13.新しい軌道
軌道エレベーターの発着ステーションから見下ろす地表は、夜光虫が浮かぶ海面のようだ。ただ波の揺らめきはなく、イルミネーションが陸を砂糖菓子のように象っている。数年ぶりに見る光景は、モニカに過去の出来事を思い出させた。
あれからサム・ゴトーとステーションに帰り、慰労パーティ最後のダンスを踊った。言葉通りサムのステップは上手で、おやすみのキス(もちろん家族としての)をして別れ、翌日、彼の姿はなかった。
気になっていたジッブス曹長は意識を回復し、喜ぶハナの微笑ましい涙顔を覚えている。リヴ・ローワンも助かったと聞いたが面会はかなわず、数ヶ月後、軍広報の片隅に何年かの懲役刑が決まったとあった。
今もってわからないのは、追尾システムの解除コードにリヴがサム・ゴトーの名を使った理由だ。コードを改変したのは後期ミッション前で、モニカの気持ちを確かめる前だった。もしかすると、すでに気づいていたのかもしれないが、その強さまでリヴには予測できたのだろうか。
忘れないーー忘れたくない。その想いの強さを。
掃宙作戦の後、B級宙航士の資格をとったモニカは軍を辞めた。地球をあちこち回り、貯金が底を尽くと作業所のアルバイトをして、新しくできた友達に成人を祝ってもらった。何人かの男と暮らしもしたが、あまり長続きはしなかった。
「最初にケチがついちゃったからなあ」
大きな溜息をつきながら、モニカは手元のフルーツヨーグルトのパックをすすった。
テーブル横の窓から目を転じたラウンジは広く、エレベーターや惑星間宇宙船の出発を待つ人々でにぎわっている。時計を見ると待ち合わせにはまだ間があるが、履歴書の画像があるとはいえ、雇い主の相手が自分を見つけだせるのかと不安になった。
先頃、一月一緒に暮らした男と別れたモニカは、運送宇宙船の乗組員に応募した。人手不足の業界で、軍工兵の職歴と宙航士の資格が落ちるはずもないが、採用するからすぐ会いたいとのメールが即座に来たのは驚いた。先方は新しく開業する船長らしく、船員全員が新規募集だそうだ。仲間意識のできあがったクルーより、互いに初対面の方が気楽というのが応募理由であるものの、船長が無名というのが少々気にかかる。しかも紹介画像はなく、単にエン・ケラフ号の船長は女性で名はナツとだけ。
久しぶりの宇宙では勘が戻るまで少しかかるが、まあ、なんとかなるだろう。なにしろ宇宙は、モニカの身に染みついた古巣なのだから。
それなり楽しかった地球生活から宇宙に戻ろうとしたのは、先日、停戦記念日の記念祭でハナに会ったのが切っ掛けだ。以前と同じ階級章の彼女は、再婚したジッブスと息子が月で小さな作業所を経営していると幸せそうに語った。モニカが近況を話すと、男運てあるわよねえと何度もうなずいたが、ついでにそっと訊いたサム・ゴトーの消息には眉を寄せた。しばらく言いよどんで、向けられた哀れみのまなざし。
――モニカ、諦めなさい。サム・ゴトーという男はもういないわ。
記念式典を一般席でぼんやり眺めた。壇上に似た顔を見たような気がしたが、もとより年を食った将官達の中に彼のいるはずもない。
モニカはようやく気がついた。地球にきたのは、サム・ゴトーとの再会を期待したからだ。そう言えば、最後につき合った男は似ていたかもしれない。だから余計、地球の夜の光を見下ろして、あの頃のことを思い出したのだろう。
でも、とモニカはテーブルの上の両手をすり合わせる。
手が違った。形も動きも感触も。
と、きつく拳を握って、これではいけないと自分に言い聞かせる。あの青い星はすでに背後へ過ぎ去って、自分は今や新しい軌道を進んでいかなくてはならない。
強く赤毛を振って顔を上げた。とたん緑の視線が固まる。
