12.星の誘い
宇宙機雷の追尾システムは慣性航行中の宇宙船を目標としており、目標物の加速・減速・進路変更等の細かい動きにはついていけない。気づけば十分回避できるので、機雷の最大の武器はステルスによる隠密性にあった。今回、位置信号を受信する作業艇にさしたる危険はないが、本来の軌道を外れた機雷を他の人工衛星は探知できない。
「うーん、藪をつついて蛇を出した感じかな」
「どうするの、サム。追尾システムが生きているなら、私たち近づけないよ」
近づけなければ処理はできず、機雷はいずれ密集する人工衛星の一つに反応するだろう。
しばらくすると探査パネルの赤点の動きが一定する。こちらを見失った機雷がスラスター噴射を止め、そのまま慣性飛行に入ったのだ。
「とは言っても静止軌道通過は避けられないな。なんとか解除コードをもう一個送らないと」
機雷の追尾センサーの捕捉距離ぎりぎりで作業艇を併走させ、サムが腕を組んでシートに沈んだ。モニカも額にしわを寄せて必死に考える。
「最初がルチアの名前と認識番号なら、まただれかの、とか?」
「だろうね。リヴ・ローワンにとって、これはルチアの帰還だから、すべてに意味づけしてたと思う」
そこでサムは体を起こしてモニカを振り返った。
「ルチア・ジョスはリヴ・ローワンのお気に入りだったの?」
「え、お、お気に入り?」
ううんと喉を鳴らしたモニカは、もじもじする手元を見下ろした。
「う、噂は聞いたことあるけど、そん、そんなことないと、思う」
「そんなことってどんなこと?」
たちまちサムの顔ににやにや笑いが浮かんで、赤面したモニカの拳が襲う。が、片手でそれをいなしたサムは、もう一方の手で素早くキイボードを叩いて送信した。モニカが目をしばたかせる。
「何を送ったの?」
「君の名と認識番号」
ええっ、と上がる声に重なって、サムのため息がもれた。
「違った」
スクリーンには外部カメラによる地球が刻一刻と近づいてくる。
その青さが鮮やかになるにつれ、こんな時でも、モニカは心躍らさずにはいられない。目覚めた自分の前で、新しい光が開けた瞬間。それは、今もなお諦めの切なさに勝る。
どうして忘れられよう。
そこでふとリヴの最後の言葉が過ぎる。
――そこにあった光は忘れない。
彼女にとっての光はルチア・ジョスだった。そして。
――モニカ、忘れないといいわね。
何を?
「光だ」
つぶやいたモニカは、急いでキイボードを叩いて隣に示した。
「この認識番号、知っているよね」
サムが目を見開く。問いたげな黒い瞳をモニカに向けたが、無言で数字を打ち込んだ。
送信。
機雷からの解除信号が入る。
解除コードは『サム・ゴトー』、モニカの忘れるはずのない光の名前だった。
作業艇を機雷に接近させ、位置信号の増幅装置を取りつけた後、ダストリストに登録する。これで人工衛星はそれぞれに回避でき、接近通過してもセンサーは休止中なので、ひとまずは安心だ。
機雷はすでに静止軌道内に入り、地球へ最接近しようとしている。大洋を返す青い光はモニカの全身を包み、その作業の手元をくまなく照らす。この機雷は確かにルチアではない。が、彼女を愛したリヴ・ローワンの想いではある。その処理を自分がしたいとの申し出に、サムは快く承知してくれた。
モニカは、一作業ごとにリヴの名を心の中で繰り返した。慈しんでくれたあのアイス・グレイの瞳を思い浮かべながら、自分は彼女の助けになれなかったとの無力感がすり抜ける。
ならば。
できることは、この手で機雷を無効化することしかない。
リヴ・ローワンの怒りを、悲しみを――その非情を。
ふと手が止まる。必要なドライバーがない。が、間髪を入れずそれが目の前に差し出された。サムだ。モニカはうなずきを返すと、それを受け取った。今はサム・ゴトーが支えてくれる。
今だけは。
「作業終了」
取り外したセンサーと起爆装置をサムに渡し、モニカは機雷の開閉蓋を閉じた。機雷に取りつけた固定索をはずし、二人して作業艇へ戻る。が、ハッチ横のバーに取り付いたまま、どちらも開閉レバーに手をのばすことなく、眼前の大きく広がる青と白の輝きを見渡した。
