5.恋する乙女
三つ年上のルチア・ジョスは、モニカが入隊して以来の先輩だった。軍装備の最小仕様が大きいといつもこぼすほどの小柄で、順調に背が伸びるモニカをいつもうらやんでいた。一方で仲間への面倒見がよく、私生活は大雑把なモニカもあれやこれやと助けられた。
「私の誕生日、ちょうど臨時の任務が私に入って――みんながせっかくパーティの準備をしてくれたんだからって、ルチアが替わってくれて」
機雷の暴発で宇宙空間へ飛ばされ、位置信号が受信できないまま酸素切れの時間も過ぎると、捜索はすぐに打ち切られた。
「戦時中だし工兵だって命をはっているから、そういう“時”は覚悟しているけど……」
自分の代わりにルチアがいなくなって後、戦争は終わりを告げ、連邦軍との合同作戦に至り、自分の身長は伸び続けている。
「どんどん時間と一緒に進んでいる自分に気がついて、腹が立って」
思わず手が出た。
「だから、あの一発は八つ当たり。本当にごめん」
窓の外の月は斜めから差す光を受けて、散らばるクレーターの影が張りついたように濃く長い。見つめている内に、そのくっきりとしたコントラストがにじんできた。
「モニカ」
耳元でささやき。気づけばサムの腕が肩に回されている。いつもなら強ばる体から力が抜けて、温かさがしみ通ってきた。
「戦時中の覚悟は、もういらないと思うよ」
モニカが驚いて振り向くと、柔らかな黒い眼差しがいたずらっぽくウィンクした。
「戦争は終わって、もうラブラブなんだしさ」
一瞬モニカは呆気にとられた。と、相手につられて目元に上りかけた笑みが中途で止まる。頬の震え。すかさずサムが手にかけた赤毛を自分の肩口に引き寄せたので、緑の瞳からこぼれるものをだれも見ることはなかった。
窓外では、作業艇を連結させた輸送船が、ステーションポートにドッキングしようとしていた。
帰還した兵士達が、つぎつぎとラウンジに入ってきて、カウンターから昼食を受け取っている。当初ははっきり色分けされていたテーブルには、レンガ色と青い制服姿がまんべんなく混ざり合い、ミッション後の気楽な会話に花が咲く。
その談笑が耳を通り過ぎる中、モニカは目の前に置かれたランチトレーを見つめていた。今まで暗い通路にいたはずなのに、いつここへきたのか、いつトレーを受け取ってテーブルについたのか、とんと記憶にない。いや、ないこともない。思い返す内、冷や汗が流れ出してくる。
――え。私、何した?
隣にいたサムに。
顔をあげると、当のサムは通りすがりの仲間と軽口をたたきながら、呑気に食事を口に運んでいる。と、黒い瞳がこちらを向いて、咀嚼を終えた口が開いた。
「モニカ」
瞬間、頬が熱くなってモニカは狼狽した。
「早く食べないとさめるよ」
「え、あ」
反射的に動かした手からフォークが滑り落ちて床を鳴らす。サムがさっと拾い上げ、換えてくるねと青い背を見せて席を立った。その細い体は一見華奢ながら、抱擁する懐は充分深い。
――て、なんで知ってる、私!
