6.事故
その日二度目の通路を、サムを後ろに引き連れたモニカは、ひたすら正面を向いて通り過ぎた。窓からの月光が通路の照明で薄まっているのが、いくらかの救いだ。
作業演習棟は作業現場に合わせた環境で訓練できるエリアで、当然今回は宇宙空間と同じである。さすがに帰還初日とあって大部分の兵士は休養を選んだのか、女子更衣室にはハナ一人が宇宙作業服を着込んでいた。
「あら、そっちも熱心ね」
「たくさん練習して曹長達に追いつきたいんです」
どんな時も誰の助けもいらないくらいに――モニカが硬い口調でつけ加えると、ハナは溜息をもらして苦笑した。
「殴りとばしちゃえばいいのに」
ヘルメットを被ったハナを見送り、モニカは作業服に脚を突っ込んだ。そこで腰のウェストバッグがひっかかる。いつもは忘れないのにと、舌打ちしながら外してロッカーに置いた。バッグに収まっているのは愛用の工具セットだ。どこへ行くにも身につけ、宇宙では作業服に装着済みの工具とつけ替えているが、今回ばかりはその手間が煩わしい。結局そのままにしてヘルメットを被った。
ツールボックスを手にし、気密室を通って演習棟の巨大な円筒の空間へ身を放つ。すぐ横にある、もう一つの気密室から出てきた作業服が近づき手を振ったので、通話周波数を合わせると、すぐさまサムの声が耳に届いた。
「指定? ランダム?」
「ランダムでお願いします」
訓練は爆薬が外された模擬機雷の起爆装置とセンサーの解除解体および組立で、特に鍛えたい機器指定とランダムな指定なしとが選べる。コントロールルームからの機器を待つ間演習棟を見渡せば、上方に二組作業するチームがあり、どちらかがハナとジッブスなのだろう。
「いやあ、寸暇も惜しまず勤勉だなあ」
他人事のようにサムがつぶやいて、その長閑さがまたモニカの癇に障る。
壁面の供給口から打ち出された模擬機雷に簡易スラスターで近づき、自分から言い出した手前、モニカが先に開閉口にとりついた。
「じゃ、いくよ」
サムが模擬機雷の機体側面にあるスイッチを入れる。起動したセンサーに検査器を接続しながら機器の型を頭の中で確認し、モニカは解体作業にとりかかった。
だが、思うように処理がはかどらない。特にサムの前では、みっともない姿を見せまいとするほど指が動かなくなるのがじれったい。
このままではいけないと気合いを入れた瞬間、サムに腕を掴まれた。同時に見つめた工具の先が、まさかの箇所を探ろうとしている。
「いつもと工具が違うんだな」
モニカの手元をのぞいたサムが、彼女と体の位置を入れ替えて機器に向かった。
「せっかく、すごい上物を持ってるのに」
「兵卒じゃ贅沢ですか」
未熟を見下されたようで、モニカは言い返した。
「違うよ。向上を目指す者には、ふさわしいってことさ。がんばって手に入れたんだろう?」
サムの手の動きは滑らかだ。とても分厚い宇宙手袋越しの作業とは思えない。見つめている内にモニカの苛立ちは収まって、少しの無駄もない流れから目が離せなくなる。サムの態度はどうあれ、その美しいほどの高い技量は認めざるを得なかった。自軍の中で、この腕に匹敵するのはリヴ・ローワンぐらいではなかろうか。憧れの上官。
「あの工具は上等兵に昇進した時、リヴから贈られたの」
当時は彼女にそこまで期待されているのかとうれしく、手にするたび励ますアイス・グレイの瞳を感じていた。それは今でも変わらない――はずなのだが。
「ずいぶん見込まれたんだな。少佐とのつき合いは、君の中等校以来なんだって?」
なぜ知っているのかとモニカは一瞬いぶかったが、昼食時にリヴが話したと納得する。
「そう。中等校でスカウトされた工兵はほかにもいるけど、家族が一人もいない分、余計に目をかけられたのかな」
「天涯孤独か。ま、僕も似たようなものだけど」
そこで、はい終了とサムは体を開いた。
