2.乗組員(クルー)
「モニカ、イヤならはっきり言うんだぞ」
背後からのドスの利いた声は連合軍のジッブス曹長だ。
「そうよぉ。男はみんな狼だから、気を許しちゃだめよぉ」
続くは頭上から逆さまのハナ曹長――こちらは連邦軍――の警告が降ってくる。
「やだなあ、ご両人とも僕がそんなに信用できないんですか?」
横のゴトー軍曹は悪びれもせず、どころかしっかりモニカと腕を組んだまま、二人の鋭い視線ににこやかな顔を向けた。
機雷掃宙の最初の作戦が始まり、二組に分かれた合同工兵隊は輸送船に乗せられ、それぞれの目的空間に向かっていた。到着まで待機とあって、無重力の展望室には、雑談に興じる工兵達があちこちに浮かぶ。モニカもサム・ゴトーに誘われて来たのだが、その後に同じ作業クルーに振り当てられたジッブス、ハナ両曹長が保護者よろしくくっついてきたのだ。
「にしても、ハナはひどい。可愛い部下の肩を持つのがスジってものでしょう」
「あらあ、私にはセクハラ男が純な乙女に絡んでいるとしか見えなくて」
サムをあしらったハナ曹長が、ふっくらした頬にエクボをへこませてジュースパックを差し出した。
「よろしく、モニカ。軍曹が作業中に手を出してきたら、宇宙空間へ思いっきり殴りとばすことを許可するわ」
「ありがとうございます。そんなことはないと思いますが」
苦笑するモニカが受け取ろうとしたパックを、サムがさっと取り上げる。
「そうですよ。なんせ僕たちのチームワークの良さは、リヴ・ローワンの折り紙つき。ねえ、モニカ」
「なあにが『ねえ』だ」
へっとジッブスは鼻を鳴らしたが、そこは誰もが認めるところだった。数々の作業演習において、サム、モニカのチームは速さ、正確さで常に上位に食い込み、優勝景品であるスペシャルランチの恩恵も受けてきた。個々人では実力伯仲の中、この結果はいかにも息の合ったコンビの証左に見えたのか、二人を出汁にした懸念のくすぶりも消えたようだ。しかし。
サム主導の『仲良し作戦』によって、モニカのストレスはたまる一方だった。今も腕を組まれた体はつっぱったままで、ちゅっと吸ったジュースパックのストロー口を、ほら、と差し出す楽しそうな顔を見ると、その鼻に突っ込んでやりたい欲望がむくむくと膨らんでくる。もちろん、こんな情けない事情はリヴに知られたくないので、彼女の先兵であるジッブス曹長に見抜かれまいと、にっこり微笑んだ。
「ありがと、サム」
「おい、モニカ。無理するな」
「曹長、妬かないでくださいよ。僕ら正真正銘のラブラブなんですから。ほら、彼女だって、にこにこで……」
と、モニカの笑みが頬からすとんと落ちた。『ラブラブ』の肩越しへ延びる視線が固まり、薄く開く唇から微かなあえぎとつぶやきがもれる。
「あれ……地球ですか?」
サム・ゴトーが振り返ると、展望窓の外には輝く月面が望まれていた。斜光に影射すあまたのクレーターと滑らかな暗い海が刻々と変化し、その白光の尽きる果てには、虚空に浮かぶ青い地球。
「ああ、月裏を離れたから見えるようになったんだ」
「そう……そう、あそこにほんとにあるんだ!」
たちまち、あふれる喜びがモニカの顔いっぱいに広がり、サムは目をしばたかせた。
「そんなに感激?」
「初めてなんです、映像でない本物は!」
「初めて? 中等校の卒業旅行で見なかった?」
義務教育中の地球への修学旅行は、どの宇宙行政区でも義務づけられている。
「戦争で中止になって」
ああ、と、ハナ曹長がため息をもらす。
「そういえば、ムスコちゃんも軌道エレベーターどまりだったわ。私の頃は月まで行ったけど」
「中立ステーションまでの宇宙船じゃ、窓のない船室に押し込められていたしな」
無精ひげの顎をこするジッブス曹長のうなり。