進行方向の少し先には夕闇の境が現れている。
「モニカ」
サムの声がヘルメットの中でささやいた。
「あのフォトカードは十年位前の兄一家なんだ」
モニカは目をしばたかせて振り返った。サムのヘルメットの表面が地球の青を映している。
「僕と兄は一卵性双生児なんだが、両親の都合で僕は十年ほど遅れて生まれてね。で、小さい頃に両親が亡くなって兄に育てられた」
そこでサムの小さな笑い。
「でも兄は仕事で忙しく、寂しかったのかな。僕は家族のある友達がうらやましくて、兄が結婚した時は家族が増えたと、とても嬉しかった」
心優しい義姉も受け入れてくれ、なかなか家にいない兄の寂しさを互いに慰め合った。
モニカの目のしばたきが激しくなる。
「サ……ム。そ、れって」
「え」
ヘルメット越しの相手の表情を読みとり、サム・ゴトーはあわてて首を振った。
「いや、いやいやいやいや、ち、違う! そんなんじゃない!」
珍しく声がうわずり、咳払いを一つ。
「そ、そんな矢先兄が事故に遭って、それで、つ、つまり」
低くなった声がもごもごとこもるーー不妊になっちゃって。
「いろいろと、うん、いろいろとあって、で、生物学上は同じだから僕に協力して欲しいと」
おそろしく端折った説明だが、モニカにも大方のことはわかった。
「で、サムの子なんだ」
「あの頃は僕も十代で、単純に家族が欲しくて安請け合いしたのがまずかった」
同じ遺伝子ながら自分の子でないこと。同じ遺伝子ながら自分の愛した男の子でないこと。覚悟はしていても心の動揺は大きいのに、同じ家族でいるということ。
「それでも兄夫婦は真実を隠しちゃいけないって、子供が小学校に上がる直前話したんだ。僕はもうそれ以来」
帰れなくて――サムの大きな溜息がモニカのヘルメット内に響いた。ああ、とモニカはうなずく。
「叔父さんが本当のパパなんだと」
しかもパパと同じ顔ーー少々くどい。
「目が合うたびそれじゃ、ちょっといたたまれないよ」
その気持ちもわからないではないが、モニカには今一つピンとこない。
「お邪魔虫なんだから、さっさと諦めて自分の奥さん見つけて家族を作ればいいでしょ」
「それができれば、こんな苦労はしない」
フォトカードを見つめていた愛おしげな表情からそれも察せられるが、不満口調はモニカの気持ちを逆なでする。
――人をこんな気持ちにさせておいて!
一方で、サムの行動が家族に対する好意だと腑に落ちた。
重ねられた掌も、頬と唇へかすめた口づけも、肩に引き寄せてくれたあの抱擁も。モニカの告白であるキスには、宥めるような手が両肩へ置かれただけだった。
何度諦めようと思えば、本当に諦められるのかとモニカは思う。それでも忘れたくないのは、サムが、サムとともに結びついた青い光が、自分では知らずに求めていたものを与えてくれたからだ。
それはサムも同じなのかもしれない。
「顔でも整形したら? 少しは事情がすっきりするかも」
「ええ、この顔、結構気に入っているのに」
「何か変えなきゃ先へ進めないでしょ」
「何かって何をさ」
「自分で考えなさいよ」
地上に黄昏の幕が引かれていく。それとともに目映い幾千もの煌めきが、暗い大気の底を輝き始めた。遙かに見えた人工衛星の光の点がふっと消える。異常接近からの回避は無事になされているようだ。作業艇が地球の陰に隠れて太陽の照り返しを失うと、周囲はにわかに闇に沈んだ。
モニカが手を伸ばして、サムの空いている指先を突つく。自然に手がつながれ、厚い手袋越しでも掌の感触が伝わった
星光で作業艇の船体が淡く浮き上がる。その向こうに銀の大河。以前は沈黙しか知ることのなかった星から、今や声が聞こえる。広がる腕がおぼろに見える。
光。誘う光。
――モニカ。
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