捉えたのは、既視感激しい細い体。それも覚えのある動きで近づいてくる。短く刈った黒い髪、細く微笑む黒い瞳。しかし。
「モニカ・トレディさん?」
テーブルに来た女性がにこやかに挨拶した。
「お待たせして、すみません。エン・ケラフ号の船長ナツです。このたびはあなたのような方を採用させていただき、大変喜んでいます」
ああ、はい――モニカは慌てて立ち上がり、差し出された手を握った。
「こちらこそ即決していただいて、ありがとうご」
ざいます、と語尾が濁ったのは、相手が握った手をそのままに向かいの席に腰掛けたからだ。つられたモニカの腰も、すとんと落ちる。ナツ船長はモニカの手を両手で挟み、ゆっくり掌をなで回して満足そうにうなずいた。
「すばらしい仕事が期待できる手ね」
そこで、モニカのいっぱいに見開かれた緑の瞳へ首を傾げる。
「なにか?」
ええ、とか、うう、とかのあえぎ声を必死に押さえて、モニカはなんとか言葉を口にした。
「あの……お名前。ナツ、何とおっしゃるのかと」
「ああ、失礼」
きゅっと口端の上がった笑みに、モニカの息はますます浅くなる。
「ナツキ・ゴトー」
と、ナツ船長は挟んだ手を自分の頬に寄せた。
「やだなあ、モニカ。僕だよ、僕」
「サ……サ、ム・ゴ、え?」
「久しぶりだね、何年ぶりだろう。元気そうで良かった。うん、うらやましいプロポーションだなあ。ほら、こっちはちっとも出るとこ出なく、わっ!」
掴まれた手を逆に掴み返したモニカが強く引き寄せたので、ナツの細い体がテーブルの上に倒れ込んだ。
「サム、なにこれ! なんの冗談?」
「冗談じゃないよ。見ての通りさ」
「だ、だって、どうして、また、こんな……」
小さく首を振りながら、モニカの喘ぎは激しくなるばかりだ。
「何か変えないと進めないって言ったのは、君だろ?」
確かに言った。しかしこれは予想の斜め上どころか、コペルニクスもびっくりの大転換だ。もともと低くはなかった声もすっかり見た目に合っていて、なにがここまで思い切った軌道修正へと導いたのか、モニカには全く想像がつかない。サム――ナツ船長はテーブルから体を起こすと、無邪気に笑った。
「だからね、解決すべきは何か考えてみたのさ。そうしたら、『叔父さんがパパなんだ』ってのが問題だったんだ。で、『叔母さんがパパ』ときたら、どうしたって命題が破綻して無理があるだろ?」
確かに無理がある。子供の混乱ぶりが思いやられる。
「お陰で兄一家のところへ帰ることができて、いつでも帰れるとなったら、なんだか前向きになって」
「前向き?」
モニカは怪訝なまなざしを向けた。
「うん、自分の家族を作ろうかなとか」
サム・ゴトー、もとい、ナツキ・ゴトーの表情はあくまで明るく、握って未だに離さないモニカの手を再び両手で包んだ。
「エン・ケラフ号へようこそ、モニカ・トレディ」
諦め難い青い光をようやく背にしたのに、また新しい光に遭遇してしまったようだ。しかもその軌道上では、心に波風の立たない生活は望むべくもない。なにより今この瞬間も、モニカの頭の中ではすでに拳が握られ、しっかり黒い目標を捕捉していた。けれど。
目標がぼやける。あふれる笑顔がにじんでいく。
幸せが透けて見える、ナツキ・ゴトーの破顔。
モニカの頬に涙がこぼれた。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ラブストーリーの王道を直球いっていたはずが、最後での大変化球、入りましたでしょうか、大外れでしたでしょうか。
ちなみにサムは、ナツ(サマー)summer、のサムでして、ナツキが本名です。夏(summer's)の女(female)、SF、なんてこととか。