見守る内に窓外の月はたちまち小さくなって、地球との距離も次第に離れていく。別れを惜しむように展望窓へ寄ったモニカは、小さな点となった青い輝きに歎息した。そこへ耳元へのささやき。
「大丈夫、帰りにまた見られるさ」
「そうなの?」
思わず振り向いた眼前にサム・ゴトーの顔があり、唇がするりと重なった。
「ぐ!」
叫びを必死に堪えたのは、ジッブスの憤怒の形相が視野に入ったからだ。が、並んだ逆さまのハナが平手を振りながら口をとがらせ、しきりにウィンクを飛ばしてくる。真横には口端をいっぱいにあげたサムの笑顔。目を見開いたモニカは、片手で手すりを握り壁に脚を踏ん張ると、もう一方の腕を思い切りスイングした。
乾いた音とともに、サムの細い体が向こうの壁へ吹っ飛んだ。
輸送船に接続された五隻の小型作業艇は、それぞれ四人をクルーとした工兵達が乗り込み、両軍の敷設記録から特定した機雷浮遊空間へ順繰りに放たれた。もちろん目標物はステルスなので、追尾システムの解除コードと位置を知らせる応答コマンドを発信しながらの捜索となる。海とは違い、宇宙での爆破は大量のデブリを発生させるので、一つ一つ発見するごと手作業で解体するのが基本だ。
メインスクリーンが機雷にとりつく曹長達の姿を映している。機雷の形状と番号は連邦軍のもので、メイン作業はハナがつき、ジッブスはアシスト、作業艇でのバックアップはサムとモニカがあたっていた。
「ああ、顎ががくがくだ。作戦と違うぞ、モニカ」
「ハナ曹長の命令に従っただけです。力を抜いた平手ですから、そんなに腫れないはずです」
モニターを監視しながら顎をさするサムへ、モニカはすまして応えた。
「幸い『ラブラブ』の痴話ゲンカ扱いになって、お互いまた、おとがめなしだそうですよ。よかったですね」
「僕が全身打撲で入院しても、きっと君は無罪なんだな。ひどい不当だ、不公平だ」
あからさまにぶうぶうと上がる抗議に、モニカの眉がつり上がる。
「元はといえば軍曹のせいです。だいたいこんなお芝居、もうやめましょうよ。両軍の反目もおさまったし、私も疲れるし」
「ええ、こんなに楽しいのに」
「楽しいのは軍曹だけです。こんな茶番がリヴの耳に入っていると思うと、私はもう……」
小さなため息をもらしたモニカの憂い顔を、サムの驚いた黒い目が覗き込む。
「リヴ学校じゃ恋愛が御法度なの?」
「そうではないけど……浮いた話はみんな避けてるというか」
そこでモニカはあわててつけ加えた。
「でも、ちゃんとした真剣なつき合いは認めてくださってるし」
「アイスは眼力だけでハートはあるってことか。健全で大変結構」
モニカの眉根が寄って、相手をにらみつける。
「それって、からかっているんですか?」
「とんでもない。まあ……ひがみがないとも言えないけどね」
ひょいと首をすくめて、サムはモニターに戻した視線を一巡させた。
「戦闘部隊の派手な活躍はないけれど、とにかく補給路をこちらがいくら叩いても不死鳥のごとく部隊の損傷を復活させる陰には、いつもリヴとローワン工兵隊がいてさ、そのたび我らが部隊は司令部から見習えとか言われ続けてさ」
モニカも計器のチェックを再開しながら、ふふんと鼻を鳴らす。
「それだけ彼女の高潔さに惹かれて協力する人が多いってことです」
「オーラはあるな。将校とは言え、ラウンジに入れとの命令に敵方が易々従っちゃうんだから」
そこでもれるうふふとの笑いに、モニカが送った怪訝な一瞥へサムのウインク。
「あのアイス・グレイの瞳にしばかれるってのもたまらないかも」
〈作業船、こちらはもうすぐ終わるわよお。帰りの準備をしてちょうだいな〉
モニカが怒りに頬を赤くしたところで、ハナ曹長の間延びした連絡が入った。
〈サム、いくらラブラブでも未成年のモニカに無理に迫ったら犯罪者って、忘れてないわよねえ〉
「アイアイ、ハナ。品行方正のサム・ゴトーは清廉潔白であります」