、と口を半開きにしたモニカへ、にっこりと微笑む。
「しばらくぶりの現場で腕がなまっているから、いろいろ助けてね、モニカ」
「あ、いえ。いえ、とんでもないです。よろしくお願いします」
思いもかけない変更に、モニカは満面の笑みで敬礼した。
失礼しますと、踵を返しかけた背へ、リヴが、そうだと声をかける。
「これは男子更衣室の忘れ物なんだけれど、他のチームに確認したら、どうやらサムのらしいの。渡してくれる?」
差し出されたのは3Dフォトカードだ。モニカにも覚えがあったので、わかりましたと気軽に受け取った。
上官と一緒の後期ミッションを思い描きながら、モニカはバーチャル室へ向かっていた。演習棟も訓練機器も使えないとなると、仮想空間で訓練するしかない。実物でないのが不安だが、報告会で指摘された機器は一度は扱ってみる必要がある。
――まあ、リヴとサムがいるなら問題なさそうだけど。
そこで昨夜のサムが思い出された。
怖いものは怖いと震えていたサム・ゴトー。
あれは本当に意外だった。もっと意外だったのが、自分の言葉だ。
――サム、私は?
私は――何だと訊きたかったのか自分でもわからない。見返したサムの迷いはもっともだと思いながら、彼の答えも不可解だった。
――君は強い
そりゃ、すぐに手がでちゃうけど、と少しヘソが曲がるが、今回手を握ったのは自分の方だ。手のひらに伝わる震えを、そのまま離したくなかった。しっかりつかんでおきたかった。
モニカは脚を止めた。にわかに自身の思いが鮮明になる。
サムの心をつかみたい――ああ、そうなのだ。
ふと手元のフォトカードが気になった。端末があるのに今時こんなものを持ち歩くのは珍しい。指紋認証で画像は守られているが、こんな具合に忘れたり落としたりして不便ではないかと思う。
画像――二人。男と、女、だったろうか。
ちらりと見た光景が思い浮かぶ。見たいと思ってもセキュリティーがかかっていては無理なことだ。だから認証場所に自分の指を押しつけても、それは無駄な行為のはずだった。
いきなり画像が浮かび上がる。驚いたものの、すぐに視線が吸い寄せられた。映像にあるのは二人ではなく三人。
肩にかかるプラチナブロンドと碧い瞳。なよやかな姿態、優しげな微笑み。美しい女性。その腕には赤ん坊が抱かれている。金髪巻き毛、文字通りのベビーブルーの瞳がくりくりと愛らしい。見るからの母子。
そして、この二人を抱くように細い身を寄せる青い制服の男。黒い髪、黒い目が笑っている。口端が上がるだけではない。幸せが透けてもれるほどの笑み。
あのサム・ゴトーが破顔一笑していた。