「おやま、相変わらずラブラブなことで」
声をかけてきたのは、トレー返却に向かう途中のハナ曹長だ。モニカに近寄り身を屈めてきた。
「どう、うまくいった?」
「う、うま! ど、い、いえ!」
のどが引っかかったモニカが懸命に首を横に振ると、ハナは見るからに落胆した。
「なんだ、つまんない」
「そ、曹長はサムを殴りとばせとご命令なさって」
「そりゃセクハラ男にはね。でも恋する乙女は応援するの」
恋! と言い返すモニカをハナは片手で押さえ、いきなりポンと肩を叩くと急いでその場を立ち去った。
おまたせ、と戻ってきたサムがフォークを差し出す。ありがとうと言いかけ、彼に続いてテーブルへついた人物に気づき、モニカは一瞬息が詰まった。
「リヴ」
「あなたを助けていただいて、ゴトー軍曹にお礼をね」
アイス・グレイの瞳が柔らかく微笑みかけた。
将校の登場に周囲のさざめきが低くなり、こちらへの視線がちらちらと集まり出す。食事を再開したサムが、しまらなく目尻を下げた。
「いやあ、任務ですから、お気遣いは無用です」
「任務でないことも、いろいろお世話になっているみたいだし」
そこでリヴ・ローワンはモニカへ顔を向けた。
「モニカ、飲み物を持ってきてくれる? 私の好みは知っているわね」
「あ、はい、リヴ」
モニカは慌てて立ち上がった。いつもなら憧れるばかりの瞳が胸に突き刺さり、内心ほっとしドリンクラックへ向かう。
あの通路での姿をリブに知られることには、妙に罪悪感があった。もちろん彼女は、ルチアに対するモニカ自身の気持ちを知っているし、その感情を表したところで思いを同じにしてくれるだろう。だから罪悪感の元は――
ラウンジがひときわざわつく。パックを手にして戻ろうとしたモニカは足を止めた。
テーブルの二人。向き合うリヴとサム。リヴ・ローワンの手を取るサム・ゴトー。一本一本指を広げ、手のひらを合わせて――
「んまあ。相変わらずのセクハラ男。しかも士官相手にすごい心臓」
背後からの声に、モニカは目を閉じ強く首を振った。
「モニカ、あんなのはやっぱりやめた方がいいわよお」
「やめるも何も、なんとも思っていませんから。ハナ曹長」
それからは、すべて自分の笑みを保つことへモニカは全神経を集中させた。歩く早さも気をつけて、何気なくリヴにパックを渡して席に戻る。食欲は全くなくなっていたが、中座すまいとの意地でフォークの震えを苦労して押さえ、なんとかランチを片づけた。
サムの軽口にリヴが笑う。しかし、わけのわからない頭痛がして、その内容までは耳に入らない。意を決して顔を上げたものの、互いに見交わす彼らの表情が目にはいると、すぐに手元のランチプレートに視線が落ちた。
早く――と思う。――早く!
リヴが立ち上がった。モニカの張りついた笑顔へ、またね、とルビー色の唇が動いた。
「いろいろのご無礼、ご寛恕願います」
サムの一応の謝罪にリヴは薄い笑みを返し、その青い肩を軽くひと掴みすると出口へ消えた。それとともにラウンジを覆っていた緊張が解ける。サムも触れられた肩をもみながら、珍しく大きな溜息をついた。
「やれやれ、あのアイス・グレイは迫力満て」
モニカはトレーを手にして立ち上がると、早足でテーブルを離れた。背後からサムの呼び声が追ってきたが、じきにラウンジの騒がしさに紛れて聞こえなくなった。
午後時間一杯をつかって、それぞれのクルーが処理した機雷の報告会が講義室で開かれる。事前のカタログになく発見された機器が重点的に検証され、その処理について情報の共有が行われた。モニカのクルーでは、ハナが最後の機雷の事項に時間を割き、見事処理を遂げたサムへ拍手が送られる一幕もあった。また、作業班は無事だったが二件ばかり処理に失敗した件については、リヴ・ローワンが記録画面から問題点を指摘し、処理方法を伝授する。
その一言一言を逃すまいと、モニカの視線はリヴの口の動きを追った。
なめらかで艶やかな唇。
隣のサムを窺うと、リヴへの眼差しが吸いつくようだ。
モニカはのど奥で小さくうなり、自分の邪推を軽蔑した。熱心に聞いていれば当たり前ではないか。第一サムが何を思おうと関係ないと、改めて自身に言い聞かせる。結局あれは、『仲良し作戦』の延長にすぎないのだから。
「モニカ、どうする? 参加するかい」
報告会が終了するとサムが声をかけてきた。夕食後の自由時間に、希望チームは作業演習棟で自主訓練ができるが、今は正直、参加する気になれない。
「まあ、僕は今更だからどっちでもいいけど」
「します」
余裕の物言いに向かっ腹がたち、言葉が即座に返った。