「じゃあ、組立はモニカだ。まあ慣れない工具の訓練と思って。本番じゃ状況すべてが万全とは限らないしさ」
もともと自分が始めた練習機なので言われるまでもない。解体された部品の並ぶ収納ケースを引き寄せ、モニカは組立作業に入った。その動きを見守りながら、サムが再び話しかけてくる。
「で、入隊以来彼女の指揮下で指導を受け続けて、優等生ができあがったって案配か」
「それ、やめてください。優等生って」
「僕はほめているつもりだけど」
「ほめてません」
「だって、うらやましいってば。僕だってお気に入りになりたい」
「はあ?」
意味がわからずモニカが振り返ると、サムはヘルメットの中の顔を夢想させて、両手をを妙な具合にこすり合わせている。
「だからラウンジで言ったんだよ。少佐は手を見ただけで有能か判断できるそうですが、僕の手はどうですかと差し出したら握ってくれてさ。感激したなあ」
「うそ、サムの方が握ってた」
あまりにしれっとした舌先三寸に、モニカがつい言い返す。が、サムはすっとぼけた声を上げた。
「え、そうだった? そんなはずは……見てたの、モニカ?」
「両手に挟んでじっくり握ってた。今度はリヴと『仲良し作戦』発動?」
「いや、まさかあ。そりゃ、あのアイス・グレイとラブラブってのも……え、あれ?」
しまったとモニカが慌てて機器に向き直るも、少々遅かったようだ。目の前の模擬機雷との狭い空間へ、ヘルメットをごつごつぶつけながらサムは頭を突っ込んでくる。
「あれ、モニカ。それって妬いてる? 妬いてるの、ねえ」
ねえねえねえと、ヘルメット越しのにやつく顔がまことにうざったい。モニカは思い切り眉を寄せてにらみつけた。
「うるさい。邪魔」
「いや、状況すべてが万全と限らないし」
「万全にする努力もすべきと思います」
え――と、サムが意味を取りかねている間に、モニカは模擬機雷のバーをつかんで身を縮め、伸ばす勢いをつけた両足で思い切りサムを蹴りつけた。無重力下では大した威力もないが、こちらに模擬機雷がある分サムの体が演習棟の端へ飛んでいく。
それでようやく溜飲を下げたモニカが、組立作業を続けようとした時。
突然の警報がヘルメット内に鳴り響いた。同時にこれまで疑似太陽の一点照明だった演習棟が、八方からのライトでまんべんなく照らされる。
「事故発生! 作業服損傷! 作業者負傷! 緊急救助」
「誰だ!」
「ジッブスです!」
たちまち周囲の会話が入ってきたのは、通話チャンネルが解放されたからだ。見上げると模擬機雷がゆっくり回転を始めており、そこからから離れる作業服にハナが追いついて、膨らむ救命コクーンで見る間に包み込んでいく。今さっき蹴り飛ばしたサムが、早くもスラスターを操作して近づいた。
「曹長!」
モニカも急いで寄っていくと、コクーンの中にジッブスの血にまみれた顔が、割れたヘルメットからのぞいている。コクーンは宇宙服損傷時に弾力性の皮膜で包み、中を〇・四気圧の大気で満たす臨時の救命具だ。とりあえず真空からは救出したが、負傷具合によっては予断をゆるさない。三人は急いでジッブスを気密室へ運び、救急班がくるのを待った。
「なにがあった?」
室内に大気が満ちるとサムがコクーンを開き、ジッブスのヘルメットを外しながらハナに訊く。
「指定機器で二機目の電源を入れたとたん、内部が破裂したの」
「指定? 型番は?」
ナンバーを告げたハナは、ポケットから取り出したタオルでジッブスの頬や額の血をふき取った。
「最近の連邦側の機器だから練習したいって、ジッブスが」
「救護班へは僕が引き渡そう。君たちは着替えて搬送についていってくれ」
アイアイとハナが返事をしてモニカへ行こうと合図する。宇宙作業服は重力エリアでは十キロを越える重さになるので、負傷者の付き添いにはとても向かない。二人が女子更衣室に向かうのと入れ違いに、救護班が到着した。